魔女と悪魔の歴史

「ま、とにかく」


 私の隣でゲヘナが言った。人間の大人になった私はゲヘナより背が高く、金髪に覆われた頭頂部を見下ろすことになる。いつもと違う視点で見るゲヘナは、いつもより頼りなかった。


「調査に乗り出す以上は、何かの結果に繋げたいよね。土守さんを、ちゃんと助けれるようにね」


「まあ、結果を出せないと、報酬ももらえないしな」


「いやまあお金はいいんだけど」


「いいのか? 半分は報酬目当てだと思ってたが」


「気付いちゃったんだよね。結局さあ、安定した収入が続かないと意味ないって。貧乏暮らしの中で、ちょっと小金が転がり込んでも、また家賃とか年金とかまとめて払うのに消えるだけだって」


「ようやく学習したのか」


「なんで返ってこないのに払わなきゃいけないんだろう……」


「国に言えよ」


 ゲヘナは大きくため息をついた。窓ガラスが白く曇って、すぐに晴れた。


 私たちはバスに乗っていた。向かう先はもちろん教団本部施設である。ゲヘナはタクシー未経験だったがバスには乗り慣れているらしく、後ろのドアから速やかに乗り込み、迷うことなく後方の、二人がけの席に腰を下ろした。ゲヘナは窓際で、私は通路側に座った。


 私はもちろん初バスであった。なんとなく落ち着かなかった。車内の面積はおそらく我が家より広いだろう。こんな空間がタイヤで運ばれていく。知識としては知っていたが、実際乗ってみると現実味がなかった。


 バスは北へ向かっていた。車内は空いていたが、バス停を経るにつれて少しずつ乗客が増えてきた。大きな鞄を抱えた観光客らしい人間が目立った。季節は秋で、ハロウィンが近かった。一足早い紅葉狩りだろうか。乗客は増えつづけ、そして観光名所を過ぎるたびにがらりと入れ替わった。それも街の中心部から外れてくるにしたがって、下りる客のほうが多くなり、車内はまた空席が目立つようになっていった。


 残っている乗客は、私たちを含めて十人ほどだった。みな性別も年齢もばらばらだったが、目に見えない一体感があるように思えた。新しく乗ってくる客はいても、下りる客はいなかった。少しずつではあるが、また乗客が増えていっていた。


「なあ、ゲヘナ」


「な、何……」


「どうした顔色」


「ちょっと酔ったかも」


「大丈夫か?」


「だ、大丈夫」


 かれこれ一時間以上はバスに揺られている。気分が悪くなるのも無理はない。


「前の方に移動するか?」


「いや、多分もうちょっとで着くはずだし」


 ゲヘナはリュックから例のパンフレットを取り出した。裏面のアクセス方法を確かめ、バスの路線図と照らし合わせる。目的のバス停は、確かにもうすぐだった。


 その時、いきなり声をかけられた。


「あらっ、あなたたちも……セミナーに行くのお?」


 ぎょっとして振り向くと、通路に立っていた中年女性が、ゲヘナの手元のパンフレットを嬉しそうに指さしていた。ふくよかな体型の、人の良さそうな女性だった。


 私たちが面食らっていると、女性は改めてパンフレットを指さした。


「そうでしょ? それ……セミナーの案内でしょお?」


「は、はあ。そうですが」


 ゲヘナの代わりに私が答えた。


「あらそお、やっぱりね。いいわねえ。親子で参加なんて」


「親子……いや親子ではないですけどね」


「あらそうなの? あら、そういえばお子さんは外人さんねえ。かわいいわねえ。私も娘をセミナーに誘ってるんだけど、そんなの怪しいからやめたほうがいい、って言うのよ。どう思う? どうすれば一緒に来てくれるかしら?」


「さあ……」


 一方的にまくしたててくるタイプのおばさんだった。厄介な人に捕まったな、と私は思った。ゲヘナは知らん顔で窓の外を眺めていた。


「それであなたたちはどのセミナーに出るの? 私はやっとこさ第三セミナーに上がれたのよお。大変だったわあ、鵜藤先生に認めてもらえるまで……で、今日やっとはじめての第三セミナーでねえ、またひとつ生まれ変われた気分だわ。で、あなたたちは? 第一? 第二?」


「いえ、あの……私たちは、無料体験に参加させてもらおうと」


「あっらー、そうなのお。じゃあ今日が初めてなのね。最初は理解できないかもしれないけど、大丈夫よ。すぐに俗世でのしがらみから解放されて、『理解』できるようになるわあ」


「はあ……」


「それにね、あなたたち、運がいいわあ。今日の無料体験はね、蛍様が……おいでになるらしいのよお」


「蛍様?」


 その言葉に、ゲヘナもおばさんの方に顔を向けた。


「蛍様ってのは……」


「あら、あなたご存じないの? 私たちをお救いくださる方のことよ。本当は『理解』の『極限』に『達した』人だけが蛍様に『お会い』できるんだけど、たまあにね、あなたたちのような『俗人』にも『お会い』してくださるのよ。あっここでいう『お会い』は本当の意味での『お会い』ではないのよ」


 お会いの意味などどうでもよかった。それより蛍様とは――。


「あの、その蛍様ってのは、土守蛍さんのことですかね」


「そうよお。旧魔界時代の堕天により生み出されし混沌と狂気のイデアより世界を統べる七十二神の一柱にして知を司る神性を備え人の世では告発者もしくは中傷者と呼称される悪魔神の力を受け継がれしお方よ」


「なんて?」


「旧魔界時代の堕天により生み出されし混沌と狂気のイデアより世界を統べる七十二神の一柱にして知を司る神性を備え人の世では告発者もしくは中傷者と呼称される悪魔神の力を受け継がれしお方よ」


 二回聞いても理解不能だった。


「そ、その、旧魔界なんとかと言うのは……」


「あら、あなたたち本当に何にもご存じないのねえ……? かつて存在した強大な悪魔神の力が、蛍様に宿ってるのよお」


「悪魔神?」


「この世界にはね、かつて悪魔がたくさんいたのよ。でもね、悪魔隆盛の時代は唐突に終りを迎えてしまったの、なぜだか解る?」


「いや……」


 そんなことを訊かれても知るはずがない。というかそもそもどうでもいい。カルト教団の世界観など、俗人の我々にはついていけない。何が悪魔神だ――と、私は内心呆れていた。


 しかし、私の隣でゲヘナが口を開いた。


「魔女に……」


「え?」


「魔女に滅ぼされたから……」


「あらっ、お嬢ちゃんよく知ってるわねえ。どうして知ってるの? 誰かに聞いた?」


「いや、その。そういう話をどっかで聞いた気がして。当てずっぽうで」


 ゲヘナはえへへと笑ってごまかしたが、さっきの発言は明らかに何らかの確信があった口調だった。当てずっぽうなどではない。


「そうよお、お嬢ちゃんの言う通り。魔女が悪魔を滅ぼしたの。悪魔は滅びきってしまう前に、人間をそそのかして魔女狩りへと駆り立てた……恐れをなした魔女は、悪魔を皆殺しにしたあと、ヨーロッパを逃げ出して東洋へと落ち延びたのよ。まあ、詳しくは鵜藤先生がお話してくださるわ」


「……」


 ゲヘナはおばさんの話を黙って聞いていた。私は話についていけなかった。なぜいきなり魔女などという言葉が出てきたのか、なぜゲヘナはこんな話を知っているのか――。


「そ、それで、土守蛍……様に、その悪魔の神の力があるって……?」


 私は戸惑いながらも、おばさんに訊ねた。悪魔だの魔女狩りだのとおどろおどろしい話ばかりしているにもかかわらず、おばさんは相変わらず人のいい笑顔を浮かべていた。


「そうそう。告発者あるいは中傷者と呼ばれる、悪魔を統率していた悪魔神の一人なんだけど。魔女に殺される時、自らの力をこの世界に残していったのよ。鵜藤先生はね、ずっとその力の在り処を探し続けていたの。そして数年前、ついに発見されたのよ。それが……」


「土守蛍、であったと?」


「様をつけなきゃ駄目よお。あなたたちはまだ『俗人』だから、蛍様の偉大さは『理解』できないから仕方ないけど」


「はあ」


 説明を聞いてもよく解らなかった。しかしひとつだけ判明したことがある。どうやら土守蛍は、ただの信者の娘などではない、ということだ。教団は蛍が悪魔神の生まれ変わりであるとでっち上げ、信者たちの信仰を集めるのに利用しているのだろう。蛍が教団から監視を受けているのもそのせいだ。蛍こそ教団の最重要人物なのだ。


 そして、蛍の監視役である法眼という男――なぜか魔女を敵視しており、ゲヘナから逃げるように蛍を連れ帰っていった。その理由も、おばさんが話した、魔女が悪魔を虐殺したという物語を聞くと納得できる。偉大なる悪魔神を滅ぼした魔女は教団の敵であり、侮蔑の対象なのだ。彼は本気でそう信じ込んでいるのだ。


 馬鹿だ、と思った。みんな狂っている。法眼も、このおばさんも。みな教団に騙されているだけだ。それに気付かず、蛍を盲目的に崇拝している。ただの中学生でしかない少女を――。


「あっ、着いたわよお」


 バスが停まった。窓の外はいつのまにか人家がほとんどなく、農地ばかりが広がっていた。その向こうに、巨大な建物が見えた。あれが教団の本部施設なのだろう。バスの前方のドアが開き、乗客がぞろぞろ通りていく。みな教団の信者らしい。


「じゃあ、おばさん急ぐから。第三セミナーは十一時半からなのよお。ちょっと寝坊しちゃってギリギリなのお」


 そう言って、おばさんは太った体を揺らしながら、慌ただしく下車していった。その背中を見送って、私たちも席を立つ。


「どう思う、ゲヘナ。さっきの話……」


「どう思うも何も……」


 その声は少し強張っていた。そしてゲヘナは、それ以上は何も言わなかった。

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