吸血鬼狩りの夜は過ぎて

 日の光。生命の源、新たな一日の始まり、それがこんなにも眩しく、美しいと感じられたのは初めてだった。東の空から届く朝の日差しが、混沌とした夜の世界を終わらせていく。その清らかな自然の営みに、みな一様に目を眇めている。


 巨大吸血鬼はいつのまにか瓦礫の山を突き崩していた。私たちの背後にその巨体があった。血に飢え、殺意に突き動かされていたその巨体も、朝日を浴びて動きを止めていた。扉を開けた女吸血鬼もまた、凍りついたように動かない。すると、彼女の黒髪がはらはらと抜け落ちて、頬には火傷のような痕が浮かび上がってきた。さらに青黒い痣や、痛々しい切り傷が開き、唇も潤いが褪せて干からびたように乾いていく。前歯がこぼれる――ああ、その無残な顔には見覚えがあった。やはりあの少女の死体なのだ。男たちに拉致監禁されたあげく自殺を遂げた女子高生の死体だ。日光に灼かれたことで絶世の美貌は失われ、陵辱と虐待の痕跡がまざまざと蘇ってくる――。


「あ……あああ……」


 女吸血鬼は、両手で顔を覆い、苦しげなうめき声を上げながら、外へと踏み出していった。その後に、四つん這いになった男が続いた。これが巨大吸血鬼の正体だった。巨大吸血鬼もまた日光に晒されたことで、吸血鬼化する前の姿に戻ったのだ。二人の不死者たちは、朝焼けの中を、よろめきながら歩いていく。


「追わなくていいのか……」


「はい。棺に戻るだけでしょうから」


 音禰は彼らの背を見送りながら言った。屋敷の中も徐々に明るくなってきていた。顔面に日光を浴びたエリサが、「もんげー」と叫んで飛び起きた。



 音禰の言ったとおり、二人は棺に戻って、何事もなかったかのように眠りについていた。


「こうして見ると、ただの死体ですね……」


「こっちの男の方が、あのデカい吸血鬼だったのよね」


 日傘を差したエリサが訊いた。


「そうですね」


「こっちの女の子の方は? あの羽根のやつ?」


「あー……いや、こっちは最後まで遭遇しませんでした。ですよね」


「さようでございます」


 音禰のごまかしに黒蘭も乗っかった。まあ、そういうことにしておいた方がいいだろう。絵よりも綺麗な吸血鬼がいたとエリサが知ったら、また話がややこしくなる。


「ふーん、まあいいですわ。とっとと処理しちゃってくださいまし」


「はい、解ってます」


 音禰は死体の左胸に、自分の杖を突き立てた。死体はカッと目を見開き、口から血をごぼごぼ吐いて、また目を閉じた。そして音禰は杖を引き抜くと、もう片方の死体にも同じように突き刺した。


 それから黒蘭が倉庫からチェーンソーを持ってきて、死体の首を切断した。これでもうこの死体が吸血鬼化することはないでしょう、と音禰は言った。


「これで何もかも、終わりました。お疲れ様でした」


「やれやれ、もう吸血鬼はこりごりですわ……」


 エリサが肩をすくめて言った。その言葉に私は心底から同意した。吸血鬼がまさかこんなに危険な怪物だとは、思ってもみなかった――それは音禰も同じだったろう。


「屋敷に戻って休みましょう。黒蘭、どっか無事な部屋に寝具の用意を」


「はい、かしこまりました」


 黒蘭は小走りで屋敷へと戻っていった。黒蘭は一切疲れを見せなかった。さすがプロのメイドと言ったところか。ちなみに、この時ゲヘナは私が抱いていた。ゲヘナはまだ眠ったままだった。


「じゃあ、私たちも戻りましょうか。みなさんお疲れでしょう」


 エリサが言い、踵を返して歩きだした。かと思うと、ぴたっと足を止めた。


「あっ、あれを見てくださいまし」


「なんですか……?」


 音禰が疲れ切った声で訊いた。エリサが指さした先、屋敷の塀の下に、外へ通じる抜け穴が掘られていた。


「ここから外に出たのかしら?」


「そのようですね。穴を掘って逃げるとは、なかなか器用ですね」


「飼育小屋の兎かよ」


「しかしどの吸血鬼が外に出たんでしょうね」


「別にいいじゃないの、どれでも。結局みんな戻ってきたんですから」


「それはそうですが……」


 しかし外に出た吸血鬼が他の人間を襲っていたら、その人間も吸血鬼化する恐れがある。放っておけばさらに被害は増えるし、早いうちに手を打たねばならない――が、今はそんなことを考えてもいられない。頭が回らない。疲れのせいで、立っているのもやっとだ――。


「まあ、後で考えましょうか……」


 音禰が言った。音禰はもう立ったままでも寝てしまいそうだった。



 私たちは屋敷に戻り、そこで泥のように眠った。起きたら正午を過ぎていた。ぐっすり寝たとはいえ、疲れが抜けるはずもなく、音禰はすさまじい寝起きの悪さを発揮していた。本人の名誉のために詳細は省くが。


 ゲヘナはそれなりに体調を取り戻していて、黒蘭は何事もなかったかのように皆にコーヒーを淹れていた。


「それにしても、大変な夜になってしまいましたわね」


 いつも夕方まで寝ているらしいエリサも、他の皆と一緒に起きていた。


「みなさんにはご迷惑をおかけしてしまって、なんとお詫びすればよいのやら」


「いえ、もういいですよ。みんな無事でしたし、私もいい勉強になりました」


 濃ゆいコーヒーを飲んですっかり覚醒した音禰はいつもの調子で言った。


「そうそう、下僕ちゃんは残念だったけど」


 ゲヘナはコーヒーに砂糖とミルクをどぼどぼ入れていた。


「ところであのでかい吸血鬼はやっつけたの? 朝まで待ったの?」


「それ私も気になりますわ。あれからどうやって助かりましたの?」


「まあ、色々ありまして……」


「えー、気になるうー」


「何があったの? 教えてよ」


 音禰からは聞き出せないと判断したゲヘナは、私の方に顔を向ける。


「まあ、なんだ。音禰の判断力のおかげかな……」


「えー、そうなの。もっと詳しく教えてよ。先生が活躍したの」


「いえ、私なんて何も……今回はもう本当に、私の力不足を痛感するばかりで。ゲヘナさんがいなければ本当にもう、私の魔法など全然……」


「いやそんな、私だって全然だし……全然あれだったし。ねえ?」


「ねえ、って言われても困りますわ」


 ゲヘナは困ったように笑い、エリサも目を細めた。吸血鬼と魔法によって破壊され、ほとんど廃墟となった屋敷の中で、ここにだけ和やかな空気が流れていた。


 そんな私たちを少し離れた場所から眺めていた黒蘭が、携帯電話を開いて言った。


「鬼頭様、ダンウィッチ様。タクシーをお呼びいたしました」



 広大な庭園の石畳の上、ゲヘナと音禰はエリサと黒蘭に見送られ、この屋敷との別れの時を迎えようとしていた。色々あったが、いざ帰るとなると感慨深いものがある。私は改めて、庭の奥の屋敷を眺めた。白い外壁に太陽光を照り返す巨大な屋敷は、惚れ惚れするような気高さをまとってそびえ立っていた。中はぐっちゃぐちゃだが。


 エリサが日傘の下から右手を差し出した。


「ゲヘナ、あなたを呼んだのは正解でしたわ。音禰だけではどうにもならなかったでしょう。よかったらまた来てくださいまし」


「ご飯食べさしてくれるならいつでも来るよ」


「音禰、私のために吸血鬼をありがとう。結果はこんなになっちゃいましたけど」


「クライアントのご注文にお答えできなかったのは私の責任です。結局、吸血鬼との契約を交わすというご要望を叶えて差し上げられず……」


「いえ、私もよく解ってないのに頼んでしまいましたから。でもまあ百歳のバースデイまでにはまだありますし、お母様やお祖母様からも改めて聞き出してみますわ。今度こそちゃんと教えてもらえるまで」


「ところでお母様とお祖母様はおいくつなんですか」


「二百歳と三百歳ですわ。それがどうかしまして?」


「いえ、別に……」


「そう――? あ、そうですわ。お金はちゃんと後から振り込みますから」


 報酬の話が出た途端、ゲヘナは急に罰が悪そうになって、おずおずと口を開いた。


「あ、あのう……吸血鬼による被害が出た分は依頼料からマイナス……とか言ってたけどそれはそのう……」


「何、そんなこと気にしてましたの。大丈夫、ちゃんと満額振り込みますわ。あなたが壊したお風呂場のことも、不問にしますわ」


「ばれとった」


 その時、門の外にタクシーが着いた。


「では、私たちはこれで……」


「またね、エリサ。黒蘭さんも」


「ええ、またいつか」


「私も、もう一度お会いできる時を楽しみにしております……」


 そうして私たちは別れを告げて、エリサの屋敷を後にした。この時、私はゲヘナの魔法で人間の姿に変身していて、目が前にしか付いていなかったせいで、よく見えなかったのだが――タクシーのドアが閉まる直前、見送りに来ていた黒蘭の口元に、ぞっとするような冷たい笑みが一瞬、見えたような気がした――。


 黒蘭は一体何者だったのか、結局最後まで解らずじまいであった。

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