五人目の吸血鬼

「エリサさんを」


「任せろ」


 きりもみ回転しながら落下してくるエリサを、私は触手を伸ばし、ひったくるようにして受け止めた。これで全員が無事に合流した。しかしストリゴイが頭上から迫りくる――。


「ゲハハハハ……」


 ストリゴイは舌を伸ばそうと口を開く。そこに黒蘭が己のネックレスを引きちぎり、ストリゴイに向かって投げつけた。きらめく真珠が宙を舞い、ストリゴイはそれに目を奪われる。そして床に落ちた真珠を、這いつくばってひとつひとつ拾い始める。


「今のうちです」


 私たちは弾かれたように走り出した。後ろからは巨大吸血鬼も近づいてきていた。下僕の奮闘も虚しく、巨大吸血鬼は未だ健在であった。


「グオオオ……」


 巨大吸血鬼が吠える。その声の猛々しさは変わらず、さらに怨念が籠もっているように聞こえた。火炎魔法や下僕の襲撃によって、我々への殺意はさらに激しくなったらしい。巨大吸血鬼は全身から憎悪を迸らせながら、こちらに迫ってくる。


 出口は目と鼻の先だった。しかし逃げ切れる保証はない。こちらは力尽きたゲヘナと気絶したエリサを抱えていて、移動力は落ちている。さらに行く手を阻むのは瓦礫の山だ。大階段と吹き抜けの天井の崩壊によって、我々の背丈を超えるほどの障害物が生じていた。巨大吸血鬼から逃れるために落とした階段と天井が、今、巨大吸血鬼から逃げる我々の前に立ちはだかっている。


 まず音禰が足をかけて登っていく。長いスカートでは登りづらそうだったので、私が触手で押し上げてやった。音禰がてっぺんに到達する。それからゲヘナとエリサを触手で運び上げ、黒蘭も上に押し上げてやった。そうしているうちにも巨大吸血鬼は間近に迫っていた。


「あなたも早く」


 音禰が上から手を伸ばす。


「私はいい。四人で逃げろ。私の体じゃ上がれない」


「触手を伸ばしてください、引っ張りますから」


「女の力じゃ無理だ」


「このままでは喰い殺されますよ」


「構わん。どうせ私の代わりなどいくらでも作れる」


「それで本当にゲヘナさんが納得すると思いますか」


「……」


「早く触手を!」


 音禰に急かされ、私は二本の触手を伸ばした。片方を音禰が、もう片方を黒蘭が掴む。二人に引っ張られながら、私は瓦礫に足をかけるが、殻の重みでひっくり返ってしまうであろうことは、容易に想像できた。


「ダメだ、このままでは音禰たちも落ちてしまう……諦めてくれ」


「諦めません、ここまできて……」


「鬼頭様のおっしゃるとおりです。さあ、上がってきてください」


「グォォァァァ――」


 巨大吸血鬼はすぐ後ろにまで近づいてきていた。私を殻ごと食い尽くすために、巨大吸血鬼は口を大きく開ける。血まみれの牙が無数に並ぶ。喉の奥へと繋がる、唾液にぬめった赤い舌が、地獄への道筋のようだった。


「もういい、離せ。私は日の出までなんとか逃げる。日の出はいつだ」


「日の出は……」


 音禰が時計を見る前に、誰かの声がした。


「日の出は……今ですよ……」


 知らない声だった。ゲヘナの声でもなく、エリサの声でもなかった。この場に似つかわしくない、鈴の音色のような、心地よい響きを持っていた。音禰も黒蘭も、謎の声に戸惑い、反射的に周囲を見回す。


 音禰の隣に、すっと、人影が現れた。女だった。服は全身黒ずくめで、マントを纏っていた。長く、つややかな黒髪を垂らしていた。突如として現れたその女は、私の触手をむんずと掴むと、思い切り引っ張った。


「う、うおお……っ」


 私の体が宙に浮く。感覚としては逆バンジージャンプである。女は私の触手を手繰り寄せる。たちまち、私は瓦礫の上、音禰たちのもとに引き上げられた。私は何が起こったのか、理解が追いつかなかった。それは音禰や黒蘭も同じだったようで、ぽかんとした表情で、謎の女を見上げている。


「無事でしたね……」


 女が言う。近くで見ると、えらい美人であった。一分の隙もない程に、完璧に整った顔立ちで、周りの全てを威圧するような神々しささえあった。歳はまだ若い、十代後半といったところか。しかし黒ずくめの礼服姿のおかげで、大人びて見えた。よく見るとその服装は、黒蘭が集めてきた死体に着せられていたものと、まったく同じだった。


「吸……血鬼?」


「ええ、そうです」


 女が短く答えた。その視線は、瓦礫の下、巨大吸血鬼とストリゴイに向けられていた。ストリゴイは真珠を数え終わったようで、夢から覚めたような顔つきで、はっと私たちを見上げた。そしてすかさず、舌を伸ばしてくる。


「危ない」


 と言い終わらないうちに、一瞬で伸びてきたストリゴイの舌を、女は右手で掴んだ。同時に口を開けて同じように舌を伸ばし、ストリゴイの左胸を突き刺す。


「ゲハッ」


 ストリゴイがみるみるうちに痩せていく。いや、しなびていく、と言ったほうが正確であろう。女はストリゴイの血を吸っているのだ。トゲの付いた、舌の先から――ストリゴイは全身の血を吸い上げられて、骨と皮ばかりになり、ころんと倒れた。


 女の舌が、するすると口の中へ戻っていった。音禰はそれを呆然と眺めていた。


「あなたは……私たちの味方をしてくださるんですか」


 音禰が訊く。吸血鬼はその美しい顔に微笑を浮かべ、小さく頷いた。


「私を吸血鬼にしたのは、あなたですね」


「そうです……」


「私はあなたに感謝しています。そのお礼だと思ってください」


「お礼?」


「さあ、外へ逃げましょう。もう夜は明け始めています……」


「わ、解りまし……わっ」


 足元が大きく揺れた。下を見れば、積み上がった瓦礫に、巨大吸血鬼が体当たりをかましていた。瓦礫の山を突き崩し、私たちを落としてしまおうという魂胆らしい。再び体当たり。ただ己の質量に物を言わせただけの攻撃だったが、それは確かに効果的だった。瓦礫は今にも崩れてしまいそうだった。


「あの巨大な吸血鬼は、私の手には負えません。逃げるしかないでしょう」


 そう言って女吸血鬼は巨大吸血鬼がいる方の反対側、つまりは玄関ドアの側に飛び降りた。私たちを見上げて、「さあ、こちらへ」と促してくる。


「おい、どうする」


 音禰は見定めるような視線で女吸血鬼を見下ろしていた。


「彼女のもとへ下りましょう」


「信じるのか? あの吸血鬼を」


「どちらにせよこのままでは」


 その時、また巨大吸血鬼による体当たりが来て、私たちの足場が大きく傾き、巨大吸血鬼の側に滑り落ちそうになった。もはや迷っている間はなさそうだった。


「そうだな……女吸血鬼に殺されるか、巨大吸血鬼に殺されるかだ」


 私は触手をまず音禰に巻き付けて、女吸血鬼のもとへ下ろしてやった。それから気絶したままのエリサ、ゲヘナを背負った黒蘭を、順に下ろしていく。女吸血鬼は音禰たちを襲う素振りも見せず、ただ微笑を湛えていた。


「さあ、最後はあなたですよ……」


 女吸血鬼は私を見上げて言う。私は触手を下へ垂らしていく。女吸血鬼は私の触手を掴むと、綱引きの要領でぐいっと引いた。不意に引っ張られて、私はあっさりと転げ落ちる。自分の体が急に軽くなったような錯覚に陥った。落下していく私を、女吸血鬼は両腕で受け止めた。女の細腕には抱えきれない大きさのはずであったが、女吸血鬼は涼しい顔で、私を床へと下ろした。


「すまない。助かった」


「お礼はいりません……外へ出ましょう」


 外へ通じる玄関の扉が、すぐ目の前にあった。両開きの扉の隙間からは白い朝日の輝きが見え隠れしていた。外は間違いなく朝だった。朝日が満ちている。待ちに待った太陽の光が。


 女吸血鬼が、扉の閂に手をかける。


「待ってください」


 音禰がそれを制した。


「なんでしょう?」


「朝日を浴びれば、あなたも死体に戻ってしまうんですね」


「そうです……昨夜吸血鬼になったばかりですけれど、解ります。本能的に……」


「夜になればまた目覚めますね」


「なぜそんなことを訊くのです?」


「こちらの……エリサさんに……」


 音禰はエリサを抱きかかえた。


「あなたの吸血鬼の力を授けてほしいんです。私たちはそのために吸血鬼を……あなたたちを生み出しました。エリサさんと吸血鬼との、契約のために」


 音禰の言葉を聞いて、女吸血鬼はエリサの顔をじっと見つめた。エリサはまだ目を覚まさなかった。もしこの女吸血鬼を見たら――映画や小説から抜け出してきたような、この荘厳美麗な吸血鬼を目の当たりにしたら、エリサは何を思うだろうか?


 女吸血鬼は、ふっと息を吐いて、再び口を開いた。


「それは私には不可能でしょう……」


「なぜです……?」


「言わずとも解るでしょう。あなたにも大体の予想はついているのではありませんか?」


「……」


「それに……私はもう、目覚めたいとは思いません」


「え?」


「私が朝日を浴び、死体に戻ったら、そのままもう二度と、吸血鬼にならないようにしてください。私の目的はもう果たされました。これ以上、吸血鬼でいる意味もありません」


「……」


 音禰は胸に抱いたエリサに目をやり、次に黒蘭に視線を向けた。黒蘭はただ「鬼頭様がお決めください」と言っただけだった。


「解りました。おっしゃるとおりにいたしましょう」


「ありがとう。では……さようなら」


 女吸血鬼は玄関の扉を一気に開け放った。朝日が差し込んだ。屋敷内の薄暗さが仄白い光によって溶かされていった。朝だった。光が広がっていった。

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