遠すぎた電話

 電話のもとへ向かおうとした私たちを、音禰が「ちょっと待ってください」と引き止めた。


「ストリゴイが生きているかどうかを確認したいんですが」


 そうだ、それも重要だ。心臓が二つある吸血鬼。杭を一本刺しただけでは死んだかどうか解らない――音禰の提案に異を唱える者はなく、私たちはまずストリゴイを捕らえた罠を見に行くこととなった。


 玄関ホールに積もった瓦礫の山を迂回し、サロンのドアを開ける。恐る恐る覗き込むと、そこはもぬけの殻だった。魔法陣だけが残されて、ストリゴイの姿は影の形も見えない。ストリゴイに突き立てられた杭は、真っ二つに折られていた。こいつも怪力の持ち主らしい。


「やっぱり逃げられてた」


「死んだふりなんて、姑息な手を使いますわね」


「ドンキーのラスボスみたい」


「しかし本当に心臓が二つあったんだな」


「私たちがさっき戦ったのも心臓二つあったってことか」


 黒蘭の部屋に現れたあのヴリコラカスも、杭だけでは死ななかった。あちらには死んだふりをしてやり過ごす知能はなかったようだが。


「申し訳ありません。きちんと確認しておくべきでした」


 音禰が沈痛な面持ちで頭を下げる。


「先生のせいじゃないよ……」


 ゲヘナが慌ててフォローしたが、音禰の顔は晴れなかった。それも仕方あるまい、これで残りの吸血鬼は二匹ではなく三匹だと確定してしまい、しかもずる賢さに加えて飛行能力までも有している、かなり厄介な吸血鬼が解き放たれてしまったのだ。魔力の残量も心もとない今、すべての吸血鬼を殺せるか、もしくは夜明けまで生き残れるか、なんとも難しい状況であった。


「やはり……助けを呼びますか」


 音禰がおずおずと切り出す。


「そ、そうだね……やっぱり大事なのは人の命だし」


 消極的な相槌を打つゲヘナ。音禰はスマホを取り出そうとしたが、エリサが「だめですわ」とそれを制した。


「警察を呼ぶにしても魔法の専門家を呼ぶにしても、あなた方の立場が危うくなるのでしょう……それはよくないことですわ」


「エリサ」


「しかし黒蘭さんがこのままでは危険です」


「黒蘭なんて……ただのどこにでもいる人間に過ぎませんわ。いくらでも替えは効きます。別にどうなったって……」


 という言葉が本心ではないことはみな解っていた。かすかに慄えるエリサの肩を、ゲヘナがそっと抱いた。


「そんな無理してくれなくたって、いいよ。エリサは黒蘭さんに生きててほしいんでしょ」


「でも……あなた方が」


「解った、じゃあ……私たちだけで最大限、頑張るよ。でも本当に危なくなったら、警察でも何でも呼ぼうね。その時は全部私が一人でやったことにするから、そうすれば先生にも迷惑かからないでしょ」


「それこそだめですよ、ゲヘナさん……」


 音禰の言うとおりだった。ゲヘナの悪い癖だ。何でも一人で抱え込もうとする。自分が無理をすることで丸く収まるなら、それを選ぶ。そうしてそのちっぽけな体の中にいらないものを溜めこんでいく。まったく愚かだ。


「ゲヘナ。それでは何も解決はしない」


 ゲヘナが私を見た。


「吸血鬼との戦闘は極力回避して、黒蘭を捜すことだけに注力するべきだ。そして黒蘭を助けたら、すぐにこの屋敷を脱出しよう」


 そう、これが一番安全だ。無理に立ち向かう必要はない。屋敷の外で朝になるのを待てばいい。ただその間、家の中を吸血鬼に荒らされ放題になるというリスクはあるが――ゲヘナと音禰は、エリサに視線を向けた。


「そうですわね……こうなったら屋敷なんてどうなってもいいですわ。もうだいぶめちゃくちゃになってますし……みんなで逃げましょう」


 エリサは躊躇うことなく言った。ゲヘナと音禰も顔を見合わせて頷きあう。吸血鬼を作る、から始まったこの騒動は、吸血鬼を殺す、を経て、吸血鬼から逃げる、が最終目標となった。そのためにもまずは黒蘭を見つけねばならない。


「最初から逃げてればよかったですわね。下僕の仇討ちなんてせずに」


「いいよもう。それより電話」


「そうですわね……」


 私たちは改めて電話へ向かうことになった。玄関ホールの左右から伸びる、食堂や厨房へと続く廊下。さっきまでは右側を通っていたが、今度は左側を進んでいく。この奥に電話があるらしい。


「ここも電気点きませんわね」


 壁のスイッチをパチパチやりながらエリサが言った。私は触手を発光させてやった。充分に明るいとは言えないが、歩くに不自由はないだろう。


「便利なもんですわね。自分で灯りを点けられるなんて」


「いつ電気止められても困らないようにね。光るようにしたんだ」


 ゲヘナが自慢げに言う。何の自慢にもなっていない。


「電気が点かなくても、電話は大丈夫ですかね」


「行ってみないと解りませんわね……」


 ゲヘナと音禰は、私が照らす範囲から一歩もはみ出したくないと言わんばかりに体を寄せ合いながら、暗がりの廊下を進んでいく。いつ何があってもいいように、二人は杖を構えている。一方のエリサは闇の中でも目が利くらしく、暗い廊下の奥をじっと警戒の目で見つめていた。


 やがて暗闇の中に、壁際に寄せて設置された木製の電話台と、その上に鎮座したファックス付きの電話機が見えた。


「あっ、よかった無事ですわ」


「ちゃんと使える?」


「画面は点いてますから、大丈夫でしょう。えっと、黒蘭の番号は……」


 エリサは不慣れな手付きで電話のボタンを押していく。電話機に登録された黒蘭の番号を探しているらしい――が、ボタンを押すたびに、ピッピッピッというプッシュ音が鳴る。普段の生活の中ならばどうということもない音だが、こうも不気味に静まり返った空間では、鼓膜を妙にざわつかせながら、空気の隅々まで響き渡っていくようである。


「早くしなよ」


 ゲヘナが急かす。ゲヘナはさっきからプッシュ音のたびに唇を引きつらせていた。かなり耳障りに感じているらしい。


「やっぱり私には解らないですわ。ゲヘナあなたやってよ」


「私だって解んないよ」


「音禰」


「うーん、実家は黒電話しかなかったんですけど……」


 そう言いながらも音禰はエリサに代わり、電話機を操作する。使ったことはなくとも、現代人らしくデジタル機器の使用方法には心得があるようで、エリサよりはスムーズな指使いだった。


「電話帳……決定……」


「上手いですわね音禰」


 ピッ、ピッ――とプッシュ音が響く。何かのカウントダウンのように、少しずつ早まりながら、暗黒の廊下に反響する――ゲヘナは不快そうに顔をしかめる。エリサは音禰の指先に釘付けになっている。またピッ――と鳴って、音禰が指を止めた。


「ああ出ました。黒蘭さんの番号ですね」


「それですわ。早くかけてくださいまし」


 エリサはいそいそと受話器をとって耳に当てる。


「では、いきますよ」


 音禰がボタンを押そうとした、まさにその瞬間であった。


「おい、音禰、エリサ! 後ろだ!」


「えっ」


 二人は反射的に振り向く。そう、またしても、何もない空間から、突如として姿を現したのだ。目のない顔に牙を剥き出しにした、あの巨大吸血鬼が――今まさに、音禰たちに噛みつかんとしていた。


「ノニ・ノニ!」


 ゲヘナが杖を掲げて叫んだ。柱の杭が空を切り壁を突き破りエリサと音禰の体をかすめて吸血鬼の口の中に飛び込んでいく、が、巨大吸血鬼は素早く口を閉じ、逞しい牙で杭を噛み砕いた。


「ファック!」


「逃げろ!」


 全員が床を蹴って、今来た道を逆に駆け出す。そのすぐ後ろに巨大吸血鬼が巨体を天井や壁に擦らせながら迫りくる。一秒でも立ち止まればそのまま牙の餌食となり、血を吸われるどころか骨まで粉砕されて胃袋の中に落ちてしまうのは明らかであった。その絶体絶命の状況下、ゲヘナは呪文を唱える余裕もなく、必死の形相で全力疾走している。床を落とす魔法を使え――と思ったが、やはり天井まで一緒に落ちてきてしまうのだろう。そうすれば崩落に巻き込まれて死ぬのは我々である。やはり走って逃げるしかなかった。


 命からがらといった体で玄関ホールに滑り込み、すぐ横の壁に隠れ、ゲヘナはぜえぜえという荒い呼吸を無理やり止めて魔法を使った。


「カナモニ……」


 私たちの体はたちまち透明になった――ただ、透明と言っても完全に見えなくなったわけではない。ガラスのコップが視認できるのと同じように、光の屈折の具合で透明人間の存在はすぐ解る。しかしこの暗がりならば吸血鬼の目を欺くには充分だろう。


 しかし、ゲヘナだけは透明化していなかった。魔女には魔法が効かないのだ。ゲヘナは咄嗟に、瓦礫の隙間に身を伏せる。その瞬間、廊下から巨大吸血鬼が飛び出してきた。巨大吸血鬼は瓦礫の山に勢いよく突っ込んだのち、目のない顔であちこち見回していたが、結局私たちの存在には気付かず、その巨体を廊下にねじ込むようにして引っ込んでいった。


 同時に透明化の魔法が解けた。エリサも音禰も顔面蒼白、肩で息をしていた。


「まさかあんなとこに潜んでるとは思いませんでしたわ」


「ゲヘナさんありがとうございます、助かりました……ゲヘナさん?」


「え、何……」


「だ、大丈夫ですか?」


 音禰がゲヘナの身を案じたのも無理はない。ゲヘナも同じように息が上がっていたが、全力で走ったせいでも吸血鬼への恐怖のせいでもないらしい。明らかにゲヘナだけが異常な疲労の度合いを見せていた。魔力を回復したとは言っても、まだまだ万全の状態には程遠かった。


「ゲヘナさん……魔力が……?」


「大丈夫、まだいけるから……」


 ゲヘナは額に脂汗を浮かべ、壁にもたれかかりながら、喘ぎ喘ぎ、言葉を続けた。


「それよりこれ……」


 ゲヘナは首に巻いた黒蘭のストールをするりとほどいた。

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