轟いた悲鳴

「ギャ――――――――ッ!」


 屋敷中を貫くような悲鳴で、私は飛び起きた。部屋は暗闇だった。まだ真夜中らしかった。


「な、何……今すごい声したよね……?」


 ゲヘナも目を覚ましたらしい。触覚に光を灯すと、ベッドの上で上半身を起こしたゲヘナが眩しそうに片目だけを開けていた。時計を照らしてみると、午前一時を差していた。


「今の、エリサの声か?」


「わかんない……」


 ゲヘナの傍らの音禰はまだ夢の中だった。ゲヘナはその肩を揺さぶった。


「先生、起きて、先生」


「んぅ……」


 音禰は身を捩って布団を抱き込んだ。


「先生、先生……」


「もう……ええ……なんです……?」


 普段は絶対に発しないような声を上げ、半ば目覚めかけたものの、またすぐ眠りに戻った。一度寝たらもう朝まで起きないタイプらしい。


「どうしよ。先生起きないよ」


 ゲヘナの方はすっかり覚醒していた。


「蹴落としてでも起こせ。なんだか嫌な予感がする」


 私は触手を伸ばして部屋の照明をつけた。シャンデリアがきらびやかに輝いた。その明るさから逃れるように、音禰は布団に顔を埋めた。


「先生! 先生起きてってば」


 ついにゲヘナは布団を引っ剥がし、枕を引き抜くという強硬手段に打って出た。しかし音禰も相当手強く、意地でも目を開けようとしない。業を煮やしたゲヘナは、ベッドのわきに立てかけていた杖を手に取り、呪文を唱えた。


「コカシ・クミス」


 ベッドがドンと跳ね上がった。音禰も布団も軽く浮き、またベッドの上に叩きつけられた。これにはさすがの音禰も、半目を開けた。


「ううん……なんですか……さっきからぁ……」


 くぐもった声で言いながら、音禰は横目で時計を見た。


「まだ夜中じゃないですか……」


 と言って再び眠りに落ちようとする音禰の肩をゲヘナが支えた。


「起きてよ、先生。なんか変なんだって」


「変って何が……」


「悲鳴が聞こえてきたんだよ。多分エリサの」


「はあ……?」


 その時、着信音が鳴り響いた。音禰の携帯電話だった。音禰は枕元のそれを手探りで掴むと、画面を確認もせずに耳に当てた。


「はい、もしもし……」


 寝起きの不機嫌さが露骨な声だった。


「ああ……黒蘭さん? なんです夜中に……」


『異常事態が起こっています。家中がめちゃくちゃに……申し訳ありませんが、すぐにお越しください。お嬢様のお部屋まで』


 黒蘭の声は、私たちにも聞こえた。黒蘭はかなり声を張り上げているらしく、それというのも電話の向こうではエリサがギャーとかヒエーとか叫んでいるようで、それに負けないように黒蘭も大声を出しているらしい。音禰はうるさげに電話を耳から離し、ゲヘナがそれを奪い取った。


「もしもし黒蘭さん、一体どうしたの」


『ダンウィッチ様でいらっしゃいますか……そちらのお部屋は何事もありませんか?』


「え? 別に何もないけど……何があったの」


『私にも何がどうなっているのか……とにかく鬼頭様とご一緒に、お嬢様のお部屋まで……部屋を出ていただければ、何が起こっているのかはお解りいただけるかと』


 黒蘭はそうまくしたてると、一方的に電話を切ったらしい。要領を得ない物言いに、ゲヘナは首を傾げながら、音禰に携帯電話を返した。音禰は掌で目元をこすりながら、それを受け取った。まだ眠気に囚われたままでいるらしい。


 ゲヘナは帽子をかぶって私たちを見回した。


「とにかく行ってみよう。なんか緊急事態っぽいし。ほら、先生も」


「うーん……」


「はい、杖持って」


「むーん……」


 ゲヘナに杖を持たされ、眼鏡を掛けさせられて、音禰はようやくベッドから下りた。そのまま立った状態ででも眠ってしまいそうだったが、ゲヘナに手を引かれて、夢遊病者のように歩き出した。


「行くよ先生」


「ぬーん……」


「いつまで寝ぼけてんだ」


 私の触手で頬でも引っ叩いてやろうかと思ったが自重した。早く目が冴えてくれるのを待つしかない。


 ゲヘナは音禰の手を引きながら、廊下に通じるドアを開けた。


「わっ……何これ」


 目に飛び込んできた光景に、ゲヘナは言葉を失った。


 廊下はまるで台風が過ぎたような有様であった。壁紙はあちこち剥がれ、足元のカーペットもずたぼろにされている。壁にかけられていた額縁は床に落ちて割れ砕け、花瓶は台座ごと倒されている。他の部屋のドアも、蝶番から破壊されて床に投げ出されている。その部屋を覗き込んでみると、ベッドもテーブルもひっくり返され、ソファは無残に切り裂かれていた。窓ガラスは一枚残らず割れていた。


「え、何、これって泥棒? それとも地震? 騒霊現象?」


「地震なら私たちの部屋もめちゃくちゃになってるはずです」


 パジャマ姿の音禰はあくびを噛み殺しながら言った。


「これは……吸血鬼ですねえ」


「吸血鬼? え、もうあの死体が吸血鬼になったってこと?」


「なったんでしょうねえ」


「それで……家に忍び込んで、荒らし回ったってこと?」


「はい。以前も確かご説明したと思いますけど……えー……なんだっけ……」


「しっかりしろ」


 頭の働かない音禰に代わって、ゲヘナが答えた。


「家に忍び込んで、家具を壊すとか言ってたよね」


「そうです。それです」


「いやあ、それにしても……」


 ゲヘナは戸惑いを隠せない表情で、周囲の惨状を改めて見回した。こんな状況では、吸血鬼づくりは大成功、おめでとう、とは素直に喜べなかった。


 音禰は寝癖でぼさぼさの髪をかきあげて言った。


「いやあ、予想外ですねえ。吸血鬼になるとしても、もうちょっと日数がかかると思っていたんですが……いろんな要素が絡み合って、想定外の事態が起こってしまったようですねえ。まあ、吸血鬼が生まれたことは、良いんですけど……問題は」


「問題は?」


「吸血鬼がエリサさんと対面してしまうことです」


「ああ……」


 ゲヘナは溜め息のような声を漏らした。


「麗しの貴公子とはかけ離れた、醜悪な化物を目の当たりにしたエリサさんは、注文と違うと言って怒り出すでしょう。依頼料も貰えなくなる恐れがあります」


「それはまずい。何のために来たのか解らん」


「とにかく吸血鬼の発見と回収が急務ですね……エリサさんに見つかる前に」


「解った。急いで探そう」


 とはいえ黒蘭からの呼び出しを無視するわけにもいかない。ゲヘナと音禰は三階にあるエリサの部屋に向かった。階段を上がるとすぐ両開きの扉があって、そこがエリサの部屋だった。


「エリサ、入るよ」


 ゲヘナがノックと同時に扉を開けた。ソファに並んで座っていたエリサと黒蘭が揃って顔を上げた。


「遅かったじゃありませんの。ていうか何ですの、そのやる気のない格好。この非常時に」


「すいませんねパジャマでおじゃましちゃって」


 ゲヘナはそう言いながらエリサの向かいのソファに腰を下ろした。音禰も心もとない足取りでそれに続く。まだ目覚めきっていないらしい。


 私は部屋の中を見回した。我々の客間よりもさらに広い。ベッドは天蓋付きだった。家具の色調が赤っぽい感じで統一されているのは、吸血鬼的な好みなのだろうか。


「で……私たちを呼んだのは、二階のあれと関係があるんだよね」


 ゲヘナは解りきったことを改めて確認した。エリサはこくこくと頷いた。


「そうですわ。私、この部屋で黒蘭と一緒にヴァイオリンの練習をしてましたの。そしたらなんだか二階から変な物音が聞こえてきまして。最初はゲヘナが寝ぼけて魔法を使ってるのかと思ったんですけど」


「んなわきゃねーでしょ」


「私もそう思いまして、黒蘭と見に行ってみましたの。そしたらもう、二階全部ぐちゃぐちゃに荒らされてて、私ショックのあまり叫んでしまいましたわ。外国から買い付けたあれやこれやが全部台無しになってて、私もう悲鳴がおさまりませんでしたの。でも私がパニックになってる間に、黒蘭があなた方を呼んでくれて」


「そうですか」


 音禰は呪わしげな口調でいった。


「一体あれは何なんですの? 賊ですの? カチコミですの? この家に何が起こってるんですの」


「それは……」


「吸血鬼、でしょう。鬼頭様」


 黒蘭が初めて口を開いた。音禰はじろりと睨めつけるように視線を動かした。エリサに対して何とかごまかそうとしていたようだが、事実を言われてしまっては仕方がない。音禰はしぶしぶそれを認めた。


「ええ、まあ、そうですね。吸血鬼でしょう」


「吸血鬼? え、さっき埋めた死体がもう吸血鬼になりましたの? 吸血鬼が、家の中を荒らし回りましたの?」


 何も知らないエリサは、きょとんとした表情で全員の顔を見回している。その傍らの黒蘭は、エリサには構わず、音禰の方だけをじっと見ていた。


「いかがいたしましょうか、鬼頭様」


「そう、ですねえ……」


 音禰は額に手を当てて考え込んだ。真剣な表情に、ぼさぼさの髪と桃色のパジャマが不調和だった。


「とりあえず……現状を正確に把握しておくべきですね。庭に埋めた死体を、確認しに行きましょう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます