お風呂回・パジャマ回

 屋敷に戻った後、エリサはさっさと自室に引っ込んでしまったが、黒蘭女史から丁重に礼を述べられ、過剰なほどに感謝された。音禰は「いえいえ」とか「それほどでも」などと当たり障りのない答えを繰り返していた。面と向かって礼を言われるのは苦手らしい。ゲヘナはその後ろで所在なさげに立ち尽くしていた。


「私あんまりやることなかったなあ」


 客間に戻ったゲヘナは、ベッドにどさりと倒れ込むなりそう言った。


「今日来る意味あったかねえ」


「あっただろう。お前がいなきゃ穴を掘れなかった」


「それだけじゃん」


「あとあれだ。穴を埋めたり」


「……」


「あ、あとはあれだ。変身魔法も使ってたろう。お前にしかできないことだ」


「うーん」


 ゲヘナは布団に顔を埋めたまま、こちらを向こうともしなかった。こうなると長い。励ましてやるべきか、ほうっておくべきか。そもそも何を落ち込んでいるのかよく解らない。どうすべきか考えていると、うつ伏せになった顔からくぐもった声が聞こえた。


「私も早く先生みたいになりたーい」


「そういうことは本人の前で言うべきだろう」


「……」


 ゲヘナはまた黙り込んだ。そのとき隣の客間に繋がるドアがノックされて、音禰が顔を覗かせた。


「ゲヘナさん……もうお休みでしたか」


「起きてるよ」


 ゲヘナはベッドの弾力を利用して跳ね起きた。その表情にはいつもの能天気さがあった。ゲヘナは帽子を浅くかぶり直した。


「どしたの先生」


「いえ、大した用事ではないんですが……お礼を言わせていただこうと」


「おれい?」


「吸血鬼作りを手伝ってくださって、ありがとうございました」


「え、いやそんなそんな……私なんて穴掘っただけだし」


「いえ、ゲヘナさんがいなければ最後までできませんでしたよ。呪文のチェックもしていただけて助かりました。私は色々助けていただいたのに、ゲヘナさんに申し訳なかったなと思って……」


「も、申し訳ないって何が」


 予想外の言葉に、ゲヘナはなぜか身構えていた。


「ゲヘナさんの試験勉強の助けになるように、色々と説明しながら進めたかったんですけど……目の前のことに手一杯になってしまって……すみません」


「そ、そんなの全然大丈夫だよ、間近で見せてもらっただけで充分だし、ほんとほんと」


 深く頭を下げる音禰の姿に、ゲヘナはすっかり恐縮して、手をばたばた振っていた。


「しかし、私の魔法をお教えするのが私の役目ですから……実際に人間の死体を使える機会なんてそうそうありませんし、そもそもゲヘナさんはゾンビ作りの練習をするつもりでここにいらしたわけですから」


「いやもう、それはエリサの嘘だって解ってたし……先生はそんなの気にしないで、ほんとに。まじで」


「すみません。ありがとうございます」


「そういえばさっき、ゲヘナが言ってたぞ。早く先生みたいになりたいって」


「馬鹿、なんで言うんだ、馬鹿」


「そう言ってただけると光栄ですね」


 音禰はいつもの調子で言った。


「そういえばお風呂の準備ができてるそうなんですけど、よかったらご一緒にいかがですか。お疲れでしょう、魔法をたくさん使って」


「え、いいの、一緒に」


「ゲヘナさんさえ良ければ」


「うん、入る。意外と疲れたし。先生も疲れたでしょ」


「そうですね、体というか精神的に」


「やっぱ仕事の時はそうなんだね」


「いや、いつもはそんなに疲れないんですけど……今日は黒蘭さんが」


「黒蘭さんがどうしたの」


「黒蘭さんに、じーっと見られてたんですよ。最初から最後まで。そのせいで緊張しました」


「ふーん。先生の仕事に興味あるのかもね」


「にしても、無言で見つめ続けられるのはつらいですね……」


 そんなことを話しながら、二人は入浴の準備をしていた。着替えやら何やらを抱えて、客間を出ていく二人――、と、ゲヘナが立ち止まって私を手招きした。


「何してんの、お前も来るんだよ」


「私も行っていいのか」


「いいんだよ、普段風呂なんて入れないんだから。入れる時に入っとけ」


「そうかい、じゃあご一緒させていただくかな……構わないか音禰」


「ええ、三人ではいっても充分に広いんですよ、ここのお風呂は」


 そんなわけで三人で風呂に向かった。風呂は一階にあった。


 我が家には風呂がないので、日頃入浴する機会はほぼないと言っていい。ゲヘナだけは銭湯に通っているが、私は連れて行ってもらったことはなかった。ゲヘナいわく、魔力を回復するために風呂に入るのに、お前を連れて行くための変身魔法で逆に魔力を消費してしまう――とのことだった。だから、この日の入浴は私にとってまたとない機会であった。


 しかしいざ湯に身を投じるとなった時、私の体の構造上、溺れずに入るためには脚しか湯船につけることができなかった。肩まで浸かってあったまる、というようなリラクゼーションを得るためには、やはりゲヘナの魔法によって人の体に変えてもらうしかないようだ――。


「みてみて先生。ハンコ注射の跡まだ残ってんの」


「私も残ってますよ。ほら」


「わーおそろーい」


 うら若い女二人が肌を見せあっているにもかかわらず、色気の欠片もありはしなかった。


 入浴ののち、客間に戻ったゲヘナと音禰は首にバスタオルを引っ掛けて、火照りの抜けきらない顔で、窓から外を眺めていた。音禰は眼鏡を掛けていた。普段はコンタクトだが、風呂上がりなどは眼鏡を着用するらしい。


 無人の庭には照明が点々と灯っていて、さっき死体を埋めたところもよく見えた。


「吸血鬼できるかなあ、ちゃんと」


 ゲヘナがポツリと呟いた。吐息で窓ガラスが曇った。


「音禰、実際のところどうなんだ? 儀式を終えての手応えは?」


 私は音禰の顔を見上げた。その表情からは何を考えているのかは窺い知れず、音禰は唇だけを動かして淡々と語った。


「最後に魔法をかけましたよね。あの魔法はゾンビ化の魔法を一部アレンジしたものですが、アレンジは意味をなさず、死体が普通にゾンビ化するんじゃないか、と思っていました。吸血鬼ではなく、ただのゾンビとして蘇る……その可能性が最も高いのではないかと……しかし、魔法をかけても何も出てこなかった。死体は今もなお、棺の中で眠ったままです。ということは、ゾンビ化ではない何らかの変化が死体に起こっている最中である、ということだと思います。もしくは、何の効き目もなかったか」


「死体に変化があるのかないのか、あったとして吸血鬼になるのか……」


「神のみぞ知るところですね」


「先生自身は、どう思うの。成功する確率は……」


「2%くらいじゃないですか」


「ひっく」


「以前にもお話しましたけど、吸血鬼は土着性の強い怪物ですから。日本で生まれるとは思えないんですよ。それからもうひとつ、吸血鬼はあくまで自然に発生するものであって、人為的に生み出されるものではないんですね。吸血鬼が生まれる条件をむりやり再現して、仕上げに魔法を使う、という強引な方法でやってはみましたけど……どうなんでしょうねえ」


 音禰はため息をつく。ガラスが曇る。


「まあ、そういう強引さと、あとはあの黒豹みたいな猫とか……そういう要素がうまいこと化学反応を起こしてくれれば、完全な吸血鬼とはいかずとも、ゾンビと吸血鬼の中間みたいな、どっちつかずな感じなのが、せめて生まれてくれればいいんですけどね。五人のうち、一人くらいは」


 音禰は今回の仕事に対してまったく自信がないようだった。こんなに弱気な音禰を見るのは初めてだった。


「問題はエリサさんに納得していただけるかどうかですけど、まあエリサさんが重視しているのは外見だけのようですから、それは変身魔法で誤魔化せばなんとかなるでしょう。吸血鬼の力をもらう契約、とやらがどうなるかは解りませんけど……」


「契約って、具体的に何するんだろうねえ」


「さあ……」


 沈黙が下りた。二人は無言で庭を見下ろしていた。


 ゲヘナがでかいあくびをした。


「もう寝ましょうか」


「そうだね……先生一緒に寝ようよ」


「いいですよ。ここのベッド、一人じゃ広すぎますからね」


 二人とも寝間着に着替えて、ベッドに入った。二人並んで寝てもまだ余裕があって、「お前も一緒に」とゲヘナに誘われたが、私は遠慮して床で寝ることにした。


「じゃあ、電気消すぞ」


 私は触手を伸ばして電灯のスイッチを切った。暗くなるとゲヘナはすぐに寝息を立て始めたが、音禰はしばらく布団の中で輾転反側していた。しかし音禰もやがて眠りに落ちた。


 音禰は言っていた。成功の保証などない。可能性は2%ほど。吸血鬼が生まれるとは思えない――エリサの依頼に精一杯応えてはみたものの、希望は叶えられそうにない。それが音禰の予測であった。


 しかし――結果から言えば、吸血鬼化の儀式は成功していたのだ。いや、成功しすぎていた、と言うべきだろう。棺の中に横たえられた死体は、ただの死体から吸血鬼へと変じていた。そのことに気付いている者は、この時点では誰もいなかったのだが。

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