五つの死体(前)

 我々は黒蘭女史に導かれるまま、屋敷の外へと連れ出された。外はもうとっくに夜の帳が下りていたが、広い庭のあちこちに照明が仕込んであるらしく、暗闇のそこここで黄色い灯りがぼうっと浮かんでいた。


 私たちは屋敷の外壁に沿って、屋敷の右手側に案内された。そのあたりだけは土が剥き出しになっていた。屋内から漏れてくる光のおかげで周囲はそれなりに明るかった。


「遅かったじゃない」


 エリサがいた。屋敷から持ち出したらしい立派な椅子にふんぞり返っていた。二度寝の後らしく、食事の時よりもすっきりした顔つきだった。


「あまり待たせるものではなくってよ」


「申し訳ありませんお嬢様」


 黒蘭は言葉だけ丁寧に謝り、音禰とゲヘナの方に向き直った。


「あちらに死体をご用意してございます」


 指し示された方に目をやると、白っぽい木箱が五つ並べられていた。木箱はどれも人間がすっぽり収まるくらいのサイズで、つまりは棺桶であった。


「拝見しても?」


 音禰が訊いた。


「どうぞご自由に」


 音禰とゲヘナは棺の近くに寄っていった。黒蘭もその後に付き従う。エリサは退屈そうに椅子に座ったまま、音禰たちを眺めていた。

ゲヘナは途中で振り返り、私を手招きした。


「お前も来い」


「なんで」


「灯りが欲しい」


 私は仕方なくゲヘナについていき、触角の先を発光させた。白い棺が照らし出される。屋敷の窓からも光が漏れてきてはいるが、やはり光源が近くにあると明るさが違う。


 音禰は一番端の棺のふたを、慎重に開いた。ゲヘナは音禰の後ろから、棺の中を覗き込んでいる。


「おお、死体だ死体」


「なるほど、状態はいいようですね……あ、もうちょっと灯りを近くに……」


「はいはい」


 私は棺桶の上に首を突き出し、触覚で死体を照らしてやった。死体は男性で、歳は六十を越えているだろう、しわと白髪の目立つ、老人と呼んでいい外見だった。異様だったのは真新しい礼装に身を包み、マントまで着用していることである。恐らく黒蘭がエリサのために着せたのであろう。まさにドラキュラ伯爵のような格好であった。音禰とゲヘナもそのコスプレめいた衣装に気付き、呆れたような顔を見合わせた。そしてまた死体に視線を落とす。


「使えそう?」


 ゲヘナの問いに、音禰は棺の傍らにしゃがみ、右手で死体の頬や首すじ、腹部などに手を這わせながら、「そうですねえ……」と曖昧な返事をした。何をしているのかはよく解らないが、目つきは真剣だった。


「黒蘭さん」


 音禰は死体を調べながら言った。


「はい、なんでしょう」


「この方はどういう方ですか? どこから調達してこられたんです?」


 黒蘭は音禰の背中に向かってとうとうと答えた。


「ごく普通の年金生活者です。奥様に先立たれ、無職の一人息子と暮らしておりました。ある日突然脳梗塞を起こし、そのまま帰らぬ人となったのですが、年金の収入がなくなることを恐れた息子によって庭に埋められました。それを掘り起こして、持ってまいりました」


「上手く見つけましたね」


 音禰はそこで初めて黒蘭の方を振り返った。


「前々から目をつけておりました」


「息子の方はどうなったんですか」


「存じ上げません。私には関係のないことです」


「それもそうですね」


 音禰は再び死体に目を落とした。死体は安らかに眠っていた。この人もまさか息子の手で埋められて、知らない人に掘り起こされるとは思ってもいなかっただろう。


「それで、鬼頭様。その死体は、吸血鬼には……?」


「はい、状態はいいので……問題なく使えると思います」


 そこで音禰は声を潜めた。エリサに聞かれないよう注意を払ったらしい。


「不適切な埋葬、という条件を満たしています。ヴリコラカスになれる可能性が、あると思います」


「成功の確率は、どれくらい?」


 ゲヘナも囁き声で言った。


「何とも言えません。次の死体も見ましょう」


 音禰とゲヘナは立ち上がり、棺のふたを閉めてから隣の棺に移った。今度はゲヘナがふたを開けた。


 こちらの死体も成人男性だったが、先ほどのものよりずっと若く、二十代から三十代といったところだった。服は同じくマント付きの礼装で、先に言っておくが残りの死体も全て同じ格好である。


 私は触覚で頭から爪先まで順に照らしてやった。音禰は死体の全身をじっくり観察した後、黒蘭に訊ねた。


「これはどういう死体ですか?」


 音禰の質問を予想していたように、黒蘭は淀みなく答えた。


「いわゆる未婚の母の家庭で育てられた男です。煌々を中退した後は職を転々とし、やがて非合法の仕事に手を出すようになりました。昨年あたりから暴力団とも通じていたようですが、その鉄砲玉に利用され、敵対する組織の組員によって射殺されました。私の調べによれば、その方の母親もまた、父親がいないそうです」


「黒蘭、その情報には何の意味がありますの?」


 話がエリサに聞こえていたらしく、純粋な疑問が投げかけられる。しかしそれは全員に黙殺された。音禰はバッグの中を探って、さっき読んでいた本を取り出し、ページを繰った。


「どうしたの先生」


「確か……今言われた条件に合致する吸血鬼がいたはずです」


「ヤクザの鉄砲玉になって死んだら吸血鬼になんの」


「いやそこではなく……ああ、ありましたね……これです」


 音禰は本を開いてこちらに向けた。そこにはノスフェラトゥという吸血鬼が紹介されていた。


「私生児の親から生まれた私生児が、この吸血鬼になると言われています」


「この名前、見たことある。映画にあるよね」


「そうですね、ノスフェラトゥという名前自体は、ルーマニア語で吸血鬼の総称として用いられるようですが、映画の『吸血鬼ノスフェラトゥ』というタイトルの方が有名かもしれませんね。これはドイツの映画で、オリジナルは一九二二年のサイレント映画です。ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』が原作で、吸血鬼映画の元祖ですね」


 音禰は映画の方の吸血鬼にはやたら詳しいらしく、製作国から公開年まですらすらと諳んじてみせた。ゲヘナは軽く引いていた。


「そ、そういえば映画だと、ドラキュラみたいな感じで、お城に住んだりしてたよね」


「ドラキュラが元になってますからね。やはり現実のノスフェラトゥとは別物です」


「現実のはどんな感じなの?」


「まあ詳しいことはまた後ほど……次の死体に行きましょう」


 私たちはぞろぞろと次の棺に移動する。ひとつ移動するごとに、エリサから遠ざかり、屋敷の光も遠くなる。私たちの周りを照らすのは、私の触覚だけになった。


 ゲヘナは棺のふたを開けた。


「ははあ、これは……」


 棺を覗き込んだ音禰は、感心したような声を漏らした。棺の中に横たわる死体は、先ほどと同じく若い男性だったが、首に縄の跡があった。


「自殺者ですか」


「はい、首吊りの死体です」


 黒蘭は眼鏡をくいと上げ、


「二十代半ばの会社員です。後輩の女子社員に一方的な好意を抱き、食事に誘うため会社の備品をネットオークションで売りさばき、十数万円の現金を用意しますが、その女子社員に恋人がいることを知り、さらに会社の備品を売ったことが露呈して会社を解雇され、自宅近所の公園で首を吊っていたところを回収いたしました」


「ずっと目をつけていたのか?」


 私の質問に、黒蘭は「死相が出ていました」と意味不明な説明をした。


「鬼頭様、そちらは吸血鬼には……?」


「大丈夫です、使えます」


 音禰はまた本をぱらぱらとめくり、目当てのページで手を止めた。


「これですね。ストリゴイ……」


「初めて聞くやつだ」


 ゲヘナが小声でいった。


「こちらもルーマニアの吸血鬼です。不信心者や悪人、自殺者、片思いのまま結婚せずに死んだ者が、ストリゴイになるそうです」


 なるほど、条件が三つも揃っている。片思い、自殺、会社の備品を勝手に売りさばくという悪事――実に都合のいい死体を持ってきたものだ。まるで最初から条件が全部解っていたかのようだ――。


 私は不意に嫌な予感に襲われて、黒蘭の顔をそっと窺った。黒蘭は闇と光の狭間に立って、棺の周りにしゃがみこむ音禰とゲヘナをじっと見下ろしていた。その表情からは何を考えているのかは読み取れなかった。


 向こうの方では、エリサが退屈そうに脚をぶらぶらさせていた。


「ねえー、ちょっとー。まだ時間かかりますの? 早くしてくださいません?」


「お嬢様。お暇でしたらお屋敷にお戻りになっても」


「嫌よ。私は吸血鬼が生まれるのを個の目で見届けますわ」


「すぐに出来るわけじゃないんですけどね……」


 音禰が密かに呟いた。その声はエリサに届くはずもなく、


「あーあ、早くお会いしたいですわ。私だけの吸血鬼……」


 エリサは夢見がちに目を細め、夜空を仰いだ。棺はまだ二つ残っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます