吸血鬼ヴリコラカス

「で、私たちが作るのはこういう感じのやつなんだね」


 ゲヘナが言った。


「ゾンビとは全然違うけど、ちゃんと出来るのかな。いつもの魔法で……」


「確かにゾンビとの共通点は『死体が動く』程度しかありません。ゾンビは意志はありませんし、ゾンビに襲われた被害者もゾンビになることなどありません」


 音禰の言う通り、魔法で作られるゾンビは、今の記録に出てきた怪物たちとは全く異なる。ゾンビは魔法によって操られる傀儡に過ぎない。


 音禰は言葉を続けた。


「ただいつもどおりに死体を蘇らせただけでは、ただのゾンビにしかならないでしょう」


「じゃあ、どうするの」


「死体が吸血鬼化するには、さまざまな条件があるんです。その条件を上手く再現できればあるいは……」


「条件って?」


「それは吸血鬼の種類によって異なるんですけど……」


 音禰はテーブルの上に積まれた古書の山から一冊を抜き取り、あるページを開いた。


「たとえばこの、ヴリコラカスという吸血鬼なんですけど」


「ヴリコラカス?」


「これはギリシャの吸血鬼ですね。ヴリコラカスという言葉自体は幽霊とか人狼とかいった意味も含まれるそうですが、ここでは吸血鬼の呼び名として話を進めます」


「へえー」


 ゲヘナと音禰は机に身を乗り出し、顔を突き合わせて本に視線を落としている。私も首を真っすぐ伸ばして二人の間から覗き込んだ。


「この吸血鬼は全身の皮膚が角質化して、太鼓の皮のように突っ張るんだそうです。そのせいで関節の動きも不自由になるんだとか……あと地域によっては、両目が片方に寄っていて、その目が炭火のように光る、という特徴も有する……って書いてありますね」


 音禰は文章を指でなぞりながら読んでいた。前にも言ったように、音禰はこれらの本を「一通り、ざっと目を通しただけ」であって、そこまで深く読み込んだわけでもなく、吸血鬼に関する知識もまだまだ知らないことの方が多いようだった。それでも私やゲヘナよりはずっと詳しいけれど。


「皮膚が張るっていうのは、さっきの話と同じだね」


 ゲヘナが言った。


「そこはやはり共通するようですね。それにこのヴリコラカスは、寝ている人の上にのしかかって苦しませる、という行動を取ります。これも同じですね……」


「あっ、襲われた時に目を覚ませば助かるけど、そのまま死んでしまうとその人もヴリコラカスになる……って書いてある」


「ああ、確かに書いてありますね……」


「そうなったら、アルノルト・パウルの時のように、一人一人死体を処理しなければならないわけか」


 私が訊くと、音禰は先の方を読んで「いえ、そうではないようです」と答えた。


「ヴリコラカスの場合は、大元を殺せば、増えた分も同時に死ぬんだそうです」


「それは手っ取り早くていいね」


「ただ……殺すなら早いうちに殺さなければならないようです。発生から日が経つと、どんどん強力になるらしいです。それと、あとはヴリコラカスの大きな特徴として、人の名前を呼ぶ、というのがありますね……」


「名前を呼ぶってどういうこと?」


「家の戸口に立って、中にいる人の名前を呼ぶんです。そこで返事をしてしまうと、その人は翌日には死んでしまうんだそうです。ですからヴリコラカスに名前を呼ばれても、無視しなくてはなりません」


「それ、外にいる人が吸血鬼じゃなくて知り合いだったらどうするの。無視してたら怒られるよ」


「その点については問題ありません。ヴリコラカスはとても短気ですので、名前を一度しか呼ばないんです。二度以上呼ばれたら、その訪問者はヴリコラカスではありません」


「なんだ、ちゃんと回避方法あるんだね」


「親切設計だなあ」


「そして他の特徴としましては、犬や蛙などに化ける、鍵穴を通って家の中に入る……」


「結局入ってくんのかよ」


「あとは家具や農具を破壊する、羊や牛を乗りまわす、などの迷惑行為を働くようです。また脚がロバや馬のようになっている、という話もあるようですね……」


「吸血鬼っていうよりはただのいたずら妖怪って感じ」


「でも最終的には人の命を奪う者ですからね。危険ですよ」


「弱点はあるの? ニンニクとか?」


「ニンニクは万能の魔除けですから、吸血鬼に限らず何でも効くでしょう。ゲヘナさんもニンニク苦手でしたよね」


「ああそうそう。魔女はみんなニンニク嫌いだね」


「あとは薔薇とか、トネリコとかも魔除けとして用いられますね。吸血鬼対策の杭はサンザシの木で作ることが多いようです」


「日光は? 朝日を浴びた瞬間に、さーっと灰になるとか」


「それは映像表現にインパクトを出すための映画的な演出ですね。ドラキュラの原作小説では日光で灰になる描写はありません。吸血鬼は日光を嫌いはしますが、致命的な弱点というわけではないんです。このヴリコラカスも、日中から人前に出ることもあるようですよ」


「じゃあ十字架は?」


「効果のある場合とそうでない場合がありますね、そもそもなぜ十字架が有効かというと、キリスト教の信仰心によって魔を払うからです。ですから十字架に限らず聖水とかでもいいんですよ。ただ信仰心がなければ十字架は無効かと言えばそうでもなく、まあ、吸血鬼の種類によりますね」


「それじゃあヴリコラカスの弱点は何なの?」


「鏡が苦手なようです」


「ああ、吸血鬼は鏡に映らないってやつ?」


「いや映るんですけどね」


「ああそう……じゃあ倒す時はどうするの? やっぱり杭?」


「この本に書いてるのは……ヴリコラカスを殺すには、棺に眠る死体をそのまま火葬にするとか、心臓を抉り出してお酢で煮たり、あとは死体をバラバラに切り刻むとか……そうやって無力化するようですね。心臓や肉体を物理的に破壊することが、結局一番有効みたいです」


「最後は力技か。映画みたいにスマートに殺せればいいのにね」


「まあ、同じヴリコラカスの名を持つ吸血鬼でも、地方によって細かい違いがあるようですから、一概に何が正解とは言えませんけどね。今はごっちゃにしてお話ししましたけど」


「へえー」


 ゲヘナは感嘆の声を漏らした。吸血鬼に関する意外な事実に、ゲヘナはすっかり夢中になっていた。音禰も楽しそうに話していたが、私は話が本題からそれまくっていることが気になった。弱点とか殺し方とか、今はどうでもいい。もともと吸血鬼を生むための条件について調べるはずだったのではないか。私たちは吸血鬼を討伐するためではなく、吸血鬼を生むためにここに呼ばれたのだ――私は途中から、音禰の話を右から左に聞き流していた。


 しかし私は、この時まだ知らなかった。ここで音禰が話したことが、後から役に立つことを――音禰の話を真面目に聞いて、覚えておくべきだったということを――この時の私は、まだ知る由もなかったのである。


 部屋の振り子時計が、ボオンと鳴った。窓の外はすっかり夜だった。


「それで、このヴリコラカスはどういう条件で生まれるの」


 ゲヘナがのんきな声で訊いた。やっと本題に戻ったと私は思った。


「条件はいくつかあるようですね」


 音禰はそう言って本のページをめくった。


「どんな条件? 難しい?」


「大したことではないんです。死体を猫が乗り越える、とか。狼に殺された羊の肉を食べる、とか、埋葬が不適切であるとか……そう言った死体がヴリコラカスになります」


「なんだ、そんだけ? 簡単じゃん」


「簡単は簡単ですけどね。本当にこれだけで吸血鬼化するなら、世の中は今ごろ吸血鬼だらけですよ」


「確かに……」


「じゃあこの条件は迷信なのか」


 私の問いに、音禰は首を小さく横に振った。


「いえ、そういうわけではないでしょう。ただヴリコラカスは、主にギリシャ周辺で見られた吸血鬼ですから。ヴリコラカスが蔓延っていた当時の、ギリシャの文化とか風俗とか信仰とか生活のレベル……そういった要素が揃ってこそ、生まれ得るものなのかも知れませんね。土着性の強い怪物というのは……」


「現代日本でやっても意味ないと」


「恐らくは」


「でも、作れる可能性もなくはないんでしょ」


「まあ、それはそうですけども……私も一応、このヴリコラカスを再現してみようと思っています。ただ問題は、吸血鬼化が上手くいくかどうかよりも、その後ですよね。ヴリコラカスを見たエリサさんがどう思うか……」


「……」


 その点に関してはゲヘナも音禰も言葉を詰まらせた。ヴリコラカスの特徴は、あの絵画の中の美しい吸血鬼とはまったく異なる。果たして外見の問題をどうやってクリアするべきなのか――いや、解決方法はある。ごく簡単な方法が。


「要は見た目だけ美男子になればいいんだろう。ゲヘナの変身魔法を使えばいい」


「なるほど、その手があった」


「エリサさんが契約とやらを終えるまで、魔法で姿を変えておく……確かにそれなら何の問題もないですね。すべてエリサさんのご注文どおりにできるでしょう。まあ、吸血鬼を再現できれば、の話ですけど」


「大丈夫大丈夫、絶対行けるって。なんとなくそんな予感する」


「前向きですねえゲヘナさんは」


 ゲヘナの根拠のない自信に、音禰も口元を緩ませる。どことなく和やかな空気に満たされた室内に、冷たいノックの音が響いた。


「死体の準備が整いました」


 黒蘭の声だった。

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