吸血鬼入門

「へえ、ゲヘナさんも誘われていたんですか」


 その日音禰はうららかな午後の時間にやってきて、手土産の揚げだし豆腐と切り干し大根が詰まったタッパーを、ゲヘナは恭しく受け取った。


 そしてゲヘナの魔力を音禰の杖に補給してやっている間、ゲヘナが友人の吸血鬼からこんな誘いを受けたという話をしたところ、音禰も同じ日時に家に来るように誘いを受けていたことが判明したのだった。


「え? 先生ってエリサと知り合いだったの」


「はい、以前から死体に関することで、色々と……しかしゲヘナさんと共通の知り合いだったなんて。世間って狭いですねえ」


 音禰はしみじみと言った。


「全然知らなかったよ」


「私もこの間、初めて知ったんです。エリサさんと久々にお会いして、ゲヘナさんの話題を出したら、『ゲヘナ・ダンウィッチなら私の心の友ですわ』って」


「心の友って。心にもないことを」


 ゲヘナが鼻を鳴らした。


「でも、よかったんじゃないか?」


 私が言うと、ゲヘナは「何がよ」とこちらに顔を向けた。


「音禰も一緒なんだ。一人でやるよりは、実のある練習になるだろう」


「あ、それもそうだね……でも先生も、そういう目的で呼ばれてるの?」


「そういう目的とは?」


「人間の死体をゾンビ作りの練習台にさせてくれるって……」


「練習……?」


「あれ、違うの」


「そうですね、私がエリサさんから伺ったお話とはちょっと違いますね」


「先生はどう聞いてたの」


「吸血鬼を、作ってほしいと」


「え?」


 ゲヘナはその言葉に目を丸くした。次に私の方を見た。私は無言で首を横に振った。そんな話はエリサから聞いていないし、手紙にも書かれていなかった。そもそも意味が解らない。吸血鬼を作るとは、一体何のことか。


「吸血鬼を作るって……? なにそれ」


「私はそのように聞きました」


 ゲヘナは再び私の方に顔を向けた。


「お前は何か聞いてないの。ゾンビを作らせてくれる、ってエリサは言ってたんだよね」


「いや……ちょっと待てよ」


 私は記憶の糸を手繰り、あの夜の雑木林でのエリサとの会話を、正確に思い出そうとした。


「そういえば、ゾンビを作る……とは、はっきり言ってなかったような気がしないでもないな……ただ、死体を用意していると言っただけで……」


「なんだそりゃ」


「確か、手紙にも書いてなかったんじゃないか。ゾンビという単語は、一言も」


「そうだっけ……? 手紙どこやったっけ」


「コウモリが持ってったろ」


「あっそうか」


 手紙はもう手元になく、読み返すこともできない。エリサは最初からこれを狙っていたのだろうか。出席の約束を書面で残させ、かつそれを速やかに回収することで文言を後から確認するすべを奪う――やり口が詐欺師のそれである。


「エリサのやつ、どういうつもりなんだろう。ゾンビ作らせてくれるんじゃないのか……?」


 うーんと首をひねるゲヘナに、音禰が言った。


「もしかしたら、ゲヘナさんにも吸血鬼を作らせるつもりかも知れませんね。もしくは、私の吸血鬼作りを手伝わせたいのか……どちらにせよ、私一人でやるよりも魔女がいてくれた方が、色々と捗るのは間違いないですし、確実でしょうしね」


「なるほど、エリサの本当の目的は先生を呼ぶことで、私はあくまでオマケってことか」


 音禰の言葉を聞いてゲヘナは納得しかけたようだった。


「でも、ちょっと解らないことがひとつあるんだけど」


「何でしょう」


「吸血鬼を作る、ってどういうこと?」


「私もそこが気になっていた」


 私が言うと、音禰は瞳だけ動かして私を見た。


「吸血鬼を作ることと、音禰の魔法と、人間の死体と……一体何の関連があるんだ?」


「そもそも吸血鬼って作るものなの?」


「なるほど……そこからですか」


 音禰は卓袱台の上の湯呑を手にとって茶をすすった。それから正座した足をよじらせて居住まいを正す。いつもゲヘナに講義をする時の姿勢だった。


「吸血鬼、と聞いて、お二人はまず何を思い浮かべますか?」


「えー……ドラキュラ?」


「牙があって、黒い服で、マントをまとっていて、古い城に住んでいて、十字架を嫌う……」


「そうですね。現在広く知られている吸血鬼のイメージは、今おっしゃっていただいたとおりの、ドラキュラというキャラクターを元にしたものです。しかしこのイメージは実際の吸血鬼からはかけ離れているのです」


「実際の……?」


「ドラキュラ伯爵が登場したのは、ブラム・ストーカーが一八九七年に発表した小説『吸血鬼ドラキュラ』です。この作品内では、ドラキュラ伯爵は古城に暮らし、序盤では老人の姿でしたが、血を吸うことで若返ります。苦手なものはニンニク、そして十字架を始めとする聖別されたもの……小説内では聖餅なども用いられています。『吸血鬼ドラキュラ』は舞台化、そして繰り返し映画化されました。一九三一年の『魔人ドラキュラ』と一九五八年の『吸血鬼ドラキュラ』によってドラキュラ伯爵のビジュアルが確立されたと言っていいでしょう。その後の多くの作品で、ドラキュラ伯爵をモデルとした吸血鬼のキャラクターはたくさん生み出されています。そのせいか『吸血鬼の元祖はドラキュラ伯爵』みたいな風潮になってますけど、実際は違います。そもそもドラキュラ以前にも吸血鬼小説はありますし」


「じゃあ吸血鬼の元祖は何なの」


「吸血鬼のルーツを辿っていくと、東ヨーロッパ、特にバルカン半島とその周辺地域に行き着きます。そのあたりの土地に、吸血鬼が蔓延っていたんです」


「へえー。先生は物知りだね」


「まあ、私もあんまり詳しいわけではないんですけどね」


 そう言いながらも音禰は饒舌に説明を続ける。


「で、ここからが重要な点なんですけど。吸血鬼と一言に言っても、土地によって細かい差異があるんですが、大きな共通点がひとつあります。それは埋葬された死体が蘇ったものだということです」


「ええ?」


「一度死んだはずの人間が蘇って、生きている人間を襲うんです」


「それってだいたいゾンビじゃん」


「そうですね、吸血鬼とゾンビはほぼ同じ特徴を有します。ゾンビを吸血鬼の一種としてカテゴライズする場合もあるようです。ただしゾンビと吸血鬼には明確な違いがありまして、まずひとつは、ゾンビは人の手で生み出されるものであるのに対し、吸血鬼は自然に発生するものだということです」


「死体が、勝手に吸血鬼になるの?」


「そうです。もっとも全ての死体が吸血鬼になるわけではなく、いろいろな条件があるようですが……そこまでは詳しくないので今は説明を省きます」


 ゾンビとの違いはまだあります、と音禰は言葉を続ける。


「ゾンビは術師によって操られるものですが、吸血鬼は自発的な意思を持って行動します。夜間に棺から這い出して、人を襲い、そして朝になる前に棺に戻ります。これは吸血鬼の基本的な行動パターンです。それからもうひとつ、吸血鬼は人間を襲って生命力を奪います。そのため吸血鬼化した死体は、死体とは思えないほどに血色が良くなり、全身が膨れたようになるそうです。これらはゾンビとは決定的に違う点ですね」


「ふーん。吸血鬼って青白くて不健康そうな感じだと思ってた」


「それもフィクションによって広まったイメージですね。フィクションといえば、吸血鬼は古城に暮らす貴族のようなイメージもありますが、実際に吸血鬼になっていたのはごく普通の農民が多く、貴族とは縁もゆかりもなかったんです」


「なんか、今まで思ってたのと全然真逆だなあ」


「そうなんです。正反対なんですよ。面白いですよね。東ヨーロッパで生まれた不気味な怪物が、西ヨーロッパに伝わったら爵位を持った紳士になるんですから。すごいアレンジですよね」


 音禰は少し興奮気味に語っていた。


「それで先生、吸血鬼がどういうものなのかは解ったけど……それは、作れるものなの?」


「まあ、問題はそこですね」


「エリサに『吸血鬼を作って欲しい』って言われて、先生は『作る』って答えたの」


「いえ、『とりあえず調べてみます』とは言ったんですけど……昨日コウモリがうちに手紙を持ってきて、『作ります』って返事しないと噛まれそうだったんで……」


「先生にも同じことしてたのか……」


「ともかく、そう返事してしまった以上、エリサさんのご期待に答えねばならないわけですよ。まあどちらも死体から生まれるものですから、ゾンビ化の魔法を応用すればできなくもないとは思うんですけどね……吸血鬼なんて作ったことはないので、なんともかんとも」


 ゾンビ作りのプロたる音禰も、さすがに吸血鬼となると自信はないらしい。困った様子の音禰を見て、ゲヘナはぽんと胸を叩いた。


「先生、当日は私も手伝うよ」


「いいんですか。ゾンビ作りの練習じゃないですけど」


「うん、先生にはいつもお世話になってるし、私も出席で返事しちゃったし……まあ私だとあんまり役に立たないかもしれないけど」


「いえ、魔法を使える方がいてくれると、心強いです。ありがとうございます」


 音禰はゲヘナに向かって深々と頭を下げた。ゲヘナはたいそう照れて、というか恐縮して「いやそんなそんな」などと言って手をひらひら振った。


「吸血鬼に関して、エリサさんの家へ行くまでに、詳しく調べておきます。吸血鬼の種類、吸血鬼の発生条件……吸血鬼の作り方、はないと思いますが……私とゲヘナさんの魔法でなんとかできるように、考えておきます」


「エリサの家行くまでって言っても、もう、すぐだけど……」


「なんとかしましょう」


 音禰がそう意気込んだ時、学校帰りの小学生がどやどやとやってきたので、音禰は足早に退散した。どうも彼女は子供が苦手であるらしい。おかげでその日は吸血鬼の話をしただけで終わってしまったが、ゲヘナの表情には好奇心か期待のような感情が見て取れた。音禰の話を聞いて、エリサの家に行くのがなんとなく楽しみになってきているらしい。単純なやつだと私は思った。


 ゾンビ作りではなく、吸血鬼作りか――と、私は音禰から聞いた話を反芻する。そういえば、エリサは何のために吸血鬼を作ろうとしてるのかについては、まったく謎のままであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます