第2話「魔女とバンパイア」

竜道寺エリサ

 ペロの散歩は私の役目であった。


 ペロは主人であるゲヘナにまったく懐いていなかった。隙あらば噛み殺そうとしていた。しかし私には不思議と従順で、私は動物に好かれる素質があるのか、それとも異形の者どうし惹かれ合うものがあるのか、私の見てくれに威圧されているだけか、理由は解らなかったが、ともかくペロは私の言葉はよく聞いたので、ペロの世話は自然と私に押し付けられた。飼い主のゲヘナは、頑丈な檻の外側からときどき餌を放り込むだけである。


 散歩コースは裏の雑木林、時間は真夜中である。家々の灯りも遠く、人の気配も一切ない。暗闇の中、私は触角の先を発光させ、ペロとともに道なき道を踏み分けていく。触覚の周りだけがぼんやりとした明るさに照らされて、闇との境目でペロの尻と後ろ足が規則正しく動いていた。私はそれを眺めながら、食べられる野草を採集してスーパーの袋に放り込む。これもまた日課であった。


「ペロちゃん、木の根っこ齧っちゃダメでちゅよー」


「ガウワウ」


 ペロとは怪物ケルベロスである。地獄の番犬の異名を持つ、三つ首の猛獣だ。ちょっとした熊みたいな大きさで、全身が紺色の毛に覆われている。頭部は毛も皮膚もなく、頭蓋骨が眼窩まで露出していた。眼球はなく、ただ虚ろな穴があるだけだったが、視覚はちゃんと機能しているらしい。頭頂部からは立派な角が後ろ向きに伸びている。また、前足も、膝から下は骨だった。


 このケッタイな怪物は、ゲヘナが学生時代、寮で同室だった同級生と一緒にこっそり面倒を見ていたものだという。卒業時にそのまま連れてきたらしく、ゲヘナ自身は「使い魔」などと言い張っているがまったく使いこなせていない。


 散歩コースにこんな辺鄙な場所を選んでいるのは、人に見られたら困るから、という単純明快な理由である。ケルベロスの存在だけでも異常なのに、さらにそれを引き連れているのが私である。もし写真を撮られでもしたら、限りなく面倒なことになる。もし誰かに見られたら噛み殺していい、などとゲヘナは言っていたが、そういうわけにもいくまい。


 ただ、今のところは人間に見つかったことはない。もし雑木林の中に人がいれば、ペロの嗅覚がそれに気づく。そして私は触覚の光を消して暗がりの中に姿を隠す。こうしてやりすごせば安全である――と思う。実際は、まだ散歩中に人間を見かけたことは一度もないので、本当に安全かどうかは解らないし、いくらうまく隠れようとも人間に見つかるリスクはある。常に危険と隣り合わせの散歩ではあるが、しかしこれが私にとって唯一の、自由に外を出歩く機会でもあるのだ。多少の危険はあろうとも、堪能せねば損である。


 私は夜の外気を思い切り吸い込んだ。濁りのない空気が、気持ちよかった。ふと空を見上げると、枝葉の間から、青白い夜空が見えた。星はなく、月だけが浮いていた。ゲヘナは今頃、布団にくるまって眠りこけているのだろう。ゲヘナの知らない時間を、今私は過ごしているのだと思うと、不思議な解放感があった。


「グルルルル……!」


 急に、ペロが立ち止まった。ペロは頭が三つもある分、聴覚や嗅覚の働きも通常の三倍なのだ(多分)。異変があれば、私よりも先に察知する。


「ペロちゃーん、どうちまちたかー?」


 私はリードを手繰り寄せてペロのそばに寄った。ペロは空に向かって牙を剥いていた。


「上に何が……?」


 私は再び夜空を仰ぎ見た。さっきと何も変わらない、澄んだ夜空が広がっていた。しかし触覚の光を強めてみると、その上空に、何かひらひらと舞い踊るものが照らし出された。一つだけではなく、数十という単位で群れていた。


「グルルルル……!」


 ペロの目もそれを捉えていた。一体何なのか。鳥の群れ、にしては飛び方がふらふらとして心もとない。虫にしては大きすぎる――などと観察を続けているうちに、それがどうやらコウモリらしいと解った。


 コウモリと言うと洞窟に住んでいるようなイメージがあるが、森林にも生息しているし、運が良ければ街なかでも見られるという。だから私も、なるほどこの付近にコウモリの巣でもあるのかと思った程度だったが、そのコウモリの群れが少しずつ降下して、私たちに近づいてきていることに気付いて驚いた。


 ペロは強い唸り声を上げた。三重の声が地響きのようだった。その威嚇をものともせずに、コウモリどもは私の前方の視界いっぱいに広がって、我々を嘲るように踊り狂っていた――その光景に目を奪われていると、コウモリは少しずつひとつの塊になって、人間の形を作っていく。それはやがて一人の少女になった。フランス人形みたいな少女が触覚の光に照らされて、真夜中の雑木林に立っていた。背丈はゲヘナより少し低いくらいで、見た目は九歳か十歳くらいだろうか。しかしその年頃らしい無邪気さはなく、大人びた落ち着いた物腰で、スカートの裾をちょっとつまんでお辞儀した。


「ごきげんよう」


 私はごきげんようという挨拶に対する適切な返し方が解らず、言葉に詰まった。


「バウワウ、ガウッ」


 突如現れた謎の少女に、ペロは勢いよく吠えかかった。しかし少女はそれをまったく無視して、私をしげしげと見つめてきた。


「あなた、ゲヘナのところにいる子? ゲヘナ・ダンウィッチの家に……」


「そうだが……」


「ガウワウワウバウッグワウッ」


「ああ、そう、やっぱり。このケルベロスで解りましたわ。うふふ」


「グワウグワウワウウウガウガウ」


「今日これからゲヘナのとこにお邪魔しようとしてたところですの。ゲヘナは家に?」


「家にいる……が、多分もう寝ている」


「あらそうなの。相変わらず早寝なのね……」


「ガウガウガウガウ」


「ちょっと静かにしてくださるぅ?」


「くぅ~ん……」


 謎の少女は愛らしい微笑みを浮かべた。それだけでペロはすごすごと引き下がった。一体どうしたというのか――。


「うふふ。失礼」


「いやこちらこそ、うちの犬が……ところで、ゲヘナの知り合いか?」


「ええ、そうですわ。ごめんなさい、自己紹介が遅れましたわね。竜道寺エリサ、と申します」


 そう言って少女はまた頭を下げた。綺麗な金髪が触覚の光を反射した。竜道寺エリサ。聞いたことのある名前だった。


「ゲヘナが話していたな。確か……吸血鬼、だとか?」


「そうですわ。吸血鬼です」


「ほう」


「あら、反応が薄いんですのね。もっと驚いてくれてもよくってよ」


「そちらこそ。私の姿を見ても、平気でいる」


「うふふ、私は今さら人外の存在に驚いたりしませんわ。あなたが何者で、なぜゲヘナの犬を世話しているのかは気になりますけれど」


「私はゲヘナに作られたんだ……いろんな怪物の体を繋ぎ合わせて」


「へえ……?」


 竜道寺エリサは、再びしげしげと、興味深げに私の体を眺め回した。


「ふうん……ゲヘナってこういうことだけは上手なのね。ああ失礼」


「いや、そこには私も異論はない……」


 エリサは口元に手を添えて微笑んだ。ゲヘナと違って仕草の一つ一つに気品があった。まだ子供なのにしっかりしている。


「そういえば、今日はゲヘナに何の用で……」


「ああ、そう。本題を忘れていましたわ。よかったら、あなたからゲヘナにお伝えくださる? 今度、うちに来て欲しいって」


「承知した。しかしゲヘナも最近は忙しくしているからな。試験も近いから」


「そう、その試験にも関係することでね。お誘いしてるんですの」


「どういうことだ?」


「実は今、うちに人間の死体がいくつかありましてね」


「は?」


「ゲヘナは死体に関係する魔法を勉強してるんでしょう? そのために必要な死体を提供してあげますわ。いかがかしら?」


「それは……ゲヘナにとって願ってもないことだと思うが」


「うふふ、それは良かった。それでは、ゲヘナにお伝え下さいね。正式なお誘いはまた明日にでもお送りいたしますわ」


 そう言うとエリサは腰を軽く曲げて、私の目を――私の一番大きな目を、覗き込んだ。


「それじゃあ、よろしくお願いしますわね。ゲヘナの下僕さん」


 エリサはにっと笑った。誰が下僕だ、と言い返す暇もなく、エリサはステップを踏むように二、三歩後ろに下がると、スカートをさっと翻して、一瞬にしてコウモリの姿に変わった。反射的に吠えまくるペロの鼻先を、コウモリどもは挑発するようにかすめて、夜空へと消えていった。ペロはまだ吠えつづけていた。


 真っ暗な雑木林に取り残された私は、触覚の光を空に向けながら、あれが竜道寺エリサか――と、風のように去っていった少女に思いを馳せた。


 竜道寺エリサは、ゲヘナの思い出話にたまに出てくる名前だった。魔法学校を卒業した後、行くあてのなかったゲヘナは竜道寺エリサの家に厄介になったらしい――が、ゲヘナが話すのはいつもその部分だけで、竜道寺家でどんな暮らしをしていたかは一切話さなかった。その時分はまだ私も生まれていなかったので、詳しいことは何も解らない。


 果たしていかなる経緯があって魔女と吸血鬼が知り合うことになったのか、ゲヘナは竜道寺家で何をしていたのか。まあどうせ大したエピソードがあるわけでもないだろうが、なんとなく気になって、頭を離れなかった。


 私は野草を摘むために、雑木林を奥へ奥へと進んでいった。ペロはずっと気が立っていた。

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