第341話


「取り敢えず、元教皇近衛騎士団がカイリに仕えることをわしは許す。ケント殿はどう思う」

「――はいっ⁉」


 一段落着いてうやむやにしたと思ったら、ゼクトールが話を蒸し返してきた。

 カイリは驚愕と共にもう何度目か分からない跳躍をしたが、ケントは事も無げに賛同する。


「良いんじゃないですか。役職など色々工作は考えなきゃならないでしょうが」

「はっ⁉」

「うむ。フィーシャ殿。すぐには無理だが、その願い、聞き届けるのである」

「はあっ⁉」

「は。ありがたき幸せ」

「ありがたき幸せ!」


 フィーシャに続き、騎士全員が拳に手を当てて敬礼する。

 待て、とカイリはぱくぱくと口を開閉させながら制止した――が、当然声に発していないのだから聞いてくれるわけがない。

 くるん、と騎士達が一斉に振り返ってきたので、肩がみっともなく跳ねてしまった。


「カイリ様、フィーシャと申します。どうかよろしくお願い致します。今はまだ自由に動けぬ身でありますが、私達は既にもう貴方様のしもべ。呼ばれれば、風呂に入っていようが料理中であろうがデート中であろうが健やかな夢と共に就寝中であろうがいつでも馳せ参じましょう」

「い、いえ! 風呂を楽しみ、料理に集中し、デートを満喫し、就寝を大事にして下さい!」

「何と! 我らの身をそこまで大切に案じて下さるとは……やはり、貴方様に仕えられる私達は果報者でございます」


 ――そうじゃないっ!


 仕えるのを止めろと言ったはずなのに、何故か良い方向へ解釈された。

 このままじゃまずい、といよいよ危機感を覚え、取り敢えずギルバートに目を付ける。


「ぎ、ギル殿! 貴方からも何か言ってくれませんか!」

「え? 俺ですか?」

「そうです! ほら! えー、と……友人のよしみで!」

「えーと。……俺、友人ですけどカイリ殿に仕えるのは賛成なので。あ、そっか。不束者ですが、よろしくおねがいしまーす!」


 ――何でじゃっ!


 盛大に心の中だけで頭を噴火させ、カイリは叫んだ。

 心の叫びが外に駄々洩れになっているらしく、ギルバートはその場で崩れ落ちた。ひいひいと腹を抱えて笑い転げるのは、レインと同じだ。同類かよと、激しく悪態を吐きたい。


「あ、あの! 俺、まだ騎士になって半年くらいしか経っていないんです! だから、部下とかそういうの、分不相応ですので! お、お心はほんっとうにありがたいのですが! つ、謹んで辞退します!」

「何を言います、カイリ様。貴方様の様に人徳高く、品格もあり、我らの様なものにまで優しく労いをかけてくれる理想の上司などいません。どうぞご謙遜なさらず、胸を張って頂きたく存じます」


 うおおおおおお、と叫びたくなるのを根限りに押し止め、カイリは頭を抱えてうずくまった。どうしよう。彼らには何を言っても話が通じない。

 ゼクトールはさも当然とばかりに涼しい顔で頷いているし、ケントはにまにましながらも前言撤回をしようとはしない。これは意地悪というのではなく、本気の顔だ。


 何故、カイリなのだろうか。聖歌を歌っただけで、ここまで感激されるとは思わなかった。


 それとも、洗脳を解くというのは、それほどまでに仰々しい行事ということか。確かに、教皇の洗脳は解けないと言われていた様だが、それだけでここまでの忠誠心が芽生えるのは納得しがたい。


「……あの。本当に、俺……」

「カイリ。ここは受けておくのが一番だと思うぞ」

「フランツさんまで……」

「親として誇らしいと言うのもあるが、団長としての意見でもある」


 フランツの顔が、いつの間にか団長然としたものに変化していた。

 この時の彼は、茶化しはあっても冗談は言わない。故に、カイリも情けない顔になっていると自覚しつつも、彼を振り仰いだ。


「どうしてですか? 俺は、ただ洗脳を解いただけです」

「それが大きな問題だ」

「え……」

「洗脳を解ける人間は、前例がない。……つまり、歴史が隠蔽いんぺいされていなければ、お前が初めてということになる」

「――」


 いきなり重大なことを暴露され、カイリは一瞬頭が真っ白になった。

 それでも緩々と頭を回転させ、カイリは必死にルナリアでの発言を思い出す。


「ま、待って下さい。フランツさん、前に言いましたよね。教皇のはともかく、他の人がかけた洗脳なら解ける可能性があるって」

「そうだな。言い方が足りなかった。……教皇の洗脳を、一発二発で解いたという前例はない」

「……一発二発……」

「しかも、前の時とは明らかに違った。前の時は何回も聖歌を歌い上げ、しかも相手はかなりのたうち回る様な苦痛にさいなまれていたが……今回、彼らは全員苦しむ様子が無かった。それどころか、大人しく聖歌を聞き入れていたからな」


 確かに、聖歌を歌い上げる間、カイリは歌を邪魔される感覚が無かった。それどころかとても歌に熱中出来る空気が静やかに流れていた様に思う。

 要するに、騎士達は全員暴れ出さなかったということだ。彼らに苦痛を与えることがなくて良かったと胸を撫で下ろす。



「つまり、お前の聖歌の力がそれだけ強力だという証明に他ならない。……お前のその力は、既に俺達の想像の範疇はんちゅうを越えているということだ」



 フランツの吐露に、カイリは頭を殴られた様な衝撃を受ける。

 カイリの聖歌は、以前から特殊だの他の聖歌と少し異なるだの色々言われてきた。力も強いと、方々からお墨付きももらってはいた。

 けれど、今回の聖歌に関しては、本来ならありえない前例を作り出すほどのものだと断言された。要するに、他に知られれば危険が増す、と指摘されているのと同義だ。

 以前、『故郷ふるさと』の効果を知られたら、カイリは自由を束縛されると注意されてきたが、この力の強さも危険水域に入ってきたということだろうか。

 とんでもない事実に襲われて、ふるっと背後から迫りくる悪寒に体が震えそうになる。


「当然、今の件は全員口外するつもりはないし、彼らにも口止めを十二分にするつもりだが。……お前のこれからのことを考えると、味方は多いに越したことはない。幸い、彼らはお前に忠誠を誓いたくなるほど入れ込んでいる様だしな」

「自明の理でございますとも、フランツ殿」

「我ら一同の忠誠心、これより生涯尽き果てるまで貴方様に捧げるつもりです」

「カイリ様ー! 素敵ー! 愛してるー!」


 全員が再び膝を突いて臣下の礼を取ってくる。――やはり一人だけ何か方向性が違う叫びが飛んできたが、カイリは聞かなかったことにした。


「それに、お前自身が前にパーシヴァル殿の前で諭してきたではないか。……俺達に足りないのは、人手だ、とな?」

「――! そ、れは。……生意気を言って……すみませ……」

「事実だ。……フィーシャ殿。貴方達がカイリの下に付くとなれば、実質第十三位の下に付くということになる。それでも構わないだろうか?」


 フランツの穏やかな確認に、一瞬カイリははっとする。第十三位は嫌われ者だからという事実を、急激に思い出してしまった。

 しかし、フィーシャ達はきょとんと目を瞬かせた後、噴き出す様に笑い出す。


「何の。世間……というより騎士団内では爪弾きにされている様ですが、団長である私をはじめ、特に。というより、何の感慨も抱いていない、という方が正しいですね。失礼な言い方かもしれませんが」

「カイリ様が好きな団が酷い団なわけないじゃないですか。ゴミ扱いする他の奴らの目が曇っているんですよ。いえ、曇っているんじゃなくて、目が付いて無いんですね」

「正直、オレ達も天涯孤独が多いっていう意味で、貴族の騎士達にはあまり良い目で見られていないんでね。噂っていうのはあまり信じていないのですよ。やっぱり、頼れるのは己で掴んだ目と耳と足ってね」


 どん、と胸を叩いて不安を吹き飛ばしてくる彼らに、カイリの頬が自然と緩んだ。

 ここは、ギルバートのいる場所なのだと強く感じ入る。どんなに理不尽な状況に置かれてきても、笑って前を向いてきた人達がいる場所なのだ。

 部下、という言い方には未だ抵抗がある。カイリは聖歌騎士とはいえ、まだまだ半人前未満だ。上に立つ資格があるとは思えない。

 しかし。


「あの……」


 彼らと、手を組みたい。

 単純だろうか。大切な第十三位を、偏見無しで受け入れてくれた理由もある。

 だが、何より、カイリはこの人達が流していた涙を信じたかった。


「俺には、やっぱり部下を持つ立場っていうのはまだ分不相応だと思います」

「カイリ様……」

「でも、貴方達と共に、同じ目標に向かって歩いてみたいと。そう、心が訴えているんです」


 胸の奥がざわつく様な、むず痒い様な、熱い様な、踊る様な。

 不可思議な捉えにくい感情が、先程から胸を満たして堪らない。

 教皇に洗脳され、今の今まで生きてきたことを聞かされた時の彼らの心境は、カイリでは計り知れない。きっと今だって不安は付き纏うだろう。もしかしたら、カイリの聖歌に救いを見出し、すがっている部分もあるかもしれない。



 それでも、彼らは言ってくれた。カイリと共に騎士として生きたいと。



 どんな理由からであっても、心から手を差し出してくれる彼らに、カイリも胸を張って応えたい。


「俺は、まだ聖歌騎士として半人前にもなっていません。剣術はレインさんやシュリアといった双璧にも遠く及ばないし、聖歌語の使い方はリオーネの方が数段上です。……俺が唯一胸を張れるのはきっと、俺にとって大切な歌……聖歌だけだと思うんです。――今は、まだ」


 そう、今は。

 だが、剣術も聖歌語の使い方も、絶対に追い付いてみせる。みんなが、一人前だと、流石は聖歌騎士と名乗るだけあると、そう認めてもらえる様な騎士になりたい。

 困っている人達に、救いを本気で求めている人達に、堂々と手を差し伸べられる人物になりたい。

 誰に対しても、――いつか両親達に会えた時に、胸を張って今までの人生を笑って語れる。そんな人間になりたい。

 立ち止まるのではなく、振り返るのではなく、前へ。ひたすら、前へ。

 己の無力を悔やみながらも、一歩ずつ力を付けて、本当の意味で上に立つ。



「いつか、皆さんに、聖歌だけではなく、本当の意味でこの人について行きたいって思ってもらえる様な人になります。この人が来ればもう大丈夫って、……そんな風に頼ってもらえる人になります」

「……」

「俺は皆さんと一緒に、力を合わせて望む未来に歩いて行きたい。……俺が望む人になれたその時、どうか力を貸して頂けませんか。その時に、まだ俺を上司にしたいと。そう思ってくれていたなら、その時こそ一緒に歩いてくれませんか」

「――」

「まだまだ半人前未満ですけど、絶対に一人前になってみせます。だから、……どうかその時は、よろしくお願いします」



 いつか、この場の勢いではなく、カイリを認めてくれたその時は、もう一度彼らの想いを受け取ろう。部下を持つという意味は、並大抵の覚悟ではないものだからだ。

 カイリがきちんと一人前になって、彼らと対等に向き合える様になってから、彼らの想いを受け取りたい。

 真っ直ぐ、順繰りに見渡して告げれば、フィーシャ達はゆっくりと目を細めていった。窓から差し込む日差しが眩しいのか、きらきらと光が舞い散っている気がする。

 フィーシャは一度まぶたを閉じて、緩く首を振った。心なしか口の端が緩んでいる。小さく息を吐く音が零れた。


「……ああ。やはり、我らは果報者の様だ」

「え?」

「ゼクトール卿、ケント殿。我らの役職もとい隠れ蓑、くれぐれもご検討のほどお願い致します」

「……うむ。当然である」

「カイリのためですから。裏切ったら首は飛ばしますけど、そうでない限りは、きっちり鍛え上げますよ。……カイリの駒が減ったら困りますしね」


 ぼそっと呟いたケントの最後の言葉に、カイリは「は?」と首をぐるんと回してしまう。

 何だかとても物騒な単語が聞こえた。放置したら、とんでもない方向に突っ走られてしまうかもしれない。


「ケント? 何だか、変な言葉が聞こえた気がしたんだが。首とか、駒とか」

「ん? そうだっけ? ああ、首って大丈夫だよ。ちゃんとクビにするって意味だから。……多分」

「……ケント?」

「ほ、本当本当! あー、取り敢えず! 当面は、彼らには僕の影の部隊みたいな形で動いてもらうから! 実質はひたすら訓練してもらいながら街中に溶け込んで、ついでに歓楽街の見回りもしてもらおうかなって」

「え……歓楽街って」


 何故その地区に割り当てるのか。

 ケントが口を開くのと、まさか、とカイリが閃くのは同時だった。



「……今からすこーしずつ水面下で動くのも、悪いことじゃないよ?」

「――――――――っ」



 にっこりと耳打ちされ、カイリは息を呑む。

 彼には、カイリが歓楽街の領主を目指していることは知られている。そもそも助言をしてくれたのは、彼だ。

 つくづく彼には世話になりっぱなしだ。いつ彼に恩返しができるのだろうか。頭が本当に上がらない。


「でも……あそこは」

「大丈夫。今の彼らなら、カイリ様のためー、カイリ様のためー、と言いながら嬉々として職務を全うしてくれるよ」

「おいっ」

「それに、他人事じゃないんじゃないかな。……差はあるだろうけど」

「……」

「いつか、君の口から彼らに話しなね」


 ぽん、と肩を叩いてケントが目を細める。何だか試されている様な笑い方だな、とカイリは膨れてしまった。やはり、彼はカイリにとことん強くなって欲しい様だ。

 歓楽街の件は、騎士達に全てを話せるほど信頼関係が構築されていない。どんな相手なのか、洗脳無しではどれほどの力を持っているのかなど、確認しなければならないことは多いだろう。


 だが、一つずつこなしていけば良い。焦れば焦るだけ目的地は遠ざかる。


 カイリは無力に打ちのめされても、焦らない。諦めない。どれだけ馬鹿にされようと、遅かろうと、一歩ずつ確実に踏み締めて階段を上って行くのだ。

 ケントはやきもきするかもしれないが、一番の近道だと思うから。



「……待っていてくれ」

「――」



 何気なく、だが確かめるためにカイリは投げかける。

 主語も目的語も何もない。

 しかし、ケントにはしっかり届いた様だ。一瞬だけ目を見開いた。


「……。……うん。待ってる」

「そっか」

「そのために」


 ぐっと、ケントがカイリの右手を握ってくる。何かを渡す様な、同時に何かを掴んで離さない様な、不思議な熱が彼の手の平越しに伝わってきた。


「僕の隣に、名実共に早く並んでね」

「……言ってくれるよな」

「うん。聖歌は君に一歩譲るけど。他は、まだまだだし?」

「分かってるよ。いつかケントの剣も全部さばいてやるからな」

「うん! 楽しみにしてるよ?」


 にっこりと笑うケントは、背中に陽光を背負っていて無駄に輝かしい。無邪気な笑い方も拍車をかけている。もしここに一般女性がいたら、目がハートになって大変なことになっていただろう。

 でも。



 ――聖歌は、認めてくれるのか。



 ケントの聖歌を未だに聞けていないカイリでは、正確には判断出来ない。

 それでも、彼は聖歌に関してはカイリを認めてくれているのだ。それだけでも、湧き上がる水の様に嬉しさが込み上げてくる。

 生まれ故郷での思い出。新しい故郷での歩み。

 そして。



〝おれは、カイリ。きみのなまえは?〟



 ――ケントとの、大切な始まり。



 彼と初めて出会った日から、童謡唱歌は家族の思い出だけではなくなった。

 春の麗らかな景色も、夏の輝く暑さも、秋の彩る道のりも、冬のまっさらな世界も。

 全て、全て。彼と共に歩んできた。



 彼の聖歌も、童謡唱歌だったら良かったのに。



 そんな風に感傷を抱いてしまうくらいには、彼と深く結びついていた。大切な宝である。

 そしてそれは、今も。


「……ケントとまた、歌いたいな」

「……うん。僕も」


 聖歌語では無理でも、彼とはもう一緒に歌いながら歩いている。

 この世界で、彼とまたこの世界の言葉で紡ぎ上げていく光景はきっと、幸せに溢れた掛け替えの無い日々となるだろう。


「前に『雪』や『雨ふり』は歌ったけど、他も歌えるんだよな?」

「うん。……ちゃんと、全部覚えてる」

「そっか。じゃあ、楽しみにしてる」

「……うん!」


 にぱっと笑う彼は本当に子供の様だ。カイリより五つも年上のはずなのに、とても幼く見える。

 だが、それもケントなのだろう。腹黒い彼も冷めた彼も両親大好きな彼も優しい彼も。

 全部彼で、カイリの大切な親友だ。


「……彼らのこと、頼むな」

「うん。まあ、彼らはカイリの配下だけどね」

「え? でも」

「あー、そうそう! フランツ殿、カイリのこと頼みますね。後で会議あるんですから」

「ええ、もちろん。カイリは俺が常に隣で可愛さとカッコ良さを堪能しつつ守りますので。心配には及びませんよ」


 ケントが強引に話を終わらせ、フランツが胸を張って請け負う。

 何だか誤魔化された気がするが、多分元教皇近衛騎士達は酷い扱いはもう受けない。ゼクトールやケントが協力してくれるなら、大丈夫だ。

 だから、後は――。


「ギル殿」


 カイリはにこにこにやにや見守っていたギルバートに声をかける。

 いきなり話を振られ、彼はきょとんと目を瞬かせていた。声を掛けられるとは欠片も思っていなかったと言わんばかりの反応に、少し切なくなる。

 やはり、まだ距離はある。

 けれど。


「……ギル殿。改めて、ありがとうございました。……俺を助けたせいで、職を奪ってしまいましたが」

「あー、良いです良いです! 他にやることありそうですし。……それに、きっと今までよりずっと、自分らしく、やりたいこと出来そうな気がしますしね」


 からからと笑っていた顔が、微かに引き締まる。聖歌を聞き終えた時の晴れ晴れとした顔から、変わらない解放感が漂っていた。

 本心かららしい言葉に、カイリも胸を撫で下ろす。彼が歩んできた過去を少量でも聞きかじっていた身としては、彼には幸せになってもらいたいと勝手に願っている。


「あの、ギル殿。さっきの話なんですけど」

「さっきの話?」

「えーと……、……友人、のこと」

「――」


 何だか恥ずかしくなって語尾が小さくなってしまった。対するギルバートもぱっくんと口を閉じてしまう。目をこれ以上ないくらいまんまるにした驚愕は、果たしてどの様な感情から来るものなのか。

 あれは、ギルバート特有の軽い冗談なのだろうか。

 それでも、カイリは嬉しかった。軽口を叩き合う様な間であったとしても、友人という単語を彼の口から出してくれたこと。



「俺、ギル殿のこと、これからは友人だってみんなに紹介しても構いませんか?」

「――、え」



 絶句する様な吐息だった。

 地雷を踏んだかと、カイリは慌てて口早に続ける。


「あ、いや! 嫌なら、その!」

「……嫌っていう、わけじゃ、……。でも、どうしてです?」

「えーと、その、……。……この前、俺に嫉妬してたって言っていたのに、さっき、そう言ってもらえたからちょっとビックリしちゃって」

「……」

「……俺、友人少ないから。本当だったら嬉しいなあって、……」


 だんだん言い訳がましくなってきた。友人が少ないのは本当だ。前世ではケント一人だったし、今世でもライン達三人とケントだけという、なかなかな人生である。

 それをさみしいと感じたことは無い。とても充実しているし、大切な家族や仲間もいる。

 それでも、友人が増えることは非常に嬉しいことなのだ。その相手がギルバートだったら、これほど喜ばしいことはない。

 ギルバートは無言だ。ぽかんと限界を超えるほどに目を大きく見開いている。口も半開きになっていて、言葉も無いといった感じだ。

 また下手を踏んでしまっただろうか。カイリは人付き合いが本当に下手くそだと、内心だけで頭を抱えていると。


「……っはは」


 小さく、本当に小さく噴き出し、ギルバートが俯き加減になる。瞼を閉じる瞬間、ほんの少し泣きそうに見えたのは気のせいだろうか。


「……そんな風に言われたの、初めてですよ、もー」

「……そうなんですか? ギル殿、話しやすいからよく言われそうですけど」

「嫌味です? 俺、あんまり親しい人いないって言ったのに」

「ああ、……ギル殿がそう思っているだけかなーと。……今までも、もしかしたら相手はそうは思っていなかったかも?」

「えーえー、そーですとも。……はあ。本当に良い性格してますねっ。……」


 投げやりに答えながらも、彼の顔からは笑みが止まらない。がりがりと頭を搔いてから、不意にずいっと右手を差し出してきた。

 あまりに力強い差し出し方に、カイリは硬直してしまう。

 すると、ギルバートがむくれて更に迫って来た。



「何です? やっぱり俺と友人になるの嫌なんですか?」

「え? い、いいえ!」

「じゃあ、握手。これ、昔から憧れだったんですよ」

「憧れ、ですか?」

「そう! 絵本か何かで、俺達は同士だー! みたいな感じで挿絵書かれていたので。……良いなあって、ずっと思っていたんです」

「――っ」



 ねた様な、けれど大切な宝物をそっと教えてくれる様なささやきに、カイリの胸がぶわっと熱くなる。

 幼い頃から夢見ていたことを、ギルバートはカイリで叶えようとしてくれている。カイリが、最初の相手になれる。

 その事実に、カイリは幸せがはちきれた。満開の花の様に破顔して、手を握り返した。


「ありがとうございます、ギル殿! これからよろしくお願いします」

「俺の方こそ。……これからも多分、嫉妬したりするとは思いますけど」

「じゃあ、その度に俺は、ギル殿のこと凄いなって思っています」

「あー、もう! 嫉妬し甲斐がない! ……そんなカイリ殿が好きですけどね!」


 やけくそ気味に叫んで、ギルバートが抱き着いてくる。

 すぐに離れていったが、彼は屈託なく笑っていた。笑うと幼くなるのだなと、新しい発見をする。その小さな驚きが、ひどく心地良い。

 だが、そんな風に二人で交流していると、ケントがむすっと面白く無さそうに不機嫌になっていた。腕を組んで、カイリの肩に軽く体当たりしてくる。少し痛い。


「おい、ケント?」

「……むー。カイリは僕だけのカイリなのに」

「残念でしたー。ケント殿が、さっさと俺と友人にならないのが悪いんですー。そのおかげで、カイリ殿の良さにめちゃくちゃ気付けましたからー」

「はあ? 僕のカイリがとても優しくて強くて頼もしい、人としてほんっとうに出来た最高の人間だなんて、一目見ただけで分かるに決まっているじゃないですか。初見で見抜けない輩なんか、お呼びじゃないんですよ。よって、僕は許しません」

「友人って、誰かの許しを得てなるものじゃありませんしねー。ね、カイリ殿?」

「え、あ、はい。……ケント。俺にとってはギル殿もお前も大切な友人なんだ。……認めてくれないか?」

「……。僕は大親友だからね。許してあげる」

「え? 俺と大親友ですって? 嬉しいなあ! 遂にケント殿も」

「……その舌ひっこぬきますよっ」


 ぷいっと我がままっ子の様にケントが大きく外向そっぽを向く。

 それを見てギルバートはまたも噴き出し、カイリは苦笑してケントの背中を撫でる。

 ギルバートとケントの仲が、この先どうなるかはカイリにも分からない。



 だが、こんな風に仲良く喧嘩出来るのならば、きっと大丈夫だ。



 思って、カイリは二人が物騒な口喧嘩をするのを微笑ましく見守る。

 そんな風に、未だぎゃいぎゃいと騒ぐカイリ達三人を遠目に、フランツ達がやれやれと溜息を吐いて暖かく見守ってくれていたことには、気付かないままだった。


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