第348話


「んー……気持ち良かった! やっぱり風呂は最高だな」


 夕食も終え、ゆったりとお風呂に入ったカイリは、ふわふわと心地良い気分で廊下を歩いていた。特に午後は色々あり過ぎたから、綺麗さっぱり体も心も汚れを洗い落とせて気持ちが良い。

 一時は水に酷い恐怖を覚えて一人で風呂に入ることはおろか、水さえ飲めずにいたが、何とか克服出来て今に至る。


 乗り越えられたと確信したのは、ロイスが持ってきた任務の雨降りのおかげだ。


 フランツ達が全員で傘を差して支えてくれたからこそ、カイリは最後まで雨を降らせる聖歌を歌い上げることが出来た。

 そして、綺麗に空に架かる七色の虹を見上げ、雨はとても綺麗で楽しいものだったことも思い出した。

 色んな人に支えられ、カイリは無事にまた水を己の懐に入れることが出来たのだ。感謝してもしきれない。


「それに、ケントにも色々お世話になっちゃったな」


 最初に恐怖の雨の中を歩く勇気をくれたのは、彼だ。

 彼が手を繋いで引っ張り出してくれたから、カイリも恐くても一歩を踏み出すことが出来た。

 その上、今度彼が訓練を付けてくれると言うし、いつも何から何までお世話になりっぱなしだ。ちゃんと彼の期待通り――いや、期待を上回るほどに力を付け、隣を歩いていくのが恩返しとなるだろう。

 そして、壁を越えた先を歩く。



「色々と大変なことになっているけど。きっと、越えられない壁は無いよな」



 越えられるかどうか不安で仕方がなかった水も、無事に助けを借りながら己の力で乗り越えられた。

 一人の力では無理でも、大切な人達と力を合わせれば、いつか不可能にしか見えない難題も崩せるかもしれない。今回のことでカイリは深く強く実感した。

 当然、世の中には不条理で残酷な真実も潜んでいる。全てが全て楽観視できないことはカイリも重々承知はしている。

 だが、諦めたらそれこそ終止符を打つことになるのだ。越えられるかもしれなかった壁の前でさえ足を折るのだけはご免だ。


「ファルエラのことも、きっと。何とかなる」


 カイリを狙っている者が誰かは知らない。

 だが、上も動き出した。ファルエラにも直接乗り込む手筈を整える。相手の思う通りにはさせない。

 決意を固めて歩いていると、ふと気配を感じる。


 自然と下を向いていた顔を上げると、縁側にシュリアが腰を掛けていた。


 さらさらと流れる様に降り注ぐ月明かりに、彼女の紅藤色の髪が流れる光を弾きながら輝いて、周囲を密やかに照らし出している。うっすらと紺色に染まる夜が、彼女の周りだけは色鮮やかに映し出している様に見えて、カイリは知らず見惚れてしまった。

 瑞々みずみずしくささやく緑の息吹も、彩りを添えて笑いさざめく花々も、彼女の澄んだ美しさの前には霞む。

 彼女は本当に綺麗なのだな、と改めてしみじみ感じ入った。


「シュリア」


 いつまでも見つめていたかったが、それではただの不審者だ。

 故に声をかけてみれば、彼女は小さく溜息を吐いて目を閉じる。



「まったく。あなたとは、何故かこの時間帯に会うことが多いですわね」

「そうだな。……俺、この時間帯に風呂から出てこの庭の景色を眺めるのが好きなんだ」



 綺麗に咲き誇る草花の囁きや、涼やかに吹き抜ける夜風の匂い、そして綺麗に染まる夜空に散りばめられた星々の笑み。

 何より、この静かに眠りに就く世界を優しく包み込む様な月明かりの海が、カイリの心を穏やかに抱き締めてくれる気がした。


「隣、座るね」

「……聞く前にもう座っているじゃありませんの」

「ははっ。ごめん」


 謝りながらも、カイリは彼女の隣に腰を下ろす。

 お互い、簡素な寝間着姿だ。最初はカイリもシュリアのその姿に慌てたが、何度も遭遇して慣れてしまった。慣れることが良いことなのかは分からないが、シュリアは隙が無い。平気だろうと開き直る。


「シュリアも、ここの景色好きなのか?」

「……まあ、悪くはありませんわね」

「つまり、好きってことだよね」

「……あなたは本当に良い性格をしていますわ」


 はあっと、今度は大きく溜息を吐かれた。腹が立ちますわ、と吐息だけで文句を言われ、カイリは思わず口元を緩ませる。

 けれど。


 ――やっぱり、少し元気が無い様な。


 呪詛事件は一段落したが、まだファルエラの脅威が残っている。これから更にやるべきことが増えるだろう。

 シュリアが気になっているのは、その点なのだろうか。いまいち理由が分からなくて首を傾げるしかない。

 だが、普通に尋ねても答えてくれるとは思えなかった。彼女はいつも通りに振る舞っている。カイリとしても、何となく違和感を覚えるという曖昧で頼りない勘でしかない。

 どうしようかと迷ったが、カイリは結局関係の無い話題を振ることにした。


「あのさ、シュリア。明後日の誕生日会のことなんだけど」


 切り出してから、意を決する。

 前にもう一度決めたのだから、もう一回だけ聞いてみようと口にした。



「シュリアって、甘いもの好きだよね?」

「――――――――」



 気楽を装って訪ねてみれば、物の見事にシュリアが固まった。一瞬、ぴしいっと凍り付く幻聴まで聞こえてきた気がする。

 予想以上に尋常ならざる反応に、カイリの方が仰天した。そんなに触れて欲しくない部分だったのかと慌てる。


「ごめん。聞いちゃいけないことだった?」

「……。……何ですの、藪から棒に」

「えーと。……誕生日会、もうすぐだろ? だから、……やっぱり好きなもの作りたいなって思ったんだけど」


 駄目だったかな、とカイリがトーンを落として尋ねると、今度は困った様に眉根を寄せられた。不機嫌というよりは、本気で戸惑っている風にカイリの目には映る。

 前に話題が出た時、ほんのり耳が赤くなっていたから、甘いものが好きだと知られたら恥ずかしいのかな程度に考えていた。

 しかし、この過剰なほどの反応は、そうではないと如実に訴えてくる。思ってもいない場面で踏み込み過ぎたと反省した。


「えーと。……ごめん。嫌だったら答えなくて良いよ」

「……」

「じゃあ、好きなものじゃなくても良いからさ。どんな傾向のものが食べたいとか、せめて教えてくれると嬉しいな。味はさっぱりした方が良いとか」

「……」

「やっぱり、シュリアとレインさんのことを祝うものだから。二人が食べたいものがあったら、結構力が入ると思うんだけど」


 サンドイッチなどの食べやすいものとか、味はこってりよりさっぱり味の方が食が進むとか。そんな他愛のない指針でも嬉しい。

 何でも良いでも構わないが、やはり、より喜んでくれる方が作る時の励みになる。

 シュリアも少しは考えていたのだろう。渋々といった風に答えてくれる――。



「……わたくしは、ファルエラの出身です」

「――」



 ――わけではなかった。



 答えの代わりに、いきなり身の上話が始まった。

 あまりに唐突な話題転換に、カイリの頭が一瞬真っ白になる。


「え、ふぁ、……え?」

「今、あなたを殺そうとしている国が出身国です、と言ったのですわ」


 具体的に翻訳されて、カイリの凍り付いた頭が少しずつ動き出す。

 ファルエラと言えば、確かにカイリの命を狙う者がいる国だ。会議では乗り込む案も採用された。何故、こんなタイミングで打ち明けてきたのだろう。

 だが、彼女があまり脈絡のない話をするとも思えない。黙って耳を傾けた。


「わたくしの実家は公爵家で、王位継承も視野に入る有数の貴族です」

「……え? そうなんだ」

「まあ、継承順位は地位を捨てていない王族の次くらいですけど。それでも昔はともかく今ならば、第三位とか四位くらいに入ると思いますわ」

「え! それって、かなり上じゃないかっ」

「そうですわね。だから、わたくしの両親はそれを過剰なまでに誇りとしていました。家を継ぐ者は絶対に強くて賢い男だと。それ以外は認めない。よく口癖の様に言っていましたわ」

「え、……でも。そういえば、ファルエラって女性が王位に就いているんじゃ?」

「そうですわ。つまり、継承権を持つ男性の伴侶が女王になるのですけど、その場合は男性も女王と並び立つ権力を手にします」

「……なるほど」

「その上、両親はファルエラの中では珍しく男尊女卑の思考でしたの。ブルエリガ出身の母のせいですわね。あそこは若い人達はともかく、年配はまだまだ女性を低く見がちですから」


 淡白に語る口調に揺れは無い。

 しかし、淡々とした声に反して内容はあまり簡素な響きに聞こえない。むしろどろどろと深くよどんだ沼を連想してしまい、一瞬眉根が寄ってしまった。



「ですから、わたくしは幼い頃は男性として育てられていましたの」

「……は?」

「女はこの家に必要ないと。玩具の代わりに剣を持つことを強要され、踊りや楽器を習う代わりにあらゆる武術の訓練を叩き込まれました。当然、学も無くてはいけなかったので、空いた時間で必死に勉強をしなくてはなりませんでしたわ」



 いきなり流れ込んできた情報は、カイリの脳を殴り倒すには充分な威力だった。


 男性として育てられた。


 つまり、シュリアは昔は女性として認められていなかったということか。

 改めて彼女を眺めれば、月の光に照らされて凛とした花の様な居住まいだ。ゆったりとした寝間着のせいで体の線は隠されているが、輪郭だけ見ても柔らかく、とても男性には見て取れない。

 彼女自身、制服はロングスカートを選んでいる。本当に男性として育っていたのなら、スカートなど選択しないはずだ。

 それなのに、家族は彼女の存在をまず否定したのか。

 思ってもみなかった家庭の事情に、カイリの心臓がばくばくと嫌な音を立てて暴れる。

 しかも。


「甘いものが好きだったのですけれど、食べていると両親に殴られましたわ」

「――はっ⁉」

「男がこんな甘いものを食べるなど許されるはずがない! お前は女か! と」

「――はっ⁉」


 とんでもない暴言に、カイリの怒りが頂点をぶち破った。頭がかっかと熱く燃え上がって、反射的に拳を握り締める。



「何だよ、それっ。それに、男だって甘いものは食べるだろ!」

「ええ。弟は食べても何も言われませんでしたのに。わたくしが食べると怒るのです」

「……は?」

「弟が甘いものを食べたいと言ったら、そうかそうかって笑顔でデザートをたくさん持ってきて。……彼だって男なのに、どうしてわたくしは駄目なのかと、……」



 弟を恨んだ時もありましたわ。



 乾いた音が、穴に落ちる様に地に吸い込まれていく。

 彼女は決してカイリの方を振り向かない。ただただ真っ直ぐに中庭へと視線を注いでいる。

 だが、その視線の先に映し出されているのは、かつての辛い日常なのか。感情が見当たらないほど押し込まれたそのアメジストの瞳は、綺麗なのにどこか空虚に思えた。


「ですが、わたくしにも一応味方はいましたわ。……おじい様です」

「……おじいさん」

「ええ。もう当主を引退していましたが、離れに住んでいたわたくしをよく気にかけて訪ねて下さって」

「は、離れ?」

「ええ。弟が生まれてからは、本邸からは追い出されましたので」

「……は?」

「……。……そこで、おじい様はわたくしを見かね、教会騎士になることを勧めて下さいましたわ」


 離れ、という単語と理由にまたもカイリの心臓が嫌な感じで跳ねる。

 つぶさに語るわけではないのに、言葉の端々からシュリアがどんな扱いを受けてきたかが垣間見えた。

 本邸を追い出されたということは、家族で住む建物に彼女は滅多に足を踏み入れなかったのだろう。もしかしたら、入ることすら許されなかったのかもしれない。



 実の両親でさえ突き放してくる冷え切った家庭の中で、彼女はどんな思いで過ごし続けていたのだろう。



 祖父という味方がいてくれて本当に良かった。ぎゅうっと心臓が握り締められる様な痛みを堪え、カイリは続きを待つ。


「どんなに男の真似事をしても、心が女である限り、お前は男にはなれない」

「……、うん」

「だから、……甘いものが好きなら食べれば良い。ここでお前らしく生きられないのならば、お前らしく生きられる自由な場所へ行けば良い。……フュリーシアでなら、それがきっと叶う。お前は、幸い剣の腕が卓越しているから、絶対合格するはずだと」


 そして、祖父に押されるまま、彼女は単身でフュリーシアに乗り込み、見事試験に合格した。

 若干十歳という快挙に、当時国は湧いたという。


「両親も、もう表立ってわたくしを邪険にすることは無くなりました。フュリーシアは世界の中心。そこの教会騎士になるということは、この上なき誉れ。ファルエラではフュリーシアほど教会を崇拝していなくても、やはり教会との繋がりは欲しいのですわ」

「……現金だな」

「ええ。ですが、それでも家にわたくしの居場所は無かった」


 抑揚のない語りに、彼女の傷の深さが痛いほど伝わって来る。

 だが、これで確信した。彼女は、甘いものを好きだと言うこと自体にまだ躊躇いがあるのだ。

 昔、両親に暴力を受けたから。そのことを思い出すのが辛いのだ。

 何て無造作に彼女の内側に踏み込んでしまったのだろう。そのせいで彼女に辛い過去語りをさせてしまった。


「一応、弟とは仲が良かったんですのよ。……弟は両親の反対を押し切って、よく離れに遊びに来ていましたし」

「……そっか。シュリアが大好きだったんだな」

「ええ。……わたくしは恨んだり嫉妬もしていましたのに。……それでも弟は、わたくしを姉と慕い、懐いていた。……大きくなったら、……絶対に一緒の家で暮らす様にするのだと。幼いのに、弟は真剣に誓いを立てていましたわ」


 弟のことを語る時だけ、彼女の声に心が混ざる。

 きっと、彼女にとって弟は本当に無視出来ない存在なのだ。前に「最愛」と告げていた。

 どれだけ嫉妬しても、どれだけ恨んだとしても、彼女にとって弟は最愛の大切な家族なのだ。


 そして、多分弟もシュリアと同じくらい姉のことを愛している。


 その上、とても賢い人だと推察出来た。

 今の自分では、両親に愛されていたとしても我がままを押し通せない。

 だから、大きくなったら、力を付けたら、姉を今の立場から救い出すのだと。そう願っていたに違いない。


「……。……まあ、そういうわけでして。甘いものは好きですわ。ただ、……どれが一番好きとかは、わたくしには分かりません。甘いものを食べられればそれで良いと思っていましたので」

「……そっか」

「だから、……」


 微かに俯いて、シュリアは口をつぐむ。

 何かを言いかけたのだろうが、急かすと言葉を飲み込んでしまいそうだ。

 故に辛抱強く待つ。彼女の言葉を、一言一句聞き漏らしたくはない。

 どれだけの静寂が二人の間を流れたのか。涼やかな風の音と、ささやかにさえずる虫の声だけが穏やかに二人を包み込んでいく。

 もう話は終わったのかと勘違いしたくなるほどの沈黙が横たわった後。


「……あなたの」


 ぽつっと、染みの様に二人の間に彼女の声が広がる。

 カイリが何も言わずに彼女の方を向けば、彼女は一層眉間に皴を深く刻んで俯き。



「……。……あなたの母君の料理を、食べてみたいですわ」

「――」



 母の料理。



 思ってもみなかった要望に、カイリの目が見開かれる。

 彼女は口にしてから、物凄い勢いで顔を赤く染めていった。彼女にしては珍しいくらいの変化である。


「何ですの! 文句でもありますの⁉」

「え? いや、な、無い! 無いよ!」

「なら、何ですの!」

「あ、いや、……まさか、母さんの料理をリクエストされるって思わなかったから。……俺としては嬉しいけど」


 母とは散々色んな料理を作った。当然カイリは最後に爆発させてしまうから調理は出来ないのだが、それでも色んなレシピは頭の中に残っているし、聖書の中にも記されている。

 しかし、意外過ぎてまだ驚きが冷めない。何故母の料理なのだろうかと首を傾げる。


「……わたくしはっ。家庭の料理、というものがよく分かりませんのよっ」

「――」

「ですからっ。……あなたを暑苦しいほど溺愛した人の料理というのは、一体どんなものなのかと。興味があるだけですわ」


 ぷいっと外向そっぽを向いて言い捨てる。

 だが、その内容にカイリは再び苦しい痛みを握り締める様に味わうことになった。

 家庭の料理を知らない。

 彼女は家族と別々に暮らしていたから、家族で一緒に食べる、という機会にさえ恵まれなかったのかもしれない。

 カイリも、かつての前世での暮らしを思い出す。

 だが、カイリはそれでも、いつも母の冷えた料理を食べていたけれど。



 ――シュリアは、それすら無かったのかな。



 王位さえ見える貴族の家なら、両親が料理を作るということも稀かもしれない。

 けれど、食卓さえ共にしないというのは、やはりさみしくて辛い。

 静かな空間に、自分の立てる食器の音しか響かない場所。喋る相手も見当たらず、温もりが感じられない時間。

 それは、どれほどの孤独を思い知らされる時間だろうか。

 そんな彼女が、家庭の料理を味わいたいと口にしてくれた。

 ならば、カイリは絶対に応えたい。


「……分かった」

「……」

「俺、全力で料理を作るな。楽しみにしていてくれ!」

「……は? 全力って」

「ああ! 全力だ! うん。そうと決まれば、早速俺、フランツさんに相談してくるよ」

「はあ? あなた、今日はもう遅いんですのよ。別に明日でも」

「いいや!」


 こうしてはいられない。

 それに、カイリ自身今の話を聞いて一つの野心が湧いた。

 前までの自分だったら絶対に諦めていた目的だ。

 けれど。


〝ただ、……どれが一番好きとかは、わたくしには分かりません。甘いものを食べられればそれで良いと思っていましたので〟


 こんな悲しい主張を耳にして、黙ってなどいられるはずがない。

 絶対に甘くて美味しいものを、彼女に食べて欲しかった。

 それに、数あるデザートの中でも、ラブラブの両親がよく作ってくれていたものがある。ネイサンも、父は母が作ってから好きになったのではと零してくれた一品があった。カイリも、好きでよく食べていたデザートで、味わうたびにほっこりしていたのも懐かしい。

 だから、それにしよう。絶対に作り上げてみせる。

 カイリの欠点など、彼女の前では意味を成さないのだから。



「俺、頑張るよ! 今日はありがとう! じゃあ、また明日! おやすみ!」

「は、はあ。……おやすみなさいませ」



 びゅんっと擬音でもしそうな勢いで、カイリは急いでフランツの部屋へと向かう。

 そして、とんとんとん、といつもより素早いノックをすると、フランツが慌てた様に扉を開いて出迎えてくれた。


「おお、どうした、カイリ。そんなに慌てて」

「フランツさん! お願いがあるんです!」

「おお? ……うむ。可愛い息子の願いなら、何でも聞くぞ。何だ?」


 最初は驚いて目を丸くしていたが、すぐにフランツは力強い笑みで請け負ってくれる。

 そんな頼もしい父を前に、カイリは同じく力強い笑顔で真剣に頭を下げたのだった。











 ぽつん、と一人残されたシュリアは、カイリを見送って尚、呆けてしまった。

 一体何事を思いついたのだろうか。変な頼みごとをしてしまったからだろうか。

 何しろ、彼は両親の愛を背負ったらかなり強い。むしろ暴走する。

 今回もその暴走の引き金を引いてしまったのだろうか。だとすれば、完全なる失態である。


「はあ……。身の上話までして、わたくしは何て馬鹿なんですの……」


 額に手を当て、空を仰ぐ。きらきらとおかしそうに笑い煌めく星空が鬱陶しい。笑うなと悪態を吐きたいくらいだ。

 しかし。



「……何故、話してしまったんですの」



 絶対に、この前リオーネと変な話をした影響だ。いつかは打ち明けなければならないと思っていたが、こんな風に弱音を吐くつもりはなかった。リオーネ、許すまじである。

 こんな過去の話をカイリにしたって、栓無きことだ。彼だって突然過去を打ち明けられて戸惑っていただろう。

 けれど。



〝何だよ、それっ。それに、男だって甘いものは食べるだろ!〟



 やはり、彼は全力で怒ってくれるのか。



 人の痛みに敏感で、自分のことの様に腹を立てる。

 だが、色々言いたいことを飲み込んで、最後まで話を聞いてくれた。

 激昂した時以外は、あくまで穏やかに、邪魔にならない程度の相槌を打って耳を傾けてくれた。


 寄り添って、自分の話を聞いて受け入れてくれる。


 そんな人間がいることを、シュリアは彼に会って初めて知った。

 だから、話してしまったのだろうか。気まぐれだとしても最低なヘマである。

 しかし。


「……あまり悪い気分はしませんわ」


 それが一番悔しくて、憎たらしい。

 彼の方が三つも年下なのに。

 それなのに。



「……時々、……」



 浮かんだ評価に、ぶんぶんと全力で頭を振りまくる。振り過ぎて世界がぐわんぐわんに揺れたが、気にしない。

 むしろ頭を振りまくっても消せない思いに、シュリアは更に腹が立つ。


「あー。調子狂いますわっ。生意気ですわっ」


 罵倒しながら、シュリアはごろんと縁側に寝転がる。

 見上げた先には、にこやかに笑う欠け始めた月が静かに佇んでいた。まるでシュリアの心の裡など見透かしているかの様な透明さが、益々腹立たしい。


「……。……彼の料理」


 全力で作ると宣言してくれた料理。

 それはきっと――いや、絶対に美味しいのだろう。

 何故なら、いつも彼が手伝っている料理は美味だから。料理が苦手なシュリアでも、何とか美味しく出来上がっているから。

 だから。


「……絶対告げてはあげませんけれど」


 楽しみだ、という気持ちはシュリアの心の中にだけ留めておくと、暴く様に降り注ぐ月明かりに向かって宣戦布告をした。


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