第131話
「まったく! 出会ってすぐに掻っ
姉であるメリッサが、フュリーシアに聖歌騎士として赴いて三ヶ月。
そんな姉から届いた近況報告の手紙を読んだ時、開口一番にアナベルは怒鳴った。その拍子にぐしゃりと手元の手紙を握り潰してしまう。
だが、仮にも愛しい姉からもらった手紙だ。憤怒と憎悪とついでにフランツへの恨み言を呪詛の様に吐き出しながら、渋々アナベルは握り潰したしわくちゃの手紙を広げ直す。
フランツが姉のメリッサを連れ去ってから三ヶ月。
三度目の手紙が来たこのタイミングで結婚の報告はあんまりだ。アナベルは天を呪いながら天井を仰ぐ。
大体初めて出会った時からアナベルは彼が気に入らなかった。
姉が一目見て彼に恋をしたことはアナベルの目には明らかだった。
彼の外見は平々凡々。確かにがっしりとした体つきとそれなりに整った顔は悪くはないのだろうが、アナベルからすれば世の中もっと素敵でカッコ良くてきらきら輝いた男性など腐るほどいる。
それなのに、姉はあろうことか平々凡々の、どこが良いのか全く分からないちゃらけた男を生涯のパートナーに選んでしまった。
あの時のアナベルの心境はお先真っ暗の一言である。
おまけに、姉の欠点である豪快過ぎる料理を暴露したり、散々皮肉や嫌味を飛ばしてやったのに、彼は涼しい顔ですっとぼけたことばかり言っていた。おまけに、姉の作った豪快な料理を上手い、安らいだ、嬉しいとまで評したのだ。完全にぽーっとのぼせ上がった姉は、簡単に落ちた。
聖歌騎士になったことは、彼から色々説明を受けた危険度を考慮して百万歩譲って良しとしよう。
だが。
「人の大切な大切なお姉さまを掻っ攫っていくとか! 地獄に落ちろおおおおっ!」
ぐしゃっと再び手紙を握り潰してアナベルは怒髪天を突く。部屋の外から子供達が何事かと恐怖に満ちた顔で覗いていたが、構ってなどいられない。
この孤児院のことが無ければ、すぐにでも飛んで行ってあのクズ男をぶっ飛ばしてやるのに。
しかも。
「アナベル! 久しぶり。来ちゃったわ♪」
「久しぶりだな、アナベル。きちんと家族であるお前に報告するために休暇を取ってきたぞ」
何と、次の日にその元凶二人が孤児院を訪ねてきた。玄関を開けた時のアナベルの顔は、
手紙が届いた翌日に、誰が二人が帰ってくると思うだろうか。このクズ男はここまで計算して手紙を出したのか。
そういう風にぎりぎりと歯噛みをしていると。
「フランツと一緒にね、貴方を驚かせたいって計画して。手紙は私が調整して出したのよ♪」
何と、姉の仕業だった。
このクズ男であれば遠慮なく怒鳴りつけられたのに、よりによって愛しの姉。姉のお茶目な悪戯に、アナベルは怒り狂うことも叶わなかった。莫大なる激情を発散出来ぬストレスから、頭を抱えて悶絶しながら天を仰ぐ。
だが、そのストレスにこのクズ男は更に油を注ぎ込んでくれた。
「何だ、アナベル。それは、もしかして新しく編み出した踊りか? 随分と奇抜な格好だが、なかなか斬新で良いのではないか」
「誰が踊りだい! 誰が!」
「む。違うのか? 先程から両手をわなわなさせて身をかがめたり、頭を押さえて天を仰いだりと繰り返していたからな。喜びの舞を踊っているのかと」
「どぁああああれが! あんたがきて喜ぶもんか! この泥棒猫! 泥棒! お姉様を掻っ攫った極悪人! 地獄へ落ちろ!」
「あ、アナベル。駄目よ。……でも、フランツが猫だなんて可愛いわ」
「そうか? ならば、メリッサと共に猫になるのも悪くはないな」
「ちっがあああああああああう!」
とぼけたことを言い始めた姉のせいで、唐突に二人がいちゃつき始めた。完全に二人の世界で、しかもハートマークが飛び交う幻覚まで見えてくる。アナベルには耐えられない。
「とにかく! あたしは認めないよ! 何で!」
「アナベル」
「……な、何さ」
思いのほか真剣な彼の表情に、アナベルは口ごもってしまう。
彼は、ふとした瞬間にこういう大人びた表情を見せてくる。こちらの言うことを上手く受け入れ、その上で意見を返してくるのだ。
初めて会った時から変わらない。彼は茶目っ気がたっぷりで、どこかとぼけた天然な一面があるのに、確かに大人の男なのだと思い知らされる。
「……この孤児院は、お前がメリッサと一緒に大事に経営してきたと聞いた」
「……、ああ、まあ」
いきなり何を言い出したのだ。
結婚の許可をもらいに来たのではないのかと突っ込みたかったが、それを口にしてしまえば、まるでアナベルが催促している様に聞こえる。それだけはご免だ。姉は渡さない。
それなのに。
「お前達にとって、家族であり母親だった院長の意思を継ぎ、厳しく、優しく、親を失った子供達と家族として過ごしてきたと。メリッサからはよく聞いていた」
「――っ」
そんなことまで話したのか。
アナベルがメリッサに視線を向けると、姉は穏やかに微笑んでいた。
姉は、この孤児院を出て行った時から変わらない。
だが、変わった。
とても優しく、けれど強くて綺麗な笑顔を浮かべる様になった。
元々姉は穏やかで優しい人だった。慈母の様に温かく、誰かに激怒しているところをアナベルは見たことが無い。
アナベル達は物心ついた時から両親がもういなかった。気付けばこの孤児院に引き取られていたのだ。一度だけ、自分達が売られそうになったのを院長が引き取ってくれたのだと聞いたが、覚えていないので正直どうでも良かった。
知る限り、姉はいつも笑っていて、およそ泣いたり怒ったりしたところを見たことが無い。それが当然だと心のどこかで思っていた節がある。
けれど。
この時初めて、アナベルは姉の感情らしい感情を見つけた気がした。
「メリッサを無理矢理奪った形で済まなかった。突然アナベルが院長になったことで、色々苦労もあっただろう」
「……、それは、別に」
「だが」
くるっと、男が玄関先で辺りを見渡す。
遠くでは、子供達が元気に駆け回っているところだった。ちょうど仕事も無い自由時間なため、好きなことをしてはしゃいでいる。
それを眺め、男はふっと優しく口元を緩めた。何だかその笑い方が姉に似ていると、アナベルは不覚にも目を
「みんな、とても明るい顔をしている」
「……」
「アナベルが、優しいお母さんになっているからなのだろうな。子供達が安心して駆け回っているのが良い証拠だ」
子供達が遊ぶ姿に目を細め、男は訳知り顔で頷いた。
何を分かった様な口を。
そう毒突きたかったのに、何故か声が出て来なかった。つっかえた様に喉に挟まって息しか漏れてこない。
この孤児院は、アナベルにとって大切な場所だ。
行くあての無いアナベルと姉を迎え入れてくれた、優しくて温かな故郷だ。
幸い当時の院長は優しく、本当の母親の様に接してくれた。
悪戯をすれば叱り、悪いことをすれば何が悪いのか教えてくれ、誰かを助けたり良いことをすれば褒めてくれた。
子供は元気で笑っているのが一番の仕事だ。
それが、院長の口癖だった。
だからだろうか。教会の支援はあったが、食事はいつでも慎ましやかで。それでもアナベル達子供が空腹を訴えることは無かった。
今思えば、院長の皿は子供達よりも少なく、量も多くは無かった。自分の分も子供達に分け与えてくれる、愛情深い人だった。
そんな無理が
それからはメリッサが院長となり、院長の教えを引き継いで孤児達を引き取り、面倒を見ていた。
子供達も懐いてくれて、順調に育って。それはアナベルが三年後に姉から孤児院を引き継いでからも変わらなかったけれど。
でも。
「子供は、元気に笑っているのが一番」
「――」
「お前達の母親は、とても強くて優しい方だったのだな。……一度、きちんと出向いて挨拶をしたい。そう思ったからここに来た」
そして、と。男はアナベルに向き直り。
「大切なお前の姉を、二度も奪っていくことになるからな。土下座をして許しを得るまでは何度でも通うつもりだ」
真っ直ぐに、強い意志と誓いを持って彼の眼差しがアナベルを貫く。
その瞳に一切の冷やかしは無い。心の底から真剣に、一人の人間として対する誠実さだけが備わっていた。
ずるい、とアナベルは罵りたくなる。そんな真剣な眼差しで、姉を奪っていくなど言わないで欲しかった。
姉を奪われたくはない。
けれど。
姉の幸せを奪う様な真似は、絶対にしたくない。
フランツが地面に両手を突く。姉も隣に並んで両手を突いた。
本当に土下座をし始めて、アナベルは呆然と見下ろすしかない。
「アナベル。お前の大切な姉を、俺にください」
「……私からもお願いします。彼との結婚を認めてください」
真摯に頭を下げる二人に、アナベルは目の奥がじわりと熱くなる。世界が一瞬滲んだが、意地でも揺らがせずに固定した。
たった三ヶ月だ。短過ぎて、他の人が聞いたら「燃え上がり過ぎだ」と
だが。
――忙しいだろうに。
聖地の事情はよく知らないが、第十三位という騎士団に所属していると聞いた。姉からの手紙でも任務の話が出てくるから、それなりに多忙なのも知っている。
それなのに、家族のためにこの男は休暇を取って会いに来てくれたのだ。本当だったら、里帰りもなかなか出来ないほど大変な場所ではないだろうかと、アナベルでも予想が付く。
この男は馬鹿正直だ。アナベルのために、会ったこともない母親のために、頭を下げて誓いを立てに来たのだ。
「……っ」
それを、どうして無下に出来るだろう。
本当は罵倒してやりたい。渡してなるものかと悪態を吐いてやりたい。
だが、アナベルが何かを発するまで絶対に頭は上げないと決めているらしき二人に、拒絶を示せるほど子供ではなかった。
「……、ほん、っとう、に」
声が掠れる。
ぎっと目に力を入れ、気合を入れ直す。ここで泣いてなどやるものか。それがせめてもの抵抗だ。
「お姉様を、絶対に幸せにしてくれるんだね」
「――、……もちろんだっ」
がばっと顔を上げ、男が力強く言い切る。
その声に嘘は無い。どこまでも真っ直ぐで馬鹿な男だと、アナベルはくしゃりと顔を歪めた。
「……お姉様を不幸にしたら、許さないからね!」
「……、アナベル! ありがとう……!」
「お姉様。こいつに何かされて泣かされたら、すぐに帰ってくるんだよっ。あたしがメッタメタのギッタギタにしてミンチにしてから
「……なるほど。栄養分になる、ということか。それも悪くはないな」
「あんたは少しはあたしの怒りをまともに受けな!」
ぱっかーんと、そこら辺にある枝で景気よく男の頭を叩く。
姉が驚き、男は頭を押さえ。
最後には、三人で笑った。
その日は全員で祝賀会を開き、次の日に二人は帰って行った。
次に会うのはいつのことになるだろうか。腹は立つが、楽しみが出来たのも事実。
だから、次に来た時にはもう少し歓迎してやろう。少しは気概のある男だと認めてやっても良い。
そう密かに計画を立て、アナベルはその日から彼らが来るのを心待ちにしていた。子供達とも「また会いたいね」と笑って話していたものだ。
けれど。
それが、三人で笑い合った最後の日になるなど、誰が予想しただろうか。
「っはは。あの二人も親になるのかい。大丈夫なのかねえ」
一年近く経った頃だろうか。
姉から届いた手紙に目を通しながら、アナベルは呆れた口調とは裏腹に声が弾むのを抑えきれなかった。
どうやら二ヶ月らしい。相変わらずラブラブらしいと知って、悔しいやら腹立たしいやら、手紙をテーブルに放り投げる。
「まったく。ということは、あたしもついに叔母さんか。……まだ24だっていうのに」
とはいえ、別に珍しい年齢でもない。特に姉の子供となれば男だろうが女だろうが可愛いに決まっている。願わくば、あの男に似ないことだけを切に祈った。
「忙しいみたいだけど、帰って来れるのかね。……産むなら、この孤児院で……と言いたいところだけど」
しかし、経済的に余裕があるわけではない。教会の者達は上司の方は親切だが、部下の一部があまり孤児院の存在を良く思っていないらしく、目の敵にされている節がある。
安心して産むのならば、やはりフュリーシアにいたままの方が安全だろう。残念な気持ちは拭えないが、姉の体を第一に考えれば我がままなど言えるはずもない。
「いっそ、子供達全員でお見舞いに……いやいや。そんな金銭的余裕も」
恐らく、あの男や姉ならばいくらでも援助してくれるだろう。
だが、彼らに借りは作りたくない。きちんと一人でも運営していけると、胸を張って言いたかった。
「せめて、お祝いは贈ろうかね。……手紙で何が欲しいか聞いてみようか」
あの二人なら「気持ちだけで十分だ」と笑顔で言い切りそうだが、そうはいかない。脅しをかけてでも言質をもぎ取ろうと、今から文章を考えるのが楽しみだ。
なかなか会うことは叶わないが、それでも楽しみが増えていく。口惜しいが、間違いなくあの男のおかげで。
自然と口の端がにやける。家族が増えるのは、とても幸せなことだ。
今度会ったら、どんな皮肉をぶつけてやろうか。
そうして、その後に祝いの言葉をくれてやったら、どんな顔をするか。
楽しみを積み重ねて、アナベルが手紙を持って立ち上がると。
呼び鈴が、乱暴に鳴り響いた。
今まで聞いたことのない鳴らし方に、アナベルは一気に警戒を強める。子供達が顔を出してきたが、部屋に戻ってなと注意を促した。
一応懐に短剣が入っているのを確認し、アナベルは注意深く扉に近付く。
「誰だい」
声をかけても、無言。
いよいよ警戒心が最高潮に達した。短剣の柄に手をかけた、その時。
「……、俺だ」
「――」
フランツだ。
短く告げた一言は、聞いたことの無い様な真っ暗な声だった。
何事かと慌てて扉を開ければ、確かにフランツの姿だった。
だが、その在り方にアナベルは目を
「あ、あんた。……どうしたんだい、そのぼろぼろ、……の、――」
彼の顔を見て、ついで視線を下に向けていってやがて彼の腕に縫い付けられる。
彼は、一人の女性を抱えていた。
衣服の端々が裂け、まるで戦場から逃げてきた様な出で立ちの男が、同じくぼろぼろの衣服を
オレンジ色の綺麗な髪は、今や見る影もない。くすんで艶も失っており、肌も引き裂かれて無残である。
それは、愛しい愛しいアナベルの大切な家族だ。
物心付いた時から一緒にいた、大切な人。
姉である、メリッサの亡骸だった。
「……、な、……っ、……え?」
「……」
「な、んで、……」
言葉が上手く出てこない。頭は混乱してまともに回らなかった。
だって、姉はついさっき手紙で告げてくれたのだ。二人の子供が出来たと。幸せそうな空気が文章から滲み出ていて、アナベルも幸せな気持ちになったのだ。
今度叔母になるのだと楽しみが増えた。二人にお祝いを贈ろうと画策していた。
いつか、三人で訪ねてきたら。どんな顔をして出迎えようか。
そういう風に想像していた明るい未来が、一気に砕け散った。
どうして、姉が死んでいるのだろう。何故、赤く濡れているのだろう。
どうして、――どうして。
そればかりがぐるぐると頭の中を巡って、気持ちが追い付かない。
「……すまない、アナベル」
「……っ、な、に、言っ、て」
「――俺が。メリッサを、殺した」
一瞬意味が分からなかった。
言葉としては分かる。
けれど、頭が理解を拒絶した。
何を言っているのだろう。
〝大切なお前の姉を、二度も奪っていくことになるからな。土下座をして許しを得るまでは何度でも通うつもりだ〟
だって、言ってくれたではないか。
アナベルから大切な姉を奪うから、許しを得るまで何度でも通うと。
それくらい大切に思っていると。
幸せにしてくれると。
守ってくれると。
そう、誓ってくれたではないか。
なのに。
「俺が、我が身可愛さにメリッサを生贄にして、殺したんだ」
「――――――――」
彼は、残酷な現実を告げて。
姉を残して、去っていった。
あの日から、ずっと問いかけ続けている。
――どうしてお姉様を殺したんだい。
――どうしてお姉様をここに置いていったんだい。
――あんた、お姉様を幸せにするんじゃなかったのかい。
――子供だって産まれるはずだったんだろう?
――何で、あれから一度も顔を出してこないんだい。
――何で言い訳さえしてこないんだい。
何で。
何で。
そればかりがぐるぐると頭の中を回って。
――あんた。
本当はあの時、一体何があったんだい。
本当の本当に問いかけたかった言葉は、未だに言えずに心の底に
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