第57話


「……はあ」


 聖歌の自主訓練をし、夕食も終えたその日の夜。

 風呂から出て、カイリが部屋に戻るとレインはベッドに転がって読書をしていた。

 目的の人物がいたことに少しだけ胸を撫で下ろしたが、同時に腹の底が重くなる。先程の出来事を思い出し、一層憂鬱な気分になった。


 風呂から上がり、脱衣所から廊下へ出た時に、ちょうどエディとばったり顔を合わせたのだ。


 目もばっちり合って、互いに固まってしまった。

 カイリは焦りはしたが、それでも笑顔で口を開こうとした。「エディ」と呼びかけ、続こうともした。

 だが。



 声をかけた瞬間、すぐにエディから目を逸らされたのだ。



 そのまま振り向きもせず、簡単に横を素通りされた。中途半端に声をかけたカイリは、風呂場に消えて行く彼を呆然と見送ってしまった。

 会話どころか、もう一対一だと挨拶すらさせてもらえない。途方に暮れる以外どうしろというのだろうか。

 それに。



 ――最近、食事の場でも、俺が発言すると一瞬静まり返るんだよな。



 懸命に会話を振ってみても、微妙な間が出来上がるのだ。しかも見かねて反応してくるのは、大体レインかフランツだ。シュリアは、嫌味や皮肉を飛ばせる時にしか言葉を打ち出してこない。

 故に食事中でも、彼らから話しかけてくるまでは何も言えず、せっかくの美味しい食事も砂を噛んだ様に味がしなくなってきた。あれだけ楽しかった食堂は、今では鉛を胃袋に詰め込まれる様な暗澹あんたんたる場でしかない。

 そして。


 ――時々、探る様な目をするレインさんは、何を思っているんだろう。


 レインは普段はいつも通りだが、内心ではどうなのだろうか。彼が周囲を信頼していないという事実は、カイリが弾き出した間違いのない結論である。

 もし、今ここで質問をぶつけて。



 彼にまで、拒まれてしまったら。



 飄々ひょうひょうとした笑顔が凍りつく瞬間。

 今まで近かった距離が、急に遠くなるあの光景。



〝お前、トモキにひどいことしたんだってな〟



「……っ」


 恐怖を覚えて、カイリは頭を振る。

 ここで尻込みしていたら、第十三位ではやっていけない。



「……どうしたよ? 何かオレに用事か?」

「え」



 足踏みしてしまっていると、不意にあちらから疑問をぶつけられた。

 顔を上げれば、いつの間にかレインは、本を閉じてカイリに視線を向けてきている。寝転がったまま肘をついて、真っ直ぐに見据えてきた。

 その視線は、磨き抜かれた刃物の様に鋭く、熱い。

 やはりいつもと異なる気がして、カイリはぐっと喉に力を入れた。震えない様に必死に虚勢を張る。


 ――その際、一瞬だけ、ベッドに置いてあるバトが視界に入った。


 ハリエットから贈られてきたぬいぐるみ。彼が「頑張れ」と手を振ってくれている様な気がして、カイリは思い切って声を張り上げた。


「あの! 聞きたいことが、あって」

「おう? 何だよ」


 へらへら笑いながら、レインがじっと目を見つめてくる。

 挑戦的な視線に、カイリも力を込めて見つめ返した。



「俺、最近レインさんに、何か怒らせる様なことをしてしまいましたか」

「……」



 沈黙が返ってくる。視線の熱が更に高まった気がした。

 おびえる様に喉が鳴りそうになったが、カイリは前に出て力を振り絞る。


「……時々、探る様に俺のことを見ていますよね」

「……あー、……、まあな」


 認めはしたが、歯切れが悪い。

 何故だろうと首を傾げたが、レインは「それで?」と軽く促してきた。二人と違って話を聞いてくれる様だ。少しだけ安堵する。


「最近、エディもリオーネも、俺への態度が変なんです。よそよそしいし、話をしたくないみたいだし」

「本人達に聞けばいいんじゃねーの?」

「聞きました、何度も。でも、余計に怒らせたり、別にって避けられたり、理由を言ってくれないんです」

「……まあ、あいつらはそうだわな」


 そうなのか。


 物凄く腹が立つことだったら、カイリなら我慢しきれずに言うか、聞かれたら答えるだろう。

 だが、他の人達はそうではない。価値観の違いを突き付けられて衝撃を受けたが、黙ったままではいられなかった。


「別に、騎士団が仲良しこよしの馴れ合いの場所じゃないというのは、理解しているつもりです。どれだけ相手が嫌いでも、仕事なら一緒にしなきゃならないっていうのも。……仕事、この第十三位に来てからやっていない気がしますけど」

「はっきり言うなよ。確かに暇だけどなー」

「でも、俺はあの二人にお世話になっています。……二人だけじゃない。レインさんにも、フランツさんにもシュリアにも」


 全くのど素人であるカイリを受け入れてくれた第十三位。

 聖歌もまだ制御が出来ておらず、武術では本当に役に立たない可能性が高い。

 それなのに、彼らはカイリを快く引き受けてくれた。おまけに一から丁寧に訓練に付き合ってくれている。

 恵まれていると感謝していた。だからこそ、自分に非があるのならば、どうにか改善したい。


「何も知らない俺のことを受け入れてくれて、色々教えてくれて、感謝しています」

「……」

「だから、少しでも恩は返したいし、それに……。……馴れ合いの場じゃなくても、仲良く出来るなら、……せめて会話が出来るならそれに越したことはない。俺が何かして腹が立ったなら、俺が悪いんだったら、ちゃんと謝りたいんです」


 だが、現状はそれすらさせてもらえない。


 心当たりがあるなら良かったが、カイリにはまるで無い。

 もし、ちっとも騎士として成長する気配が無いという文句だったなら、強くなるまではこの状態を甘んじて受け入れるつもりだ。


「レインさんは、どうなんでしょうか。俺、……やっぱり何か怒らせるようなことをしたんでしょうか」

「……」

「教えて下さい。いきなり態度を変えられて、何も知らないままなのは苦しいんです」


 頭を下げて懇願する。

 これで断られたら、いよいよフランツに相談しに行くしかない。

 彼もこの状況は気付いているだろう。何も言ってこないということは、自分で何とかしろと突き放しているか、相談されるまでは待つというスタンスなのかもしれない。音楽室でのリオーネへの対応で、おぼろげに予想は出来ていた。

 頭を下げて、どれくらいが経ったのか。

 ぎしっと、ベッドがきしむ音がする。そのまま気配がカイリに近付いて。



「おら。顔上げろよ」

「――っ、いたっ」



 額をぴんっと弾かれ、頭を無理矢理上げさせられる。

 かなり鋭い痛みが走り額を押さえると、レインが目の前で笑っていた。

 その顔にはもう、探る様な色は無い。彼の反応に、カイリは思わず目を丸くした。


「あー……ストレートもストレート。お前、ほんとに馬鹿正直に突っ込んでくるなー」


 笑うしかねえな、とレインが頭を掻いて嘆息する。溜息交じりの言葉ではあるが、そこに嘲りは無かった。

 何故、いきなり態度が柔らかくなったのだろうか。まだ痛む額から手を離し、彼を困惑しながら見つめるとおかしそうに苦笑された。


「ま、オレの場合は見極めてただけだ。まだ一ヶ月も経ってないしな。闇雲にお前を信じるとか無理だろ」

「……、え」


 見極め。信じる。


 つまり、試されていたということだろうか。意味が上手くつながらなくて、カイリが視線だけで尋ねると。


「あの二人は、あー、そうだなー。……ま、色々あって、冷静な判断が出来なくなってる。つまりは、……子供ってこった」

「え? 子供って」

「だから、色々あんだよ。しばらくあんな感じかもしれねえけど、今のお前を見てれば元通りになるんじゃねえの?」

「……適当な気がするんですが」

「おー。適当だからな」


 肩をすくめて断言され、カイリは脱力する。

 彼は訓練の時も面倒見が良いし、食事の時もおかわりをよそってくれるまめまめしさがあるが、割と言動が適当だ。掴みどころが無くなることも多い。



「お前、第十三位にいたいんだろ?」

「はい」

「……そくとー。ははっ、やっぱ面白いわ、お前」

「えっと……」



 何故、そこで笑われるのだろうか。カイリは別に変なことを言った自覚は無い。

 だが、彼のツボには入ってしまった様だ。くくっとおかしそうに喉を鳴らして止まらない。


「あー、笑った。……お前みたいな新人は久々に見たぜ」

「は、はあ」

「……なら、オレも腹をくくるかね」

「え?」


 彼がぼそっと何かを零したが、カイリには聞こえなかった。

 きょとんと目を瞬かせていると、笑う口元をレインは右手で押さえ、誤魔化す様に左手がカイリの頭を撫でようと伸びてくる。

 だが。



「――、?」



 一瞬だけ、彼の手が不自然に止まった気がした。



 本当に一瞬だ。わずかコンマ単位の長さでしかない気がする。カイリが見咎めたこと自体が奇跡だ。

 彼の手は、そんな不自然さも感じさせずにそのまま頭に伸びて来て、ぐしゃぐしゃーっと撫でてきた。力強さも感じ、ホッとさせてくれる。

 けれど、何だか引っかかって仕方がない。理由は分からないが、見過ごしてはいけない気がして、無意識に質問を投げかけていた。


「……、あの、レインさん」

「んー? 何だよ」

「あの、……気のせいだったらすみません。でも、……左の手? か、腕? どこか痛いんですか?」

「――」


 レインの目が一寸細まる。

 その反応で確信した。レインは、手か腕を痛めているのだと。


「え、大丈夫ですか? え? あの、どうして」

「あー、……ちょーっとおいたをしてきたやんちゃな坊主を軽くいなしただけだ」

「え。やんちゃ?」

「そうそ。ま、気にすんなよ。大した痛みじゃねえし、すぐ治る」


 ぐしゃぐしゃと、それを知らしめるかの様に尚も左手で頭を撫でてくる。

 だが、レインが怪我をするなど考えられない。料理だろうが戦闘だろうが、日頃の所作を見ても抜けている様には見えなかった。

 よく分からないが、ざわりと嫌な風に心の中が掻き回される。見過ごさなくて正解だったと暗に教えられた気がした。


「……、……レインさん」

「お前は、当分あの二人を何とかすること考えろよ。……どうしても、ここにいたいんだったらな」


 もう一度だけ、ぐしゃぐしゃと頭を乱暴に撫でられる。



 どうしても、ここにいたいのなら。



 それは、レインからの忠告の様に聞こえた。

 彼は、一体何を知っているのだろうか。負傷した左手と何か関係があるのか。

 益々困惑を深めて見上げると、レインは少し楽しそうにウィンクした。


「ま、頑張れや」

「……」

「結構きついかもしれねえけど、めげずに話しかけてやってくれ。あの二人にも良い薬になる」

「く、くすり?」

「おう。ま、どうしても泣きたくなったら、おにーさまが胸を貸してやるけど?」


 胸を叩いて両手を広げるレインに、カイリはぶはっと噴き出してしまった。おどけた彼の様子に、本当に体当たりしようかと一瞬本気で考えてしまう。

 だが。


 ――やっぱり優しい人だよな。


 彼の心遣いが心に沁みる。ここ数日の二人の態度にへこんでいたが、味方がいるというのは頼もしい。

 彼は飄々ひょうひょうとしているし、恐い部分もあるが、基本的に良い人だ。その裏で何を考えていようと、その印象をカイリは変えるつもりはない。

 負傷した理由が気になるが、問い詰めても何も返ってこないだろう。

 ならば、今は言われた通り、あの二人に集中することにした。


「……ありがとうございます」

「おー」

「俺、頑張ります」

「……ん。どーしても駄目なら」

「胸を借ります」

「……男だと、やる気なくすけどなー」

「知りません」


 女が良かったなーと落ち込むレインを、カイリは軽く突き放す。

 そんなやり取りは久々な気がして、今日はゆっくり眠れそうな気がした。


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