第53話


「教皇、いますー? ケント・ヴァリアーズ、ただいま参上しました」



 教会の最上階。

 限られた者しか足を踏み入れられない場所で、ケントは迷いなく扉を開けた。教皇の返事を待っていたら日が暮れる。

 ばたんっと無遠慮に扉を開ければ、奥から嬌声きょうせいが幾重にも響き渡ってきた。まだいたいけな少年少女の入り乱れた声に、ケントは疲れた様に溜息を吐く。

 また、教皇の悪い癖が出ている様だ。呆れるしかない。


「な、け、ケント殿! また貴殿は許可もなく」

「教皇に呼ばれたから来たんですけど。僕、忙しいので。話する気が無いなら帰りますけど。良いです?」

「ぐぬ、……少々お待ちを」


 扉のすぐ場所に控えていた、真っ白なローブに身をまとった中年男性が悔しそうに奥へと消えていく。

 教皇を長年傍で支える人物だが、あれで司教とは驚きだ。普段は確かに冷静に非道に教皇からの任務をこなしているが、ケントに対しては対抗心が剥き出しなのだ。はっきり言って鬱陶うっとうしい。

 ケントが、他の者と違って教皇に対してそこまで敬意を払っていないからだろう。教皇がそれを許しているのも腹立たしいのかもしれない。本当に鬱陶しい。

 とはいえ。



 ――他の奴らだったら、確かに消されてるかもしれないけど。



 ケントの場合は、武術だけではなく、聖歌の力も自慢ではないが他者より圧倒的に強い。ケント自身、教皇には初対面の時に『面白ければ』どんな件でも手は貸すと事前に交渉してあるからこそ、許されている所業だ。教皇が、その言葉に大いに興味を示したからだ。

 恐らく前の前の団長の様に、正義感で突っ走る人間だったら、こうはいかなかった。今頃は事故でも何でも装って消されているか、洗脳しようと相手も躍起になっていただろう。

 それを見越しての提案だったのだが、思った以上に効果は覿面てきめんで自由にやらせてもらっている。何度か国同士の衝突も解決したのだから、大目に見てくれるのは当たり前だろうと、ケント自身は自負している。


 ――実際、カイリに言えないことも多くやってきた。


 ケントが行ってきた所業を、カイリが知ったらどう思うだろうか。

 軽蔑するだろうか。嫌悪するだろうか。



 離れて、行くだろうか。



「……なーんて。いつになく弱気だなあ」



 ぼそりと呟いて、苦笑する。そういう部分は前世の時から直っていなかった。

 ケントには、まだカイリがどこまで許容してくれるのか判断が付かない。どこまで、自分を友人として思ってくれているのかも。

 事実、彼が自分を心配してくれるたびに戸惑って、けれど舞い上がって、心が忙しいのだ。これがいつまで続いてくれるだろうかという恐怖もあった。

 前世では無かった触れ合いが、カイリの方から向けられる。そのたびに、ケントの心の鎧が剥がれ落ちていく様で、少しだけ恐かった。

 もっと、求めても良いのか。

 それとも、今の範囲で満足しておくべきなのか。



 ――そもそも自分に、求める資格はあるのか。



 カイリの隣は自分のもの。カイリを傷付けて良いのも自分だけ。

 強く思いながら、奥の奥に踏み込むのを躊躇っているのを実感する。

 だって。



〝ケント。もう――〟



 カイリは――。



「――っ、と」



 そんな風につらつら回想していると、身支度を整えた老人が奥から姿を現した。逸早く気配に気付いたケントは、何食わぬ顔で片膝を付いて出迎える。



 まっさらな法衣を纏い、飾り玉を付けた角帽子のビレッタ帽を被った老人の姿は、異様な雰囲気を放っていた。



 無感動な表情に、虚ろな眼差し。

 そこに立つだけで、片っ端から頭を押さえ付け、ひれ伏すほどの重圧を放つ。実際、傍に控えている司教は涼しい顔をしながらも、微かに足元が震えていた。部屋をたゆたう空気も、委縮した様にこうべを垂れているかの様だ。

 腐っても教皇か、とケントは内心だけで冷淡に切り捨て、にこやかな笑みを貼り付けた。


「ご機嫌よう、教皇猊下げいか

「……、うむ」


 軽やかに挨拶をすれば、教皇は短く一言頷いただけだった。

 彼は、あまり流暢りゅうちょうに話す人間ではない。片言か、と思う時もある。

 しかし、それ故に、他者はその重々しい声に異常なほどに怯え、益々畏怖を抱くのだ。一応、分からなくもない。



 彼の一言で、その人物の運命が決まる。



 ケントにとっては馬鹿らしくても、跳ね返せる者がほんの一握りなことも知っていた。

 だが、ケントには何ら関係がない。いつも通り、にこやかに応対するだけだ。


「人を呼びつけておいて遅刻だなんて、流石は頂点に御座おわす猊下ですね。下々の代表である僕は、暇じゃないんですけど」

「ケント殿! その様な仰り様は……!」

「良い。わしが許す」

「……、……はっ」


 教皇が許可をして右手を振れば、司祭は苦々しげに頭を垂れた。

 その姿は滑稽こっけいで、何の感慨かんがいも湧かない。その他大勢と同じ豆粒にしか映らず、ケントの興味の対象には端にも引っかからなかった。


「それで? 何の用ですか?」

「……、……ケント。最近、友人が出来たと聞いた」

「ああ……、カイリのことですね」


 平坦に答えて、ケントは面倒だなと辟易へきえきした。

 ケントは、教皇とはフランクな関係だ。先程の少年少女の様な食い物ではないし、そういうことになったら全力で抵抗すると前もって宣言してある。

 色々と型破りな交渉を初対面で行ったからか、ケント自身が興味の対象になっていることには気付いていた。

 それだけに、ケントが友人を得たことが気になって仕方がないらしい。本当に面倒だと、溜息を吐きたくなった。


「カイリがどうかしましたか?」

「……、……第十三位に、自ら志願。間違いないか」

「ええ、そうですね。僕も大賛成しておきました」


 一瞬教皇が押し黙る。

 ケントなりのカイリへの加勢だったが、予想以上に効果があった様だ。彼の空気が刹那的に揺れた。

 教皇が第十三位を目の仇にしているのは知っている。――そして、父親からも色々と耳にした。

 だからこそ、ケントが防波堤になれればと思ったが、限界があるのも分かっている。

 故に、教皇の次の言葉は予想通りのものだった。


「……カイリ、好きか」

「好きですよ。じゃなきゃ、友人になんてなりません」

「……味方か」

「さあ、どうでしょう。カイリ次第じゃないですか? 彼は、別に第十三位に染まっているっていうわけでもなく、教会に反抗心を抱いているわけでもなく、ただただ自分がいたい場所にいるだけって感じがしますからね」


 嘘は言っていない。ケントは、カイリが教会に対してどの様な感懐を抱いているか、直接聞いたことがない。

 だから思ったことを口にしたのだが、教皇は考え込んでしまった。思案にふけるのはケントが帰ってからにして欲しいと舌打ちしたくなったが、一応この場ではしない。


「……あい、分かった」

「そうですか? じゃあ、そろそろ帰っても?」

「……良い。……だが、もし」

「カイリが反逆を企てたら? 僕、傍観に徹して良いですか? 流石に友人を捕まえるなんてこと、したくないんですよね。の友人なので」

「……。仕方がない」


 重い溜息を吐いて、教皇が退出を促してくる。

 これ幸いにと、ケントは「じゃあ、失礼しまーす」と腰を折ってから素早く廊下へと滑り込んだ。司教のハンカチを噛み締める様な歪んだ顔が見えたが、にっこり笑って見下しておく。

 ばたんと扉を閉め、ケントはさっさとこの廊下から脱する。正直、ここはむわっとした少年少女の嬌声や体臭で充満している気がしてならないのだ。先程のいやらしい悲鳴といい、ケントはこの空気が全く好きになれない。



 ――カイリが対象になったらと思うと、それだけで首をねたくなる。



 今は、奴の視線をらした。当分は持つだろう。

 しかし。


「……時間の問題だよねー」


 カイリの素性は、すぐに教皇の耳に届くことになるだろう。父から聞いた話が本当なら、間違いない。何だかんだと彼らの諜報力は侮れないからだ。

 その時、教皇がどうするのか。想像に難くない。


「それまでにカイリには強くなって欲しいけど、……無理だよねえ」


 正直、カイリについては前世の頃からもったいないと思うことが多かった。

 頭も良いし、回転も速い。それなりに冷静だし、運動神経だって決して悪くは無かった。むしろ良い方だったと思う。



 だが、あの時の彼には、自分自身の目標がまるで無かった。



 ただ、父が医者だから。母が裁判官だから。それ以外に理由が見出せず、カイリは何となく上を目指すフリをしていただけだ。

 絶対に成し遂げるという目標が無いから、せっかく持っている才能を持て余し、結果に繋がらなかったのだ。己の未来に無意識に迷い、漫然と惰性で続けていたから、彼は最後まであらゆる面でケントを超えられなかった。それだけだ。


 しかし、今の彼には、恐らく目標がある。そこは問題ないだろう。


 だが、前世の時と違うのは、絶対的に経験値が不足しているということだ。

 剣術も小さい頃から始めてはいた様だが、探ってみると、現在の剣術を取得し始めたのはつい最近と言う話だった。村を出る一ヶ月前からというのだから、恐れ入る。

 どれだけ物にしているかは、実際この目で確かめないと分からない。

 聖歌もかなりの強さを持っている様だし、成長すればケントをしのぐ可能性もあるだろう。

 しかし、教皇と対決するには時間が足りなさすぎる。



 その先に待っているのは、カイリの完全なる敗北だ。



「……無理矢理きたえるしかないよねー。……本当は、『あれ』、潰しておこうと思ったんだけど」


 カイリには、これから間もなく嫌な事件が降りかかるだろう。

 ケントはある噂を耳に入れてから、即座に頭から踏み潰してやりたくなった。ケントの耳に入るには時間がかかるだろうと考える、部下の楽観的思考にも虫唾が走ったものだ。



 問題は、きっと第十三位から起こる。



 第十三位は警戒心が強いのに、懐に入れ始めると案外脆もろい。団長や副団長あたりは胆力があるし惑わされないだろうが、それ以外は揺さぶられると弱いところがある。

 今回の件は、彼らには覚えがあり過ぎる悪夢だろう。



 故に、カイリはきっと簡単に陥れられる。



「……カイリを傷付けても良いのは、僕だけなのに。……ねえ?」



 別に、カイリを傷付ける権利は無いし、本人には殴られそうだが、ケント自身はそう思っているのだから仕方がない。肝心なところで臆病になろうとも、そこだけは決して譲れなかった。

 他人がカイリを陥れるなど言語道断。

 許しがたい所業だ。後で地獄を見せてやろう。



 だが、今回は利用する価値がある。



「……本当は、嫌なんだけどね」



〝ねえねえ、聞いて。あいつ、この前ユウタくんのこと、べんきょうもできないくせにいばりちらす嫌なやつって言ってたよ〟



 今回の事件は、彼ら第十三位にとって覚えのあり過ぎる悪夢であると同時に。

 カイリにとっても、きっと。


〝ケント〟


「――、……」


 手首に肘を突き、ケントは口元を隠す様に指を添える。自然と視線が下がることに舌打ちしたくなった。

 あの日のカイリの声が、耳にこびり付いて、離れない。

 嫌でも思い出す。

 ケントにとっても、ある意味悪夢の始まりだった。



〝もう、クラスには来ないでくれ。うっとうしいから〟



 彼が、小学校の時に孤立して、それがもうどうにもならないところまで行ってしまった時。

 彼から、ある日突然突き付けられた。



〝……、カイリ?〟

〝だって、もう、俺はお前の友達じゃないから。――顔も見たくないんだ〟



 だから、来ないでくれ。



 そう言われて、しばらく頭の中が真っ白になったのを覚えている。

 ケントはその時、彼とは別のクラスで、けれど休み時間になるたびに遊びに行っていたのだ。

 最初の頃は、カイリは自分の姿を見ると嬉しそうに笑っていたけれど。

 それがだんだんと、悪意が増すたびに泣きそうな顔になっていって。



 最後には、完全に笑顔を失くした。



 その頃は、ケント自身も他の一部の者達から少しずつ距離を置かれ始めた時だった。カイリを取り巻く悪意は粘着質で、根深かったからだ。

 カイリの味方はもう、誰もいなくなっていた。彼としゃべれば巻き込まれると、誰もが知っていたからだ。教師さえ見て見ぬフリで、為す術も無かった。

 カイリ自身、それを強く実感していただろう。

 だけど。



 それが、ひどく面白くなくて。



〝ねえ、カイリ〟



 ケントは、意地の悪い問いかけをした。



〝カイリは、僕のことが嫌いになったの?〟

〝――――――――〟



 その時のカイリの顔を、一生忘れることは無いだろう。



 嫌いだと言えば良かったのに。チャンスを与えたのに。

 彼は、嫌いだと最後まで言わなかった。無言で去っていった背中は、拒絶を示していたのに泣いていた。

 だから。



「……僕に付け入られる隙を与えるんだよ、カイリ」



 甘くて、優しい。嘘でも「嫌い」と言えない人間だった。



 彼は、「お前の友達じゃない」という言い方をした。「俺の友達じゃない」とは言わなかった。

 どうしても、――どうしても。カイリは、ケントのことを「自分の友達じゃない」とは言えなかったのだ。

 そんな簡単なことに、何故彼は気付かなかったのだろう。



 何故、突き放せるなどと馬鹿なことを考えたのだろう。



「……馬鹿だなあ」



 馬鹿だな、ともう一度ささやく。今思い返しても、馬鹿だな、と思う。

 彼は、その日から自分と距離を取り、ますます孤立していった。

 彼は、いつも自分を見かけるたびに拒絶していたし、逃げていたけれど、そんなことを許すはずがない。

 彼が離れていくなんて認めない。彼が逃げるなんて許さない。

 カイリは、自分の友人だ。自分だけの親友だ。

 そして――。



〝だって、――――が〟



「……、……だから」



 だから、死ぬまで付きまとった。



 逃げる彼を追いかけ、拒絶する彼を強引に引っ張り、彼を絶対に一人にさせなかった。

 カイリがいない人生など、ケントにとっては死んだも同然だ。だから、カイリよりも先に死ねて良かったとすら思っている。

 ただ一つ、悔いが残っているとするならば。



 ――最後まで、カイリの笑った顔を見れなかったことだ。



「……でも、きっとそれも。もうおしまい」



 きっと、彼にとって今回の事件は悪夢の再来となるだろう。

 どれだけの規模になるかは分からない。それこそ、彼ら次第だ。

 けれど。



 今のカイリは、絶対に屈しない。



 彼は、前世の時とは違う。歩んできた道のりも異なる。それはケントにも強く伝わってきた。

 故に、信じることにする。

 前世では、――信じられなかった己の愚かさを呪った。

 だから。



 今度こそ。



「……ごめんね、カイリ。ちょっとだけ、我慢してね」



 第十三位が壊れるならそれまで。

 その時は、カイリを第一位に引き抜いて、ケントの傍に置いておこう。副団長にしてしまうのも面白いかもしれない。



「どうなるか、楽しみにしているね」



 酷い人間だと、我ながら思う。

 だが、カイリが生き残るためならば鬼になろう。悪魔にだって魂を預けても良い。売りはしないが、貸すだけならしてやろう。

 カイリが、どんな決断を下すのか。



「僕が決断を下すためにも、……カイリ。頑張ってね」



 楽しそうに微笑みながら、ケントは静かな足音を響かせて、最上階から姿を消した。


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