第340話


 よく晴れ渡る青空が、気持ち良く広がる日。

 カイリは、フランツ達第十三位と共に、教会の上層へと招かれた。

 とはいえ、極秘裏という条件が付いている。誰にも姿を目撃されない様に、カイリはリオーネと聖歌語で重ねがけをして姿を消し、足音も消しながら慎重に慎重に教会の上へと足を運んだ。

 本来ならば、教会の上層は――特に最上階付近は限られた者しか入れない領域。

 それでもカイリ達が特別足を踏み入れられたのは、ひとえに秘密裏の任務があったからだ。


「……ケント! おじいさん!」


 最上階から三つ下の階。

 ようやく辿り着いた目的地では、ケントがゼクトールと共に佇んでいた。


「カイリ! お疲れ! 会いたかったよ!」

「……はいはい。俺もな」


 ばっと両手を広げてケントが突進してくるのを、カイリは一瞬迷った末に受け入れた。どしーんっと思いきり衝撃が来た時は、やっぱりければ良かったと後悔する。


「わーお! カイリってば、抱き止めてくれるなんて! 先日に引き続き、どんな天変地異が起こったの?」

「……もう絶対受け止めてやらない」

「う、うそうそ! 嬉しいってば! ……カイリはやっぱり良いなあ」


 ふふんっと上機嫌に鼻歌を披露するケントに、カイリは呆れた様に溜息を吐く。

 ケントには呪詛事件で散々お世話になった。その後、ネイサンに会いに行く時に様子が変だったから、心配と感謝をこめて避けなかったのだが、彼の喜び具合はやはり異常で首を傾げたい。


「おじいさん、おはようございます」

「うむ。……息災な様で何よりだ」

「はい。おじいさんも」


 ふんわり笑うと、ゼクトールが渋面になる。ぐぐっと唇を引き結び、目までがっちりと閉じる顔は本気で嫌がっている様にしか見えない。

 だが、ここ数ヶ月の付き合いで、何となくカイリには彼の表情が読める様になってきた。これは、どうやら照れているらしい。

 やはり祖父と孫の会話というのは、意識すると照れ臭いものがあるのだろうか。――カイリの隣では、ごうっと真っ黒な炎を勢い良く立ち上らせているフランツがいたが、全力で見なかったことにした。


「ケント殿。すぐに始めましょう。さっさと始めましょう。とっとと始めて、可愛くて自慢で最高のカイリの心地良い聖歌を聞きたいのですが」

「フランツ殿の言葉には激しく同意したいのですが、今は同類に見られると困るので拒否したくなってきますね」

「今更だろー。あんまり時間かけて、誰かに見られるリスクは避けようぜ。……上には新しいキョウコウゲイカもいるんだろ」


 レインの冷ややかな催促に、ケントはあからさまに嘆息した。払い飛ばす様な視線の流し方には、馬鹿なのかと雄弁に物語る彼の想いが滲み出ている。


「そんなの対策しているに決まっているでしょう。大体、上層っていうのは、一部屋一部屋に強固な防音対策がされているんですよ」

「はーん。なるほどなー。教皇の趣味嗜好もあるしなー」

「ええ。……まあ。聞こえていたとしても、今は問題無いとは思いますが」


 ぼそっと最後に独白の様に零された言葉に、カイリはもちろん、皮肉を返したレインも首を傾げる。教皇が交代したばかりだから、未だに体制が整っていないなど、不完全という意味だろうか。

 しかし、ケントが全てを語ってくれるはずもなく、話は終わりとばかりに背を向けた。その背中は追随を許さない壁の様な隔たりをかもし、カイリは少しだけさみしさを覚える。



「とにかく。今日は、カイリに聖歌を存分に歌って欲しいんだ。……教皇近衛騎士の人達の洗脳、解くのをお願いするね」

「ああ。……分かった」



 胸に手を当てて、力強く頷く。

 カイリは今日、ようやく教皇近衛騎士団の洗脳を解くための聖歌を歌うことが出来る様になった。

 本当はもっと早く訪れたかったが、拷問の後遺症や体力が追い付かなかった上、任務まで舞い込んだために許可が下りなかったのだ。

 おかげで、彼ら騎士には窮屈な生活を強いることになってしまった。実際、近衛騎士達は、今現在は全員一時解雇とされて教皇近衛騎士には新しい騎士達が任命されている。今のところ、その者達には教皇自らの洗脳は行っていないということで胸を撫で下ろした。

 午後からは呪詛事件に関する会議もあるが、まずは目の前のことだ。深呼吸をして、カイリは心を整える。


「じゃあ、行くよ。……皆さん、起きてます? 入りますよー」


 ケントがぞんざいな掛け声をかけると同時に、ノックもそこそこに扉を開いた。がちゃっと、割と粗雑な音が鳴り響くあたり、本当に辺りの目を気にしていない。

 カイリも彼に続いて足を踏み入れると、大きな広間が真っ白に広がっていた。飾りっけも無く調度品すら見当たらない、本当にただただ空間が広がるだけの部屋である。

 そこに、二十人の近衛騎士が全員揃っていた。座っている者や壁に寄りかかっている者など様々だったが、ケントが入ったことで整列してくる。びしっと背筋を伸ばしているあたり、教皇近衛騎士もケントには一定の敬意を示していることが伝わってきた。


「待たせましたか?」

「いえ! そんなことは! ありません!」

「け、け、け、ケント殿の仰る通りに! 我々は大人しく待機するだけであります!」

「や、やっと今までの部屋から解放……い、いえ! お手数をおかけして申し訳ありません!」


 ――前言撤回。何だか、ケントに恐れを抱いている様だ。


 一体どんな方法で彼らを軟禁していたのか。

 カイリがケントをじとっと睨むと、彼はにっこりと満面の笑みで可愛らしく小首を傾げた。


「嫌だなあ、カイリ! 僕はただ、彼ら一人一人に個室を与えて、ちゃーんと衣食住は保障していたよ?」

「へえ。それは良かった。……でも、何かみんな怯えている様に見えるんだけど」

「どうしてだろうね? 僕はただ、『ここから出たら何が起きても知りませんよ』って一言伝えただけなんだけどね」

「ふーん……」


 確かに、彼らを洗脳も解かずに解放するのは得策ではない。ルナリアでのパーリーの時の様に自我を失って罪を重ねても困る。

 それに、教皇の息のかかった人間がどこに潜んでいるかは分からない。暗殺される可能性もあっただろう。

 ケントの一言は必要だったとは思うが、それだけで何故怯えている様に見えるのだろうか。


「……まあ、分かった。色々気になることはあるけど、ケントの判断は必要だったと思うし」

「うん! さっすがカイリ! 分かってくれると思ってたよ!」

「……。……カイリはなんっつーか……ケント殿とほんっとーに! 親友なんだなーって思えてくるわ」

「え? は、はい。もちろんそうですけど」

「カイリ……! 大親友だって認めてくれるんだね! いつも素っ気無いのに、不意打ちとか反則……っ」

「……あー。さっさと始めねえ? そろそろこいつら全員、泡拭いて気絶しそうだしよ」


 レインが半眼になって半笑いのまま話を戻してくる。

 カイリも釣られて騎士達に視線を戻すと、本気で倒れそうなほど顔が青くなっていた。確かに泡を吹いて気絶をしてもおかしくなさそうだ。


「あっはは。……カイリ殿。本当に相変わらずですね」

「あ、ギル殿」


 一人だけ苦笑という朗らかな空気をまとって、カイリの方へと歩み寄って来る。教皇の洗脳から自力で抜け出したギルバートだ。

 だが、すぐにケントやフランツ達がカイリの前に一歩出る。その動作に不安をあおられたが、すぐに答えは分かった。



「万が一、洗脳が発動すると困るからな。カイリ、終わるまでは不用意に近付かないでくれ」

「……、……はい」



 フランツの諭しに、カイリも渋々下がる。ギルバートが一瞬悲しそうに眉尻を下げたので、頭を下げてしまった。


「すみません、ギル殿」

「いいえ。その通りですから! 今日はカイリ殿が洗脳を解いてくれるって、ケント殿から聞きましたよ」

「はい。……あの時、助けてくれてありがとうございました。……すっごく危険な状態に巻き込んだのに、……」


 本当は怒っているのではないかと、カイリは少しだけ不安に駆られていた。

 あの洗脳された騎士達に囲まれた状態で、ただ一人洗脳から抜け出してしまう。それは、かなり危なく、下手をすれば命を落としていてもおかしくはなかった。

 それでも彼は、教皇に剣を突き付け、同僚達の手からカイリを守ってくれた。おかげで、レインやシュリアが来るまでの時間も稼げたし、感謝してもしきれない。


「……カイリ殿って、変なところで引きますよね。やっぱり変な人だなあ」

「そうでしょうか……」

「はい。……それに、あの時正気に戻してくれて感謝しています。……同僚達も、罪をこれ以上重ねなくて良かったって、落ち着いてから零していましたし」


 なあ、とからりと笑ってギルバートが振り返ると、青白い顔をしていた騎士達が、少しだけ生気を取り戻して頷いた。


「ええ。……おれ達、あの時のことをあまりよく覚えていないんですが。……この手で、ギルバートのことを殺していたかもしれないと思うと、ぞっとします」

「それに、微かにですけど、聖歌が聞こえたんです。……明るくて、優しくて、……真っ白な光が降り注ぐ様な。……それ以上そっちへ行くなって。誰かが、……俺自身も、そんな風にずっと言い続けていた気がします」

「僕達、聖歌騎士様である貴方を洗脳する所業に、加担してしまうところだったんですよね。……本当に止めてくれて、ホッとしています」

「……これからのことを考えると色々不安ですけど、……それでも、これ以上自我を奪われなくなるのならその方が良いに決まっています。ありがとうございました」

「ありがとうございました」


 一斉に唱和して、彼らが頭を下げる。

 カイリは頭を下げられる様なことはしていないのに、彼らはそれでも救われたと少しでも思ってくれているのだ。

 あの時がむしゃらに行動したことが、彼らの今の未来につながっている。

 その手助けが出来たのならば嬉しいと、カイリももう一度頭を下げた。


「ありがとうございます。……そう言って頂けると、俺も嬉しいです。安心しました」

「カイリ様……」

「これから、皆さんの中に残っている洗脳の残滓ざんしを取り除きます。……前にも行使したことがあるのですが、……その人は、解けるまでとても苦しそうでした。俺の歌を止めようと、がむしゃらに攻撃もしてきました」


 もう止めろ、その歌を止めろ。


 パーリーが、泣きながら、苦しみながら、理性の狭間で悶えて自分の行動を抑えきれなくなっていた。

 フランツ達第十三位が揃っているのは、そうなった時のために彼らを力ずくで押さえるためだ。相手は二十人もいるのに、と心配したが、ケントが一言「僕の力なら簡単だから」と事も無げに言い放ったので飲み込んだのだ。――本当に、いつケントと並べる様になるのだろうと溜息を吐きたい。


「俺のことを攻撃しようとするのを、みんなが止めることになると思います。そのために、今日は第十三位も全員集合しています。洗脳が解けていく過程で、見境なく周りを攻撃したくなるほどの苦痛が生じる。……それほどまでに洗脳は恐ろしく、残酷なものです」

「……」

「だからこそ、……俺は全力で皆さんを助けます。絶対に洗脳を解いて、……皆さんがこれから自分の足で歩くお手伝いがしたいと思います。……苦しいと思いますし、恨むこともあるかもしれませんが、……どうか、ご協力お願いします」


 頭を下げて、彼らに請う。

 あれは、尋常じんじょうじゃない苦痛が伴う行為だ。どれだけ彼らのためだと説得しても、想像を絶するものが彼らを蝕む。

 聞き入れられない時は、何度も説得する。そう覚悟してカイリはここへ来た。同意を得られないまま無理矢理の解除はしないと、ケント達にも先に話してある。

 どうなるだろうと、心臓がばくばく全身を揺らす。周りにも聞こえてしまうのではないかと、カイリが別の意味で不安になっていると。



「……お願いします」



 ギルバート――ではなく。

 聞き慣れない声が、カイリの耳朶じだを打つ。

 がばりと顔を上げると、三十歳くらいの一人の騎士が胸に拳を当て、前に踏み出していた。硬い表情は本当にがちがちで、恐れも混じり合っているのが痛いほど伝わってくる。

 それでも、彼は一歩を踏み出してくれた。真っ直ぐにカイリを見つめ、強い覇気と共に言葉を差し出してくる。


「あの時のことを思い出すと、確かに痛くて痛くて……もう嫌だ、助けてくれ、って叫びたくなるんですが。……その向こうに、真っ白な光と音が見えたのも覚えています」

「……、えっと」

「フィーシャと申します。……あの真っ白な音が、私の中に静かに、優しく染み渡っていくのならば、絶対に耐えてみせます」


 ですから、と騎士が頭を下げる。



「どうか、カイリ様。貴方の聖歌で、私に私自身の道を歩ませて下さい。……今度こそ、私自身の足で私の道を歩きたいのです」



 誠実な願いは、祈りにも聞こえた。

 カイリは今、彼の人生を一時的に受け取るのだ。この先の未来を、カイリに託すと。

 責任は重大だ。失敗など絶対に許されない。双肩にのしかかる重圧は予想するよりも遥かに重く、苦しく、恐ろしいものだ。

 けれど。


「……承知しました、フィーシャ殿。――必ず」


 ここで真っ向から受け止めない選択肢など、カイリには無い。

 彼の想いに答えるために、カイリは声に張りを与えて厳かに受け入れる。どんな時でも堂々と胸を張れと、フランツから助言をもらっていた。カイリ自身、挑む様に顎を引いて真っ直ぐに彼らを見渡した。

 フィーシャを皮切りに、一人、また一人と前へ進み出て来る。


「ウォーレンと申します。どうか、カイリ様。よろしくお願いします」

「ザックです。よろしくお願いします」

「トレヴァーです。――」


 一人一人と頭を下げ、そして最後にギルバートが笑顔で前に出てきた。


「どうも。改めて、俺はギルバートです! カイリ殿の……えーと……」

「……知り合い?」

「酷い! そこは友人と言ってくれても良いのに」

「っ、……あははっ。……じゃあ、友人ですから。満を持して、ですね」

「……っ、……はい! ……どうか、お願いします」


 一瞬、泣きそうにくしゃりと目を細め、ギルバートも頭を下げる。

 全員の想いは受け取った。



 後は、カイリが全力で聖歌を歌い上げるだけだ。



 息を整え、何度か呼吸を落ち着かせる。緊張で昂りそうな鼓動が、深呼吸していくことで波が引く様に鎮まっていった。

 ケントやフランツを振り向けば、彼らは小さく頷いてくれる。いつでも大丈夫と構えてくれる彼らの在り方は、泰然たいぜんとした山の様に頼もしい。

 大丈夫。歌にだけ集中出来る。

 騎士達は、少し俯き加減で目を閉じていた。聖歌を望む様な、けれど来たる大波の様な得体の知れないものに食い縛る様な、複雑に入り混じった佇まいだ。


 彼らが信じて就いてきた職務が、人形だと知った時の彼らの苦痛は如何ほどだっただろうか。

 自分というものが、知らない内に奪われていたと知らされた時、どれほどの恐怖に叩き落されただろうか。


 カイリだったら、全ての事象に疑心暗鬼になるかもしれない。人々の視線が魔物の様に感じられるかもしれない。

 自分は、彼らに知らない内に何かしていないだろうか。彼らは、そんな自分を本当はどう思っているのだろうか。

 自分は、一体どれほど罪の無い者に手をかけてきたのだろうか。自分は、ただの殺戮者ではないだろうか。

 彼らはこれから先、きっとカイリには思いも寄らない苦悩を一生背負っていくことになる。例えここから先は自分の足で歩いていけるのだと説かれても、心の底から信じることは出来ないかもしれない。


 それでも、彼らは洗脳を解き、己と向き合うことを決めた。


 そんな彼らに、少しでも力を与えたい。

 だから。



【――雪やこんこ、あられやこんこ】



 彼らの恐怖も、苦痛も、疑心も、全てを雪解けの様に溶かし。

 真っ暗な光差さぬ世界に、どうか新しいまっさらな光を与えて下さい。



【降っては降っては、ずんずん積る】



 真実を目にした時、今まで生きてきた世界が、全て真っ暗に塗り替えられたかもしれない。

 自我も尊厳も己の人生さえも根こそぎ奪われ、人生が枯れた大地の様に思えたかもしれない。

 色が抜け落ち、全てが灰になった様な絶望が彼らを覆い尽くしていたかもしれない。

 けれど。



【山も野原も、綿帽子わたぼうしかぶり】



 これから歩む彼らの世界は、間違いなく彼らが彩っていく新しい世界だ。



 彼らが、彼らと共に、彼ら自身の色で、世界を色付けていくのだ。

 苦痛がさいなみ、思い出したように恐怖がぶり返し、絶望に頭からぱっくりと食われそうになったとしても。

 彼らは、もう人形などではない。


 彼らに、新しい真っ白な喜びを。

 誰かと笑い合う、光り輝く日常を。

 自分の意思で掴み取る、白い花の様な人生を。



枯木かれき残らず、花が咲く】



 どうか、彼らという人生の木に、彼ら自身の真っ白な花を空いっぱいに咲かせられます様に。



「――……っ」

「……ああ……、……っ、これ、は……」



 桜吹雪の様に、真っ白な雪の様な光が、どこからともなく彼らの元へと舞い降りる。

 ちらちらと窓から差し込む光がそれらを照らし、まるで彼ら自身にいっぱいに花を咲かせる様に、笑い合いながら白い光の花弁ひかりが舞い踊った。



【雪やこんこ、あられやこんこ】



 彼らの目の前に広がる世界が、真新しい大地であります様に。

 彼らが真っ白な大地に付けていく足跡が、弾んだ喜びであります様に。



【降っても降っても、まだ降りやまぬ】



 恐怖でうずくまった穴が開いたとしても、その穴が優しい熱で静かに埋まります様に。

 振り返りたくなるほどに真っ黒な絶望に囚われても、微笑む白い涙で洗い流されます様に。



【犬は喜び、庭けまわり】



 彼らの行く果てしない銀河の大地に、柔らかな日差しが差し込みます様に。

 彼らの紡ぐ世界が、光り輝くものであります様に。

 どうか。



【猫は火燵こたつで、丸くなる】



 真っ白な祝福が、花が咲く様に彼らの元へと降り注ぎます様に。



 ただひたすらに、カイリは願う。



 はあっと、大きく息を吐き、カイリはいつの間にか閉じていたまぶたを開ける。

 どうなっただろうと、少しだけ不安だ。歌に集中出来たのは良かったが、彼らはどれだけの苦痛を伴っただろうか。

 そう、思っていたのだが。


「……、え……」


 目の前にいた騎士達は、静かに涙を流していた。痛みに苦しむ様子や、歯を食い縛って衝動に耐える雰囲気ではない。

 何かに感じ入る様に噛み締める姿だ。少なくともカイリにはそう映った。嗚咽を漏らすのでも、泣き叫ぶのでもなく、ただただ音もなく流れる涙は、綺麗だと息を呑む。

 フランツ達を振り返ると、彼らは全員カイリを見つめていた。何だかその視線に物凄い熱が集まっている様で、途端に落ち着かなくなる。



「あ、あの。聖歌の効果は」

「……成功、だろうな。……カイリ……、……お前は」

「え?」

「――ありがとうございます」



 フランツが何かを言いかけたところで、お礼が告げられる。

 カイリが振り返ると、フィーシャを始めとする騎士全員が片膝を突いてひざまずいていた。まるで臣下が王に礼を尽くす様な姿勢に、カイリは仰天して飛び上がる。


「え⁉ あ、あの。頭を上げて下さい!」

「……私達の中に、小さく小さくうごめいていた黒い塊が……ゆっくりと、解ける様に、綺麗に消え去っていったんです……」

「……オレも感じました。……苦しむこともなく、むしろ何かに満たされた様に、ほどけていって……、……っ」

「白い光が見えたんです。ずっと、真っ暗で、どこまで歩いても真っ暗だったはずなのに……。……聖歌と共に、光が見えて……」


 感極まった様に声を震わせ、次々と騎士達が喜びを零していく。

 顔を上げた彼らは、長いしがらみから解放された様に晴れ晴れとした表情で満たされていた。晴れやかな空の様に笑う彼らに、カイリはそれ以上何も言えなくなる。


「……ゼクトール卿。改めまして、私は元教皇近衛騎士団団長であるフィーシャと申します。どうか、一つ我がままな発言をお許しいただけませんか」

「……許すのである。何であるか」


 森厳しんげんなる声でゼクトールが頷く。

 何となく全てを分かっていそうな横顔に、カイリは未だ困惑から抜けきれないまま呆然としていたが。



「我ら元教皇近衛騎士一同。これより、カイリ・ラフィスエム・ヴェルリオーゼ様にお仕えしたいと思っております」

「――はっ⁉」



 とんでもない提案をしてきたフィーシャに、カイリはまたも文字通り飛び上がってしまった。ごんっと頭に何かがぶつかる様な衝撃が走った様な気がする。

 カイリに仕える。教皇近衛騎士が。いや、元近衛騎士が。カイリに。何故カイリに。

 意味が分からない。どんな展開だと、カイリがぶんぶんと勢い良く首だけ振っていると。



「分かったのである」

「――はっ⁉」



 あっさりとゼクトールが了承した。

 あまりに簡単に過ぎて、カイリは更に飛び上がる。


「ちょ、……ぜ、お、おじい、……さん⁉」

「ふむ。何であるか?」

「待って下さい。俺、え? あの、意味が分かりません!」

「ふむ。どんな時でも冷静に言葉を繰り出せる様に、鍛錬を積むと良いのである。何を言っているのか意味が分からないのである」


 ――俺の方が意味分からないよっ!


 物凄いツッコミを盛大に心の中で飛ばしていると、フランツがぽんっと肩を叩いて頷いた。

 ここに正常な人がいた、とカイリがぱあっと顔を輝かせたのもつかの間。



「流石はカイリ。俺の息子は天才で可愛くてカッコ良い最高の天使だな」



 ――この人やっぱり駄目だった。



 通常運転に過ぎるフランツに、カイリの顔は無になった。レインが後ろで、ぶっは! と腹を抱えて大いに噴き出したので蹴りを入れたい。


「あー……。カイリ。諦めろよ。これ、多分本気だ」

「で、でも! 俺、ただ洗脳解いただけです! って、解けたんですよ、ね?」

「解けたと思うよ。さっすがカイリ! 僕の親友!」


 ぽんっとフランツとは反対側の肩を叩いてきて、ケントが爽やかに自慢する。この異常事態を止めてくれる人が一人もいない現状に、カイリは激しく泣きたい。

 しかし。



「ま、当然だと思うけどね。……カイリ。今の聖歌、……ああ。他の奴らにも聞かせたいくらい眩しい光景……ううん。やっぱり聞かせたくなくなるくらい、好きだよ」

「え……」



 ケントが綺麗に笑う姿に、カイリは口をつぐむ。

 光景って何だろうとカイリの頭には疑問符が浮かびまくったが、聖歌を受けたフィーシャ達当人が大きく追随してきた。


「ええ。カイリ様の聖歌は、今までの聖歌とは違うと聞いてはいましたが……本当に素晴らしかった」

「あんなに美しい景色があるのだと、教えて頂いたのは初めてです」

「カイリ様ー! 一生ついて行きます!」


 一人だけ何か違う宣言をしてきたが、全員が同意見だった。

 カイリは益々腰が引けていくが、フランツが背中を押して彼らの前に差し出す。



「カイリ。胸を張れ。……仕える云々は置いておくとしても。これが、お前がもたらした彼らへの祈りの効果だ」

「――――――――」



 フランツに促され、カイリは今一度フィーシャ達騎士を見つめる。

 彼らは一様に笑っていた。少し前までは不安と恐怖に駆られていたはずの表情は、雲が吹き飛ばされた様に爽快だ。

 誰もが、前を歩む力強さを放っている。例えこれからどのような困難が起ころうと、彼らは前を向いて進んでいくだろう。それを証明してくれるかの様な、明るい笑顔と空気だった。

 カイリは、少しでも彼らに力を与えることが出来ただろうか。支えになれたのだろうか。


 彼らの真っ直ぐな光り輝く視線が、答えの様な気がした。


「……、……皆さん、ありがとうございます」

「カイリ様」

「俺の聖歌が、少しでも貴方達の力になれたのなら、これほど嬉しいことはありません」


 良かった。


 声にならない感慨深さから、破顔する。

 そのカイリの笑顔を目にして、騎士達も一層晴れやかに笑った。


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