第268話


「んー……っ、美味しい……っ!」


 ケントとレミリアという予定外の訪問者を迎えた後。

 レインが大量に牡蠣かきのペペロンチーノを作るのをカイリは手伝い、全員で夕食の席に着いた。豪快にフォークに巻き付け、一口食べた途端、カイリは嬉しい悲鳴を上げた。

 牡蠣のぷりっぷりの弾力が最高だし、実も噛み締めるごとにクリーミーな味わいが口いっぱいに広がる。パスタの感触も程良く、遠くからほのかなレモンの酸味が香ってきて、それをぴりっとした唐辛子の辛味が全てをまとめていた。

 食べる手が止まらない。この魅力に抗う術など、カイリは持ち合わせてはいなかった。


「はー、ったく。ほんっとーに作り甲斐があるな、お前はよ」

「だって、美味しいですし。あ、お代わりします!」

「おーおー、食欲旺盛なこって。ま、特別にオレがよそってやるよ」

「え、あ、ありがとうございますっ」


 レインがカイリの皿を奪って大量にパスタと牡蠣を盛り付ける。その姿がどことなく機嫌が良くて、何か良いことでもあったのだろうかと首を傾げた。

 そんなカイリの疑問をよそに、横では飛び入り参加であるケントとレミリアが今夜の食事を絶賛している。


「しかし、レイン殿は本当に料理が上手ですね。第十三位は天国ですよ。僕、本当にここで毎食食べたい……」

「それに関しては同意ですこの牡蠣の炒め方の絶妙さにパスタの硬すぎず軟すぎずの見極め具合は最高でレモンの酸味が立ち上るこの至福の香りと舌を刺激する辛味にこの茹で汁の旨味が全てのハーモニーを奏でて私はもうこれ以外のペペロンチーノを食べるのは冒涜に値するのではないかと推測しますつまり美味しいです」

「おー、ありがとよ。男の称賛はどうでも良いけど、やっぱり美人の喜びは男冥利に尽きるよなー」


 ケントも美味しそうにパスタを頬張り、レミリアに関してはもう息継ぎ無しの素晴らしい滑舌っぷりを発揮しながら物凄い勢いで平らげていく。彼女も実はカイリに続いてお代わりをした。なかなかの大食漢ぶりである。


「しかし、カイリの食べる笑顔はやはり癒しだな。食事の時間が楽しみになった一つだ」

「フランツ団長の過保護っぷりはともかく、新人は食べさせ甲斐があるっすからね。ボクも明日当番だし、今からメニュー考えとくっす」

「わ、楽しみだな。エディの料理も美味しいから」


 二皿目を平らげながら、カイリは明日に想いを馳せる。

 毎日の料理が楽しみというのは、やはり嬉しいものだ。こうして誰かと食事をするという時間も、カイリには至福の時間である。



 ――前世の時は、ほとんど一人だったからな。



 幼稚園までは母がそれなりに一緒にいてくれたが、小学校に上がってからは、朝食も夕食も一人で取っていた。両親と一緒に取っていた日はあっただろうか。誕生日でさえ一人だったし、はなはだ疑問だ。

 だからこそ、今生では、生まれた時から誰かと共に食事を取れる機会が大切に感じる。この時間は決して当たり前のことではないのだと知っているからこそ、余計に宝物の様に思えた。

 上機嫌で三皿目に手を付けていると、ふと視線を感じた。

 何だろうと顔を上げると、斜め前のレミリアと目が合う。じっと探る様に視線を注がれ、自然と手を止めてしまった。


「えっと。何?」

「よく食べると思いまして。カイリは、食べるのが大好きなのですね」

「ああ、好きだよ。食事は一日の基本だって両親もよく言ってたし、何より美味しくて楽しいって最高だよな!」

「――」


 笑顔で断言すると、レミリアが微かに目を丸くした。驚いた様子に、カイリは変なことを言ったかと慌てる。


「あ、ごめん。俺、何か変なこと言ったかな?」

「いいえ。……食べるのは、私も好きなので。同じ意見の人がいるのは嬉しいです」

「――」


 ふわっと、レミリアが綻ぶ様に小さく笑う。


 まるでつぼみがひっそりと花開く様な笑みの零れ方に、カイリは思わず瞬いてしまった。ごっくんと、口にしていたものを飲み込んでしまう。もったいなかった。

 カイリの中で、彼女への印象は現在進行形でごろごろ豪速で転がっている。初めて見た時はとても凛々しく、綺麗に制服も着込んでまさに『出来る女性』という感じだったが、すぐに訳の分からないことを言い始める変人に成り下がってしまっていた。


 だが、今はまた少し雰囲気が違う。


 食べることが大好きで、笑うととても柔らかい。

 笑顔というのは、やはり不思議だ。こうも印象も周囲の雰囲気も変える。

 カイリの故郷も、いつも笑顔が絶えない場所だった。カイリ自身笑わない日など無かったくらいに。



 ――少しだけ、村を思い出しちゃうな。



 みんなの笑顔が昨日のことの様に脳裡に広がる。今でも思い出せば笑ってくれる彼らに、切なさで胸が締め付けられた。


「……カイリ? 何かご用でしょうか」

「え? あ、……ごめん。……いや、レミリアって、笑うと印象が変わるなって」

「はあ。そうですか」

「うん。可愛い」

「――」


 素直に感想を口にすると、一気に場の空気が変わった。がっちゃん、と遠くで何かが落ちる音もする。

 音の出所は、フランツだった。フォークを皿の上に落として、カイリを凝視しながら固まっている。あんぐりと開けたその口は異様に大きく、カイリは何か失言をしたのかと焦った。


「あの。俺、何かまた」

「カイリ……お前は、もうそんな口説き文句を言えるほどに大人に……っ」

「え? フランツさん、何を言っているんですか?」

「……いや。お前よ、お姫様にもおんなじ様なこと言ってなかったっけか?」

「お姫様……って、ジュディス王女殿下のことですか? 何か言いましたっけ」

「あら、カイリ様。忘れたんですか? 笑顔が可愛いって言っていましたよ」

「笑顔……、……ああ」


 リオーネの答えに、カイリは思い出す。

 確かジュディスのことを、一見すると一人で護衛をしている様に見えた時の話だ。屋台街でパンケーキを食べていた時に、カイリは彼女の笑顔を見てそう言った気がする。


「ジュディス王女殿下って、普段は挑発的だったり見下す様だったり、とにかく何か含んだ様な笑い方ばっかりだったでしょう? でも、あの時は素で笑っていて、そっちの方が良いなって思っただけです。見ていて気持ち良かったですし」

「……いや、それを世間では……、……新人って、……意外に天然っすね」


 エディが呆れ混じりに引いていた。明らかに「うわあっ」と、「こいつ馬鹿だ」と顔が物語っている。何故、そんな顔をされなければならないのか。意味が分からない。

 だが、このままだと色々誤解を招きそうな気がする。言う気は無かったのだが、仕方なくカイリは理由を続けた。



「……俺、前世の時って、人生の半分以上笑うことってなかったので。この世に生まれてきてからは、ずっと笑って生きているのが奇跡の連続の様に思えました」

「――……」



 初めて目を開けた時、両親のとびっきりの笑顔が飛び込んできて本当に驚いた。しかも、前世の記憶を持ったままというのにも驚愕し、当時は色々と阿呆な妄想ばかりしていたなと恥ずかしくなる。

 赤ん坊の頃から、常に周囲では笑顔が絶えなかった。自力で歩ける様になってからは、村の人達とも少しずつ交流が増えて、ライン達友人も加わって、いつも笑い合って日々を過ごしていた。



 それは、カイリにとっては掛け替えのない宝の日々だった。



 自分はこんなに笑えるのだと、初めて知った様に思う。心から笑い合える人がいるのは、何より笑えるというのは、とても尊いことなのだと。

 前世ではもったいない人生を過ごしてきた。――もっと、ケントとも話せば良かったと、今でも後悔している。諦めずに人と関わり続ければ良かったと、悔いていた。

 もっと、誰かと笑いながら、歩いて生きてみたかった。

 だからだろうか。


「だから俺、心から笑っていたり、楽しそうに笑っているのを見るの、好きなんです」

「……」

「もちろん、相手の笑顔が本当かどうかは分からないですけど、……そういうのを見ていると、安心するって言うか」


 ちゃんと笑えるのだと。

 あの人には、笑える場所があるのだと。



 ――前世の自分みたいに、世界を閉じていないのだと。



 時折、そんな風に思ってしまう時がある。

 これは、エゴだ。自分の身勝手な一方通行の願いだ。

 せめて、自分の知っている人達は、大切な人達には心から笑える時があって欲しい。

 フランツ達も、ケントも、そんな日々を送って欲しいと、カイリは秘かに願っている。


「だから、つい。……レミリア、ごめん。もしかして、嫌だった?」

「……、……いいえ」


 不快な思いをさせたのだろうかとカイリが謝ると、レミリアは小さく首を振る。

 そして。


「貴方は、……変わっています」

「え? そうかな」

「ええ。……可愛いと言われたのは初めてです。いつも、きつそう、近寄りがたい、恐い、女のくせに食べ過ぎ、女じゃないと色々言われていたので」

「え……?」


 あまりの言われように、驚きで声が上手く出なかった。脳裏で回った単語に、ぐらぐらする。

 カイリにとって彼女に対する最初の印象は、凛とした「出来る女性」というものだった。その後、物凄い勢いで落ちていったが、第一印象は決して悪くはない。

 この旺盛な食べっぷりだって、そんなに引くほどのものだろうか。むしろ見ていて気持ちが良いし、食べるのは生きていくためにも大切な要素だ。「女じゃない」という内容も酷い雑言ぞうごんだし、考えれば考えるだけ腹が立つ。


「レミリアは別にきつくないし、話してみたら凄く親しみやすかったよ。そういう変なことを言う奴らの方が、きっときついし近寄りがたいんだ」

「……。そうでしょうか」

「ああ。それに、たくさん食べて何が悪いんだ。……だって食べて美味しいのって、楽しいし幸せだもんな!」

「――、……はい」


 また、ふわっと小さく彼女の顔が綻ぶ。最初の印象よりも、こちらの方がずっと彼女らしい気がする。

 同意も得られて胸を撫で下ろし、カイリはまた目の前の皿に集中した。レインお手製のペペロンチーノはやはり美味だ。お代わりをしようと、また立ち上がる。

 すると、彼女も皿を持って立ち上がった。お互いに四皿目だ。なかなかの食いしん坊である。


「レミリアは、本当に美味しそうに食べるよね」

「カイリも。何より、その細身でたくさん食べることに驚きです」

「はは。それはレミリアもじゃないか? まあ、俺より父さんの方がよく食べてたんだけどね」

「なるほど。お父君はそれほどまでに誉れ高き武人でしたか。では、お父君に負けない様に、我々も邁進まいしんしていきましょう」

「……どんな闘争心なんだ?」


 変な闘志を燃やすレミリアに、カイリは苦笑しながら彼女のもよそう。大盛りになってしまったが、彼女ならきっと余裕で平らげるだろう。そんな気がした。

 席に戻ると、じーっとケントが見上げてくる。何か観察する様な眼差しに、カイリは首を傾げた。


「何だよ?」

「んーん。色気より食い気なのに。カイリって、タラシだよねー」

「は? 違うだろ。タラシはレインさんみたいな人を言うんだ」

「……おい。何でオレに飛び火すんだよ」

「だって、レインさんは顔も良いし頭も良いし武術なんか凄すぎるし聖歌語も地味に強いし道行く人が振り返って目をハートマークにしながらきゃーきゃー黄色い声を上げる上にいきなり猛烈なアタックをかけられても全て爽やかにいなして丸く収めるほどの美男子じゃないですか。ケント、タラシってああいう人のことを指すんだぞ」

「……。これ、礼を言うべきか?」

「……。……うん。カイリって、自覚が無い分たち悪いね!」

「はあ? ケントだってモテるくせに」

「えー! 分かってるじゃん! モテるよ! カイリよりもね!」

「……胸を張るところがお前らしいよ」


 えっへん、と子供の様にふんぞり返るケントに、カイリは笑いながら食事を再開する。やはり美味だ。レミリアが「く、これがよくある……」と口を手で押さえて訳の分からないことを呟いていたが、何も聞かなかったことにした。

 だが、一方で空気が微妙に揺らいでいる。会話に参加してこないフランツ達が何か言いたげに神妙な空気を醸し出しているのが気になったが、踏み込んでも良いものか迷う。カイリが真剣な話をしたのがまずかったのだろうか。

 食べながら様子を見ていると、口火を切ったのはやはりというか団長であるフランツだった。


「ところで、レミリア殿。何かお話があって来たのでしたな。場も温まったし、カイリも体力が復活してきましたので、そろそろ本題に入ろうかと思うのですが」

「そうですね。分かりました」


 レミリアが最後の一口を飲み込み、ナプキンで口元をぬぐう。洗練された動作は、上流階級の人間なのだと教えてくれた。

 そして、彼女は真っ直ぐに何故かカイリを見つめ、淡々と切り出す。



「カイリ。明日の昼、私に付き合って一緒にバイキングに行って下さい」

「――、え?」



 突然の申し出に、カイリだけではなく、フランツ達も一瞬で言葉を失った。


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