第261話


 カイリとケントが落ち着くのを待ってから、話し合いが再開されることとなった。


 だが、カイリは物凄く苦みを噛み潰しまくった様な顔から復活出来ない。朝から情けない姿をさらしまくった挙句、取り乱した上に、ほんの少しの間とはいえ別の存在に乗っ取られた。今もフランツが隣で背中をしきりに叩いてくれたり、レイン達が和ませるために茶化したり、色々と心配をかけてしまっている。

 ケントも我に返ったのか、カイリの反対隣りでレインのココアを飲みながら、微妙に視線を父親の方向へずらしている。クリスが苦笑しながら頭を撫でている姿は、ケントなりの本当に恥ずかしい時の甘え方なのだと感じた。


「……お見苦しい所を、お見せしました。毎回毎回、すみません」

「いや。その度に前進しているのだし、見苦しくなどないぞ。……フュリーシアだったか。いつかぶん殴れる日が楽しみだ」


 フランツが素晴らしい笑顔で言い切った。顔は輝いているのに、背後にどす黒い炎が見えるのは何故だろうか。


「ま、ともかくよ。オレ達には、色々わっかんねえことだらけなんだよな。説明できるところだけで良いから、説明してくれねえ?」

「……そうですね。ただ、……僕は制約があるので」

「じゃあ、私から説明しようか。私は、カイリ君と同じで、フュリーシアなんていう捻り潰したい奴と契約は交わしていないしね! ……あ、その前にケント。あのくそじじいの干渉をまやかしでも断つために、今、カイリ君とのつながりを強化しておきなさい」

「え? 繋がり? を強化、ですか?」


 クリスの提案に、カイリは困惑する。ケントも懐疑的に彼を見上げた。


「父さん。それって、何?」

「んー。ケントが将来、くそじじいに良いようにされないための保険かな。カイリ君は、仮にも神の干渉を握り潰すくらいには魔除けの力が強いから。疑似的にカイリ君を通じて、カイリ君を転生させた神様と契約を結ぶんだよ。そして、カイリ君の魔除けの力を分けてもらうんだ」

「え、……そんなこと出来るんですか?」

「もちろん。さ、そうと決まれば――」

「……待って下さい、クリス殿」


 クリスが意気揚々と話を進めようとするのを、フランツが水を差す。

 だが、クリスは特に嫌そうな顔をしていない。どこか見守る親の様な眼差しで「何かな?」と言葉の続きを促した。


「それを実行するのなら、……ケント殿。次から次へとよく分からないこと続きで流しそうでしたが、はっきりさせておきたいことが一つだけあります」

「……」

「先程、カイリの転生に関して、聞き捨てならないことをフュリーシアが言っていたようですが。……カイリのいないところで、少し話を聞いてもよろしいか」


 フランツが少しだけ剣呑な眼差しでケントを刺す。

 ケントもそれを受けて、無の表情を保つ。言葉も発しない。カイリは一瞬何のことかと焦ったが、すぐに脳裡によみがえった。



〝大体、貴方が言ったのですよ? 自分を餌にすれば、必ずこの者は追いかけてくる。絶対に転生してくるって〟



 確かに、フュリーシアは暴露していた。ケントが自身を餌にして、カイリに転生を促す様にした、と。

 フランツはその点を指摘しているのだろう。見渡せば、シュリア達も大なり小なり敵意を持って彼を見つめている。この状態でカイリとの繋がりを強化するなどとんでもないと態度で物語っていた。一人レインだけが、涼しい表情で静観を保っている。

 ケントはしばらく黙り込んでいたが、一度目を伏せてからフランツ達を平静に見回した。


「申し訳ないですが、転生そのものに関して僕から話すことは出来ません」

「……ケント殿っ」

「先程も言いましたが、僕にはある程度制約があります。話をしようとすると声を発せなくなる内容がある。……隙間を縫って話すのが精々なんです」

「ですがっ、……」


 苦々しく歯噛みし、フランツが物言いたげにケントを睨む。納得がいかないと、表情だけではなく全身で叫んでいた。

 確かに、先程の言葉だけ聞けば、ケントがカイリを騙すなりめるなりして転生を仕掛けた様に聞こえるだろう。実際、何も覚えていないカイリでも疑問は残る。

 けれど。



〝だから。―――い、カイリ〟



「……」


 カイリの心に残っているのは、無念と絶望だけだ。


「……ケント」

「――」


 カイリが呼びかけると、ケントの肩がわずかに跳ねた。フランツ達の睥睨へいげいには全く動揺していなかったのに、何故カイリには怯えるのだろうか。

 馬鹿だな、と苦しくなる。――本当に馬鹿だな、とケントの額をこつんと手の甲で叩いた。



「っ、カイリ?」

「最初に言っておく。……俺はこれまでも、そしてこれからも。お前に何を言われても、何をされたとしても、お前のことを信じるよ」

「――――――――」



 部屋の隅々にまで渡る様に、真っ直ぐに貫きながら宣言する。

 真正面から見つめたケントはもちろん、フランツ達の空気も大いに揺れた。レインは、ほーっと呆れた様な感嘆した様な息を吐き、クリスは微かに目を細めている。

 フランツ達が何か言いたげにしていたが、誰よりケントが一番苦い顔をしていた。馬鹿だな、と三度思う。


「何でお前が一番渋い顔をするんだよ」

「……、だって。カイリ。何で」

「今はもちろんだけど、……転生の時に限るのならば、前世の時も。お前はずっと俺の傍で笑ってくれていた。色々傷を抱えていたのに、笑って隣にいてくれた。……だから、俺は本当の意味で一人じゃなかった。ずっと、……守ってくれていたな」

「……っ、……あ、で、も」

「例え、転生に関してお前に嵌める意図があったとしても。それはきっと、俺を守るためだと思うから」


 ケントは私情を挟んでも、自分のためだけに動くことは決してしない。それは今一緒に生きていて、確信を抱くくらい強く感じていた。

 全てを覚えているわけではない。それでも、微かに見え隠れするケントの言動は、カイリを思ってのものだと確信出来る自分がいた。まだ思い出せない記憶も、心も教えてくれている。


「……さっき、俺じゃない俺に攻撃されても、お前は必死に手を出さない様にしてくれていた。下手に反撃したら、俺が怪我をしたからだよな」

「……それは」

「フランツさん。それが理由じゃ駄目ですか」

「……ぬっ」

「俺が俺じゃなくなっても、ケントは俺を大切に思ってくれていた。何とか俺を取り戻そうと、守ろうと動いてくれていた。納得しにくいかもしれないですけど、……俺は、窮地に立たされた時のケントの行動こそ、何より信頼出来ると思っています」


 人は極限状態に立たされると本性が表れやすい。

 ケントは自分が痛め付けられても、カイリの体や心を守ろうと必死に尽くしてくれた。


 疑うのは簡単だ。


 けれど、疑ってばかりだった前世のカイリは、貧しい人生しか送れなかった。信じる勇気が無かったばかりに、大切な人を傷付け続けてきた。

 今のカイリは、両親や友人、村の人達から信じる強さを教えてもらった。そのおかげで、反発してきたエディやリオーネとも手を繋げ、レインとも奇妙な縁で繋がり、フランツと親子になり、シュリアとは軽口を叩くのが楽しく思える関係になった。



 そして、今。目の前にいるケントと、心を交わし合えている。



 カイリは、己が信じる心を大切にしたい。相手の中に根付く傷に寄り添いたい。大切な人の傍にいて、力になりたい。

 例え相手に裏切られたとしても、カイリは後悔しない。疑い過ぎて、本当の本当に大切な人を失うより遥かにマシだ。


「もし、ケントが道を踏み外しているのが分かったら、ちゃんと俺が蹴り倒して踏み倒して頭を叩き割って矯正しますから」

「え? カイリ? 叩き割ったら流石に僕も死ぬんだけど」

「それに、俺は、きっと俺自身の意思で転生しました。そこに何者かの意思が介在していたとしても構いません。……転生したから、大切なみんなに出会えた。それが、今の俺の真実です」

「……カイリ」


 フランツが、ぐぬぬっと押される様に口を一文字に引き結ぶ。シュリア達も一様に押されて渋い顔をしていた。

 だが、事実だ。カイリは、フランツ達という大切で守りたいと、隣を歩きたいと思える人達に出会えた。悲しいことも大変なことも多いけれど、とても充実している。

 転生して来なければ出会えなかった。もしもを想像すると、とてもさみしい。


「それでも納得出来ないなら、……転生の時の真実が判明するまでは、対処は保留ということでどうですか?」

「ほ、保留か?」

「はい。もし、本当にケントが自分のためだけに邪悪な意思を持って、俺を嵌めて嬉しい、最高、超楽しい! とか高らかに嘲笑いながら俺を転生させたのだったら、フランツさん達から一発ずつ致死級の一撃をお見舞いする、ということで」

「……ねえ。致死級だったら、流石に僕も死ぬよ。カイリ」

「どうですか?」


 先程からのケントのささやかなツッコミを盛大に無視し、カイリは朗らかに提案する。

 致死級の一撃、というところでフランツが肩を落とした。まだまだ顔から渋さが抜け切っていないが、飲み込んだ様な空気をもよおしてくる。


「……。……なかなかに業腹ではあるが。……ケント殿が、本気でカイリを害そうとしていない、というのは何となく信じても良い気は、……するな」

「フランツさん……」

「ケント殿が単純に私利私欲だけでカイリを転生させたのなら、その時は殺してやるくらいのパンチを全員で食らわせてやろう。……それで良いですかな、ケント殿」

「……。……カイリの提案を、僕が断れるわけないでしょう」


 はあっと、ケントは気が抜けた様に一緒に肩も落とす。泣きそうだな、と思ったのは、ケントがうつむいて視線を伏せたからだ。

 不意に彼の首元がカイリの視界に入る。――ばっちりと、大きくて赤い跡が残ったそこは、とても痛々しい。

 カイリが傷付けた。例え己の意思とは無関係であっても、確かにこの手が傷付けたのだ。

 もう二度と、そんな事態は起こって欲しくない。

 だから。



「それから。……もし、今度同じ様に俺が乗っ取られたら。ケントはちゃんと抵抗してくれ」

「――」



 ケントの唇が、ぐっと引き結ばれる。同意しにくい、と言っているのが丸分かりだ。

 しかし、譲れない。カイリは、以前レインと賭けをした。聖歌を悪用することがあったなら、――それで大切な誰かを傷付けることがあったなら、殺して欲しいと。

 それは、カイリ自身が己の意思に無関係に大切な人を殺すことを許せないからだ。今回はまさに、ケントをひどく追い込んでしまった。手足が自由に動かせない中、何度絶望しそうになったか。


「殺してでも止めてくれ、……って言いたいけど」

「カイリっ」

「それは、……俺はお前に言うことが出来ないから。だからせめて、俺を再起不能にするくらいまでにはちゃんと抵抗してくれ」

「……」

「俺に、……これ以上、俺の意思とは無関係なところで大切な人を害そうとさせないでくれ。……お願いだっ」


 胸に手を当てて、ぐっとカイリは拳を握って目を閉じる。胸元のパイライトが、慰める様に淡く熱を灯した気がして泣きたくなった。

 今思い出しても血の気が引く。目の前で、ケントが苦しそうにあえいで死に追いやられていくところを、まざまざと見せつけられたのだ。しかもそれが自分の手でなど、決して許してはいけない。

 もちろん、今度は簡単にやられたりはしない。万が一乗っ取られても、また全力で抵抗し続ける。最悪の事態は阻止したい。

 だが、どんな時でも『絶対』は存在しないのだ。故に、きっちり保険はかけておきたい。


「ケント、約束してくれ」

「……」

「約束してくれないなら、……全てが終わった後、倒れているお前の前で、……俺も……、………………」

「っ! 駄目! 分かった! 約束する!」


 胸に手を当て、そっと視線を逸らせば、弾かれた様にケントが叫んだ。

 しかし、はっと我に返って苦い顔をする。カイリはにっこりと笑って首を傾げた。


「何が駄目なんだ? ケント」

「……カイリ。謀ったね?」

「お前がその先に想像した言葉が、答えだよ」

「……。……カイリ、割とずる賢いよね」

「お前ほどじゃない」


 ぶすっとむくれてカイリが抗議すれば、ケントは気まずげに視線を逸らす。大いに心当たりはある様だ。当然だろうとカイリは一矢報いた気分で清々しい。


「それから、フランツさん。みんなも。……今度、万が一、今みたいなことが起こったら、俺のことを止めて下さい」

「……カイリ」

「お願いします。腕も足も折っても構いません。……俺に、俺以外の意思で、誰かを傷付けさせないで下さい」


 お願いします、と深々と頭を下げる。承諾してくれるまで頭は上げないつもりだ。

 しばらく耳に痛いほどの静寂が部屋を支配していたが、やがて、ふんっと馬鹿にした様な溜息が吹き飛ばした。――彼女が最初に手を上げてくれたことが、何故かとても嬉しい。


「当然ですわ。誰かが目の前で死ぬのを黙って見ているほど、わたくしも鬼ではありません」

「……シュリアっ。ありが」

「堂々とあなたをコテンパンにして、如何いかにあなたの実力が底辺かを思い知らせて差し上げます。感謝して下さいませ」

「……。……うん。俺、シュリアにだけは絶対にやられない様に頑張るよ」

「何で! ですの!」

「フランツさん達も。……お願い出来ますか?」

「ちょっと! 人の話を」

「……仕方がない。お前が誰よりも人が傷付くことに心を痛めるのは知っている。心苦しいが、必ず止めてみせよう」

「ボクも。新人に辛い思いはさせません!」

「私は、カイリ様をコテンパンにするお手伝いを最後尾からさせてもらいます♪」

「きーっ! どうして、ここには人の話を聞かない者ばかりですの!」


 ぶんぶんとシュリアが両手を振り回すのを、カイリ達はしれっとスルーした後、一斉に噴き出した。その反応に益々彼女がきーっとがなったが、一層笑いが止まらなくなる。

 やはりこの空気こそ、カイリ達に相応しい。力が抜ける様に安堵する。

 そういえば、とレインの方を見やれば、彼は一人だけ何とも言えない表情で押し黙っていた。


 ――レインさんには、殺して欲しいってお願いしてあるし。


 下手に口を開いたら、賭けのことが明るみに出てしまう。なので、無闇なツッコミは入れないことにした。

 取り敢えず、カイリから話したいことは話した。フランツ達も渋々ではあるが、ケントの件については納得してくれた様だ。もう割って入ってはこない。

 カイリがクリスに視線を向けると、彼は待ってました、と言わんばかりの輝かしい笑顔で応えてくれる。


「うんうん。やっぱりカイリ君は、良いね! 俺にとっても清涼剤だよ」

「え……って、前にもそんなことを言っていましたね」

「事実だからね。さて。カイリ君、ケント。お互いにまず手を合わせてくれるかな。カイリ君は右手で、ケントは左手でね」


 あまり詳細を明かされないまま、クリスがぽんぽんと話を進めていく。

 言われるがままにカイリは右手を出し、ケントはそれに左手を重ねた。

 握手とはまた違う。手の平を合わせていると、どこかふわりと熱が灯っていく気がする感覚が不思議だった。


「さあ、そろそろ始めようか。……ラッシー、手伝ってね」

「……、きゅう?」

「君の主は何て言っているのかな?」

「……、……………………、……ぎゅっ!」

「うんうん。当然、助けてくれるよね!」

「……きゅううっ」


 溜息を吐く様な鳴き声に、内心カイリは悶々とする。

 カイリは、フュリーシアではなく、ラッシーの主である神様と契約しているらしい。一体どういう経緯でそうなったのだろうかと、疑問だらけだ。

 それも含めて、カイリはこれから探っていかなければならない。

 壁が多いなと嘆いていると、ぽうっと合わせた手がささやかに光った。

 うわっと思わず手を離しそうになったが、クリスが二人の手を握り締めて制止する。



「さて、頃合いだね。……神様神様。カイリ君を助けたかったら、言うこと聞いてね。ケントの存在は不可欠だから。是非とも力を貸してね。貸してくれなかったら、カイリ君はフュリーシアのものになっちゃうよ。嫌だよね? だったら、もう分かるよね?」



 ――この人、神様脅し始めたよ。



 仮にも神だ。一応転生させてくれたはずの神だ。

 それなのにクリスは、ねー、っとどこに向かってでもなくにっこり笑っている。割ととんでもない宣言をしているのに、ひどく晴れやかな笑顔でカイリは口元が引く付いた。

 そして、かたわらを見ればラッシーが「きゅーっ! きゅーっ!」っとぴょんぴょん可愛らしく跳ねていた。その姿は楽し気で、もう癒しでしかない。クリスの脅しの内容など、些末事にしか思えなくなった。


「はい、カイリ君も。頼んでね」

「え?」

「だって、カイリ君の契約した神様に頼み込むんだし。頑張ってね」


 ぽんっと、良い笑顔で背中を叩かれた。

 完全なる丸投げに、カイリは一瞬頭が真っ白に凍り付く。ケントとクリスを見比べ、盛大に混乱した。

 それなのに、クリスは何も言わずに笑みを浮かべるだけだ。ケントも珍しく困惑するだけで無言である。


 ――何だこの無茶振り。


 だが、カイリが何か言わない限り終わりそうにない。ラッシーが「きゅうっ?」ところころ転がり始めたので、頑張ることにした。もう可愛すぎて昇天しそうである。

 しかし、ケントとの繋がりを強化することを、どう願えば良いのだろうか。

 うーん、と一分ほど唸ってみたが、結局正解は出てこなかった。

 だから。


「……。……俺は、貴方のことを覚えていません。でも、……転生させてくれたことにはとても感謝しています」


 フュリーシアとの契約を、どうやって断ち切ったのか分からない。それでも、神との契約がそんな簡単に反故になることはないことくらい想像が付く。

 その無茶を押し切ってでも、思い出せない神はカイリと契約を結び、転生させてくれた。ケントを助けるための願いを叶えてくれた。そんな気がする。

 絶対に思い出したい。信念を貫きたい。

 そしていつか、神の存在を思い出して、直接お礼を言いたい。

 そのためには、やはり力を貸してもらい、生き延びるしかないのだ。


「……俺にとって、ケントはとても大切な友人です」

「――」

「ずっと、……ずっと。この世界に生まれる前から俺を守り、支えてくれた。彼が、俺の心を生かしてくれた。……俺も、そんな存在になりたい。……今一緒にいてくれる彼を、少しでも支えたいんです」


 フュリーシアと会話をしていた時、彼らはかなり物騒なことを話していた。カイリが転生する時の駆け引きとか、『邪神』とか、諸々を。ひどく様々なことを。

 本当は全て聞き出したい。ケントにどういうことなのか問い詰めたい。

 けれどそれはきっと、ケントにとっては契約違反で、負担になることだ。今も制約があるとはっきり言っていたし、カイリを守るために無茶をしているに違いない。

 だからこそ、少しでも彼の力になりたい。そのためならば、カイリはどんな手段を使ってでも守ってみせよう。



「だから、お願いします。ケントを支える力を俺に下さい。――貴方と交わしたはずの契約を、彼と共に果たすことを認めて下さい」



 瞬間。

 ぱしんっと、何かが胸の中で弾ける様な音がした。ケントも驚いた様に己の体を見下ろす。

 とんとんと胸を軽く叩くが、特に異常は見当たらない。ただ、首から提げたパイライトが、笑う様に淡く光っているのだけが印象的だった。


「うんうん! 上手くいったね! これで、ケントはカイリ君を通じて、仮初めではあるけれどカイリ君の神の守りが得られるよ!」


 クリスが満足気に何度も頷くところを見ると、成功した様だ。

 しかし、やはりよく分からない。繋がりを強化すると、何故効果が及ぶのか。


「……、……繋がりの強化っていうのは、何ですか?」

「うん。ケントは、カイリ君とは別の神と契約しているからね。力を分け与えるには、本来なら契約した神が同じでないと無理なんだ」

「……確かに、それが普通に思えますね」

「うん。だから、カイリ君がケントと常に手を繋いでいる様に神に認識してもらう。それが繋がりの強化だと思えば良いよ」

「手を……」

「そう。繋いでいると認識した手から、カイリ君に宿っている力を一部共有させるんだよ。……手を繋ぐっていうのは、神にとってはとても大切な意味を持っているらしくてね」


 よっぽど大切な人なんだね、と神に認めさせる方式なんだ。


 そんな風に締め括るクリスに、カイリは分かった様な分からない様な複雑な気分だ。

 要は神から見て、カイリがケントと常に手を繋いでいる様に見えればそれで良いという話だろうか。それで神がケントにも力を貸してくれるというのは、結構お手軽に思えなくもない。

 ちらりと見たクリスの目は、遠くを見る様に細められている。いつも通りの穏やかな笑みをたたえ、どこか嬉しそうだ。

 しかし。


 何故だろう。


 その瞳には、一瞬。ほんの一瞬だが、哀惜めいたものがよぎった気がした。

 すぐに元に戻ったが、その色がやけに脳裡に焼き付いて離れない。彼の感情が伝わってくるかの様で、カイリの胸が苦しくなった。


「カイリ君?」

「っ、あ、いえ。何となく分かりました。ありがとうございます」


 きょとんとしたクリスに慌てて礼を言い、カイリはケントの方を見やる。

 すると彼は、半ば呆然とした様にクリスの方を凝視していた。その横顔だけで、どれほど難しいことをしてのけたか理解出来ている様だ。

 クリスも息子の視線に気付いたのか、にっこりと笑って人差し指を唇の前に立てる。



「あ。これ、失敗したら神との繋がり切れて、ただの一般人になるから。他の人では試さない様にね」

「――はっ⁉」



 笑顔でとんでもない暴露をされた。

 思わずカイリが飛び上がるが、クリスはにっこにっこととても人の好い笑顔で更なる爆弾を差し出してくる。


「最悪、死期が大幅に早まるから」

「はいっ⁉ 死期っ⁉」

「いやあ、カイリ君がケントのことを心の底から嘘偽りなく大切にしてくれていて良かったよ。一片、いや、塵一つ分くらいでも、『ケントなんかどうでも良い』『何で俺が』的な感情が心や頭の片隅にあったら、確実に失敗する方法だったからね」

「えっ⁉」

「いやいや、カイリ君を信じて良かった良かった。流石はカイリ君。俺が見込んだ友人だよ」

「……………………………………」


 この人、どんだけ危ない橋渡らせてくれたんだ。


 クリスの酷い種明かしに、カイリは開いた口が塞がらない。おかげでフランツ達も、同じ様に間抜けなほどに口を開けて呆けていた。ぱかっと、開く音までした気がする。

 ケントはクリスを恨みがまし気に見つめ、次いでカイリを一瞥いちべつし、すぐにぱっと視線を逸らしてしまった。何となく気恥ずかしい様な、嬉しい様な、複雑な表情に見えるのは気のせいだろうか。

 あからさまな無茶ぶりをされた様だが、それでも成功して良かった。これでケントを少しでも楽に出来るかもしれないと思うと、やはりクリスには感謝しかない。



 ケントはきっと、ずっと――それこそ前世の頃から戦ってくれていたのだと思う。



 ケントが必死に神に言葉で対抗してくれた光景を思い起こし、カイリはぎゅっと拳を握る。

 彼が守ってくれていたのだ。支える方法があるのなら、カイリはこの力を惜しみなく共有したい。


「これで、ケントは俺の魔除けの力を共有出来るんですね?」

「正しくは、借りるという形だけどね。ケント、腕時計を出しなさい」

「あ、うん」


 ケントが腕をまくって左腕を差し出す。

 そこに収まっていたのは、前にカイリが誕生日プレゼントとして贈った銀の時計だ。肌身離さず付けてくれていることに喜びを覚える。


「カイリ君。この腕時計にパイライトを近付けてくれるかな」

「分かりました」


 しゃらっと冷たい熱を与える鎖を手にし、カイリはパイライトを見つめる。

 その石は、何故か安心させる様に輝いていた。まるで両親が笑ってくれている様な錯覚に陥って、カイリは顔を寄せる。


「……お願いします」


 一言添えて、カイリはケントの腕時計にパイライトを近付けた。

 途端、ふわんっと力強い大地の光がパイライトから一つ舞い上がる。

 そのまま腕時計のガラスの面に吸い込まれていった。光が雪の様に溶けていき、一瞬輝く膜が腕時計を覆う。


「……わあ、綺麗だね」

「ああ……本当に」

「……流石だね。カイリ君は、やっぱり愛されているなあ」


 ケントが感激した様に笑みを浮かべ、クリスが興味深そうに手元を眺める。

 クリスの言葉がよく分からなかったが、これ以上聞き出すことは不可能な様だ。現に、そのままクリスは次の説明に入ってしまう。


「これで、あのくそじじいが干渉しようとしてきても、この魔除けの力と、ケント自身の聖歌や聖歌語、それからカイリ君の神様が力を貸してくれるはずだ。……限界はあると思うから、カイリ君には早急に力を付けてもらう必要はあるけどね」

「はい、……頑張ります」

「うんうん。良い返事。……さて」


 人好きのする笑顔を保ったまま、クリスの空気ががらっと不敵に一変する。

 そして、両手を組んで肘を突き、目を細め。



「さあ、カイリ君。――これからの話をしようか」



 実に挑発的に、奥深くへと切り込んできた。


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