第257話


 夕食を終え、カイリ達が食堂で息抜きをしていると、不意に呼び鈴が鳴った。

 エディが玄関に出迎えに行くのとほぼ同時に、慌ただしい足音が駆けてくる。本当に来てくれたのだと知って、カイリは泣きたくなるほど胸が締め付けられた。



「カイリッ!!」



 ばんっと、叩き開ける様に食堂の扉を開いてケントが飛び込んでくる。

 そのままカイリに突撃し、強く抱き締めてきた。あまりの強さに、ぐえっと潰れた蛙の様な声が漏れる。


「カイリ! カイリ、無事? ……顔色、悪いよ! ちゃんと寝た!?」

「だ、大丈夫だ。フランツさん達がいたから、……お前、苦しい!」

「苦しくても我慢しなよ! あああもうっ! 父さんから手紙もらって、どれだけ心配したと思ってるのさ! もう! カイリはいっつも変なことに巻き込まれ過ぎだよ!」

「……、ごめん。……ありがとう」


 本当は嬉しいと口にしたかったが、照れが邪魔をして言葉に出来なかった。昨夜、ケントには強くなると宣言したばかりなのに、早速駄目っぷりを発揮して情けない、という気持ちもある。

 だが、彼にはばっちり伝わったのだろう。カイリ自身、ケントを抱き締め返してしまったのもある。嬉しそうに、ふにゃっと顔を崩した。


「ふふん。僕はカイリの親友だからね! 仕事なんて部下に押し付け……成長を祈って任せてきちゃったよ!」

「……、おい」

「ケント! 早速カイリ君を癒しているのかい? 流石は親友だね! 仕事なんて部下に任せておけば良いもんね! 親友の方が大事だしね!」


 続いて食堂に入ってきたクリスが、ケントに大賛成の意を示す。

 父の言葉に調子に乗ったのか、きらきらっとケントは瞳を子供の様に輝かせた。


「そうだよ、父さん! 仕事なんていう面倒事は、部下に叩き付け……信頼して任せるのが一番だよね!」

「うん、もちろん! ケント、ああ、立派になって……」

「当然だよ! 僕は、父さんの息子だからね!」

「……間違ってるからな。良いか、もう少し団長としての自覚は持てよ」


 とんでもない親子の発言に、カイリはケントを叱り付ける。

 ぶーっと唇をとがらせる彼に、けれど頼もしさも感じてしまった。つくづく情けないと少し落ち込む。

 それに。



〝――カイリっ‼〟



 ――本当は、まだ恐い。



 ケントが、あの本に触れること。前世のケントの死を強く想起させるこの本は、彼に悪影響を与えないだろうか。

 不安は募るが、フランツの言う通り、何もしなければ打開策は見つからない。

 もう一度だけ、ぎゅっと軽くケントを抱き締めてから、意を決して離れた。


「? ……カイリ?」


 ケントが不思議そうに首を傾げる。

 だが、振り切る様にカイリはクリスに向き直った。


「あの、……クリスさんも。来て下さってありがとうございます。まさか、今日中に時間を作ってもらえるなんて」

「当たり前だよ、カイリ君! 文字が震えていたし、これは絶対来なければとね! 私も、今夜予定をしていた超面倒なへつらいだらけの会合を即行で中止してしまったよ」


 それは駄目だろう。


 盛大に突っ込みたかったが、クリスがとても良い笑顔で押し切ってきたので、カイリは諦めた。彼らはそういう親子なのだ。間違いなく親子だと確信してしまう。

 だが、やはり一方で彼らの気遣いがありがたい。カイリとしては、今は少しでも多く情報が欲しい。

 ケントが先程から何か言いたげにカイリを凝視していたが、そちらには気付かないフリを続けた。


「それで、カイリ君。相談したいことって何かな?」

「……あ、そうだよ! カイリを恐怖に陥れた不届き者は誰!?」

「ふ、不届き者っていうか、……」


 ちらっと、テーブルの隅に積んである書物の束をカイリは一瞥いちべつする。

 言葉が奥歯に挟まった様に喉を詰まらせていると、フランツとレインがくだんの本を除いた書物をケントとクリスの前に置いた。結構な量に、二人は微かに目を丸くする。


「お二人共、まずは何も聞かず、この書物に一通り目を通してくれますか」

「……えー。ちょっと多いですよ。流石に時間が」

「読まなくて良いのです。最初から最後まで、ばらばらっとめくるだけで構いません。その上で、感想をお聞きしたい」

「……ふむ。分かったよ」


 クリスが椅子に座り、静かに本を取ったのを見て、ケントもカイリから視線を外して一冊を手にする。

 だが、クリスはすぐには開かずに、怪訝けげんそうに本を掲げて天井の明かりに透かした。



「……何だか、嫌な感じがする書物だね」



 どきりっと、カイリの心臓が小さく跳ねる。

 手に取っただけで、そんなことが分かるのか。カイリはまだまだ未熟だと痛感する。


「んー。言われてみれば、そうかも? ……、……中身は、完璧に嫌な感じだよ」

「……そうだね。これは、……ただの検閲じゃないね。明らかに、読み手に向かって悪意をぶつけてくるのが分かるよ」


 書物に目を通す二人の表情が、徐々に曇り、険しくなっていく。時折苦痛を伴った風に顔を歪めるので、カイリは朝の自分を見ている様な錯覚に陥った。

 一通り眺め終わった後、彼らは眉間を指でほぐす。かなり消耗した様な状態に、カイリは自然と視線が下がっていってしまった。


「……こうも、見るもの見るものが悪意にあふれていると、流石にきついね。カイリ君、大変だっただろう」

「……すみません、本当に」

「いや、良いんだよ。ところで、これをどこで?」

「第十三位の図書室です。棚から十番目のところで見つけたんですけど……」

「しかし、不思議なことに、我々は今までその棚を見たことがなかったのです。……今日、急に現れた様な気がするのですが」

「……ふーん。まず、そこを見てみようか」

「フランツ殿。中に入っても良いですか?」

「もちろんです。……お願いします、クリス殿、ケント殿」


 クリスとケントの要請に、フランツが二つ返事で了承する。もう、機密事項がと言っていられる状況ではないのは、カイリにも嫌というほど理解出来た。

 フランツが先頭を、その次にクリス。カイリはケントと一緒に並んで図書室に入る。

 部屋の中の明かりを点けても、朝よりも薄暗く闇が降りている様な気がする。時間帯を差し引いても異様に思えた。

 それは、クリスやケントも同じだったのだろう。目を細め、すぐに例の棚がある方を見据える。


「ねえ、父さん。あそこ、変だね」

「うん。……おや、これは、……」


 小さく聖歌語を唱えながら、クリスが棚へと近付く。ケントも口の中で何事かを唱えた。

 途端、彼らの空気が変わった。村を調査した時と同じ匂いがする。確か簡易版の魔除けだとケントは言っていたはずなので、その効果の聖歌語を使ったのだろう。

 クリスが目的の棚の付近で、注意深く辺りを観察する。ケントも鋭く見回して、うわ、っと嫌そうにうめいた。


「何、これ。この棚だけ、聖歌で雁字搦がんじがらめになっていた跡があるよ」

「……、え? 聖歌? がんじがらめ?」

「うん、ケントの言う通りだね。つい最近破られたって感じの跡だから……恐らく、カイリ君が近付いたことで、聖歌で封印していた結界みたいなものが破れて、棚が見える様になったんじゃないかな」


 二人の冷静な分析に、カイリはそういえば、と思い出す。


「確かに……俺がこの辺りを歩いていた時、何かがぱしんっと小さく弾ける音がしました」

「ああ、やっぱりね。それ、多分聖歌の結界を破った音だよ」


 断言するクリスに、しかしカイリは首を振る。

 フュリー村の時とは違って、カイリは何もしていない。聖歌といった類にも気付けなかった。


「でも、俺は何も。それに、今までだって図書室は利用していました」

「……ケントから聞いたけど、カイリ君、聖歌語の力が強くなっているんだってね」

「え? あ、はい。そうみたいです。自覚は無いんですけど」


 何故、急にそんな話になるのだろうか。

 首を傾げてから、すぐに推測が組み立てられた。カイリの顔色が変わったのを見て、クリスはにっこりと頷く。


「そう。カイリ君の聖歌語――聖歌の力が強くなったということは、それだけ浄化、つまり魔除けの力も強くなったということだよ。通るだけで破れる様になるということは、相当だね」

「――っ」

「これからは、少し抑える訓練もした方が良いかもしれないね。その力は有用だけど、破るとまずい時なんかは困るだろう」

「……、はい」


 クリスに諭されて、カイリは次第に居た堪れなくなってくる。

 強くなるどころか、制御不能に陥るのは頂けない。このままではフランツ達に迷惑をかけっぱなしになってしまうと、言い知れぬ不安が過ぎってしまった。

 そんなカイリの不安を払拭する様に、フランツが肩を叩いてくる。

 見上げると、彼がわしわしと力強く頭を撫でてくれた。


「その問題は、後回しです。……クリス殿、ケント殿。他に分かることはありますか?」

「んー、そうですね。……あ。ねえ、父さん。よく見るとこの棚の本って、……今まで変死した人の名前ばっかりじゃない?」

「ん? ああ、確かに。原因不明の死因だったり、不自然な事故死だったり、行方不明になったり……。どの人物も、世界の謎に迫る様な研究をしていた人達ばっかりだね」

「何ですって?」


 二人の指摘に、フランツ達が血相を変え、改めて背表紙をざっと眺める。

 目を通していくにつれ、彼らの顔が青褪めていき、白いを通り越して土気色にまで変色していった。

 その様子に只事ではないものを感じ、カイリはぎゅっと落ち着ける様に腕を握り締める。


「確かに、そうですな。……じゃあ、今読んでいた本も」

「うん。……ああ、やっぱり。誰も彼もが教皇の怒りを買った人物ばかりだ。……つまり、この本は禁書中の禁書ってことだね」

「でも、それがどうして第十三位にあるんだろう? それに、……まだ言いたいことがあるんだよね、カイリ?」

「……っ、……ああ」


 ケントに話を振られ、カイリは脱帽した。彼は何故いつもこちらの心を見透かすのだろうか。これも団長に立つ資質というやつなのかもしれない。


「二人には、申し訳ないんですけど、……もう一冊、読んで欲しいものがあります」

「うん? そっちは読むのかい?」

「はい。多分、すぐ読めると思います。……特に、最後まで読めるかどうかを、確認して欲しいんです」


 カイリの説明が終わると同時に、フランツが件の書物を差し出した。

 その書物を目にした途端、ケントとクリスがはっきりと顔を歪める。今までで一番大きな反応に、カイリの不安が最高潮に膨れ上がった。


「……うん。それは、読んだ後は相当疲れそうだから、座って読んでも良いかな?」

「食堂へ行きましょう。……なるべく明るい部屋で読みたいですね」

「分かりました。こちらへ」


 食堂に戻りながら、カイリは改めて二人との実力差を感じる。

 彼らは、この中で誰よりも聖歌や聖歌語の気配に敏感だ。中に目を通していないのに、それがあまり良くないものだと判別出来る。それは、やはり修練を積んでいないと身に付かない芸当だと思う。

 二人は、なるべくして第一位の団長になったということだ。カイリはどれだけ努力を積めば良いのだろうと、少し途方に暮れそうになる。


「さて、……ケント、読もうか」

「うん……。……」


 あまり気乗りがしなさそうだが、読まなければ始まらない。

 食堂で席に着いてから、二人は一緒に読み始めた。

 その手付きから、触れるのさえ嫌なのも伝わってくる。カイリのために嫌なことを実行してくれることに、感謝してもしきれなかった。

 そして。


「――っ、……、……これは」

「……、――っ!」


 クリスは唸り、ケントはぐしゃっと思わず最後のページを握り潰しかける。

 だが、寸でで引き裂くところまではいかなかった。少しだけしわになってしまったが、何とかページの体裁は整ったままだ。

 はあっと大きく苦しそうに息を吐いて、クリスもケントも息を整えた。リオーネが水の入ったコップを差し出すと、二人は一気にあおる。

 たん、っとコップを置いた後、肘を突いて頭を支えた格好になった。顔色は最悪だ。


「……やれやれ。……カイリ君、よく耐えたね。偉いよ」

「あの、……二人も、読めたんですね」

「まあね。それで、……一つ、嫌なことが分かったよ。これは、途中までは人の手で書かれたものだけれど、……本自体は明らかに別の存在が介入しているってことがね」

「……え? あ、……そういえば、リオーネがそういう推測を立てていました」

「――っ」


 クリスの言葉に、ケントがあからさまに動揺した。

 何故、と思ったが、クリスがケントの背中を撫でながら続ける。


「カイリ君。君は、何故この本達を集めて読んだのかな?」

「え? ……、それは」


 ケントを盗み見てから、カイリは視線を下に下げる。

 ケントの隣に立ちたいから、転生時の記憶を取り戻したかった。そんな風に正直に告白しても良いものだろうか。

 ケント本人がいる場所で伝えてしまえば、その理由を問われるだろう。

 そうしたら――。



「あ、の」

「……転生をする時の記憶を、取り戻したかった?」

「――」



 あっという間に核心を突かれ、カイリは反射的に目を見開いてしまった。

 ポーカーフェイスの技術がまるで役に立たない。ばっと顔を下げてしまったことで、クリスには苦笑されてしまった。


「……図星か。……いやはや、困ったね」

「違うっ。父さん、僕が下手を打ったんだ」

「そうなのかい? でも、遅かれ早かれ、こうなっていたかもしれないね。……カイリ君、今はやめておきなさい」

「……え?」


 柔らかく、けれどばっさりとクリスが切り捨てる。

 物腰はたおやかなのに、氷の様に芯まで凍る冷たさがある。突然世界を断絶され、突き放された様な衝撃に、カイリは緩く首を振ってしまった。


「それは、……でも」

「今のカイリ君でそれは危険だ。やめなさい」

「ど、……うしてですか」

「どうして? カイリ君、本当に分かっていないのかな?」

「わ、……分かりませんっ。だって、俺は記憶を取り戻さなきゃ駄目なんですっ! だって、だって……そうでないとっ!」

「そうでないと? 何かな?」

「だって、……! そうでないと、俺は! また……!」



 また。



〝――カイリっ‼〟



 ――【また、ケントに追い付けなくなる】。



「――――――――」



 急に浮かんだ焦りに、カイリは目を限界までに見開く。

 遠くで、フランツ達が戸惑った様にカイリを見つめている。何故、そんな風に驚くのかと軽く疑問が頭の片隅をよぎった。

 だが。



 ――【そんなことは、どうでも良いじゃないか】。



「――――――――」



 ――【ああ】。



 そうだ。フランツ達が――彼らが戸惑っているから何だというのか。そんな些末事などよりも優先すべきことがある。

 今、カイリに大事なのは、ケントのことだ。ケントを追いかけることだ。ケントを取り戻すことだ。

 そもそも、始まり自体が間違ってしまったのだから。今あるこの人生はその間違いの延長戦でしかない。

 故に。



〝――カイリっ‼〟



 あの、過ちを正さなければいけないのだ。

 そう。カイリは。



 ――【ケントに、――返――ければならない】。



【だって、……そうしないと。ケントが、元に戻れない】

「――」



 目の前で、ケントが驚いた様に息を呑んだ。

 くしゃっと、焦りや動揺で歪んでいく顔に、カイリは更なる焦燥に駆られる。

 そうだ。カイリは、知っている。ケントがこんな風に、泣きそうな表情で見つめてきた時のことを。

 そうだ。あれは、確か。



〝だから代わりに、彼をもらっていくんです〟



【――が、笑っていたから】



 ざっと脳裏に――目の前に、真っ暗な光景が映し出される。

 カイリの眼前で、ケントは誰かに捕えられていた。

 ケントは全てを悟った様な顔をしていて、――けれど、泣きそうで。相手は歯牙にも掛けずに愉快そうに笑い、連れ去ろうとしていた。

 ああ。


 やめろ。



〝――ごめんね、カイリ〟



 ケントが笑って、遠ざかろうとする。

 相手は、そんな彼を嘲笑う様に耳元で何かをささやいていた。

 それを聞いて、ケントは噛み締める様に声を失って。カイリを見つめて。

 それで。



〝――――、カイリ〟



 ああ、それで。



【ケント……っ】

「……っ、カイリ。どうしたの。僕はここに」

【やめろ。……やめろ、……ケントを、……やめろっ】


 ケントを痛めつけるな。傷付けるな。泣かせるな。

 ただでさえ、ケントはずっと――――いたのに。

 自分が泣かせて、家族が泣かせて。

 それなのに。



 これ以上、ケントを苦しめるつもりか。



【やめろ、……ふざけるなっ。ケントは、お前の玩具おもちゃじゃ、ない】

「……カイリ? ねえ、待って。僕の声、聞こえていないの? ……カイリっ!」

【そうだ。あいつだ。あいつが、……ケントを、また】

「……っ! カイリ! しっかりして! カイリ! 僕はここにいる!」

【早く、……早く追いかけないと。また、……ケントがっ】

「っ! 僕はここだ! ここにいる! カイリ! 駄目だよ! 飲み込まれたら駄目だっ!」


 ケントが肩を掴んで揺さぶってくる。心で泣き叫びながら、絶叫している。

 どうして、彼はまだそんな顔をしているのだろうか。まだ、カイリが彼に追い付けていないからか。

 そうだ。そうに違いない。

 カイリが、悪いのだ。カイリが、あの時手を伸ばしきれなかったから。

 あいつの――を、―――から。

 あいつが、―――を、―――――から。



 ――だから、あいつを。



【……そうだ。あいつ、何処だ】

「カイリ……っ! そっちへ行ったら駄目だよ! カイリ!」

【大丈夫。ケント、すぐに助けるから。ああ、そうだ、…………返せっ。お前、……許さない……っ!】


 ばりっと、空気が割れる音がする。

 周囲が身構えて悲鳴を上げるが、それすらも鬱陶しい。

 どいてくれ。自分は、追いかけなければならない。

 あいつを探して、ケントを探して、あいつを倒して。



〝――――、カイリ〟



 一緒にあいつと歩いているはずなのに、無理矢理連れ去られていくのだとケントの背中から読み取れた。その後ろ姿が脳裏に強くよみがえる。彼は泣きながら、静かに、心の中で自分の名前を呼んでいた。

 ああ、そうだ。

 あの時、カイリが手を離してしまったから。カイリが、弱かったから。

 だから、ケントは連れ去られてしまったのだ。



【……返せ! やめろ! ふざけるな! ケントを離せっ! そこにいるべきなのは、ケントじゃないっ!】

「――っ! カイリ! 駄目だよ! それは違う! 違うから!」

【うるさいっ! 離せ! ……どけっ!】



 邪魔をする目の前の障害物を突き飛ばし、カイリは遠くを睨みつける。

 カイリ、と何かがわめいているが、鬱陶しい。後ろから羽交い絞めにしてくる敵に、がむしゃらに抵抗する。

 自分は、彼を――【ケント】を追いかけなければならない。



「カイリ! 目を覚ませ! 今突き飛ばしたのはケント殿だ!」

【ケント! ケントは、……俺の、たった一人の! 大切な友人だ! 俺が、……俺が、本当は『そう』なるはずだったんだろう⁉ 俺が、……だから、フュリーシアっ! ケントを離せっ!】

「カイリ! やめるんだ! どうした、俺が分からないか!」

「カイリ! 僕はここにいる! だから!」

【邪魔を……するな! ケントが! 離せ、……っ! ……離せって、……言ってるだろうがあああああああっ!!】



 絶叫した瞬間。



 ばしんっと、カイリの脳髄から雷が落ちた様な衝撃が全身に走る。



 いきなり強く弾き飛ばされる様な感覚に、カイリは顔をしかめながら己を見下ろす。見下ろした、つもりだった。

 けれど。



 ――体が、動かない。



 己の思い通りにならない。指一本さえ動かせない状況に、恐怖と共に混乱した。

 一体何が、と焦ったが、体は己の意思を無視して勝手に動く。はっと、荒く息を吐いた後、カイリの口が勝手に何かを紡ぎ始め。



《――ああ。ようやく、この日が来ましたか》



「――――――――」



 目の前で、ケントの目が絶望に染まった。


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