第238話


 カイリが落ち着くのを見計らって、ケントと共に再び彼の屋敷を目指す。

 あれだけ大きな傘を片手で軽々と担ぎながら、ケントはしっかりとカイリの右手を握って離さなかった。もう大丈夫だと言っても、だーめ、と可愛らしく拒否して聞き入れない。


「……ごめんな、ケント。ありがとう」

「ううん。……僕こそごめんね。言おうかどうしようか迷っていたことだから」

「ああ、……」


 メモリーズが、ファルの実家だということ。やはりケントは最初から知っていたのだ。

 カイリとしては言い出しにくかったことは充分理解している。既にパンが美味しいとうきうき気分の相手に、水を差すことほど気まずいものはない。


「でも、いずれバレることだったしね。言っておいた方がダメージ少なかったかな、とかちょっと後悔したよ」

「良いよ。……でも、フランツさん達に何て言おうか悩むな。……ありのままを言うしかないのは分かっているけど」

「うん。大丈夫。……っていうより、これくらい受け止めてもらわないと、カイリの居場所としては認めてあげないよ」

「お前な……」


 ふんっとケントが不機嫌そうに鼻を鳴らすのに、カイリは右手を軽く振ってたしなめる。時々思うが、彼はフランツ達にかなり手厳しい。カイリには甘いくせに。不思議だ。



「……。……また、行ける様になるかな」



 ぽつっと漏らしてしまったのは、完全に弱音だ。

 急いで口をつぐむが、ケントにはばっちりと拾われてしまったらしい。んー、と小首を傾げた後、笑顔で一刀両断してきた。


「そんなの分かんないよ!」

「……。……そうだな」


 もっともな答えに、カイリは苦笑せざるを得ない。

 だが、その反応が気に入らなかった様だ。ばしん、っと背中を叩かれる。


「いたっ。……何するんだよ」

「カイリは、ぜーんぶ真面目に考えすぎ。……こういうのって、気持ちと時間の問題でしょ。その時になってみないと分かんないんだし、なるようにしかならないよ」

「……そうだけど」


 時間が経てば、ファルの両親とまた顔を合わせられるのか。

 先程ケントに吐き出したおかげで幾分気持ちはすっきりしたが、現状ではまだとてもではないが整理はつかない。


「……カイリはさ。あのエリックって奴のことも心の中で整理ついたんでしょ?」

「え、……どうして」

「ルナリアから帰ってきたカイリを見たら、すぐ分かるよ! つまり、そういうことじゃない?」

「――」


 気軽に、けれど柔らかく微笑まれ、カイリは虚を突かれた。一瞬軽やかな風が心の中を吹き抜けた様に気持ちが軽くなる。

 そういえば、エリックのことだって、あれだけぐちゃぐちゃのどろどろに真っ黒に掻き乱されていたのに、色んな人との触れ合いを経てすとんと受け入れることが出来た。

 彼を許したわけではない。

 けれど、彼を兄と慕っていた気持ちを素直に受け入れた。

 驚くほどに落ちた感じがして、カイリはまた苦笑を零す。本当にケントには敵わない。


「ん……そうだな。ありがとう、ケント」

「どういたしまして! カイリは優しくて強いから、きっと時間を置けばまた通えるよ」

「……うん」

「何より、食べるの大好きなカイリだからね! 食べ物に隔意は抱かないよね!」

「……何だろうな。馬鹿にされている気がしてきたな」

「えー、そんなことないよ! カイリの食べ物への敬愛の念をちゃーんと考慮した結果だもん!」


 えっへん、と胸を張って得意気にするケントに、遠慮なく肩へとツッコミを入れた。あいた、と抗議を口にしてはいたが、顔は完全に笑っていたので説得力は皆無だ。


「ああ、あとさっきの店だけど。一応、パンとかガラスの片付け、常連客っぽい人達が手伝ってたよ」

「え……」


 話が終わったと思った傍から、ケントは爆弾をぶっ込んでくる。

 だが、それはカイリ自身も心の隅に引っかかっていた気がかりだった。ケントは本当にカイリの心を救い上げるのが上手い。


「そっか……他の人も片付けてくれていたんだ」

「うん。さっきのカイリの演説が効いたんじゃない? 黙って見てるだけだったのに、動き始めたからさ」

「……」

「だから、きっとあそこは大丈夫だよ。……カイリの言葉は、無駄にはならない」


 ふんわりと優しい風の様にケントが微笑む。雨が降っているはずなのに、光の匂いを運んでくれる様な温もりがあった。

 ケントは本当に様々なことに気を配ってくれる。さっきの騎士達のことだって、最初からケントが止めに入らなかったのは、彼ではただの事務的な処理になってしまうからだ。



 あの時必要だったのは、被害者と思われているカイリの言葉だった。



 被害者本人が訴えたからこそ、事務的な対応ではなくなった。被害者に対してあれ以上に強く出てくる場合は、いよいよ相手の理由は完全に正当なものではなくなっただろう。それはそれで好都合でもあった。

 ケントは正しく上に立つ者だ。視野が広いなと感服する。


「五歳しか違わないのに。大人だよな、本当」

「えー。何言ってるのさ! 五歳も違えば立派な親と子供だよ!」

「大げさすぎだろ! せめて兄弟にしてくれ!」

「ふっふー。カイリと兄弟かあ。それはそれで楽しそうだね! やっぱり父さんの養子にならない?」

「何でそうなるんだ……っ」


 そんな風にぎゃいぎゃい騒いでいると、いつの間にかケントの屋敷に辿り着いた。

 雨への恐れもすっかり忘れていたのだから、やはり彼の存在は心強い。

 けれど、屋敷を目にした途端、ぶわっと痛みがぶり返す。


「お土産、買って行きたかったな……」


 本当は、メモリーズの様子を見がてら、そこのパンをクリス達への手土産にするつもりだった。見事に目論見が外れて苦笑してしまう。


「いいよ! カイリ自身がお土産だから!」

「は? 何だよそれ」

「カイリがいれば、僕達は充分ってこと! ってわけで、……ただいまー! 帰ったよー!」

「こんにちは。お邪魔します」


 よく分からない宣言をしながら元気良く扉を叩き開けるケントに、カイリが続いて玄関をくぐり抜けると。



「――お帰り! ケント! そしてようこそ! カイリ君!」

「お帰りなさい、ケント! こんにちは、カイリさん!」

「わーい! お兄様! カイリ様! 今日もカイリ様はSなのでしょうか」

「待ってたよー! 兄さん! 今日も元気にカイリさんに殴られてる?」



 とても賑やかに、両手を広げたクリス達が待ち構えていた。一部酷い歓迎の言葉が飛んでいたが、ケントは実に嬉しそうに駆けていく。ぼふんっと、突撃する様に家族四人に両手を広げて抱き付いた。



「ただいまー! 父さん、母さん! ついでにセシリアとチェスター! 帰ったよー!」

「ああ、待っていたよ、ケント……! いつも休日が待ち遠しくてね。というか、毎日が休日だと良いのにね!」

「そうね、あなた。ケントと一緒にいられない規則なんて、滅亡すれば良いんだわ」

「って、お兄様酷いわ! ついでだなんて。カイリ様に叱ってもらわなきゃ」

「そうだよねー! カイリさん! どうぞ兄さんを殴って下さい!」

「え、っと。……いや、仲が良さそうだから今は見守っておこうかな」



 五人でぎゅうぎゅうに感動の再会を果たす光景に、カイリは苦笑しながらも微笑ましくなった。本当に仲が良いのだなと、胸のあたりがぽかぽかと温かくなる。

 自然と頬を緩ませていると、影で控えていた青年執事のセバスチャンが丁寧に腰を折って迎えてくれた。


「ようこそ、カイリ様。ケント様と変わらず仲良くして下さってありがとうございます」

「い、いえ。俺の方こそ、ケントにお世話になりっぱなしです。今日だって、彼に引っ張ってもらわなければ、俺は外にも出られなかった。だから、感謝しています」


 水から逃げるな。


 そう叱咤して、勇気付けて、ケントが手を取って引っ張り上げてくれた。

 まだ水が恐いことに変わりはないが、それでも家を出る時よりは遥かにマシだ。今は雨の音を聞いても、そこまで恐怖は呼び起こされない。

 だからこその感謝だったのだが。


「……か、カイリ様……っ、天使過ぎます……っ!」

「えっ!?」


 だばーっと、いきなりセバスチャンが大泣きし始めた。冗談ではなく滝の様に目から勢い良く涙を流すので、床に水たまりが出来始めている。


「って、セバスチャンさん、ど、どうしたんですか!? 俺、何か」

「ううっ、カイリ様、本当にご立派な方で……。あんな胡散臭い笑顔ばかり振り撒き、人でなしな部分も多方面に発揮し、冷たくすげない顔を見せるケント様のことを、お世話にだとか感謝だなんて……!」

「え、ええっと」

「流石は、世間の荒波に逆らいまくって怒鳴りまくって喧嘩を売りまくって第十三位に居続けるだけの剛毅な方でありますな! このセバスチャン、いたく感服致しました……!」



 何だろう。全く褒められている気がしない。



 逆らいまくって怒鳴りまくって喧嘩を売りまくる。

 その言葉のどこに称賛の要素が混じっているというのか。むしろ馬鹿にされている気しかしない。

 だが。


「その通りだよ、セバスチャン! カイリは、僕に素っ気なくする天才だからね! 白い目で見たり、呆れたり、背中を叩いたり、最高なんだから!」

「おお、やはりそうでありましたか! このセバスチャン、生涯カイリ様にも仕えることをお約束致しましょう……!」

「はっ!? いや、セバスチャンさん、何馬鹿なこと言ってるんですか?」


 思わず素で失礼なことを口にしてしまった。

 だが、そんなカイリをとがめる人間は何処にもいない。


「ああ……! さすがはカイリ様。流石のS! お兄様のことも、そうして馬鹿にしているんですね……!」

「そうなんだね……! 流石はカイリ君だ! カイリ君、いつもケントのこと、ありがとう!」

「ああ、やっぱりカイリさんはケントを白い目で見ているのね……! 私たちのことも、是非白い目で見れる時は見て下さいね……!」


 それもどうなんだろう。


 白い目で見られて喜ぶとは、よほどのマゾな気がする。ケントだけではなく、家族全員マゾなのだろうか。カイリは彼らの将来が心配になった。

 みんなが、うんうんと笑顔で頷きながらカイリを温かく見守ってくるので、物凄く居た堪れなくなってきた。正直、このまますぐに回れ右をして帰りたい。


「そういえば、お母様。カイリ様にご馳走するケーキを作っていらしたのでは?」

「ああ……! そうだったわ。カイリさん、あと一時間くらいで出来上がりますから。是非、食べて行ってくださいね」

「あ、ありがとうございます。エリスさんのケーキ、美味しいから楽しみです」

「うう……いつ来ても礼儀正しい子ですね……。こんな良い子がケントの友達だなんて……いつ見ても夢の様だわ……」

「エリス。大丈夫さ。これは現実だよ。ケントは遂に、たった一人の友人を見つけ出したんだからね」

「そうね……! 後は、たった一人の結婚相手を見つけるだけね……!」

「そうなんだよね。ああ、いっそカイリ君が女性だったら全てはハッピーに解決だったのに。……カイリ君、性転換しないかい?」


 ありえん。


 とんでもない提案をしてくるクリスに、カイリは真顔で首を横に振った。死んでもご免である。


「もーう、父さんも母さんも! その内適当に見つけてくるから! カイリを困らせないでよ!」

「ああ、ごめんね。でもまあ、男性同士で結婚しちゃいけないっていう決まりもないから大丈夫かな?」

「え?」

「さ、問題が解決したところで。カイリ君、私の部屋へおいで」

「え? あ、はい」

「あ、セシリアとチェスターは、ちゃーんと勉強するんだよ! そうじゃなきゃ、遊びに来ても僕が追い返しちゃうからね!」

「むー、お兄様は酷いですわ」

「仕方がないなあ。カイリさん、また後で! 夕食は一緒に食べましょうね!」

「ああ。楽しみにしてるな」


 笑って手を振れば、双子も嬉しそうに振り返してくれた。名残惜しそうに、ちらちらとこちらを振り返りながら廊下の向こうへと消えていく。

 本当に仲の良い家族だ。見るたびにカイリは微笑ましくて和む。――どちらかというと元気すぎるので、遠巻きに観察していたいが。


「じゃあ、僕も母さんを手伝ってから飲み物を持って行くね。紅茶で良い?」

「ああ。ここの紅茶、美味しいから好きなんだ」

「楽しみにしているよ! ケントとエリスの合作は美味しいからね」

「ふっふー、もちろん! 楽しみにしていてよね!」


 拳を握って請け負い、ケントがエリスと共に調理場がある方へと消えていく。ぶんぶんとカイリに勢い良く手を千切れんばかりに振ってきたので、カイリも手を振り返した。いつも全力だな、と呆れ混じりに感心する。

 そうして賑やかさが去っていくと、少しのさみしさがカイリの胸に去来した。遠巻きに見ていたいと願うのに、いざ彼らがいなくなると物足りないのは何故だろうか。



「カイリ君、よく来てくれたね。嬉しいよ」



 クリスが話しかけてくれて、カイリははっと我に返る。

 そうだ、一人になったわけではない。クリスの存在を失念していた。罰が悪くて眉尻を下げてしまう。


「すみません、クリスさん。突然お邪魔してしまいまして」

「ううん。私達としては、君が来るのはいつだって歓迎だよ。毎日だって構わないよ」

「流石にそれは、フランツさんがねちゃいます。……俺も、ホームシックになるかも」

「あはは、確かに。……順調に家族になっているみたいだね」

「……はい」


 クリスの感慨深げな響きに、カイリも迷いなく噛み締めながら頷く。

 フランツとはまだまだぎこちないかもしれないが、それでも大切な存在だ。彼が傍にいることが当たり前になってきている。

 教皇の事件の後は、フランツにすがることも多くなっていた。迷惑もかけてしまっているが、傍にいると安心出来るのだ。

 カイリの表情に、クリスも感じ取るものがあったのだろう。よしよしと頭を撫でて満足気に笑った。


「それじゃあ、しばらくカイリ君を独占しようかな。……その前に、カイリ君、少し目をつむって」

「え? はい」


 大人しく目を閉じると、大きな手がカイリの両目にそっと触れる。

 そのまま、何事かを呟く声が聞こえたと同時に、ひんやりとした熱が目の奥へと浸透していく。じんわりと染み込んで、癒されていく感覚だ。


「はい、もう良いよ」


 クリスのにこやかな声に、カイリは目を開く。

 先程まで少し重たかったまぶたが軽くなっているのを感じた。一体何だろうと首を傾げると、クリスが秘密を打ち明ける様に人差し指を唇の前で立てる。



「ここに来る前に、大変なことがあったみたいだね?」

「――っ」



 示唆しさされた途端、かあっとカイリの顔が熱くなる。

 そういえば、ここに来る前に散々ケントの前で大泣きしてしまったのだ。考えてみれば、あれだけ泣いてしまえば瞼だって腫れていただろう。

 つまり、エリス達にもお見通しだったというわけだ。あまりに恥ずかしすぎて悶死する。


「す、すみません。ありがとうございます」

「いえいえ。……何かあったらちゃんと言うんだよ? 私達はカイリ君の味方だからね」

「……っ、はい。ありがとうございます」


 何があったのか、詳しくは聞いてこない。この一定の距離を保ってくれる気遣いがひどくありがたかった。

 彼らは本当に優しい。改めて、ケントがこの家に生まれて来てくれたことを嬉しく思う。


「さて、今度こそ独占するために部屋に行こうか。……そうだ、トランプをしないかい? 最近、フランツ君達とやっているんだろう?」

「はい。じゃあ、二人で出来るものにしましょうか。……何が良いですかね」

「うーん。スピードとかどうだい? 判断力や動体視力の良い運動になるよ」

「そうですね! 懐かしいな……じゃあ、それにしましょう。ぶたのしっぽ、とかもありましたよね」

「ああ、懐かしいね! それもやろうか。ああ、何だかこういう遊びって、わくわくするよね」


 子供の様に瞳を輝かせるクリスに、「はい」と答えるカイリの声も弾む。

 この世界にトランプがあると知ったのはつい最近だが、子供の頃に戻った様だ。簡単なゲームばかりではあるが、思いのほか白熱してしまう。



 ――ライン達とも、やってみたかったな。



 きっと、お互いにぎゃーぎゃー騒ぎながら、悔しがりながら、それでも楽しんだだろう。

 まだ、ふとした時に村のことを思い出してしまう。今回は、子供に戻った気持ちになったからだろうか。

 生きていたら、出来たかもしれないこと。カイリが背負った命。

 もし、色々やり遂げた後、あちらで出会うことがあったら、たくさん土産話をしよう。


 それが、今カイリに出来る精一杯のことだ。


 感傷を振り払いながら、カイリはクリスと部屋に向かう。

 その歩く足跡が、明るい未来に繋がっている様にと願わずにはいられなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る