第235話


 宿舎の外に出ると、ざあっと雨足が強まっているのが分かった。

 視界に広がるのは、雨の海だ。少し先までしか見通せないほどの強い降り方で、カイリは奮い立たせた心が立ち止まって怯むのを感じる。


 ――桶にたっぷりと水が張っていた時のことを思い出す。


 今、傘なしで渡り廊下から外に飛び出せば、あの時と同じ――顔を水に突っ込まれた時と同じくらい息が出来なくなりそうだ。


「……っ」


 視界を埋め尽くす灰色の雨が、桶に張られた水に思えて、カイリは足が大きく震えそうになった。

 しかし。



「――カイリ」

「――っ」



 ぐっと右手を強く握られた。

 振り向けば、隣にはケントが穏やかな笑顔で佇んでいた。優しい眼差しなのに力強さも感じられ、カイリは強張った心が少し解れていくのを覚える。


「……、ごめん。ありがとう」

「ううん! ……あ、そうそう! やっぱり恐い時はさ、一つの傘を差して歩くのが良いよね! 相合傘しようよ!」


 それは、恋人とやってくれ。


 とんでもないことを言い始めた友人に、カイリは真顔になってしまう。


「ケント……あのな? 流石に大の男二人が、傘差して狭っ苦しく歩くのって、はたから見たら変だと思うぞ。突然降られた外ならともかく、ここ、宿舎の廊下だろ」

「えー、カイリは大の男に見えないよ! だって、まだ成人している様に見えないもん!」

「悪かったな! これでも、170は超えてるんだぞ!」

「身長の問題じゃないよ! それに、年齢だって五歳も違うしね! カイリは十六歳。僕は先月二十一歳。結構な違いだよ!」

「悪かったな……! どうせ童顔だよ! 成人したばっかりだよ! 大人に見えないよ!」


 やけくそ気味に叫べば、ケントはからからと楽しそうに爆笑した。悪気の無さ過ぎる反応に、カイリはぐぬぬっと喉で唸ってしまう。

 カイリは、決して身長が低い方ではないはずだ。

 それなのに、ケントも含めて周りには背が高い人達しかいない。ほぼ全員180を超えているし、一番背丈が近いエディでさえ180近い身長である。解せない。

 どうせ、とやさぐれていると、ケントはまだ笑いながら、宿舎の傘立てから一本の傘を取り出す。

 それを見て、カイリはまたも真顔になってしまった。


 ――やけに、大きいな。


 ケントの身長ほどあるのではないかという長さに、カイリは首を傾げた。傘とは、そんなに大きなものだっただろうかと己の傘と見比べてしまう。


「なあ、ケント。それ、傘、なんだよな?」

「そうだよ! ヴァリアーズ家特注の傘なんだ!」



 何だそれは。



 疑問ではあったが、カイリは大人しく彼が傘を開くのを待った。

 そして、ぱんっと綺麗な音を立て、眼前いっぱいに弧を描いて丸く開かれたさまに絶句した。



 もう、傘じゃない。



 空を覆い尽くさんばかりに広がるその傘は、もう傘という認識を軽々と乗り越えてしまっている。

 屋根だ。丸い、ちょっとした屋根だ。

 カイリは、ケントが掲げる頭上に広げる傘の広さを呆然と見上げた。口が、あんぐりと間抜けに開くのを止められない。


「……なあ、ケント」

「なーに?」

「これ、……何か、随分と大きい、……っていうか、傘っていうより、屋根だよな?」

「そうだよー! だってこれ、僕達家族が全員で入れる様に作った傘だもん!」



 そうか。



 もう、それしか言えなかった。ケントの家族といえば、彼を含めて五人だ。

 五人全員で入れて、かつ雨に濡れないという条件が付けば、それはもう大きくなるのは必然だろう。この屋根の様な、既に空さえ見えない大きさに、カイリは無理矢理納得する。諦めて納得するしかなかった。


「いやあ、最初はね! 父さんと母さんが相合傘しているのが仲良さそうだったから、僕もやってみたいって言って! 次に、チェスターとセシリアもやりたいって! そしたら、父さんが『よし! 五人で入ろう!』って、傘屋に注文したんだよ!」



 そうか。



 もう本当に、それ以外に言うことはない。カイリは悟りを開いた。

 ケントの家族は、いつも唐突にとんでもない考えを実行するものだ。普通、いくら家族の仲が良くても、全員で入ってみせると言って本気で実行する人間はいない気がする。

 だが、そのおかげで家族専用の特注傘が出来たのだ。この傘は、ケント達の仲の良さを示す証でもある。

 そう考えると、カイリは苦笑してしまった。彼らが楽しいのならそれで良いかと思えてくる。


「……なあ、持ってみても良いか?」

「うん、良いよ!」


 ひょいっとケントが軽く渡してくるので、カイリも何気なく軽い気持ちで受け取った。

 だが。


「――っ!? むぐっ!? お、重……っ!」


 ずしっと、半端無い重量がカイリの手にのしかかってきた。ケントはあれだけ軽々と手にしていたのに、何故カイリには出来ないのか。

 しかし、ふぬーっと気合を入れても重量も現実も変わらない。だんだんと、全身全霊で持つことすら疲れ果ててきた。

 持ち手を両手で支えながらふらふらしていると、ケントが笑いながら、またひょいっと取り返してしまった。簡単に片手で肩にかけて微笑む彼に、カイリは盛大なる敗北気分を味わう。


「……何でケントは持てるんだ?」

「えー、それは日頃の鍛え方だよ! カイリ、僕より弱いもんね!」

「ぐほっ!」


 クリティカルで致命的な一撃を食らい、カイリは心の中だけでうずくまってしまった。弱い、という単語にはとてつもない殺傷力が詰まっている。

 一体カイリとケントの間に、何の差があるというのか。筋力か。年齢か。技術か。もう何を挙げ連ねても当て嵌まる気がして、カイリはさめざめと泣きしきる。

 そんな風に落ち込むカイリに、ぽんぽんとケントが楽しげに肩を叩いてくる。

 見上げた先の彼は、良い笑顔だ。腹が立つ。


「ま、その内カイリも持てる様になるよ!」

「……そうだと良いな! うん! ああ、もう! 絶対持ってやるからな!」

「あはは、楽しみにしてるよ! ……ほら、カイリ!」


 おいでおいで、とケントが一歩外に踏み出して招いてくる。

 自ら、雨が降る外に出る。それは、カイリにとってとても勇気がいる行動だった。

 けれど。



「……、ああ」



 雨に当たらない様に、ケントが傘を差してくれている。

 だから、カイリも思い切って一歩を踏み出した。



 ――ぱしゃっと、足元で水が跳ねる音がする。



「……っ」

「カイリ」


 もう一度、手をぐっと握ってくれた。

 そのおかげで、カイリの震えが止まる。はあっと、落ち着かせる様に息を細く吐き出す。


「……この傘、じゃ傘なんだな」

「うん、そうだよ! 古き良き傘って感じで良いでしょ!」


 頭上を見上げると、実に綺麗な円が頂点を中心に描かれていた。青空が深まった様な色の中、上の円は綺麗な雲の様に白い。鮮やかな色合いで、心が晴れ渡る様だ。

 確か前世では、江戸時代によく見られた傘だ。『あめふり』の歌詞でも出て来る傘である。

 この世界ではあまり見られない傘だが、ケントは「古き良き傘」と言っていた。


「なあ。これって、昔流行っていたのか?」

「んーん! これは、僕や父さんが前世の頃に知ってたから作ってもらえたんだよ!」

「そうなのか。じゃあ、傘屋の人、戸惑ってなかったか?」

「うん! こういう感じって説明したら、目を白黒させてたよ。僕は、こういう傘、好きだけどね!」


 シンプルで芸術的だ。

 カイリもごちゃごちゃとした柄があるより、こういう単純でも綺麗な色の傘は好きだった。ケントやクリスの好みは品がある。


「俺も、好きだな」

「……そっか! ふっふー、父さんも喜ぶよ! 話してあげてね!」


 さ、行こう、とケントが手を引いて外に連れ出す。

 だが、カイリとしても彼に誘導されるだけでは話にならない。一生懸命足を動かしていく。

 ぱしゃっ、ぴちゃっと、歩くたびに足元が跳ねる。その音を耳にするたびに心臓が小さく跳ねたが、何度もケントが手を強く握り直してくれたので、カイリは次第に落ち着きを取り戻していった。

 本当に周りには助けられてばかりだ。カイリもきちんと返したいと願いながら、ケントと一緒に雨の道を歩く。


「……あ、そうだ」


 せっかく街に出るのならば、見ておきたい場所がある。

 あまり日にちは経っていないが、一度暴行の場面を目の当たりにした以上、気になって仕方がなかった。


「なあ、ケント。……屋敷に行く前に、パン屋に寄っても良いか?」

「え、……もしかしてメモリーズのこと?」


 パン屋という単語を口にした途端、ケントの顔が曇る。

 そういえば前回の時も、ケントは微妙な反応を示していた。味見をして美味しかったからかパン自体は購入はしていたが、あまり積極的に寄りたい場所ではないのだろうか。


「……もしかして、何か嫌な思い出とかあるのか?」

「んー……。ううん。僕には特にないけど、……」

「ケント?」

「……、良いよ。どうせあれから変な暴力を受けていないかとか気になっているんでしょ? 自分が大変なくせに、いっつも人のことばっかりなところがカイリらしいし」

「な、何だよその言い方」

「褒めてるよ。褒めてないけど」


 どっちだ。


 激しく突っ込みたかったが、ケントはかなり神妙な顔つきを見せていた。口では茶化しつつも、少し考え込む様に視線を彷徨さまよわせている。

 やはり、何か理由がある様だ。

 気持ちは急いたが、彼は話さないと決めたことは話さないだろう。ケントは話すべきだと決めたことはきちんとカイリにも教えてくれるはずだ。

 辛抱強く待っていると、小さく溜息を吐かれた。どこか疲労が混じっている気がするのは思い違いではない。


「……どうせその内分かることだし。行こっか」

「……分かる?」

「カイリ。多分面倒なことになっているし、……心労もかかるから覚悟決めておいてよ。実際見た方が早いだろうしね」

「え、……。……分かった」


 分かったと言いつつも、どこか不穏な空気が漂っていて怯みそうだ。どうやらカイリに関する理由らしいと気付く。

 しかし、ここでぐだぐだ考えても分からないものは分からない。腹を括って、辿り着いた時までお預けを食らうことにした。


「さ! そうと決まれば、早く行こう! ちゃっちゃと終わらせて父さん達に会うよー!」

「ああ。楽しみだ。……って、ケント。渡り廊下から即行で外れたけど、道、知ってるのか?」

「ふっふーん。僕はこの宿舎、見回ってもいるんだよ? 誰も知らない近道とか知っているに決まってるじゃない!」


 こっちだよー、とケントが思い切り、廊下とは全く違う方向へと進んで行く。

 少し歩くと、教会を囲っている壁を、開いた穴や割れ目に器用に足をかけて乗り越えてしまった。傘を差したままなのに、どんな運動神経をしているのだろうと、カイリは呆れながらも感心してしまった。


「ほら、カイリ!」

「はいはい」


 カイリもケントにならって、割れ目や穴に足を引っ掛けて壁を乗り越える。

 ぱんぱんと、濡れた手を払ってケントの隣に並ぶと、商店街の一角に辿り着いたことが分かった。


「俺達が使っているルートとは違うけど、ここも近いんだな」

「そうだよ! 正直、あの渡り廊下を歩いてたら時間かかって仕方がないし! 聖歌語使っても良いけど、面倒だからよく近道使ってるよ!」

「そうか。俺達もだよ」

「やっぱり! 第十三位は、常識に捉われない人達が多いもんね」


 一緒だね、と嬉しそうにケントが笑いかけてくる。

 第一位と第十三位は、犬猿の中。

 最初はそう聞いていたが、こうしてケントと付き合っていくと、カイリにはとても不思議に思えた。彼は少なくとも、第十三位を毛嫌いしている感じがしない。

 だが、他の第一位や騎士団は、確かに第十三位を蛆虫うじむしの様な目で見つめてくる。平気で傷付ける様なことを口にするし、カイリは思わず胸を押さえてしまった。


「……カイリ?」


 不安そうに呼ばれる。

 我に返って振り返ると、ケントが心配そうに眉尻を下げていた。どうしたのだろうと、カイリが首を傾げると。


「もしかして、具合が悪い? 苦しい?」

「え」

「胸、押さえてるから」

「あ、……」


 そういえば、と己の状態を見下ろしてカイリは失態を悟る。

 今、第十三位への周囲の反応を思い返していたから、自然と気分が悪くなってしまった。ケントからしてみれば、雨のせいで具合が悪くなったと思ってもおかしくない。


「ごめん、違うんだ。今のは、ちょっと考え事をしていただけだから」

「だったら良いけど。……あ、ねえ! 歌! 歌おうよ!」


 ケントが元気いっぱいに提案してくる。

 そういえば、歌を歌えば良いと、出かける時に口説かれたのだ。一緒に歌うというその懐かしさで、カイリは外に出る決意をした。

 ケントとは、あの『雪』を歌った時以来になる。少しくすぐったいが、カイリも彼と歌うのが楽しみでもあった。


「えーと、……でも、二人で知ってる歌って『雪』以外に無いよな?」

「そうだよ! だから、カイリが教えてよ!」

「え、俺?」

「そう! 雨の記憶を最新のものに塗り替えるんだよ! だったら、雨の歌が良いなー!」


 きらきらと、期待に満ち満ちた眼差しで見つめられる。身長の関係で見下ろされているはずなのに、何故か見上げてくる子供の様な無邪気さだ。茶色の瞳が、満天の星空の様に光で埋め尽くされている。

 何というか、ケントは本当に子供っぽいなと微笑ましくなった。いざという時は団長らしい凛々しさや恐ろしさを発揮するのに、カイリの前ではいつも無邪気だ。


 ケントにとって、カイリは少しでも憩いの場になれているだろうか。


 そうだったら良いのにと、カイリは一瞬だけ目を伏せて、顔を上げた。


「そうだな。じゃ、『あめふり』にしようか」

「うんうん! どういう歌?」

「えーと、最初の出だしはな」


 歌を歌って、歌詞を教えていく。

 ケントはやはり記憶力が良くて、ふんふんと頷いて、何度か口遊くちずさむだけですぐに覚えてしまった。リズムも童謡唱歌だから単純で、覚えやすいというのもあるのだろう。

 あっという間に五番まで覚えてしまって、カイリは感嘆してしまった。彼自身が作った歌も聞いてみたいなと、切望してしまう。


「なあ。ケントは、どんな歌を歌うんだ?」

「え? 僕?」

「そう。俺、お前の聖歌を聞いたことないしさ。ちょっと、聞いてみたい」

「――」


 一瞬。


 ほんの一瞬だが、ケントの瞳から光が抜け落ちた。


 え、とカイリが驚く合間にすぐに戻ったが、目の前で表情が根こそぎ落ちていった瞬間を忘れることは出来ない。

 自分は、何か変なことを聞いてしまっただろうか。

 懸念が過ぎったが、すぐにケントは笑って誤魔化す様に外向そっぽを向いた。


「んー、まだ秘密!」

「え……」

「僕、カイリの歌、好きなんだよね」

「はあ」


 いきなり話を変えられた気がした。

 誤魔化されているのは分かったが、まだ続きがあることも気付いたので、黙って促す。


「カイリの歌は、何ていうか……優しいし、あったかいし。切ない歌もあるみたいだけど、……本当に何て言えば良いんだろう。聞いていて、心があったかくなる感じがするんだ」


 胸に手を当てて、ケントがゆっくり目を閉じる。

 その横顔はひどく安らぎに満ちていて、カイリ自身も安らいでいく様に心が凪いでいった。


「だからさ。僕が歌う歌は、ちょっと、聞かせにくいっていうか」

「……そんなに変な歌なのか?」

「地獄を見たって言われるし。確かに僕の歌って、実用的なのが多くて攻撃的なんだよねー」


 そういえば、前にフランツもちらっとそんな話をしていた気がする。リオーネに聖歌を習っていた時のことだ。



〝いや、そんなことは無いぞ。彼の歌を聞いたことがある人間は、『この世の地獄を見た』といつくばっていたからな〟



 あれは、比喩ではなかったのか。

 思い知らされて、カイリの顔が思案に沈む。

 カイリの聖歌は、前世の記憶が元になっている。

 他の者の聖歌はあまり聞く機会が無いが、第一位との試合では、確か聖歌隊が歌っている歌だったはずだ。

 しかし、ケントは聖歌隊に頼る様な性格にも思えない。聖歌は恐らくオリジナルのものだろう。

 ならば、ケントの歌は、やはり彼自身の記憶にまつわるものなのだろうか。



〝でも、本当だもの。あんな子、死んでくれてせいせいしたわ〟



 ――この世の、地獄。



 もし、ケントが覚えていなくても、無意識に根底に前世の想い出が眠っているのならば。

 それは――。


「カイリー」

「――、あ」


 これで、何度目だろうか。

 ケントが目の前にいるのに、沈んでばかりでは失礼だ。己の不甲斐なさに、頭を殴り付けたくなる。


「ごめん。また考え事……」

「……いつか、聞かせてあげるよ」

「え?」


 ぽつん、と落ちる様に約束を結ばれる。

 けれど、カイリを見据えてくる彼の瞳は、並々ならぬ覚悟を秘める様に強い灯火が宿っていた。

 何故だろうか。聖歌を聞いてみたいと言っただけなのに、それは途轍とてつもない禁忌を犯す様な行為なのだろうか。

 カイリには分からない。何も知らないのだから、予想すら立てられない。

 だが。


「でも、それはまだ、ずっとずっと先の話」

「……」

「その時が来たら、聞かせてあげる! だから」


 ぐっと、手を引っ張られる。

 勢いが良すぎてたたらを踏んでしまったが、ケントはカイリの肩に額を乗せて、ささやく様に声で抱き締めてきた。



「今は、カイリの歌が歌いたいな」

「……、そっか」

「うん。楽しい歌を、一緒に歌いたい。……僕の歌もいつか、楽しいものに変えられる様に」

「――」



 ぎゅうっと、握られた手に力がこもる。

 楽しいものに、変える。

 それが、ケントの願いなのだろうか。よく理解は出来ないが、少なくとも願いの欠片かけらではあるのだろう。

 家族と楽しく過ごしている様に見えた。カイリの前では、よくはしゃいでいる。

 だが、やはり彼には彼の苦悩があるのだろう。抱えているものが上手に隠されていて、カイリには見通せない。

 それでも。


「分かった」

「……」

「歌おう、ケント」


 カイリは、水を克服するために。

 ケントは、願いを叶えるために。

 お互いに未来を見据えて、二人で歌って歩いて行こう。

 その先でも、彼と共に歩いて行けたら嬉しい。

 カイリは、切に願う。



「――あめあめ ふれふれ かあさんが」



 ぱしゃっと足元で水を楽しく踏みながら、カイリが弾んだ声を出す。

 それに釣られたのか、ケントもカイリの肩から顔を上げる。

 彼の顔にはもう、憂いも強い決意も見当たらなかった。



「じゃのめで おむかい うれしいな」

「「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」」

 


 二人の歌声が、雨に乗って空を舞う。

 元気に、明るく、水の音さえも歌声と共に踊って。



「かけましょ かばんを かあさんの」

「あとから ゆこゆこ かねがなる」

「「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」」



 二人は雨の中、大きな大きな傘を差して、ケントの家を目指して笑いながら歌い続ける。



 いつの間にか、雨の音が歌を彩る賑やかな楽器になっていることに。カイリは気付かないまま、笑っていた。


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