第226話


「んー……」


 カイリは今、レインの手元にあるカードと懸命に睨めっこをしていた。んー、うー、と無意味な唸り声を数分程上げて、右の指を彷徨わせている。

 レインはひたすらに、にまにましながら余裕の表情だ。床に腰を下ろし、カイリのベッドに肘を突いて目を細めている。だらしない姿のはずなのに、彼は顔が整っているせいで、妙に様になっていた。堂に入っているというのもあるだろう。目下悩みの原因であるため、カイリにとっては腹立たしくて仕方がない。彼が慌てふためく様を、一度で良いから見てみたかった。


「ちょっと、あなた。さっさと引いて下さいませ。五分うなろうが、十分唸ろうが、どうせあなたの負けですわ」

「ぐっ……って、分かんないだろ! それは、レインさんは策士だし、勝負運が何こいつってくらい強すぎるし、いかさましてるだろ、そうに違いないってくらい、見事に俺にババばかり引かせてるけど!」

「おーい、カイリ。お前、先輩に対する発言がぞんざいになってるぞー」

「……あ、すみません。つい。さっきから、見事にババばっかり引かされているので腹が立ってしまって」

「……カイリって、変なところで良い性格になるよなー。ま、その方がオレとしては面白いけどよ」


 呆れた様に半眼になるレインに、カイリはぐうっと口をつぐんでしまう。

 今、カイリ達は自室でトランプの『ババ抜き』をしているところだった。前世と同じカードゲームがあることに驚いたが、一から説明が無くて楽ではある。

 カイリはまだ長い時間起き上がれないので、暇つぶしにとフランツ達全員でトランプをすることになったのだ。


 しかし、レインがまた強かった。


 一度も負けなしな上に、常にカイリの隣なため、彼がババを持つと必ずカイリに渡る。むしろ、カイリに渡すためにわざとババを引いているのではないかと疑いたくなるくらいだ。

 故に、カイリはベッドで毎回唸りながら、レインのカードとこうして睨めっこをしているわけだ。


「大丈夫だ、カイリ。お前の隣は俺だ。そして、何故かいつも俺はババを引いてしまっている。つまり、お前がババを引いても、すぐ俺に渡ってしまうということだ」

「フランツ様、実はババがどれか分かっている……というわけではなさそうですよね」

「ああ。何故だろうな。カイリからカードを引く時、その圧倒的に神々しいオーラが指を導く様にババに触れさせるのだ。……なるほど。これが、カイリの実力というわけだな。流石はカイリ。俺の息子はババを引かせる天才というわけだな」

「……その理屈で行くと、フランツ団長もババを引かせる実力ありそうっすけどね」

「ふふ。私は、ババを引きませんから♪」

「……、うむ。何故だろうな……」


 フランツが心底不思議そうに首を捻るので、何だかカイリは申し訳なくなってきた。

 つまりは、カイリがレインからババさえ引かなければ、フランツに流れていくこともない。

 要は、レインのせいというわけである。


「レインさん。フランツさんのために、ちょっとババを持っていてくれませんか? 俺、もうこれ以上フランツさんにババを引かせたくないので」

「……か、カイリ。……何て優しいんだ。く、目から何故かお湯が」

「あと、このままだと、またエディがビリだと思うので。一回くらい負けてみませんか? 楽しいですよ、きっと」

「って、何で新人は、そこでボクが『また』! ビリだと思うんすか!?」

「いや、そりゃあ……なあ?」

「……フランツ様とパシリだったら、フランツ様の方が運があるってことですわね」


 シュリアが冷静にトドメを刺し、エディは泣き崩れる様にうずくまった。その際、ばっちりカードの柄が見えてしまい、カイリはそっと目線を外す。

 しかし、ここで踏み止まっているわけにはいかない。カイリは気合を入れて、レインのカードを凝視した。もうカードの中身を見透かしてやるという気概を込め、視線に殺気を込める。


「……いやー、何だろうな。オレ、カードでこんなに殺されそうになんの、ギャンブルぐらいしかねえよ」

「なるほど。いかさまをしている、という彼の言葉は一理ありそうですわね」

「レイン。お前、カイリにいかさまなどしてみろ。天が許しても俺が許さんぞ」

「いや、してねーって!」

「……んー。……もう、これにします」


 外野で好き放題言っているのを無視し、カイリはひょいっとカードを一枚選んで取った。「……殺気の割には軽いっすね」というエディのツッコミは当然無視である。

 そして、めくった瞬間。



 カードには見事に、おどろおどろしい魔女の姿が描かれていた。



 まるでその横顔と目つきが、「ばーか」と嘲笑っている様にカイリには映る。


「……。……レインさんって、やっぱりいかさましていますよね」

「って、何でだよっ。流石に仲間同士ではやらねえよ」

「なるほど。ギャンブルではやっているのですわね」

「そりゃあな。負けたら、借金だろ? そうしたら、第十三位が路頭に迷うだろうが」


 レインがもっともらしいことを言って手を広げる。

 シュリアはもちろん、カイリも流石に白々しいと思ったが、フランツは何故か一人感動していた。


「レイン……お前は、そこまで第十三位のことを考えてくれているのか」

「あー、そりゃあ、まあな。オレ、第十三位は大好きだし?」

「そうか。お前を副団長に任命したことは、間違いではなかったということだな」

「おうよ。流石団長。分かってんなー」

「上手いことを言っていますけど、つまりはレイン様はズルい大人ということですね♪」

「……なるほど。お前はカイリに悪影響を与えそうだな。副団長にしたのは間違いだった。今日から俺も、ここに寝泊まりすることにしよう」

「変わり身早すぎだろ! カイリ大好き過ぎんだろうが!」


 フランツがすぐさま大真面目に計画を立て、レインが思い切り身を引いていた。カイリとしては、どう反応したものか判断に困る。

 だが、フランツに心配してもらえる喜びが勝ってしまって、援護はしなかった。静かに小さな幸せを噛み締める。

 そんな風にカイリが浸っていると、レインが呆れ果てた様に溜息を吐いた。


「……お前も、どんどん息子馬鹿になってるよなー」

「……そうですか? でも、フランツさんが好きなのはその通りなので」

「おお……っ! カイリ……お前は本当に良い子だな。誇らしいぞ」

「……ああ。親馬鹿息子馬鹿。わたくし、ここにいるのがアホらしくなってきましたわ」

「まあまあ、シュリアちゃん。家族仲が良いのは素敵なことですよ♪」


 ぐりぐりとフランツがカイリを後ろから抱き締め、悦に浸ってくる。フランツは最近、特にスキンシップが激しくなってきている気がした。

 拉致事件で心配をかけ過ぎたからだろうか。早く体力を戻して、武術の訓練がしたいとカイリは秘かに願う。



「――って、あ。誰か来たみたいっすね」



 賑やかに団欒をしていると、水を差す様にチャイムが鳴った。エディが身軽に立ち上がり、「はいはーい」と玄関に向かう。

 しかし、第十三位に訪ねてくる人間などごく少数だ。またケントだろうかと、カイリが予測を立てていると。


「フランツ団長。お客様っす」

「ん? 俺にか?」

「あ、……うーん。……正確には、恐らく新人っすね」

「俺?」


 名指しされ、カイリはきょとりと目を瞬かせる。

 対するフランツは途端に厳しい表情になった。レイン達も同じ様に真顔になる。


「客は、誰だ?」

「ハーゲン殿っす。ほら、あの王室近衛騎士の団長さん」

「ああ、……本当に接触を図ってきたな」

「ま、しかしハーゲン殿だってんなら、ジュディス王女も繋がってんだろ。聞くしかねえな」


 レインがやれやれと肩を竦めるのを、フランツ達も神妙に受け止める。クリスやパーシヴァルからすぐに接触があると教えてもらったそうだが、本当にその通りだったことに不穏しか見当たらない。

 それにカイリは後から聞いた話だが、どうやら王族、もしくは近しい者が狂信者と繋がりを持っているかもしれないということだった。カイリを拉致した時のタイミングなど、都合が良すぎるという話になったらしい。

 カイリとしては、同時に狂信者を使い捨てにしたのだろうかと恐い事実に突き当たりそうで、その推測は出来れば当たって欲しくは無い。狂信者は好きではないし、二度と会いたくもないが、それでも死んで喜ぶ気にはなれなかった。


「カイリ。すぐに着替えられるか?」

「はい。制服なら、すぐそこにありますし」

「分かった。レイン、お前はカイリの手助けをして、後から一緒に来てくれ」

「りょーかい」

「他のみんなは一緒に応接室へ。カイリ、急ぐことは無いぞ。自分のペースで来て良いからな」

「分かりました。ありがとうございます」


 フランツ達が、ぱたぱたと部屋を出て行く。エディが律儀にカードを片付けてから行くのが、彼らしいとカイリは感心してしまった。

 レインはいつの間にカイリの制服を手にしたのか、既にベッドの上に広げてくれている。彼の身のこなしは相当なものだと、カイリは感嘆しっぱなしだ。


「ありがとうございます。すぐ、着替えますね」

「ゆっくりで良いって言ってただろうよ。慌てんな」


 くくっと楽しげに声を立て、レインが腕を組んで見守っている。カイリが、まだ万全の状態ではないからだろう。着替えるのも遅くなっているのは申し訳なかった。


「しっかし、お前は後から後から目まぐるしいこと引っ張ってくんなー。第十三位がこんなに忙しいのは久々だぜ」

「……何だか、疫病神扱いされていませんか?」

「いーや? ま、半分はな」

「やっぱりそうじゃないですかっ」


 ふて腐れて外向そっぽを向けば、むくれるなと笑いを噛み殺して頭を撫でられる。フランツはともかく、レインは頭さえ撫でれば誤魔化せると勘違いしていないだろうか。カイリはそこまで子供ではない。

 だが、実際カイリは拉致問題については迷惑をかけている。その他にもルナリアの街では死にかけて心配をかけたし、エリックの死についても気を遣って故郷まで連れて行ってもらった。

 改めて振り返ると迷惑のかけ通しで、カイリはだんだんと申し訳なさが先立つ。


「……すみません。確かに、俺、疫病神なところがあるかも」

「……そこで真面目に捉えんなよ。お前、変なところで遠慮するよなー」


 またも、ぽむぽむと頭を撫でられる。今度は苦笑気味だ。仕方ない奴と、溜息まで聞こえてきそうな仕草である。

 レインは、実際カイリのことを良く思っているわけではないはずだ。聖歌が嫌いだし、危険だと告げてきた。今だって考えは変わらないだろう。

 だからこそ、カイリはレインと賭けをしているのだ。



 もし、カイリが聖歌を悪用することがあれば、遠慮なくレインが殺すと。



〝二、三十分ほど続ければ、体力は格段に落ちるでしょう。……そうであるな、カイリ〟



「……っ」


 思い出して、ぎゅっとカイリは着替えていた制服の胸元を握り締める。

 すがる様になってしまったのを見て、レインが眉をひそめた。


「おい?」

「あ、……」


 レインの訝し気な声に、しかし咄嗟に言葉が出てこない。震えそうになる体を必死に制御するので精一杯だった。


 レインとの賭けは、カイリにとっても保険だ。


 カイリが勝つつもりではあるが、教皇の事件で恐怖が身に染みている。

 洗脳という手段が無くても、カイリに何が何でも聖歌を歌わせようとする悪人は、これから先も現れるだろう。

 もし万が一の時になったら、カイリ自身を止める手段が欲しい。レインが賭けに乗ってくれたことを、今更ながらに感謝した。


「レインさん」

「んー」

「ありがとうございます」


 いきなり礼を告げたから、相手は戸惑ったらしい。レインがあからさまに眉根を寄せた。


「何だよ、急に」

「……レインさんがいるなら。……俺はきっと、もし俺の意思に関係なく聖歌を悪用したとしても、絶対止めてくれるって安心出来るから」

「――」

「もちろん、俺の意思がある限りは悪用するつもりはありませんけど。……賭けに乗ってくれて良かったって。ちょっと、思っていたんです」


 しみじみと呟いた気持ちは本物だ。感謝を抱いたからこそ伝えた。

 それなのに、レインは明らかに表情を歪める。はっきりと不機嫌を押し出してきて、カイリの隣に座った。どすん、と派手にベッドが跳ねる。


「レインさ……」

「……お前、何弱気になってんだよ」

「……、え?」

「俺に向かって、歌が好きだ、悪用しないって強く宣言したお前はどこいった」


 真っ向から睨まれて、カイリの身がすくむ。彼の本気の殺意に、カイリはかたかたと体が震え始めるのを止めることが出来なかった。

 何故だか分からない。



 だが、レインは確実に怒っている。



 逆鱗に触れたことを知って、カイリは彼から視線を逸らせなかった。


「今のお前は、聖歌を悪用すんのか?」

「っ、そんなわけないでしょうっ。……でも」


 でも。もし、また教皇ないし狂信者に拉致されたら。


 カイリは、貫き通せるだろうか。

 外傷が残らない水責めでさえ、あれだけの恐怖と激痛にさいなまれた。今だって水が恐いという後遺症が残ってしまっている。思い出しただけでも震えが止まらない自分は、とても弱い。

 もし、教皇が最初に口にしていた様に、爪を剥がされ、火であぶられ、――想像もつかない様な残忍な方法を取られたとしたら。



 カイリは、正気を保っていられるだろうか。



 それが、酷く。


「……っ、……俺、まだ、恐いんです」

「……」

「お風呂に入るどころか、水を飲むことさえ、まだ一人で出来ないんです。……たった、半日程度だったのに。それだけで、俺は、こんなに情けないことになっている。思い出しただけで、震えそうになって、叫びたくなる」

「……」

「おじいさんが、取り計らってくれたから、……この程度で済んでいるけれど。でも、……本当だったら、もっともっと酷い拷問をされていたかもしれない。爪を剥ぐとか、指を、……っ、切る、とかっ。……色々、言われた、し」

「……っ」


 今回は、水責めだけで済んだ。

 運が良かったから、早く助けが来た。

 けれど、毎回そうだとは限らない。もちろん、二度とむざむざ捕まるつもりは無い。

 だが、もし。本当に万が一、同じ状況下に陥ってしまったら。


「……俺は正気を失って、……彼らに言われるまま、聖歌を歌っているかもしれない」

「……」

「それが、俺は恐い。……何より、大好きな歌を悪用して、フランツさんや、レインさん達……大好きな人達を苦しめるかもしれない。……そのことが一番、恐いんです……っ」


 フランツ達を苦境に陥れるかもしれない危険性。

 レインの言う通りだ。彼の語っていた危険は、いつだって日常と隣り合わせにある。

 カイリは、今は正気を保っているから正常に物事を判断出来る。

 だが、カイリは正気を失った状態に陥ったことが無い。



 だから、――その時自分がどうなるのか。まるで想像が付かない。



 じわじわと、水面に一石を投じられた様に、密やかに心の底で波打っている不安だ。フランツ達に言ったら、心配されるに決まっている。

 だから、今まで言えなかった。

 何故、レインに話してしまったのだろうか。

 恐らく、彼の殺気にあてられたからだろう。早速意思の弱さを痛感し、カイリは泣きたくなった。


「……。……じゃあよ」


 大袈裟に溜息を吐き、レインがカイリの首筋に手をかける。冷やりとした指の感触が鋭い刃を連想させ、カイリは喉を鳴らしてしまった。

 そんなカイリの怯えに、レインは酷薄な笑みを凄絶に散らす。笑みの欠片までもがカイリの喉元を抉る様な凶刃さだ。集中的に喉を刻まれ、一層心が震えた。



「今、死んどくか?」

「――っ」



 間近で瞳から殺意を叩き込まれる。心臓を刺し貫かれた様な衝撃に、カイリは思わずレインの腕を握り締めてしまった。

 はっと、荒く息を震わせ、カイリは首にかけられた手を必死に遠ざけようとする。

 だが、びくともしないその力に、カイリは懸命に神経を注いで首を横に振った。


「……っ、いい、え」

「……」

「……いいえっ。俺は、……死ねませんっ」


 両親が、友人が、村のみんなが助けてくれたこの命。簡単に散らせるわけにはいかない。

 それに何より。



〝……お帰り、カイリ。……よく、戻って来てくれたな〟



 カイリのことを息子として出迎えてくれる、優しい父のためにも。



 カイリは、何が何でも最後まで足掻あがかなければならない。この命を、諦めるわけにはいかないのだ。

 レインの殺気の嵐に息も絶え絶えになりながらも、カイリは必死に彼を真っ向から見つめ返した。

 全力で瞳に力を込めたが、視界がぶれそうになる。あまりに嘆かわしい体たらくだが、瞳が揺れていないことを祈るしかない。

 そうして、どれほど睨み合いを続けただろうか。


「……じゃあ、話は簡単だろ」


 レインが、ふつっと、糸を切る様に瞳を閉じる。



「死ななきゃ良い」

「……、え?」



 瞳を閉じたレインは、殺気を緩めて手を離した。

 途端、どっとカイリの体から汗が噴き出る。ばくばくと、心臓が飛び跳ねる様に暴れ回り、カイリは息苦しさに胸を強く押さえた。

 そんなカイリの醜態に気を良くしたのか、レインは上機嫌だ。

 何故、人が苦しんでいるのを見て笑っているのだろうか。拳を顔に叩き込みたくて仕方が無かった。

 だが、それさえもお見通しなのだろう。くくっと、いじめっ子の様な笑みを顔に貼り付け、レインは目を細めた。


わりわりい。やりすぎたな。会談前だってのに」

「……っ。……分かっているなら、何で」

「お前が、……」


 口にしかけた言葉を切って、レインはその後を飲み込んだ。忌々し気に逸らした視線は鋭いが、どこか苛立ちと共に罪悪感や案じる色が混ざり合っている。

 相変わらず複雑怪奇な感情を併せ持つ人だと、カイリはぼんやり眺めるしかなかった。



「……結局よ。最後まで正気を保てるかどうかってのは、絶対屈してやるもんかっていう、並々ならぬ気合だけなんだよな」

「……、き、あい。……でも、俺」

「お前、オレ達が助けに行った時、ちゃんと聖歌語で抵抗してただろ。……本当に意思が弱い奴ってのはな、例え少しでも拷問されたら、すぐに降参するもんなんだよ」

「……レインさん」

「水責めだってな、酷い拷問だ。正気を失ってもおかしくなかった。……爪を剥ぐのも指を切るのも水責めも。全部等しく拷問だ。上も下もねえ」

「……っ」

「だから、お前はよくやった。――オレが想像してたよりも、ずっとな」



 ぽんぽんと、また頭を撫でられた。

 けれど、今回はとても優しい触れ方だ。彼の心が染み渡ってくる様な熱に、カイリの心臓がぎゅっと締め付けられる。


足掻あがくって決めてんだろ?」

「……、はい」

「だったら、それで良いんだよ。オレとの賭けだって、絶対勝つって気合入れろよ。最後まで経ち続けて、オレに、『はっ、見ましたか! どうです、俺の勝ちですよ! レインさん、なっさけなーい! ぷーっ、ザマーミロ!』くらい言ってみせろよ」


 ――俺、かなり性格悪いな。


 レインの全く似ていない物真似に、カイリは思わず噴き出してしまった。

 抑えようとしたが、それでも笑いを堪えきれずに、あはは、と声に出して笑うと、レインがしたり顔で頷く。


「それで良いんだよ」

「……っ」

「大丈夫だ。お前が抗う限り、オレ達も手伝ってやるよ。……二度と、お前にそんな恐怖味わわせない様に、全力で抗ってやる」

「……っ、レイン、さん」

「震えようが、恐かろうが、お前は強い。――誇れ。オレも、誇ってやる」


 だから、と。

 レインは一度言葉を切り、視線を虚空に彷徨わせた。少し罰が悪そうな表情に、カイリが首を傾げると。



「――信じろよ」

「――――――――」

「お前自身のことも、……オレ達のことも。お前は、最後まで絶対聖歌を悪用しないってな」



 一つ一つ噛み締める様に、レインが背中を押してくれる。

 カイリは、信じられない気持ちで彼を見上げてしまった。目が大きく見開かれたのは、致し方ないことだと思う。

 彼は、今までカイリを試す様なことばかり言ってきた。恐らく、今だって信じきれているわけではないだろう。

 それでも、彼は言ってくれているのだ。「信じろ」と。自分のことも、彼らのことも。

 何より、彼が。聖歌が嫌いだと、危険だと、信用出来ないと言っていた彼が。



 カイリを助けてくれると、明言してくれている。



「……っ」


 ぼろっと、心の中で何かが剥がれ落ちる音がする。同時に、目の奥も熱くなって慌てて目を閉じた。今泣いたら、応接室に行けなくなってしまう。

 未だに、カイリは不安を拭い切れているわけではない。これからも、水のこと、暴力のこと、己への恐怖で蝕まれる時もあるだろう。

 だが。


「……、はい」


 カイリは、一人ではない。

 どんなに恐くても、彼らが傍にいてくれる。そう、約束してくれた。



「……ありがとうございます、レインさん」



 だから、彼らの――彼の約束を希望の光にして、胸に灯し続けよう。

 そうすれば、カイリはどんなに絶望に落とされても、自分の足で歩いて行ける。

 彼らが、いてくれると。信じて、足掻き続けられる。


「俺、……負けないですから」

「おうよ」

「えーと、……あーっはっはっはっは! 俺の勝ちです! ぷーっ、カッコ悪い! ザマーミロ! って、レインさんに声高に言ってみせます」

「……何だろうな。無性に腹立ってきたんだけど」

「……レインさんが言ったんですよ? 言えって」

「実際言われると腹立つんだよ! あー、ったく! つべこべ言わずに早く着替えろ!」


 ぺしんと頭をはたかれ、カイリはまた噴き出してしまった。レインが少し面白くなさそうにふて腐れてしまったが、構わない。

 何となく、レインと距離が近くなった気がして、カイリは喜びを胸に仕舞いながら黒シャツに袖を通した。


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