第207話


『ゼクトール!』


 快活な声が、ゼクトールの背中に飛んでくる。

 溜息交じりに振り返ると、案の定見慣れた顔が満面の笑みで駆け寄ってくるところだった。

 幼き頃から隣同士の家。共に意地を張り合い、時にぶつかり合い、朝から晩まで泥んこになって木刀を叩き合わせた幼馴染だ。


 それから十年。


 ゼクトールも幼馴染の彼も、一つ目の目標を達成してここに在る。


『エイベルか』

『何だよー。相変わらず覇気が無いな! 駄目だぞ、そんなんじゃ。陰って湿ってきのこが生えるぞ!』

『黙れ、この万年春男。年がら年中花を咲かせてる奴に言われたくない』

『えー、春男ってことか。良いじゃん良いじゃん! 俺にピッタリ!』

『……は?』

『花吹雪を咲かせてるってことは、それだけ周りが能天気に幸せってことだろ? どうよ、俺! さっすがー!』


 馬鹿だこいつ。


 出会ってからもう十年も経つが、ゼクトールはエイベルの思考回路には到底ついていけた試しが無い。皮肉が称賛に変わり、嫌味が栄誉に変換される。正直、彼の頭の中身を叩き潰してやりたかった。


『でも、やったな! 俺達、教会騎士になれたじゃん! しかも、聖歌騎士! やっほー!』


 肩を組んで、エイベルが無邪気に飛び上がる。

 彼は何処までも感情のまま突っ走る人間だ。ゼクトールとしては、時々羨ましくなるくらいだ。

 しかし、ゼクトールとしても心の中では飛び上がっている。



 教会騎士になって、この国の制度を変える。



 ぶつかり合い、叩き合い、そうして彼と交わし合った誓いだ。

 表立って口にすることは出来ないが、教会の上のやり方、ひいては教皇の方針は傲慢だ。逆らう者は制裁ないし洗礼を施し、二度と口応えが出来ない様な状態にする。闇に葬られた者も一人や二人どころの騒ぎでは無い。

 だが、それをはっきりと噂する者はいなかった。教皇の耳や目が何処にいるか分からないからだ。明日は我が身とばかりに、皆、己の身が可愛いのだ。

 それを責めるつもりは無い。

 しかし、ゼクトールもエイベルも、それで良しとするには血気盛んであり、正義感に溢れすぎていた。


『十三歳って快挙だよな!』

『ああ、そうだな。……まあ、ここからだが』

『ふっ。ゼクトール、自信無いのか? 任せろよ。俺が第一位団長になって、お前をこき使ってやるから!』

『……お前、いっぺん締める』

『おお、やるか? やろうぜ! 負っけないからな!』


 腰にある剣を抜き放ち、エイベルが楽しそうに破顔した。

 そんな彼の笑顔が、ゼクトールにはいつも眩しかった。彼は言うなれば、周囲を照らす太陽の様なものだ。

 剣術の腕もあり、人望もあり、いつだって前を向いて走り続ける。

 そんな彼と憎まれ口を叩きながらも、ゼクトールは彼の隣にいられることを誇りに思った。



 いつか、彼と共に頂点に立つ。



 それだけを夢見て、ゼクトールは幼き頃から邁進まいしんしてきた。

 そう。






『いつか一緒に、この国変えてやろうぜ! ゼクトール!』






 当たり前にあるこの日常が、しわくちゃの爺さんになっても続くのだと。ゼクトールは信じて疑っていなかったのだ。











「……エイベル」


 カイリ達を見送り、ケントだけが残ったこの廊下で、ゼクトールは静かに教皇――エイベルと相対していた。

 彼は尻餅を突き、裏切られた様なショックを露呈しながらも、ぎらぎらとした眼差しをゼクトールに向けてくる。何故、どうして、と疑問だけが黒く渦巻いているのがひしひしと肌に伝わってきた。


「……何故。ゼクトール。わしが、お前を枢機卿にした」

「……そうであるな」


 淡々と、ゼクトールは彼の戯言たわごとを流す。

 彼の顔は、エイベルだ。彼の声も、昔から慣れ親しんだものだ。

 それなのに。



 今の彼の顔に、太陽の様に花咲く笑顔は何処にも見当たらない。



 二十年前まで、あれだけ晴れ渡る様な快活さに満ち溢れていた彼は、教皇に就任した途端、人が変わった様に陰気になった。

 喋り方もたどたどしい。弾ける様な声音が、海の奥底に沈没したかの如く死んでいた。

 何故。どうして。

 エイベルは、今、そう言ったが。



 ――それは、わしの方が……『俺の方』が知りたかった。



 ずっと、ずっと、――ずっと。

 教皇に就任することになったと、嬉しそうにゼクトールにだけ告げてくれた彼は、何処に消えたのだと。

 今の今までずっと、問い質したくて仕方が無かった。


「……エイベルよ。二十年前、教皇に人知れず就任した直後から、お前は変わってしまったな」

「……何を言う。変わって、いない」

「いいや、変わった。……あれだけ強く、快活で、正義に溢れ、誰からも好かれる熱血漢だったのに。それが今や、傲慢で、気に入らない者は片っ端から排除し、幼気いたいけな子供を漁り、卑劣で残忍な人物となった」

「……な……」

「共に頂点に立ち、この制度の在り方を変えようと。そう酒を酌み交わし、互いの剣に誓いを立てたお前は何処に消えた?」

「ゼク……」

「――あいつを! エイベルを! 何処にやった! 貴様!」


 慟哭どうこくの様な絶叫を上げ、ゼクトールは弧を描きながら剣先を彼の喉元に突き付ける。

 それなのに彼は、動くことすら出来なくなっていた。

 この二十年。彼は、少年少女に溺れ、己で戦うことを止めた。凄惨な命令ばかりをして、あらゆることを人任せにし、一人のうのうと高みの見物を決め込んでいた。


 だが、本来の彼は違う。


 困っている者がいたらすぐに駆け付け、弱っている者がいたら背中を叩いて激励していた。どんな地味な仕事でも率先してやり遂げ、どれほど危険な任務でも笑顔を忘れず周囲を鼓舞し、踏破する。



 それが、エイベルだ。ゼクトールの知るエイベル・グラハムは、そういう男だった。



 それなのに。

 彼は、今まで慕ってきた部下や仲間だけではなく。ゼクトールの大切な――彼にとっても大切だったはずのカーティスでさえ、切り捨てた。


「……なあ、エイベルよ。わしが、昔カーティスの相談をした時、お前は何と言っていた」

「……、カーティス。憎い」

「違う!」


 そうではない。――そうではない。

 あれは、二十五年前。

 お互いにそろそろ孫がいてもおかしくない年齢になったとか、そういう話を酒を飲みながらしていた時のことだ。



〝娘が、カーティスとかいう小童こわっぱと付き合っている〟



 エイベルに相談した時、ゼクトールはむっすりと不機嫌に黙り込んでいしまったのを覚えている。

 あの頃、ゼクトールは娘を目に入れても痛くないほど可愛がっていた。蝶よ花よ――とは育てられず、何故か物凄い怪力に育ってしまって、妻と共に嘆いたものだ。妻も怪力だったが、娘には可憐に育って欲しかったらしい。遺伝だ。致し方が無い。

 だが、それでもゼクトールにとっては可愛い可愛い大事な娘だった。

 それを。


〝はっはー! カーティスかあ……って、俺の息子じゃん!〟

〝そうだ。お前の息子だっ。許せんっ〟

〝えー。良いじゃんかよ。俺の息子だぞ? 明るくって頼もしくって、救いを求める者のところにはすぐ駆け付ける。ちょっと頑固でお馬鹿なところがあるかもしれないけど、超優良物件だぞ?〟

〝……〟

〝それに何と言っても、俺に似てるしなー! 一番の推しだな!〟

〝おっまえに似てるのが一番気に食わんのだ!〟

〝えー。ひっどいな! そりゃあ、父親としてももちろん可愛い息子だけどさ。団長としても目にかけてる期待の星だぜ。ゼクトールだって同じくせに〟


 エイベルに指摘され、ゼクトールはぐうっと反論に詰まってしまったのを今でも覚えている。

 当時、カーティスは既に第一位のエースだった。剣術も聖歌も相当に使いこなし、将来の第一位の団長にと目されている青年だったのだ。

 しかも、あろうことか価値観がゼクトールやエイベルと似ていた。教会の上に堂々と批判を言えるつわものでもあって、ゼクトールも注目していたのは間違いない。

 だが、娘の相手となると話は別だ。許すまじ。


〝カーティスめ。わしの娘をたぶらかしおって〟

〝あーあ。ったく。娘のことになると、ほんっと過保護だなあ〟

〝何を言う。当たり前だ。娘は可愛い。天使だ〟

〝あーはいはい。てか、息子二人も可愛がれよ。泣くぞ?〟

〝息子は、放っておいても勝手に育つ。問題ない〟

〝……お前っ。もう少し気にかけてやれよ。あの二人も、お前のこと慕ってるんだからさ〟

〝……むうっ〟


 呆れ気味に諭されて、ゼクトールは更に詰まる。

 正直、ゼクトールは会話が得意な方ではない。子供達ともどう接すれば良いのか分からず、剣で語る様な男だった。

 それでも、「父上、父上」と懐いてくれているのも知っていた。だからこそ、ゼクトールは無言を貫いても彼らと共にいる空間は作っている。


〝娘の人を見る目、信じてやれよな! カーティスなら問題ないって! 何より俺の息子! 保証はばっちり!〟

〝……だが、わしの屍は越えさせる〟

〝いや、駄目だろ。娘の晴れ姿ぐらい拝めよ〟

〝……。……それは、泣く〟


 一瞬の沈黙後。

 大爆笑したエイベルを、思い切り頭から叩き落としたのは懐かしい。

 そんな会話を交わした三年後、エイベルは団長の座をカーティスに譲り、自らは枢機卿に昇格した。

 ゼクトールにも枢機卿へと話は来ていたのだが、団長になったばかりのカーティスを補佐するために参謀として残ったのだ。エイベルには、「過保護」とにやけながら茶化されたのをよく覚えている。



 ――ああ、本当に。



 懐かしい。憎たらしいほどに。



 エイベルは、カーティスのことを本当に可愛がっていた。

 子供がいなかったからというのもあるだろう。夫婦揃って彼を可愛がり、よく食卓にも呼んでいた。泊まることもあったから、ほとんど家族の様なものだった。

 そんなエイベルが、カーティスを亡き者にしようとした。

 ありえない。

 彼をよく知っているからこそ、ありえない。


「もう一度聞く。……エイベルを、何処へやったのだ」

「……ゼクトー、ル。やめろ。……思い直せ」


 命乞いをしながら、エイベルが無感動な瞳に怯えを交える。ずりっと、武器も構えずに後ずさりする様は滑稽こっけいだ。

 得意の洗脳はカイリには通じず、頼みの綱の騎士達も全員眠っている。おまけに、背後には唯一敵に回してはいけないと恐れていたケントが控えているからだろう。今まで絶対の自信としていたものを全て突き崩され、弱っていた。


 本当に、呆れるほど滑稽な最期だ。


 彼の酷い有り様に、ゼクトールは強い失望を感じ取った。

 二十年前までの彼なら、こんな風に怯えたりはしなかった。

 むしろ剣を取り、どうしたと、嬉々として向かってきたはずだ。



〝おお、やるか? やろうぜ! 負っけないからな!〟



 ああ、そうだ。

 そうなのだ。

 本当は、ずっと。



 ――いつか。そう言って向かってきてくれるのではないかと、待っていた。



 教皇になり、残酷な命令を下し、カーティスを殺めようとしたその事実を知っても。

 彼を止めるために、どうすれば良いのか。全ての遺恨を無くして収めるために、どう機会を生み出せば良いのか。それだけをひたすら考えながら、心を鬼にしていた時も。

 ひょんなところで、いつか彼が我に返って。



 悪い、ゼクトール。戻った、と。



 そんな風に、彼らしく戻ってくることを期待していた。



 だが、命の危機に瀕しているのに、彼はそれでも戻らない。

 実力もあるはずなのに、宝の持ち腐れだ。ただ、弱い者だけをむさぼり、洗脳が効かないとなると怯え、己よりも強い者に命乞いをしようとする。

 そうだ。これが現実だ。



 物語の様に、奇跡が起こるなどありはしない。



 だから、ゼクトールが止めるのだ。

 せめて、同じ様に罪をこうむってきた自分が。もし理性や意識があれば苦しんでいただろう彼を。

 幼き頃から共に同じ場所を目指し、歩いてきた自分が、この手で止めるのだ。

 その役目は、誰にも邪魔させはしない。

 そのためだけに、今日まで恥をさらしながら生きてきた。


「……お前の凶行は、わしが止める」

「……ゼクトールっ。貴様……っ」

「これ以上お前に、……お前が心底嫌っていた制度を、行わせるわけにはいかない」


 絶対にこの制度を止めるのだと。

 そう言っていた悪しき慣習を、断ち切るために。


〝いつか一緒に、この国変えてやろうぜ! ゼクトール!〟


 とがなら、全てこの身に。

 彼の分まで背負って、共に地獄に落ちよう。



「……さらばだ、エイベル。……わしの、生涯の親友あいぼうよ」

「――ゼクトールっ」



 彼の焦った様な叫びを最後に、ゼクトールは無情に剣を掲げる。一瞬だけ剣を持つ手が震えたが、心を殺して睨み付けた。

 そのまま、一気にごうとした、その時。



 彼の瞳が、くっきりとゼクトールを映し返した。



「――っ!」



 ゼクトールの手が、彼の首を捉える寸前で止まる。本当はそのまま振り切らなければならなかったのに、どうしても出来なかった。

 彼の瞳は今や真っ直ぐに、強く、ゼクトールを映し出していた。

 幻ではない。今までの教皇の瞳ではない。

 あの、頑固なほど真っ直ぐで、誰彼構わず挑んでいく様なきらめきを灯していた。


「……っ、エイ、ベル……っ!」


 名前を呼ぶと、エイベルはゆっくりと首を振る。

 他に体を動かすことはない。まるで石像の如く固まって、顔だけが筋肉を思い出した様に動く。



「……カー、……ティ、ス……の、………………こど、……」

「……っ」

「…………っ、……ほん、……とうに……、………………よく、……似……、……てた、なあ――――――――……」



 くしゃりと顔を歪ませ、エイベルが目を細める。

 それは、初めて孫を見た時の祖父そのものだった。


 彼は、分かったのだ。カイリが、一体誰の子なのか。


 ずっと、――ずっと。彼らは親子だった。

 だから、今際いまわきわに、ほんのひとときでも邂逅かいこう出来たのか。ゼクトールの中で、真っ赤に燃え上がる熱が暴れながら氾濫はんらんする。



「――、……ごめん、な……、……ゼク、……」

「――っ」

「後は、…………――――――――」



 後は、頼む。



 ヴェールを脱ぎ去り、声なく唇を動かした彼の顔は、確かにゼクトールがよく知るエイベルの笑顔だった。

 けれど、それも一瞬。

 彼の瞳からは、また急速に光が失われていった。


「――っ! ……この、大馬鹿、者……っ!」


 また、彼が奪われていく。

 そんなのは、もう駄目だ。彼を、これ以上奪わせるわけにはいかない。

 彼に、もう二度と大切な家族を傷付けさせるわけにはいかない。

 だから。

 エイベルが、首を振ったそのままに。



 ゼクトールは、彼の首を一気にねた。



 ごろん、と。ゼクトールの足元に首が転がってくる。

 見上げてくる瞳は、どこか安らかに満ちている気がした。てっきり恨み言を視線に大量に込めてぶつけられると思ったのに、自分が想像していた結末のどれとも違って拍子抜けする。

 静寂が痛いほどに訪れる。あれだけの喧騒が、もう遠い。



「……、……お……」



 終わった。



 そう思うのに、ゼクトールの手の中には虚無しかない。

 あっけなく殺せたからだろうか。こんなに手ごたえの無いぶつかり合いは、初めてだった。

 エイベルとの訓練で、あっさりと決着したことなど一度も無い。

 それなのに。



 最後の最後のぶつかり合いは、こんなにも呆気ないものだった。



「……エイベル」



 ぽつりと零すゼクトールの声は、空洞の様に響く。

 やはりエイベルは、二十年前にとっくに死んでいたのだ。そうでなければ、彼との打ち合いがこんなに手ごたえが無いなどありえない。

 だから彼をかたる偽者が、教皇として二十年も君臨し、好き放題やってきただけなのだ。

 最後に振り絞って出てきた彼が本物かどうかも、今はもう分からない。

 でも、どうでも良い。これでお仕舞いだ。



〝いつか一緒に、この国変えてやろうぜ! ゼクトール!〟



 あの日の誓いを果たすために。

 今日まで、ゼクトールは生きてきたのだから。


「……終わりましたか」


 背後から、ケントの静かな確認が届く。

 邪魔をされるかと危惧きぐしていたのだが、彼は一度も動く気配が無かった。何を企んでいるのだろうかと思いながら、しかしゼクトールにはもう全てがどうでも良い。


「ああ、終わった」

「あっけないですね。元々はもっと強いはずですが、……。まあ、最後は『彼』も、貴方に討たれたかったのかもしれませんね」

「……っ」

「それに」


 一度言葉を切って、ケントは遥か前を見つめる。

 そこは、先程カイリがいた場所だ。今はもう仲間達の元に合流しているだろう彼に向けて、賛辞を贈る様に眼差しを和らげた。



「カイリの聖歌が、きっと彼に届いたんでしょうね」

「――」

「彼らの出会いはほんの刹那だったのでしょうが。……図らずも、孫から祖父への最初で最後の贈り物が、起爆剤となったのかもしれませんよ」



 彼の説明は、本当にカイリの部分だけ親切で優しい。声も柔らかくて二面性が酷過ぎる。

 しかし、ゼクトール自身彼の言葉を信じたい。

 例え、どれだけの尊厳を奪われても、最後の最後には抵抗をして逝けたのだと。孫の歌を聞けて、望んでいた家族に触れられたのだと。

 あの傲岸不遜な教皇がゼクトールを相手に怯え、後ずさり続けたのは、正義感の強い彼が最後の最後に抵抗したからなのだと。

 せめて、ゼクトールもそう思いたかった。



「……それで? 何故、近衛騎士を全員集めようとしたんです?」



 簡単な確認だ。

 なるほど。全て吐かせてから始末するのか。合点がいって、ゼクトールはそれに従う。


「教皇に洗脳された騎士達だ。教皇が死んでも、洗脳は解けない。……洗脳を解くのは、ほぼ無理である」

「……まあ、そうですね」

「洗脳された騎士は、教皇の命令に忠実である。……上に逆らう者は全て始末。罪なき者、若き気骨のある者、大勢が無作為に、無残に散っていくことになる。教皇が死ねば司令塔がいなくなり、それこそ阿鼻叫喚の地獄絵図を永遠に作り出すことになるであろう」

「……」

「それだけは避けねばならぬ。だから、全員一網打尽にするつもりだった。……カイリの洗脳を解く力も考えたが、……一度に騎士達全員には無理である。ルナリアで観察してはいたが、あれだと恐らく、何日もかけねば解けぬ故、却下した。そんなに長い間、不安定な騎士を収容しておく余裕はない」


 不安定ということは、理性と洗脳の狭間で苦しんだまま、尋常ならざる力で暴れ続けることを意味する。

 もし、統率を失って生き残った騎士が、野に放たれたりしたらどうなるか。無秩序に殺戮を繰り返すのはもちろん、反逆者と認定した相手を追って国外に出るかもしれない。

 故に、全員命を絶つ。

 教皇の――エイベルの罪は、ゼクトールの罪でもある。機会を窺っていたとはいえ、二十年もこの凄惨な状況を放置していた、ゼクトールの罪だ。


「……まあ、確かに教皇って、騎士が全員集まるのを見事に避けていましたもんね」

「うむ。だが、……カーティスという単語にはかなり敏感に反応していた。……だから、好機だと見たのである」

「……。……カイリを洗脳すると進言すれば、乗ると思いました?」

「……。カーティスの息子と報告した時から、かなり前のめりになった」


 カイリを見つけたのは偶然だった。

 カーティスの息子だというのは、一目見てすぐ分かった。胸元にぶら下げていたパイライトのラリエットも決め手になったのだ。



 彼は、我が娘ティアナと、カーティスの息子なのだと。



 胸は痛んだが、血が繋がっているとはいえ所詮は赤の他人。エイベルを討つために躊躇いは無かった。

 カイリを餌に、教皇に献上する。

 カイリは、どんなことがあっても『洗脳されない』ことを、ゼクトールは知っていたからだ。

 それを利用し、教皇の焦りを引き起こし、より洗脳力を強めるために騎士達を総動員する許可を取らせる。


 洗脳は、教皇の十八番。


 それを否定されれば、間違いなく矜持きょうじは傷付く。何としても洗脳しようと躍起になるのは目に見えていた。

 例え、集合の許可が取れなくても、強引に騎士達は集めるつもりだった。集めてしまえば、後は何とでも説き伏せられる。

 教皇は、一度洗脳すると決めれば、何を差し置いても洗脳に全力を注ぐ。二十年観察してきたゼクトールは、そう確信していた。理由は分からないが、洗脳は教皇にとっては絶対なのだ。

 何故、カーティスという単語にそこまで敏感に反応したのか。元々の人格の残り香故か、別の理由か。今となっては、全ては闇の中である。

 だが、目的は達成した。


「……ケント殿。わしを殺して構わぬ。もっとも、この騎士達を全員葬ってからだがな」

「……」

「元より、全て覚悟で行った。……教皇がいなくなった混乱の責任は、誰かが取らなければならない」


 ケントは無言だ。恐ろしいほどに静かで、ゼクトールとしてはどう捉えて良いものかと決めあぐねる。

 しかし、邪魔をされない内に騎士達の後始末をしなければならない。せめて安らかに逝かせてやらねばと、狙いを定めた。

 だが。


「……始末する必要は無いですよ、ゼクトール卿」

「……。邪魔をするか」

「いいえ。元々、彼らの洗脳は今、僕もある程度制御出来る様になりましたから」

「……何?」


 ケントの静謐せいひつな暴露に、ゼクトールは目をいて振り返る。

 だがそういえば、と思い返す。

 確かに騎士達は、ケントの言葉で崩れ落ちる様に気を失った。

 彼らは教皇によって洗脳され、教皇の手に落ちているはずだ。

 それなのに、何故。


「それはもう、一人一人見つけては、執拗しつように聖歌語を吹っ掛けたからですよ」

「……、何だと?」

「まあ、あくまで主導権を一時的に握るだけで、紛い物ですけどね。『教皇猊下』の単語を入れて、何とか効く様に持って行っただけなので。本物が命令し直したら、かなり威力は激減しますよ」

「……何故、そんなことを」

「だって、教皇を殺すのは僕のつもりでしたから。まあ、つまり目的は違うけど、ゼクトール卿と同じことをやろうとしていた。そういうことです」


 肩をすくめて、ケントが弱った様に笑って見せる。

 だが、その笑顔の裏には底知れぬ闇が眠っている様に感じられた。びりっと、肌を裂く様な気迫に、ゼクトールは思わず一歩下がる。

 ケントの佇まいは変わらない。依然として静かに構え、牙を剥く素振りも見られない。

 しかし。


「でも、……カイリの聖歌で、騎士達の洗脳も緩和された様ですし。このまま軟禁して、後日カイリに正式に洗脳を解いてもらうことにします」

「な……っ」

「僕がいるんですから、何日かかったとしても構いませんし。何より、カイリが彼らのことを知った以上、放っておくとは思えませんしね」

「……、……そんなことが出来るのであるか。ルナリアと違って、この騎士達は洗脳を絶えずかけ直されていたのである」

「カイリの聖歌は、さっきも聞きましたけど強くなっていますから。何度か重ねがけすれば可能でしょうね。……これからの彼らへの説明や役割については、ちょっと考えることにします。今のまま近衛騎士を続けるのは色々危険ですしね」


 それに、と。ケントは何かに反応する様に視線を伸ばす。



「――僕の目的は、『これ』でしたから。他はおまけです」

「――」



 ケントが見上げると同時。

 ぶわっと、ゼクトールの背後にとてつもない気が荒れ狂う。その瞬間、ゼクトールの頭に浮かんだ文字は、『死』の強い一文字だった。

 本能的に距離を取り、ゼクトールは剣を構える。

 しかし、そんな警戒心を剥き出しにしたゼクトールを片手で制し、ケントは嬉しそうに――挑発的に微笑んで見せた。



「やあ。やっと会えたね、フュリーシア」

「――――――――」



 フュリーシア。

 この国と同じ名を口にして、ケントは友好的な笑みを携え、その場に降り立つ光に語りかけた。


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