第160話


 第十位のファルと衝突してから二日が経過した。

 あれから、結局カイリはファルのことを聞けず仕舞いだ。フランツ達も、何となくカイリに対して話そうとしつつも躊躇っている。そんな感じだった。

 恐らく、ファルのことを話すだけでは終わらなくなるからだろう。


 彼らが躊躇している部分は、別にある。


 カイリが引っかかっているのは、ハーゲンが何故第十三位にまで依頼をするのかという部分だ。

 フランツがその理由を尋ねれば、彼は言わせるなと言外に圧力をかけてきた。フランツがあっさり引いたということは、言葉にしたくないことだったのかもしれない。

 それに、エディやリオーネに至ってはあの日から顔が暗いのだ。

 笑顔ではあるのだが、ふとした瞬間に遠くを見る。心がここに無いのは明らかで、カイリはその度に胸が沈む様に痛くなる。


 ――何だか、もやもやするな。


 別に、一人蚊帳かやの外なことが不満なわけではない。

 カイリは、第十三位に来てからまだたった三ヶ月だ。この短期間で重要な事実を全て打ち明けられる様な信頼など、あると言う方が難しい。


 もやもやするのは、彼らが彼らだけで苦しんでいることだ。


 カイリが知ったところで、特に何も出来ないだろう。苦痛を和らげるどころか、かえって傷口を広げてしまう可能性だってある。

 カイリは、フランツ達には散々お世話になってきた。葛藤しているのを見抜いて、墓参りにだって行かせてくれた。感謝してもしきれない。

 それなのに、カイリは全く彼らに恩返しが出来ていない。それが悲しくて、情けなくて、堪らなかった。


「……もう、カイリ! 暗い! 暗いよ!」


 どんどんと思考の闇に沈んでいっていると、横からケントがぷんぷんと腹を立ててきた。

 カイリは今、広場のベンチに座っている。隣には、土曜日の午後休をもぎ取ったケントが一緒に並んでいた。左腕に巻いているカイリが贈った腕時計が、恨めしげに煌めいている気がする。放置してしまったと、反省した。

 そして。



「……悩み事かね。青春をしているとは、年齢通りであるな」



 更に反対側の隣には、ゼクトールがしかめつらしい顔をして鷹揚おうように腰を下ろしていた。むっつりとした顔つきで、可愛らしい鳩に餌やりをしている。

 何というか、人は見かけによらないを地で行く人だ。カイリは、如何いかに偏見を普段から取り払うことが大切かを現在進行形で学んでいる。

 頭上を見上げれば、空が憎たらしいほどに蒼くて気持ちが良い。足元では鳩が餌をつついている姿が可愛らしくて和む。周囲には人はまばらにしか見当たらず、何となくゼクトールの覇気で遠巻きになっているのかもしれないとカイリは分析した。

 落ち着く様な、落ち着かない様な。不思議な空間の中で、カイリは苦笑する。


「……すみません。ちょっと、嫌なことがあって」

「むー。なーに! カイリに何か嫌なことした人がいるんだね! 僕が闇討ちしてあげるよ!」

「なるほど。闇討ちであるか。ならば、綿密に計画を練らなければなるまいな」

「さっすがゼクトール卿! 分かっていらっしゃる!」

「……二人共。……冗談だよな?」

「む? 冗談?」

「いやだな、カイリ! 本気だよ!」

「……やめてくれ」


 ケントは満面の笑みで、ゼクトールは心底不思議そうな顔で振り返ってくるので、カイリは頭を抱えた。彼らには、些細ささいなことでも悩み相談をしてはいけない相手かもしれないと猛省する。

 しかも、相手は第一位団長と枢機卿だ。権力を濫用らんようさせる事態だけは避けなければならない。


「大したことじゃないんだよ。ただ、……俺が、嫌だなって思っただけでさ」

「カイリが嫌だと思ったなら、大したことだよ!」

「そうであるな。本人が嫌だと思ったのならば、大したことはない、というのは詭弁きべんである」

「ケント……。……おじいさんも、ありがとうございます」


 二人の気遣いが身に沁みる。

 世の中には、本当に明暗がくっきり分かれていることを痛感した。

 こうして、カイリのために怒って親身になってくれる人がいる一方で、痛めつけることを何とも思わない人がいる。

 同じ価値観の者ばかりなら、争いだって起こらないだろう。

 それに、別の視点を持てるからこそ、見えてくる世界も広がる。カイリはこの世界に生まれて、それを知った。

 だが。


「……それでも、嫌なことは嫌だよな」

「そうだよ! 嫌なことは嫌なことだよ! ……話せないこと?」

「うーん……」


 正直、第一位や枢機卿がどこまで他の騎士団の任務を把握しているのか、カイリにはよく分からない。そもそも、簡単に任務の内容を打ち明けるなど論外だ。

 だからこそ口をつぐむしかなかったのだが、あっさりとケントもゼクトールも話題を提供してきた。



「そういえば、第十位とめたんだってね!」

「王室が、任務を申し込みたいそうであるな」



 何でこの人達、ピンポイントで攻めてくるんだろう。



 カイリを試しているのだろうか。口が堅いか、第十三位を裏切らないか。疑心暗鬼になっても致し方ないと思う。


「あはは。まあ、第一位も枢機卿も、一応全体の任務は把握しておかないとならない立場だからね! この間の切り裂き魔のことだって、報告上がってきたし!」

「枢機卿は、騎士団監視の役割もあるのだ。故に、騎士団よりも込み入った事情も把握していると思っていて間違いないであろう」

「……そうなんですね」


 そういえば、確かにケントは、カイリが帰ってきて早々に『切り裂き魔』という単語を口にしていた。あの時はスルーしてしまったが、彼が第十三位の任務についていち早く情報を捉えていた証拠に他ならない。

 枢機卿も、監視の役割があることを初めて知った。それならば、第十位や近衛騎士団との揉め事を関知していてもおかしくはない。


「……すみません。でも」

「良い。任務の込み入った話ならば、君の判断は正しいのである」

「そうそう! カイリって、やっぱりカイリだよね!」

「はあ」


 よく分からない称賛をされ、カイリは気が抜けた。

 この二人は、分かっていて線引きをしてくれる。その誠実さが今のカイリにはとてもありがたかった。



〝最高でしょう? 先輩たち、ほんっと! 優しいですもんねえ! 殴られても愛の鞭だしー、いじめと見紛うほどの罰は愛の叱咤激励〟



 特に、あの最悪の出会いがあった後では尚更だ。



 自然と眉が寄るのがカイリ自身分かった。鏡を見たら、きっと酷い顔をしている。

 ケントとゼクトールが、じっとカイリの方を静かに見つめてきた。その視線に痛いほど熱がこもっていて、堪らなくなる。

 詳細は話せないけれど、彼らになら吐き出しても良いかもしれない。

 思って、カイリは要約をして白状することにした。


「……第十三位が嫌われているのは、知っていたんだけど」

「うん」

「……あんな、気持ち悪くなるほどの悪意をぶつけられたのは、久々だったから。ちょっと、気分が晴れないだけなんだ」


 前世でも、散々陰口は叩かれてきた。事実でないことばかりをでっち上げられ、孤立させられた。

 この世界に生まれてからは、優しい空間で育ってきたからだろう。久々にぶつかる悪意の連続に、心が疲弊ひへいしているのかもしれない。

 こんなことでへこたれていては、この先やっていけない。

 だからこそ、カイリは振り切る様に笑った。


「ごめん。もう少ししたら整理出来るし、戻るから」

「戻らなくて良いよ!」

「え?」

「バカイリ! 無理しなくて良い時は、無理したら駄目なんだよ!」


 笑いながら、背中を撫でられる。ちょうど痛む心のあたりを撫でられた気がして、カイリの顔が歪んだ。

 しかも、立て続けにケントはカイリが形にしなかった部分まで暴いていく。


「それに、どうせフランツ殿達の力になれないとか、そんなことで悩んでるんでしょ!」

「っ、……え」

「カイリの考えそうなことー! 馬鹿だなあ、カイリは」


 ほんとにもう、とからから笑いながらケントは背中を撫で続ける。しみじみと感じ入る様に告げられて、カイリは思わずうつむいてしまった。

 何故、分かったのだろうか。ケントは変なところでさとくて困る。普段はテンションが高いままにはしゃいでいるのに、ここぞという時に頼もしさを発揮してくるので敵わない。

 見守っていたゼクトールも、ふむ、と溜息を吐いて呆れ果てていた。


「確かに。本当に馬鹿であるな」

「ぐっ……」


 しかもゼクトールにまで馬鹿にされた。

 何故、そんなに二人共人のことを馬鹿馬鹿と連呼するのだろうか。地味に傷付く。



「馬鹿であるのは本当のことである」

「……は、はいっ。どうせ馬鹿ですよっ」

「うむ。分かっていないあたりが馬鹿なのである。……カイリがカイリであるだけで、恐らく彼らの力になっているであろう」

「――、え?」



 少しねていると、思ってもみないことを指摘された。

 どういう意味だろうかとカイリが視線で尋ねると、ふっとゼクトールが顔を上げる。カイリも釣られて彼の視線を辿った。

 すると。


「よう、カイリ。やっぱここにいたか」

「……れ、レインさん?」


 片手を挙げて飄々ひょうひょうと近付いてきたのは、レインだった。

 ひらひらと軽薄な笑みと共に手を振る姿は、妙に様になっている。現に、周りの女性が「レイン様」と目がハートになっていた。実際に目がハートになる現象は、初めて見た時は視覚障害かと本気で疑ったものだ。



「ケント殿はともかく、ゼクトール卿も一緒か。いやあ、仲良いな」

「ふむ、レイン殿。何かあったのかね」

「おう。カイリ、休んでるところ悪いな。任務が正式に決まった。話し合いがあるから、帰って来てくれるか?」

「……え?」



 任務が正式に決まった。



 耳を疑う様な発言に、カイリの眉根が寄る。不安と不服が同時に顔に出たらしく、レインが楽しそうに喉を鳴らした。


「おっまえ、正直過ぎんだろ」

「で、でも。……どうして」

「ま、そこら辺も含めて説明するさ。……お前も、第十三位なんだからな」


 ぽん、と頭を一撫でして、レインが目を細める。

 その笑い方が、どことなく覚悟を決めた様な雰囲気を秘めていて、カイリの背筋がびりっと痛む様に伸びた。


「そういうこった。二人も、もう分かってたんだろうけどな」

「む。僕、別にカイリからは何も聞いてないですよ!」

「あったりまえだろ。こいつが漏らすなんて、思っちゃいねえよ」

「――」


 呆れた様に断言するレインに、カイリは不意を突かれた。両隣の二人も、微かに目を丸くする様な空気を漂わせる。

 カイリ達の反応に、何だよ、とレインがいぶかしげに視線で刺してきた。それには、ケントが思わず、といった風にカイリをこき下ろす。


「いやあ、レイン殿。てっきりカイリなら、うっかり口を滑らすこともありそう、なんて思ってそうだったので」

「おい、ケント……」

「あ? あー、……いや、無いだろ。大事なことなら尚更な」

「ふーん、どうしてです?」

「こいつ、見かけによらず頭回るからな。それに義理堅いし、思ったより慎重だ。色々経験が生きてんだろ」


 事もなげに、ぽんぽんとレインが評価をしてくる。

 その内容に、カイリは呆けた様に凝視してしまった。胸の奥がじんじんと痺れる様に熱を持って行く。

 レインは、人を基本的に信じていない。カイリのことも、聖歌を歌うから嫌っている一面もある様に見えた。

 けれど。



〝あったりまえだろ。こいつが漏らすなんて、思っちゃいねえよ〟



「……っ」



 ――嬉しい。



 俯きがちになってしまったのは、目の奥が熱くて少し視界が揺れたからだ。最近涙腺が緩くなっていると、カイリは己を戒める。

 だけど。



 そんな風に思ってくれていたこと。部分的ではあっても、信じてくれたこと。



 人に信じてもらえることが、こんなに嬉しいことだとは思わなかった。シュリアに信じると言ってもらえた時も泣いてしまうほど喜んだが、また泣きそうになるなんて恥ずかしすぎる。

 気付かれたくはなかったが、ここにいる者はみんなさとい。レインが、にやっと意地悪く口元を吊り上げて覗き込んできた。


「何だよ。そんな泣くほど嬉しいかー?」

「泣いてません」

「ほーう」

「それに、見かけによらずとか、思ったよりとか、酷くないですか?」

「ははっ、仕方がないだろーよ。お前、見た目はすこーしつり目なだけで、目自体は大きいし、童顔だし、結構流されやすそうに見えるしな」

「童顔は関係ありません!」

「そうかー? 大事な要素だろうよ」

「レインさん!」


 ムキになって言い返せば言い返すほど、愉快そうにレインが笑う。ぽんぽんと頭を撫でてくるあたり、完璧に子供扱いだ。実際彼よりも年下なので、文句も言えない。

 ぬぐぐっと唸っていると、レインが満足そうに背中を叩いた。撫でる様な触れ方で、カイリの心が少しなだめられる。


「んじゃな。こいつ、もらってくわ」

「仕方がないですねっ。カイリー! レイン殿に苛められたら、すぐ言うんだよ! 僕が闇討ちしてあげる!」

「わしも加勢して進ぜよう。く、言うが良い」

「……ありがとうございます!」


 ケントとゼクトールの茶目っ気に、カイリは苦笑しながら手を振った。無茶苦茶な言い分ではあるが、彼らの気持ちがありがたい。

 レインと並び、カイリはこれからの話し合いに想いを馳せる。

 一体、どうしてフランツは任務を引き受けることにしたのか。これから、何が待ち受けているのか。



 どんな背景が隠されているのか。



 驚きはしても、決して目を逸らすことはしない。

 覚悟を決めて、カイリはひたすら前を見据える。

 そんなカイリの様子を、レインがひっそり苦笑しながら眺めていたことには、当然気付かなかった。











 二人が去っていくのを見送り、ケントはにっこにっこと満面の笑みを浮かべてしまう。

 その隣に座っていたゼクトールが、奇妙なものを見る目つきでケントを見据えてきた。奇妙扱いするとは、失礼である。


「どうですか、カイリ! かっわいいでしょう。照れ屋でしょう。優しいでしょう。良い奴でしょう。僕の自慢の親友ですからね! あげませんからね!」


 ふふんと胸を張って自慢をすれば、ゼクトールの視線は今度は呆れに移った。返す返す失礼である。枢機卿に上り詰めただけはあるのかもしれない。


「カイリはね、ほんっとうに良い奴なんですよ。彼、何だかんだで全然人を放っておけないし。それに、自分のことよりも大切な人をけなされた方が、怒りが大きいんですよね」

「……」

「底抜けなほど優しいし、気に食わない奴でも、傷付くの見るのが嫌とか、もう! 甘すぎなんですよ! 腹殴ってきた奴までかばうとか、馬鹿ですよね! あーあ、もっと制裁加えたかったー」

「……、殴った? 腹を?」



 そこに食いつくのか。



 称賛部分には無言を貫いたのに、カイリが傷付けられたことは我慢がならないらしい。なるほど、これは思った以上にカイリに入れ込んでいるとケントは判断した。

 だが、その方が都合が良い。カイリに味方が増えること自体は歓迎する。

 ただ、彼が今のままでは味方になるかどうか疑問だ。


 何となく。今の彼は、危うい。


 彼が企む先が、今目指しているケントの通過点と同じ場合、どう転んでもカイリが餌になりそうだ。むしろ、ケントも一度は思い付いた手だ。流石に鬼畜なのですぐさま排除したが、彼はその手を選ぶ気がする。一種の執念さえ漂っていた。

 その彼の目的は、カイリが傷付くと同義。ケントも見過ごすわけにはいかない。

 しかし。



 ――結果的に、それを利用しようとする僕も、同罪かな。



 必要ならばある程度は黙認する。

 ケントの目的は、カイリを傷付けてでも、もしくは嫌われてでも守ることだ。そのためには避けて通れない通過点を、無事に突破する必要がある。

 本当はもっと別の手段を考えていたのだが、彼の方が計画を遂行するのが早いのならば仕方がない。教皇諸共『彼ら』を秘密裏に集める理由を、ケントは未だに思い付いていないのだ。

 彼に考えがあるのならば、乗るしかない。下手に邪魔をして台無しになれば、狙う難易度が段違いに跳ね上がってしまう。

 だから。



 例え何が起ころうと、例えどれだけカイリが傷付こうとも、ケントは絶対に彼を守り抜く。



 そのために、転生の道を選んだのだ。守り切れずに死なすという道は考えてすらいない。

 それはともかく。


「……物欲しそうですね?」

「……」


 話をぶら下げておいて黙ったケントを、ゼクトールは少しだけ睨みつけてきていた。お預けを食らって、少しご機嫌斜めの様だ。

 本当にカイリに入れ込んでいる。そんな調子で、目的を果たせるのかどうか。お手並み拝見といこう。


「第一位との試合、知っていますよね?」

「……うむ。愚か者共が騒いでいた、あれか」

「そう! カイリが逆らったら、あいつら、あろうことか殴ったんですよ! ああ、全く。今思い出しただけでも腹が立つ!」

「……む」

「それでも、カイリは第十三位を庇い続けていました。怒って、踏ん張って、屈したりしなかった」

「……」

「しかも、今ではそいつら、少しカイリを気にしているんですよ。敵だったはずなのに、何か感じるものがあった様で」

「……む」

「僕がカイリに会わない期間が続くと、『遂にケント様も彼とは縁を切ったんですね』ってけしかけてくる始末ですよ。どこのツンデレですかね」

「……」

「でも、そんな風に変化させるなんて。……本当に、カイリらしい」


 カイリは、昔から正義感が強かった。


 孤立はしていたし、周囲とも必要最低限の会話しかしていなかったが、それでも誰かが困っていたら無言で手を差し出していた。

 重いものを持たされていたら、半分以上持って勝手に立ち去って行ったし、誰かが授業中に何かを落としたら、何も言わずに拾っていたり。みんながやりたがらない掃除分担の範囲も動いて掃除をしたし、委員決めの時もなかなか決まらない委員は彼が手を挙げて事なきを得ていた。

 さりげないことばかりかもしれないが、ケントはそういう彼の気質が好きだった。――カイリは知らなかった様だが、本当はそういうことに気付いていた人達もいた。

 ただ、少数派が多数派に弱かっただけだ。情けない。

 それに。


 どれだけ理不尽な状況を強いられても、彼は決して悪事に手を染めなかった。


 人と付き合うことを諦めてはいたが、困っている人や助けを求めている人を無視して通り過ぎることをしなかった。自分が何かをされても屈したりはしなかった。

 カツアゲをされた時は、堂々と拒否して大声で教師に助けを求めたし、いじめを見つけた時は、母親に教えられていたのか当て嵌まる法律を列挙して、しつこい者には警察沙汰にすると淡々と告げて退散させていた。

 助けられた者が何かを言う前に、一緒にいる場面を誰かに見られる前に、カイリはすぐさま立ち去っていた。巻き込んだら彼らもいじめを受けるかもしれないと、無意識に危惧きぐしていたのかもしれない。



 そんな彼に、友人と思われていたことを。ケントは、心から誇りに思う。



 とはいえ、ケント自身がカイリに友人であることを誇ってもらえるかどうかと言われると無理だろう。



 ケントは、カイリに対して真っ黒な執着を抱えている。



〝あなたの作った弁当なんて、気味が悪いわ! あの子達に見せないでちょうだい!〟


〝ケント。夕食が終わったら書斎に来なさい〟



 前世の家族を思い出すと、虫唾むしずが走る。全てを無かったことにしなかったのは、カイリという幼馴染の存在がいたからだ。

 正直、前世では彼さえいれば後はどうでも良いと思っていた。カイリが誰かと話すのを見るのも嫌だったし、小学生の頃はわざと邪魔をしたりもした。あの頃は本当に、カイリだけがケントにとって唯一無二の光だったのだ。

 今は、家族という大切な存在がいるから、誰かといても嫉妬しないだけで、執着が薄れたわけではない。


「……ふむ」


 考えに沈んでいると、ゼクトールが得心した様に頷いた。

 彼相手に呆けるとは失敗した。ケントは内心で舌打ちする。カイリは、やはりケントの調子を唯一狂わせる存在だ。


「……カイリに不利益なことが起こらない限りは、わしは貴殿には何も言わんし、行動も干渉しない」

「……え?」

「好きにするが良い」


 それだけを言い置いて、ゼクトールは立ち上がって去って行った。こちらにはまるで未練も無いと言わんばかりに堂々とした去りっぷりである。

 しばらく見届けて、ケントは微苦笑を漏らした。

 やはり、彼は教皇に一番近い場所にいる枢機卿だ。ケントが何を企んでいるかなど、実は全てお見通しなのかもしれない。

 彼は、カイリにさえ不利益が起こらなければ、干渉しないと言った。



 つまり、裏を返せば、本気でどんな悪事を働いたとしても、企んでいても、見なかったことにするという意思表示でもある。



 食えない人だ。

 だからこそ、第十三位の存在も見逃されているのだろう。ケントとしては好都合なことばかりである。

 ならばケントも、もし彼が望みを達成した暁には、一つだけ何かを見逃してあげることにしよう。

 そう決めて、ケントは空を仰ぐ。透き通るほどの快晴は、前世との違いを明確に表す境界線の様に映った。



「カイリ。この世界は、良いところだね」



 本当に、前の世界とは大違いだ。



 皮肉を大いに零しながら、ケントは薄暗い決意を乗せる。

 カイリには、いつ告げようか。どこまでを明かそうか。

 計画を練りながら、ケントもベンチから立ち上がり、宿舎へと戻るために歩き始めた。


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