第122話


 さあっと、花壇かだんに水を撒くメリッサの姿を見つけ、フランツは静かに歩み寄った。


 孤児院から聖地へ彼女を連れて来て、もう三ヶ月が経つ。


 彼女は聖歌を歌えるということが判明し、自ら居場所を決める権利を与えられた。

 その結果、彼女はフランツが団長を務める第十三位へ所属したのだ。

 正直、彼女には恨まれると思っていたので、この決断は意外だった。目をひたすら丸くするフランツに、彼女がにっこり笑って「よろしくお願いします」と頭を下げたことにも更に驚いた。



 ――聖地に行く直前まで、アナベルには散々罵倒されたな。



 思い出しながら、フランツは苦笑いをひっそり浮かべる。



 お姉様を連れていくなんて。

 泥棒。

 最低。

 悪魔。

 死んでしまえ。



 顔を真っ赤にして叫ぶ彼女を、メリッサは旅立つ直前までなだめていた。更に孤児院にいる子供達が泣いて引き止める姿に、フランツも何も感じなかったわけではない。

 だが、それでもフランツは彼女を聖地に連れて来なければならなかった。

 今回の任務で、何故狂信者がルナリアで活動していたのか。本当の意味を知ってぞっとしたものだ。


 狂信者は、歌を歌える者がいるという情報を嗅ぎつけていたのだ。


 だから、聖地に尻尾を掴まれるほどに暗躍していたというわけだ。よくメリッサが彼らにさらわれなかったと、今更ながらに肝が冷える。

 淡々と、なるべく感情を交えずに彼女に『歌を歌える』重要性を教え、それに伴う危険も伝え、誠実に接したつもりだ。メリッサも、それにこたえてか迷わずに聖地行きを決断した。

 その際のメリッサの、ぴん、と一本の芯が通った姿に、フランツは強く引き込まれたのを今でも覚えている。

 それに、アナベルも。

 直前まで、フランツに恨みつらみを叫んでいたけれど。



〝……お姉様を死なせたら、狂信者が来る前に、あたしがあんたを殺してやるからね!〟



 最後の最後に、託された。

 はたで聞いていると醜い罵詈雑言で、嫌味にしか聞こえなかったかもしれない。

 だが、あれがアナベルの精一杯の送り出す言葉だったのだ。睨み据えてきた彼女の眼差しにも、一本芯の通った輝きが宿っていたのを思い出す。


 ――やはり姉妹だな。


 彼女達の強さに、フランツは心から敬意を表する。


「……メリッサ」


 意を決して呼びかけると、メリッサが驚いた様に振り返った。

 そしてフランツの姿を目に入れ、「まあ」とふんわり花開く様に笑う。


「フランツさん」

「花が好きだな。それは、マリーゴールドか?」

「そうです。私の一番好きな花。……花言葉も含めて」


 悪戯っぽく笑う彼女に、フランツも釣られて口元が緩む。

 小さな光が重なる様に、花びらが綺麗に集まるその色はオレンジ色だ。彼女の髪の色に似ていて、何となく似合うなとフランツは思う。花のことはよく知らないが、この花の名前だけは覚えておこうと脳裏に刻む。


「花言葉とは?」

「えっと、……真心、信頼、悲しみ、嫉妬、生命、……変わらぬ愛情」

「ほう……」


 真逆の様な意味を一緒に持ち合わせる花ということか。

 この可愛らしい花がな、とフランツはまじまじと見つめてしまう。


「本来は贈り物に相応しくないって言われる花ですが、私は好きなんです」

「どうしてだ?」

「悲しい言葉に隠れてしまっているけれど、その中でも強く咲き誇る人間らしい感情が育っていると思えるから」


 ふわりと、彼女が花を包み込む様に手を添える。嬉しそうに匂いを嗅ぐ彼女の横顔が輝いて見えた。

 確かに、悲しみや嫉妬などは人間らしいとも言える。



 信頼しながらも嫉妬し、嫉妬しながらも信頼し、真心や愛情を尽くす。



 人間は、片方の側面だけで感情が成り立つ存在ではない。善も悪も両方を兼ね備える複雑な生き物だ。

 そういう意味では、このマリーゴールドという花は彼女の言う人間らしさが溢れている様に思えた。


「メリッサは、色んなものを見ようとしているのだな」

「そ、そうでしょうか。そういうわけではないですけど、……でも、人って悲しいだけでも、幸せなだけでも生きてはいけないから」

「……ふむ」


 彼女はアナベルと一緒にあの孤児院で育ったという。二年前に育ての母であった院長が亡くなり、孤児院を経営するために引き継いだと言っていた。

 両親は貧しさから彼女達を捨て、売りに出そうとまでしていたらしい。まぬかれたのは、孤児院の院長がその場に居合わせたからだとか。

 まさに昔から、穢い世界も綺麗な世界も同時に見てきたのだろう。両方の世界に立ったからこそ、見えるものもある。



 フランツも、そうだからだ。



「そういえば、アナベルに手紙は書いているのか?」

「ええ。でも、もうフランツさんへの恨み言が酷いんです」

「そうか。仕方がないな。俺は元気にメリッサとラブラブしているとでも言っておいてくれ」

「ま、まあ」


 さっと彼女の頬に朱が走る。

 こういうところはまだまだ初心うぶだ。第十三位の中でも評判が良く、フランツが団長として目を光らせているから手を出されていないという状態である。

 しかし。


「……メリッサ」

「はい」


 屈託なく笑いかけてくる。

 彼女はこの聖地に来ても、あまり悲しそうな顔をしているのを見たことがなかった。何故だろう、と不思議でならない。

 住み慣れた孤児院からいきなり引き離され、仲の良かった妹と離ればなれにならなければならなかった。

 理由があるとはいえ、フランツは彼女達の仲を引き裂いたのだ。アナベルの様に恨み言の一つや二つ、ぶつければ良いのにと何度思ったことか。



「恨んでいないのか」

「え?」



 きょとんと、彼女の可愛らしい紺色の目が丸くなる。

 本当に覚えがないと言わんばかりの反応に、フランツは苦く笑った。


「ここに連れて来たことだ。少しは怒って良いんだぞ?」

「まあ。そんなこと」


 ころころと笑って、メリッサが一笑に付す。

 意外な反応にフランツの方が面食らった。目が丸くなっているだろう。つい今し方の彼女と同じ状態になってしまった。


「フランツさんが教えてくれなければ、私も妹も孤児院のみんなも、いかに危険か分かっていなかったんですよ?」

「まあ、そうだが」

「本当に感謝しています。それに、……歌が歌えると知ったのはつい最近なんです。これも話しましたけれど……ある日突然、前世の記憶がよみがえって」

「……そうだったな」


 メリッサの語る話は、無い話ではないが珍しいものだった。

 幼い頃は歌など歌えなかったのに、ある日突然歌える様になる。鍵になっていると言われている、前世の記憶が甦ったというのだ。

 キッカケを思い出そうとしても本当に覚えていないという。前触れも無く、ぽんっと昨日あったことを思い出す様な感覚だったそうだ。

 そして、彼女の聖歌の力は強い方だということも立証された。正直、フランツはまだ彼女の聖歌に逆らえる自信が無い。


「だから、……狂信者がまさか私を狙っていたかもしれないなんて知った時、恐かった。下手したら、アナベルもみんなも死んでたかも、なんて」


 目を伏せながら、メリッサが己の体を抱く。声は気丈ではあったが、微かに震えが混じっていた。

 本当に間に合って良かったと思う。フランツは心の底から安堵した。


「アナベルも、きっと分かってはいるんです。フランツさん、優しいから甘えてるんですよ」

「甘え? アナベルがか」

「ええ。アナベルってば、あの通り誰に対しても照れて喧嘩腰になっちゃうでしょう? だから、大抵の男の人達は引いてしまうんですけど……フランツさんは普通に話してくれるから。何を言っても大丈夫かもって、色々試しているんですよ」

「ふむ。ならば今度会った時、存分に『お兄ちゃんと呼ぶが良い』と勧めてみよう」

「あら、良いですね。きっとアナベルってば、怒りながら喜ぶわ」


 嬉しそうに笑う彼女に、とても強いとフランツは感懐を抱く。

 両親に捨てられ、売られそうにまでなって。素敵な院長が助けてくれたとはいえ、両親への恨み言も吐かない。

 そして、いきなり仲の良い家族と引き裂かれたのに、感謝さえ捧げてくる。


 例え、心の中に憎しみを買っていたとしても、彼女はそれに呑まれない。


 とても強い女性ひとだ。

 そんな彼女を、心から尊敬する。


「……本当に兄になってしまいたいな」

「え?」


 メリッサが不思議そうに顔を上げてくる。

 フランツは真面目くさった顔で、彼女に申し込んだ。



「結婚しないか、メリッサ」

「……、……え?」



 呆けた様に声を漏らし。



 ぼんっと、火山が噴火した様な勢いでメリッサの顔が赤く破裂した。



 まだ恋人にもなっていない。

 だが、フランツが彼女を好きな気持ちに変わりはない。誰かと生涯を共にしたいと、これほど強く思ったことは無かった。

 前に、親友が恋人とラブラブで散々二人の世界に入っていたことに呆れたが、同じ穴のむじなだった様だ。今度会ったら盛大に笑われるなと頭が痛いが、どうでも良い。


「え、……え? ふ、フランツさん。本気なんですか?」

「当たり前だ。最初から言っているだろう。一目惚れしたと」

「そ、そうですけど! た、確かに私も一目惚……あ!」

「ん? 一目惚れ?」

「あ、わわわわわわ! ち、違うんですっ。えーと。一目惚れに間違いはないですけれど! 真っ直ぐに見つめる眼差しとか、料理が壊滅的に下手でも幻滅するどころか、むしろ褒めてくれるとか。フランツさんは、色々おどけたことを言うけれど、真面目だし頼もしいし、相手のことをきちんと内面まで見る優しくて懐の広い人なんだなって! 思って! だから、……ああああああ」


 ぴょんぴょんと跳ねながら、メリッサがその場を一回転する。一回転では飽き足らず、二回も三回も回っていた。その内目が回りそうなので、フランツは肩を掴んで止める。

 あう、とメリッサが触れられて肩を跳ねさせた。羞恥で潤んだ紺色の瞳が扇情的だ。これはもう、誰にも見せるわけにはいかない。衝動的に、腕を引いて抱き寄せた。


「っ!? ふ、フランツさ……!」

「可愛い」

「は、はい!?」

「誰にも見せたくは無いな。うん。やっぱり結婚しよう、メリッサ」

「え、え!?」


 腕の中に閉じ込めると、メリッサが混乱しながらしがみ付いてくる。そのしがみ付き方が、また可愛らしい。きゅっと――否、混乱のあまり、ぎゅうっと肉ごと服を握ってくるあたり、最高だ。少し痛いが、これほど可愛らしい生き物がいるのかと感動した。


「お前は本当に可愛い。人を恨むどころか感謝までするし、歌う声も優しいし、温かな人柄が滲み出ているのがよく分かる」

「え、やさ、え?」

「疲れている者や怪我をした者に対して、さりげなくハーブティーを出したり、偶然を装って手当をしたり。相手に気を遣わせない様に立ち位置も見極めている。なかなか出来ないことだぞ」

「そ、それは。だって、……その。感謝されることじゃないから、その、……ただ、心配だったから……」


 錯乱しながらも、たどたどしくメリッサが打ち明けてくる。

 彼女は、優しい。孤児院でもきっと、第十三位にいる時と同じ様な位置にいたのだろう。

 そんな海の様に心の広い彼女に、心底惚れた。

 最初は一目惚れから始まったが、彼女を一つ知るたびに、想いは深くなっていく。


 ――彼女が、欲しい。


 思って、フランツは彼女を抱く腕に力を込めた。



「結婚してくれ、メリッサ」

「……っ」

「俺は、お前と一緒に未来を歩いて行きたい。……さりげない優しさを持ち、楽しい中でも安らげるお前と一緒なら、きっとどんなことでも乗り越えられると信じたいんだ」



 真摯に告げる。これは、一生を左右する岐路きろだ。彼女の意思で答えが欲しい。

 腕の中にいた彼女は、そろそろとフランツを見上げてきた。目尻に溜まっている涙は感極まっている様に映って、胸の高鳴りが期待を込めて騒がしくなる。



「フランツさん」

「……、うむ」

「――初めて会った時から、ずっと好きでした」



 穏やかに、けれどはっきりとした声で彼女が真っ直ぐに告げてくる。

 驚いて見下ろすフランツに、彼女ははにかんで続けた。


「……私の聖歌のこと。辛いことなのに、きちんと誠実に打ち明けて孤児院を救ってくれました。アナベルの怒りも真正面から受け止めて、初めてで戸惑うばかりの私に色々教えてくれて」

「……」

「第十三位の人達一人一人にいつも挨拶をして回って。落ち込んでいる人に、時にはさりげなく寄り添い、時には頼もしく手を差し出して。どんな時でも常に、貴方は誰かのために動く人です」

「……」

「それなのに、変なところで引いたりすることもあって。みんなの前では毅然きぜんとしているのに、そういう部分を見るとちょっと可愛いなって思ったり」

「……う、うむ。それは、ちょっと、……情けない様な」

「いいえ。……いいえ」


 何度も緩やかに否定して、メリッサは微笑んで見上げてきた。


「そんな貴方に触れるたびに、どんどん惹かれていく自分がいました。……貴方と共に歩けたらどれだけ嬉しいだろうと。……どれだけ幸せだろうと」


 そっと、彼女自身の意思で指がフランツの胸元に触れる。

 ふわりと微笑む彼女の顔は、陽だまりの様に温かな光だった。



「私も、フランツさんと。……未来を、歩いて行きたいです」



 言った途端、ぼんっと熟れたリンゴの様に真っ赤になる。

 けれど、それでも意を決してメリッサは頬を胸元にすり寄せてきた。

 その瞬間。



「……メリッサっ!」

「「「「「おおおおおおおおおおおおっ!」」」」」

「――、えっ!?」



 フランツが彼女の名前を叫ぶと同時に、雄叫びがとどろいた。

 驚いてフランツとメリッサが振り返ると、ぐしゃっと、雪崩なだれ込んだ人の成れの果てが中庭に続く角の方で積み上がっていた。第十三位の騎士達である。



「おおおお、だんちょおおおおお! 遂に、……遂に、俺達の癒しの花をおおおおおおっ!」

「……み、見た? 見た、パリィ! プロポーズだよ! しかも、成功だよ! すごい! わたし、初めて見た!」

「……ヴぃ、ヴィクトリア、……お、重い……っ」

「くうううううう! あわよくば、僕が! あの花を手に入れると誓っていたのに! 団長めえええええええっ!」

「だってー! すっごいんだもの! もう、もう! パリィも、あれくらい情熱的にプロポーズしてね! 待ってるから!」

「……お、おも、……重い……。む、無理……」

「団長、手が早っ! おめでとうこのやろおおおおおお!」

「この下のバカップルも! このやろおおおおおおおお!」

「ぐふっ。せんぱい、いたい」

「もう、パリィったら!」

「ぐむっ!」



 団員達の悲鳴混じりの雄叫びの中、変な悲鳴も混じっていた。

 見ると、下の方で潰れている青年のパリィが、ばしーんと先輩団員と恋人のヴィクトリアに笑顔で叩かれている。ヴィクトリアは他の団員に潰されているというのに元気だなと、フランツは遠い出来事の様に思った。

 腕の中を見下ろせば、メリッサが石の様に硬直していた。見られていたのだと知って、衝撃が限界を突破したらしい。無理も無い。


「お前達、見ていたのか」

「だ、団長! おめでとうございまああああああああすっ!」

「く、憎い! 恨めしい! でも、団長だし! しっかたない!」

「おめでとおおおおおおお! 妹に殺されてしまえええええええええっ!」

「団長! しかばねは拾ってあげます!」

「妹に殺されたら、俺がメリッサさんを!」

「ならん。潰す」

「は、はいいいいいいいっ!」


 どさくさに紛れてメリッサをかすめ取ろうとする輩には、しっかり釘を刺しておく。油断がならないと、彼らの顔を頭に叩き込んだ。

 しかし。



 ――良いものだな。



 彼らの恨み節に、嘆きはあれど憎しみは無い。みんな、心から祝福してくれている。団長になってまだ日が浅いのに、ここまで慕ってくれていることに感謝が絶えない。

 団長としても未熟だし、夫としても新米になる。精進は必要だが、彼らと、彼女と一緒ならばきっとより良い未来を作って行けるだろう。

 アナベルを説得するという最難関が待っているが、絶対に突破する。何度だって頭を下げ、彼女との結婚を認めてもらうつもりだ。

 彼女もアナベルも苦労してきた。フランツのせいで、悲しい別れも経験させた。



 だからこそ、彼女達には幸せになって欲しい。



 そのためにも、みんなに認めてもらう形で結婚がしたい。

 フランツは決意を固め、腕の中の存在を眺める。

 固まり、恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうに見上げてくる彼女と微笑み合い、フランツはルナリアへいつ行こうかと予定を組み立て始めた。












「おーい、団長」

「ん。どうした?」


 詰所へ向かう途中、フランツは連れ立っていたレインに呼び止められた。

 彼が呆れた様に腰に手を当て、くいっと親指を立てて別の方角を指す。


「詰所。こっちだぜ」

「ん? ああ、すまんな」

「おいおい、しっかりしてくれよ」


 確かに、フランツの足は全く別の方向へ向いていた。レインが軌道修正してくれなければ、目的地が遠のくところだった。

 昔の記憶を掘り起こしていたからだろうか。何故今になってと悪態を吐きたくなったが、アナベルに会ったからだと頭が痛くなる。

 彼女はとても素直にぶつかって来るから、嫌でもメリッサのことを思い出さずにはいられない。

 そう。



 ――嫌でも、過去を思い出す。



〝ごめんなさい、フランツ〟



 あの日。運命の分かれ道。

 彼女をむざむざと死地に追いやり、死なせてしまった。

 あれだけ幸せにすると心に誓ったのに、結果はこのザマだ。アナベルが激しく衝突してくるのは当然のことだった。

 それに。



〝……ありがとうございます〟



 カイリを、養子にした時の笑顔と。



〝私も、フランツさんと。……未来を、歩いて行きたいです〟



 かつて、メリッサがプロポーズを受けてくれた時の表情が重なる。



 あの時の彼女は、とても嬉しそうに表情がとろけていた。

 カイリも養子になった時、幸せそうにはにかんでいた。

 だからだろうか。



 最後の彼女の死に顔が、脳裏にちらついて堪らない。



 何故、今になって過去が顔を出すのだろうか。何かの警告かとフランツは疑わざるを得ない。

 カイリのためにアナベルの依頼を受けたことさえも、そもそも『彼女』の導きだったのではないのか。

 だとしたら、どんな意味があるのか。



 一度思い出したら、もうキリが無かった。



「……おい、団長」


 レインが何事かを言いかけてくる。あまりに呆れている声の調子に、フランツも何とか思考を戻そうとした直後。



「――」



 遠くの曲がり角に、懐かしい影を感じた。



〝……ヴぃ、ヴィクトリア、……お、重い……っ〟



 いつも恋人と一緒に幸せそうに歩いていた。

 先輩達に揉みくちゃにされながら、可愛がられていた。

 話すのも笑うのも苦手だったが、恋人といる時だけは、ふんわりとした笑顔を浮かべていた。

 教会騎士であっても、第十三位の中でかなりの実力者で、将来を刮目かつもくされていた人物。

 フランツを影ながらよく支え、共に邁進まいしんしていた部下。



「――っ、……パ……っ!」



 気付けば弾かれた様に駆け出していた。「おい、団長っ⁉」と慌てた声が背中から追いかけてきたが、構ってなどいられない。

 みんな死んだと思っていた。あの時、全滅したと思っていた。

 メリッサが死んだ。大好きな仲間達が全員死んだ。

 けれど、違うのか。



 彼は、生きていたのか。



「パリィっ‼」



 急いで角を曲がり、大声で叫ぶ。

 だが。



 迎えたのは、雑然とした空気だけだった。



 いきなり大声を出して慌てた様子のフランツを、通りすがりの者達がいぶかし気に見てくる。ひそひそとささやく声は、心配している者や不気味がっている者など様々だ。

 雑踏の中に、懐かしい気配はもう無い。

 そうだ。



 彼が、いるはずがない。



 思い直してフランツは項垂うなだれる。白昼堂々、幻まで見てしまうくらい参っているのかと、笑いたくもないのに笑いがこみ上げてきた。


「おい、団長! どうしたんだよ、本当に」

「いや、すまない。……見間違いだった様だ」


 あの幻は、フランツにトドメを刺すために現れたのだ。

 メリッサという大切な妻を殺したくせに、またりもせずに新しい家族を迎えた。その罪への罰を与えるために見せつけたのだ。



 お前が、全てを奪ったのだと。



「ああ、そうだな……」



〝ケントだから出来たんだよ。他の人達は傍観するしかない。それこそ、全てを放り投げるほどの相当の覚悟が無いと。――ねえ、フランツ君?〟



 ミサの時、クリスは本当に痛いところを突いてきた。

 そうだ。



 最初から、家族になる覚悟など無かった。



 守り通す覚悟も、万が一失うかもしれない覚悟も、全く持ち合わせてなどいなかった。



 メリッサは、フランツが連れて来なければ死ななかった。

 フランツと結婚しなければ、家族にならなければ、命懸けで守ろうなどと馬鹿な考えを持たずに今でも笑っていたかもしれない。

 仲間も、フランツと共にいたから死んだのだ。不甲斐ない団長で、さぞやあの世で嘆いているだろう。

 だから。



 今度こそ。



〝どうか、貴方だけでも生きて〟



「――っ」



 ぐっと、右の拳を強く握り締める。爪が皮膚を食い破る感触が伝わってきた。血が出たかもしれないと、舌打ちしたくなる。


「おい、団長?」

「……ああ。何でも無い。行くぞ」


 涼しい顔をしているつもりだが、レインも大概たいがい勘が良い。もしかしたら、前夜のカイリへの動揺も気付かれているかもしれなかった。


〝フランツさんが、俺を助けてくれたのは本当です。シュリア……ここにいる彼女と一緒に、駆け付けてくれました〟


 自分は、もう二度と奪ってはいけない。

 あれだけ優しく、強い彼を奪ってはいけないのだ。



〝過去でどうだったかは知らないですが、それは本当のことです。嘘じゃありません〟



 何も知らないのに、フランツのために心を痛めてくれた彼を。

 フランツを真っ向からかばい、アナベルを真っ直ぐに見据えてくれた彼の人生を。

 命を。



 もう二度と、奪わせはしない。



 第十三位に入れた目的は、もう放棄してしまおう。

 己の身勝手な欲望を、今度こそ手放すのだ。

 レインが目を細めて睨み据えてきていたが、敢えて無視をする。例え感付かれていたとしても、この動揺を誰にも明かしてはならないのだ。

 例え。



〝心からそう呼べる日が、来て欲しいと思います〟

〝……それは、楽しみだな〟



 カイリに、一生父と呼ばれる日が来なくなったとしても。



 フランツは、後悔しない道を選ばなければならない。

 その時が迫っていることを、フランツは、影に追い立てられる様に感じ始めていた。


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