第139話


「……お前だけでも、逃げれば良かったのに……っ」



 誰かが、泣いている。



 ぼんやりとした意識の中、カイリは泣き声のする方へと歩いていく。

 徐々に明けていく景色は、カイリが散々悪夢の中で見てきた光景だ。ここが何処なのか嫌でも分かってしまう。

 そうして泣いている声の方角へ歩いていき、ふっとよぎった音にカイリは一度立ち止まった。



 泣き声が、重なっている。



 一人ではないのかという疑問が生じたが、方向は同じだ。

 故に、カイリは再び歩き出す。ひどく苦しそうに泣くその声を、なだめたかった。


「……アナベルに、……何と言えば良いのだ……っ」


 短剣が深々と突き刺さる事切れた亡骸を抱き、背を向けて泣いていたのはフランツだ。

 随分と若い。前に夢で見た時と同じ、十一年前の時のものだろう。


「……俺の、家族になった、せいで……っ」


 愛しそうに掻き抱き、嗚咽おえつを殺しながら震える彼の背中が痛くて堪らない。カイリの心も引きつる様に痛んで、思わず胸元を握り締めた。

 そして、もう一つの声も明確に聞こえる様になる。

 カイリは覚悟を決めて、そちらを見やった。



「あ、……ああああ、……ヴィクっ、……ヴィクトリア……、……ど、…………っ」



 遠くで泣き崩れているのは、パリィだ。

 安らかな顔の女性を抱き上げ、ひたすらに呆然と見下ろしている。

 そのすぐ傍には、短剣が突き刺さった女性の成れの果てが転がっていた。先程、フランツが掻き抱いていた女性と同じ人だ。

 そう。



 ――カイリに度々悪夢を見せていた、オレンジの髪の女性だ。



 二人の光景を見渡して、カイリは薄々抱いていた予感が確信に変わった。

 何という皮肉だろう。

 パリィの仇は、フランツの大切な人で。

 そして。


 フランツの仇もまた、大切な人を殺されたパリィだったのだ。


 パリィの存命を知った時、今でも仇を恨んでいると知った時、フランツは何を思い、何を決断したのだろう。

 カイリの行動を、恨んではいないだろうか。カイリは、フランツの仇を救おうとしていたことになる。

 けれど。



〝それでこそ、カイリだ。……本当に、カーティスそっくりだな〟



 フランツは、きっと何もかもを承知でカイリの作戦に乗ってくれたのだ。

 だから、早く会いに行かなければならない。

 真実を求めるためにも。



 悲しくも強い二人が待つ、現実へ。











「お。目、覚めたか」


 早く帰らなければと強く念じていると、カイリの目の前にレインの飄然ひょうぜんとした笑みが映った。

 頭がぼんやりしている。何故レインがここにいるのだろうと思いつつ、カイリはゆったりと横を見た。


「……カイリっ!」

「やっと目が覚めたんですのね」


 フランツが慌ただしく駆け寄ってくる。シュリアは壁に背を預け、呆れた様に迎えてくれた。


「新人! 良かったっす!」

「もう、三日も眠っていたんですよ。無茶しすぎです」


 エディとリオーネが、心の底から安堵した様に笑ってくれた。

 丸三日も眠り込んでいたのならば、相当心配をかけてしまったかもしれない。先日から寝坊ばかりだ。


「すみません、……俺」

「良い。……よくやった、カイリ」


 わしゃっと、カイリの頭をフランツが撫でる。その撫で方は乱暴だったが、とても温かい。フランツの優しさが詰まっていて、カイリは泣きそうになって慌てて目を閉じた。


「成功、しましたか」

「ああ。……今は、隣で謹慎中だ。詰所とでも思ったが、……お前が目覚めるまでと土下座したのでな」

「……。フランツさん」


 すがる様に見上げると、フランツがこれ見よがしに溜息を吐いた。全くこいつは、と言わんばかりの表情に、カイリは委縮する様に首をすくめる。


「……起き上がるのは駄目だ。良いな?」

「……、はい」

「お前が少しでも苦しそうになったら、止める。良いな?」

「……、……はい」


 答えるまでに間が出来てしまった。

 フランツが益々渋面になったが、一応受け入れてくれた様だ。レインを振り返り、指示を出す。


「レイン」

「……あいよー」


 短いやり取りで、レインが心得た様に出て行く。

 そして程なくして戻ってきた。首根っこを掴んでずるずると引きずってくるという乱雑な扱いだ。

 首根っこを掴まれている相手はもちろん。



「……パリィさん」

「……、カイリ……」



 ぼーっとした顔の、カイリの知るパリィだった。前髪は切ったらしく、綺麗に短く揃えられている。邪魔だったのだろうかとどうでも良いことを思った。

 しばらく無言の応酬が続く。カイリもどう声をかければ良いかと迷った。

 しかし、先に口を開いたのはパリィだった。決心した様に、ぼんやりした眼差しに少しだけ強く意思が灯る。


「……体、……大丈夫、なのか。話は、……良いのか」


 ぬぼーっとした視線ではあったが、瞳の色は真剣そのものだ。

 彼が案じてくれているのが強く伝わってきて、カイリの頬が無意識に緩む。


「はい。大丈夫です」

「……」

「パリィさんも、気分はどうですか」

「……。毎日響いていた黒い声が、聞こえない。……本当に、洗脳を解いたんだな……」


 ぼそぼそと話しながら、パリィの視線が落ちて行く。憂鬱そうな眼差しに、カイリは意識を落とす前の彼の言葉を思い出す。


〝……お前、もう、戻れない〟


 確かに彼はそう言った。

 教えてもらわなければならない。カイリは、聖歌で人を道具の様に扱う黒幕を追及すると決めた。


「パリィさん、教えて下さい」

「……」

「戻れないとは、どういうことですか。……パリィさんを、ここまで苦しめた人は誰ですか」

「……、……っ」


 沈黙で答えられる。

 だが、ここで引くわけにはいかない。カイリが更に質問を続けようとすると。


「パリィ。教えて欲しい」


 見守っていたフランツが、静かに口を開く。

 その声は真っ平らだ。しかし、その奥に潜むのは身が焼き切れる様な苦痛で滲んでいた。



「俺を襲ったのは誰だ」

「――」

「あの日。第十三位が全員洗脳されていた、あの日。俺達夫婦を殺そうとしたのは、誰だ」

「――――――――」



 ひび割れる様に、フランツの声が空気を切り裂く。

 誰もがその吐露に、絶句した。カイリも息が出来なくなるのではと、肺が呼吸をするのを恐がっていた。


 第十三位が全員洗脳されていた。

 夫婦を殺そうとした。


 あの悪夢にはそういう意味があったのか。そもそもの順序が逆だった。

 フランツの口から明かされた真実は、カイリ達を押し潰すには充分過ぎる程の威力を備えていた。


「……フランツだんチョウ……、……いや、だんちょう」

「……喋り方や発音も、戻ってきたな。元々、ぼんやりした奴ではあったが」

「……長らく、聖歌に、侵されてた。その、影響」


 目を閉じて、パリィが渋い顔をする。相変わらずぼーっと気だるげではあるが、発音ははっきりしてきている。

 洗脳されると、言語能力等まで悪影響が出るのか。改めて凄惨さを目の当たりにして、カイリは背筋が凍る思いだった。


「だんちょう、……おれ、記憶、そんなに無い」

「それでも良い。分かる範囲で話してくれ」


 フランツの静かな、けれど断固たる口調に、パリィは視線を下に下げていく。

 何度か瞬きした後、ひっそりとした決意を吐き出す様に彼は声を自ら開いた。



「……、……おれの記憶は、……教皇の近衛騎士団に呼ばれたところで、最初は切断されている」

「――」



 短く息を呑む音があちこちで上がる。カイリも薄々感付いていたとはいえ、やはりずしりと胸が重く落ちる。

 教皇の近衛騎士。それは、教皇の周囲を固める精鋭ということか。確か、前に出会ったギルバートがその役職だった。

 その騎士に呼ばれたところで記憶が切れているということは、裏返せば彼らが怪しいということになる。

 近衛騎士で記憶が止まっているのか。

 それとも――。



「次に目覚めた時は、もう、……屍の山だった」



 平坦な声だった。

 その真っ平らな声音こそが、彼の絶望の深さを如実に物語っている。


「……第十三位全員が死んでいた、ということだな?」

「……」


 フランツの淡々とした確認に、パリィがもっそり頷く。

 フランツも、パリィも、視線を合わせない。恐らく互いに思い出しているのは、同じ光景でいながら、全く異なる場面なのだろう。

 フランツも、パリィも互いが仇の様なものだ。フランツに至っては、間違いなく彼が仇なのだ。

 推測だが、ぎはぎであっても繋ぎ合わせるとその流れは組み立てられる。決して、この予想を立てているのはカイリだけでは無いはずだ。


「目の前で、オンナが、……ヴィクトリア、殺してた」

「……」

「それは、……だんちょう。……あんたの、妻だ」

「……っ、……そうだな」

「――っ」


 明かされていく真実に、カイリの喉でひゅっと嫌な音が鳴る。

 覚悟はしていたとはいえ、それで恐怖が消えるわけではない。がたっと、寒くもないはずなのに体が震えて止まらなかった。腕を無理矢理掴んでいなければ、頭が理解をとっくに拒絶していただろう。


 あの悪夢は、真実をカイリに伝えていた。


 何のためにかは分からない。

 だが、確かに意思を持ってカイリを導こうとしていたのだ。

 パリィに対するフランツは、腕を組んで強く目を閉じる。その横顔に浮かんだのは、苦悶という一言では片付けられないほどの乱れた感情が飛び交っていた。



 己の妻が、味方を一人残らず殺そうとした。実際、パリィ以外は全員死んだ。



 その現実は、フランツにとって如何ほどのものだろうか。カイリには想像すら及ばない。


「でもその後、……もう一度、誰か、おれの前に、あらわれて。……何か、された気が、する」

「……何だと? 教皇の手の者か?」


 フランツの確認に、しかしパリィはふるっと弱々しく首を振る。確信は無さそうだが、それでも否定を口にした。


「違う、と思う。教皇の洗脳にわずかにでも抗った、とおれに、言った。……『いい実験体を、見つけた』とも言っていた、気がする」

「……っ」

「多分、……教皇の洗脳が、解けたんじゃ、なくて。それを更にいじくる様な、感じ。……殺せ、っていう声は、一緒、だし」


 物騒な語りに、カイリだけではなくフランツ達の顔も一斉に歪む。

 教皇とは別の者が、またパリィを利用したということか。ふつふつと怒りが湧いてくるのを必死に抑え、カイリは黙って耳を傾ける。


「オンナ、……。……ヴィクトリアを、みんなを殺したメリッサ、憎かった。でも、……その男に、何かされて、記憶がまた飛んで。……次に目覚めた時から、もっと、もっと、メリッサ、……いや、オンナが、憎く、なって」

「……っ」

「いつの間にか、一人になって。それからは、……記憶が、よく飛んだ。でも、……目が覚めたら、手が、真っ赤」

「……」

「今回の、ことで……カイリが、聖歌を歌ったことで、激痛の中、目が覚めて、……気付いた。いや、……」


 言葉を切って、パリィは眉を寄せる。

 苦しそうに唇を噛み、閉じていた蓋を開放する様に口を開く。



「……ほんとうは、ずっと、気付いてた。おれは、ずっと、誰かを、……オンナを、……殺してきたんだって……っ」



 両手を広げて、パリィは静かに見下ろす。その瞳には、懺悔と憎悪と悲憤ひふん慟哭どうこくがごちゃ混ぜになって沈んでいた。

 一つの感情になど絞れない。

 目の前で大切な人が殺されて、正気でいられる人がどれだけいるだろうか。

 カイリだって、村でがむしゃらに剣を振るった。あれだけ嫌っていた真剣を、握った。



 エリックが生きていたと知った時、何故生きているのかと愕然がくぜんとした。



 彼が死んだ時、辛かったのに、どこかでホッとした。

 なのに、安堵しながら苦しかった。死んだことが悲しかった。

 どちらかに振り切れれば楽なのに、そうはならない。仇が死んでも、楽になどならない。

 だから、カイリはパリィを加害者と同時に被害者と見てしまう。甘いな、とカイリ自身落胆もした。


「……黒い声、ずっと、頭をぐるぐる回ってた」

「さっきも言っていたな。憎い、殺せ、だったか」

「そう。殺せ、殺したい、女、殺せ。そういった真っ黒な声が絶えず響いて、おかしくなりそうで。夜は、暗くて、よけいに色んなこと思い出して、……耐え切れなくなったら記憶が、飛んで、……この十一年、ずっとその繰り返しだった」

「……っ」

「最近は、一年に数回くらい飛ぶまでに収まってきていたのに、ここ数日は、また酷くなってた。だから、……あんた達から聞いた通り、複数の女性を殺したのは間違いなくおれだ」


 頭を無言で下げる。謝罪は無い。

 それは、罪悪感を覚えていないとかではない。言葉に尽くしても尽くしきれないからだろう。

 しばらく重たい静寂が横たわる。

 その静寂を裂いたのは、フランツの息が詰まる様な質問だった。


「パリィ。作戦当日。俺は、お前達第十三位を率いて戦場に向かった。エミルカがこちらにちょっかいをかけてくるというお達しがあったからだ」

「……、ちょっかい」

「その時、お前達は全員いつも通りだった。少しだけ、……ほんの少しだけ、変だと思う空気を感じたには感じたが、本当に平素と変わりなかった」

「……」

「一緒に向かったことを、お前は、覚えていないか」


 当たって欲しくない。

 だが、どこかで諦めにも似た確信を抱いてフランツが問い質す。

 パリィは考え込んでいたが、やがてゆったりと首を横に振った。



「……覚えて、いません」

「――、……そうか」



 苦り切った相槌あいづちだった。

 はあっと、震える様にわだかまっていた感情を吐息として吐き出してから、フランツは重く口火を切る。


「あの日、戦場に着いた時、敵の影など一人も見当たらなかった」

「……」

「着いた途端、お前達は、……一斉に俺達夫婦に襲いかかってきた。お前が、奇声を上げて襲いかかってきた様にな」

「――」


 パリィの目に恐怖が混じる。

 だが、驚きはしていない。もう予想は付いていたのだろう。唇を噛み締め、すぐに力を入れてフランツを見据えていた。


「全員、信じられないほどの膂力りょりょくを持っていた。聖歌語で対応しても、振り切れないほどに強くてな。当時の俺は、団長とはいえまだまだ未熟だった。すぐに追い詰められ、近くの砦に逃げ込んだ」

「……当時の第十三位は、二百人の規模、でした。……むしろ、よく、……」

「ああ。第一位と違って精鋭ではなかったから、それくらいいたな。どこをどう逃げたかも覚えていないさ」


 はは、と笑う声は乾いていた。フランツとしては、本当に思い出したくない悪夢なのだろう。

 目元も、頬の筋肉も、呼吸も、小さく震えていた。

 そして。



「……カーティスも、そんな風に生き延びたのだろうな」

「――」



 父の名を聞いた瞬間、どっと洪水の様にカイリの胸をあらゆる感情が押し流す。



〝お前の父親が、前に任務で生死を彷徨う大怪我をしたと言ったな〟


〝それを仕組んだのは、教皇だと言われている〟



 かつて、父を襲ったのも教皇。

 邪魔だから。反抗的だから。

 だから、殺してしまえと、父は本当に教会に殺されそうになったのだ。

 あの悪夢のフランツは同じ目に遭ったということなのか。生き延びた心中を思うと、やり切れない。


「恐らく、……俺はカーティスと昔、教会を正そうと企んでいたからだろう。親友がいなくなってからは、……特に妻をめとってからは、もうそういう危険なことに手は出さないつもりではあったが。……反乱分子はいつまでも反乱分子ということだな」

「……そんな」


 一度危険な思想を抱いたという理由で、排除を決行する。

 教会の専制政治は、改めて凄惨なものだとカイリは空恐ろしくなった。


「……砦に何とか逃げ込んでな。頂上まで登り、それでも下ではお前達が狂った様に暴れているのを目にして、もう駄目だと思ったのだが。……妻は、子守唄の聖歌を歌い出した」

「……子守唄、ですか?」

「ああ。カイリのものとは質が違うが、……あいつも結構力が強くてな。当時、俺は抗えなかった」


 懐かしむ瞳に自虐が走る。

 きっと、フランツは妻の聖歌が好きだったのだろう。何となくカイリには感じられた。


「あいつには、……昔、教皇に逆らおうとしていたこと。洗脳の凄惨さも話してあった。だから、……俺が標的だと分かったのだろうな。……だからこそ、あいつは、……」

「……っ」

「最後に、ごめんなさい、と。貴方だけは生きて、と。……目が覚めた時には、全員死んでいて……その中心に、妻が崩れ落ちる様に倒れていた」


 疲れた様にフランツが締め括る。

 カイリも、他の者達も、誰も口を開かなかった。ただ、目を覆う様な惨劇を前に、口を閉ざすしか他に無い。


 ただ、フランツの妻は、心の底から彼を愛していた。


 話を聞けば、それだけは分かる。

 子守唄を歌って、全員を眠らせるのにどれほどの体力が必要だったか。

 全員を殺して回ることが、どれほど心をすり潰す行為だったか。

 今まで味方だった彼らの命を奪うことが、どれだけ無念だったか。

 最後、命尽き果てる時、彼女は何を思ったのだろうか。

 喉が詰まって吐息が震えそうになるのを、カイリは懸命に堪えた。



 あの悪夢で見た彼女は、全ての始まりをカイリに見せたのだと。カイリは改めて思い知らされて、黙祷もくとうする様に目を閉じる。



「……だんちょう」

「……何だ」



 淡白ながらも深い激情が宿るパリィの呼び声に、フランツも顔を上げる。


「おれが、殺しました」

「……」

「おれが、メリッサさんを、……あんたの妻を、殺しました」

「――っ」


 目を閉じて、腕を組んでいるフランツの表情が大きく揺れた。噛み殺す様に唇を閉じたのは、何を飲み込んだのか。

 カイリはあえぎそうになるのを、必死で押し殺す。


「……そうだな。女を殺したがっていたのだ。そうだっただろうな」

「そうです。……だんちょう。あんたは、……おれを殺す、権利がある」

「っ、パリィさん!」


 自ら命を差し出す物言いに、カイリは弾かれて声を上げる。

 だが、パリィは静かに首を振って制止した。


「カイリ。お前に、生かしてもらった……命だ。無駄には、出来ない」

「だったら……っ!」

「だからこそ、だ」


 そこまで大きな声ではない。

 だが、彼の言葉はまるで隅々まで通る様にカイリの耳を貫いた。


「おれ、まだおんな、憎い。許せない。いくら声が聞こえなくなっても、それはどうしようもない」

「……っ」

「だけど、おれも、同じ存在」


 同じと言い切るパリィの表情は硬い。

 その硬さは悲壮なる覚悟にも思えるし、海よりも深い懺悔にも映った。


「どれだけ憎くても、どれだけ、……許せなくても。おれもまた、同じことを、大勢の人に味わわせた。それは、絶対に償わなければ、ならない」

「……、はい」

「おれは、……慕っていただんちょうの、大切な人を殺した罪を。そして、……今まで無作為に奪ってきた命に対する罪を、背負う義務がある。それが、例え、洗脳下で、あったとしても。奪った事実は、変わらない」


 たどたどしく、けれど確固たる決意と共にパリィがフランツと相対する。

 フランツは無言だ。

 しかし、彼を見つめる瞳には強い感情が滲み出ていた。


「だんちょう。あんたに、おれはこの命をたくす」


 託す。

 言い方は遠回しだが、実質処断しろと首を差し出す様にパリィは頭を下げた。



「あんたは、おれを殺したいはずだ。おれも、罪を償わなければならない」

「……」

「だから、あんたに、委ねる。今まで、……いや。せめて、この街で犠牲になった遺族達に、おれの首を――」

「断る」

「――っ」



 はっきりと、遠くまで切る様にフランツが拒絶する。

 突き飛ばす言い方に、パリィは本当に吹き飛ぶ様に身を引いた。ぐらっと、よろけながら床に手を突く。


「だ、だんちょう」

「死んで楽になろうと思うな。お前の罪は、そんなことで償えるものではないっ」


 滲む苦悶の中に、フランツの複雑な感情が激しく揺れ動いている。

 頭上から食らい付くさんとするほどの強い激情に、パリィがあぶられる様に顔をしかめた。


「俺は、妻と仲間を守り切れなかった。しかもその後も逃げたから、お前が生きていることを見過ごしてしまった。……あの時俺が逃げなければ、お前をここまで苦しめずにすんだかもしれない。……お前を、もう少し早く救えたかもしれない」

「……だんちょう、それはっ」

「事実だ。……俺は、途中で仲間の顔を確認するのを怠った。放棄したのだ。妻の悪行から目を逸らし、早くその場から離れたくて、何もかも見捨てて逃げ去ったのだ」

「……っ、……」

「だから、お前を止めることが出来なかった。……団長として失格だ」


 腕を組んで深く目を閉じるフランツの顔に、苦い悔恨と決然とした覚悟が宿る。


「もう遅いかもしれんが、ようやく向き直る決心が出来た。……何もかも遅くても、俺はここからもう一度団長として、家族として、何が何でも生きると決めた」


 顔を上げるフランツの目に、もう迷いは無い。

 今まで背を向けてきた過去に、真っ向から立ち向かう。

 少なくともカイリには、彼の目には昔と今、両方がくっきりと映し出されている様に思えた。



「俺は、もう俺の罪から逃げはしない。俺の願いから二度と目を逸らしたりはしない」

「……っ」

「だから、……俺が、俺の妻がしたことからもう逃げない様に。お前もっ。……お前も、お前の罪から、……お前の心からもう逃げるな」



 睨み付ける様なフランツの瞳には、憤怒と悲哀が渦巻いていた。

 パリィが憎い。そう、目は語っている。

 だが、それだけではない様々な感情が彼の中には渦巻いていた。声の強さに、彼の決意と覚悟が深く織り込まれている。


「首を切るのは簡単だ。お前の首を晒せば、この街の遺族も少しは報われるだろう」

「……、はい」

「だが、お前がここで死んだとしても、教皇の罪は明るみにはならない」


 残酷な結論を突き出す。パリィも刺された様に顔を歪めた。


「教会の闇は依然としてほくそ笑んだままになる。むしろ、お前が死んだら証拠隠滅が出来たと喜ぶだけだ。……それでは、何も変わらない」

「……、それ、は」

「黒幕を捕らえなければ、本当の意味でこの事件は終わりなどしない。俺の妻の死が、……第十三位のみんなの死が、多くの死が全て無駄になるだけだっ」


 本気で真の黒幕を暴くのならば、何が何でも生き延びなければならない。

 カイリにもフランツの言わんとすることが伝わってきて、複雑ながらも納得はした。


 パリィによって、罪のない人間が大勢死んだ。


 そのことによって、多くの哀しみを生み出した。

 だが、パリィは己の憎悪を糧に洗脳されていたのだ。しかも記憶が無い上に、己の意思を利用されて悪事に手を染めてしまった。

 パリィは加害者であると同時に、被害者だ。本当の意味でこの罪を裁くのならば、真の黒幕を引きずり下ろして、全員の前で白昼の元にさらさなければならない。


 だからこそ、フランツは彼を殺さない。そう、決意したのだ。


 知られたら、当然糾弾される。この場の全員が漏れなく処刑されるかもしれない。

 だが、例えその危険を冒してでも、フランツはパリィを生かす道を選んだ。

 本当の意味で罪を裁く。そのために。



「本気で罪を償おうと思うのなら、俺と共に来い。死ぬのは、相手に捕まった時だけ。そう心に刻め」

「……、だん、ちょう?」

「その考え方にさえ罪悪を感じるのならば、そうだな……。俺達の手足と思って暗躍しろ」

「……てあし……」

「そうだ。俺達には目的がある。――教皇をぶっ飛ばし、世界の基盤を変えるという目的が」

「――」

「その大いなる野望のために、お前の力を貸してくれ」



 瞬間。

 その場の時間が、がっちりと止まった。


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