第109話


 当時フランツが、このルナリアに寄ったのはちょっとした任務だった。


 狂信者が不穏な動きをしていると、この街に居を構えている教会騎士から連絡があり、第十三位団長になったばかりのフランツが派遣されたのだ。

 任務は滞りなく終えられた。地方で暗躍している狂信者の中でも、そこまで実力がある人間ではなかったというのも大きい。

 部下を労い、みんなで騒ぎ、フランツが酔い醒ましのために夜道を散歩していた時のことだった。



【――眠りなさい、人の子らよ】

「――――――――」



 柔らかな調べが、聞こえてきた。



【優しき腕に包まれ、安らかにまどろみて。幸せなる温もりに身を委ねなさい】



 綺麗な旋律だった。この夜の穏やかな空気と同じく優しい、包み込む様な歌声にたかぶる気持ちも静まっていく。

 頭を撫でられる様な美声に誘われて、フランツは歌を辿っていった。少し街中かられていくなと思いながらも、流れる様な美しさに聞き惚れてしまったのだ。


 そうして辿り着いた先は、一件の孤児院だった。


 屋根に十字架を掲げているということは、教会の支援を受けているのだろう。この街の教会はまともに機能していると、フランツはひっそりと確認する。



【眠りなさい、人の子らよ】



 見上げれば、二階の窓が開いていた。歌声もそこから響いてくる。

 静謐せいひつな、けれど芯のある凛とした花の様な声に、フランツは見上げたまま耳を澄ませる。夜もゆるりと微笑みながら眠りに落ちて行く優しさに、自然と目を閉じていった。



【優しき腕に抱かれしあなたに、明日は良き日が訪れんことを】



 ふっと、炎が静かに消える様に歌声も夜風に溶けていく。終わるのが惜しいと思ってしまったことに、フランツは内心驚いた。



 今まで聞いた歌とは違う。

 教会で流れる聖歌や、自分の知る聖歌騎士が歌うものとは、種類が違うものの様に思えた。歌とは、てっきり厳かで壮大なものか、万人の心を飲み込んでしまう様な威圧的なものだと思い込んでいたのだ。

 しかし、今のは違う。


 人の眠りを促す様になだらかで、どこまでも優しい歌だ。


 歌詞からしてもそうなのだから、当たり前かもしれない。

 けれど、その歌にフランツは強く惹かれた。



 ――誰が、歌っているのだろうか。



 しかも、これは『聖歌』だ。知ってしまったからには、教会騎士として放っておくわけにもいかない。

 孤児院を訪ねてみようかと思ったが、今はまだ夜も更け始めた頃。子供達はちょうど眠りの時間に突入する時間帯だ。迷惑になってしまうかもしれない。

 ならば、また明日訪問してみようか。

 そう思って、きびすを返しかけたその時。


「……あら?」


 頭上から、鈴の音の様な声が降ってきた。

 驚いてフランツが見上げると、ばっちりと声の主と目が合う。

 窓を閉めようとしたのだろう。身を少しだけ乗り出して、開いた扉の取っ手に中途半端に触れている。

 夜空を照らす様なオレンジ色の髪が、風に舞ってふわふわ揺れていた。フランツを見下ろす瞳は、ここからでは色が判別出来ないが、恐らく綺麗なのだろうと確信する。

 優しい空気。穏やかで美しい声。



 まるで、今の歌をそっくり映し出したかの様な女性だ。



 見惚れたまま、フランツは声を出すことも出来なかった。朴念仁と言われ続けてきた人生の中では、初めての衝撃だった。

 そうして、どれほど見つめ合っただろうか。



「こんばんは、騎士様」

「――」



 ふわりと、陽だまりの様な柔らかな笑みが向けられる。

 この瞬間。



 フランツは、恋は落ちるものだということを初めて知った。











 カイリ達がアナベルに案内されて孤児院に入ると、最初に大広間が目に入った。

 元は小さな教会を改築したらしく、奥には聖壇せいだんも見える。子供達の遊び場になっているらしく、年齢がばらばらの子供達が四人同時に振り向いてきた。


「アナベル母さん! お客さん?」


 一番年長らしい少年が真っ先に尋ねてくる。

 年齢は十にになるかならないかくらいだろうか。元気良く跳ねた茶髪の通り、快活そうな声である。


「ナハト。彼らは、教会騎士の人達だよ」

「教会騎士!」

「え? きょーかいですって?」

「すっげー! ほんもの!? てか、まちのやつらとぜんぜんちがうじゃん!」


 アナベルの紹介と共に、子供達が一斉に目を輝かせる。

 街の人達とは、このルナリアの教会騎士の人達のことだろうか。そんなに違うだろうかと、カイリは己の姿を見下ろしてしまう。


「わっかーい! おっさんじゃないぞ!」

「すごいですね。お兄さんたち、どこから来たんですか?」

「あいつらみたいにいばってない……」

「本当にきょうかいきしなのかしら! だって、イケメンばっかりよ!」


 素直に憧れで見上げてくる子供もいれば、疑心と共に警戒してくる子供もいて様々だ。

 あっという間にカイリ達の周りに人垣が出来上がり、身動きが取れなくなる。シュリアが「な、何ですのー!」と混乱した様に叫んでいたのが面白くて、小さく噴き出したのは内緒だ。



「こーら! あんた達、ちゃんと挨拶!」



 アナベルが腰に手を当てて一喝すると、子供たちが「はーい!」と元気よく手を上げて返事をした。何だか引率の先生みたいだなとカイリは微笑ましく見守る。


「ぼく、ミック! 五さいです!」

「ヴァネッサよ! 八歳になるの! こっちはテリーよ」

「テリー。よんさい……」

「俺はナハトです。今年十歳になります。きっと、アナベル母さんが依頼していた子守りですよね? よろしくお願いします」


 それぞれが礼儀正しく挨拶をしてくれた。ナハトはやはり年長者らしく、一番しっかりした受け答えだ。カイリ達が訪問した目的も逸早く察知して、頼もしい。

 しかし、見事に子供だらけだ。アナベルの他に大人は住んでいなさそうだが、子供が四人となるとそう多くは無い。子守というのは、確かにフランツの言う通り建前なのかもしれないと思えた。

 だが、それよりも何よりも。



 ――何だか、懐かしいな。



 温かな子供達のこの雰囲気が、カイリにはとても懐かしい。四人という数も、ちょうど村にいた頃のカイリを含めた子供の人数と一緒だ。

 村を思い出して、少し胸が痛くなった。

 けれど、痛みを振り払って笑顔で腰をかがめて挨拶をする。


「初めまして、カイリです。これから二週間、よろしくね」

「まあ! カイリお兄ちゃんね!」

「ミック、おぼえた! カイリ! よろしく!」

「おーおー、賢いなー。オレはレインだ。こいつの先輩にあたるぜ」

「せんぱーい! おお、カッコ良いー!」

「……レイン、……せんぱい?」

「イケメンだわ! こっちはレインお兄さんね!」

「おー。先輩でもお兄さんでも何でも良いぞー」

「フランツだ。一応団長を務めている」

「だ、団長さんですか! うわ、凄い。俺、初めて見ました!」

「だんちょー! あそんでー!」

「筋肉ありそうね! ぶら下がりたいわ!」


 カイリが自己紹介をすると、レイン、フランツと続く。

 シュリアがもごもごと尻込みしているのを見かねたのか、リオーネがすっと前に出た。


「こんにちは。私はリオーネです。こっちはシュリアちゃん。仲良くして下さいね」

「お、お姉さま……! きれい……!」

「ヴァネッサ、綺麗なお姉さんに骨抜きだもんね。リオーネさん、よろしくお願いします」

「シュリア! ツンデレってやつだな! ミック、またおぼえた!」

「はあ!? 何言ってますの! つ、ツンデレって……!」

「あはは。確かにツンデレっぽいですね。かわいいですよ」

「く……っ。このナハトっていう子供……侮れませんわ……っ」

「そして! ボクはエディっす! 何を隠そう、リオーネさんのこいび……!」

「エディ! エディはしゃてーだな!」

「あそびなさい! 命令よ!」

「しゃてい……」

「ぐおおおおおっ!? 何でなんすかーっ!!」


 エディが紹介した途端、どどっと小さな子供達が一気にエディを押し潰した。ぐおっと潰れた蛙の様な呻き声を上げ、エディは憐れ埋もれていく。

 何故、エディはいつもそんな役回りになるのだろうか。オーラだろうか。カイリは不思議で堪らない。


「はいはい。あんた達、久々のお客さんだからってはしゃがないの」

「えー」

「えー、じゃない! 返事!」

「はーい。……ねえねえ、カイリ。あそんで!」

「こらー! ミック!」


 ミックと呼ばれた少年が、未練がましく近くにいたカイリのコートを引っ張る。

 人見知りをしない子供の様だ。さっとカイリの背後に隠れてしまった彼の頭を、ぽんぽんと撫でる。


「うん、もちろん。でも、仕事のお話が終わってからね」

「……えー」

「二週間、ここにいるんだから。時間はたっぷりあるよ。お話が終わったら、遊ぼう」


 ね、と笑いかければ、ミックも「はーい」と素直に返事をした。

 普段、よほど遊び足りないのだろうか。ぽんぽんともう一度頭を撫でると、ふにゃっと嬉しそうに笑うのが可愛い。


「あー! ミックずるい! カイリお兄ちゃん、私の頭をなでなさい!」

「え? あ、うん」

「……テリーも……」

「レインせんぱいも! ミックのあたま、なでて!」

「私もよ! 私も!」

「あー、はいはい。順番なー」

「あと、だんちょーは、あとでぶらさがらせてくれよな!」

「ああ、構わんぞ」

「リオーネお姉さまやシュリアお姉さんともお話したいわ!」

「はい、喜んで」

「……はあ」


 頭を撫でてもらうために、子供達が群がってくる。

 あっという間に囲まれて、全員人見知りをしないのだなと感心した。一人くらい怯えても良さそうなのにと思ったが、それは育ての親であるアナベルの気質もあるのだろうか。


「まったく……。ほら、もう今から夕飯の支度を始めな! 今夜はご馳走だよ! 仕方がないからね!」

「え? やったー!」

「お母さん、大好きよ!」


 わーっと子供達が歓声を上げて奥へと走っていく。「またね」と次々と無邪気に手を振ってくるのにカイリ達も振り返し、アナベルに向き直った。


「みんな、元気ですね」

「それだけが取り柄だよ」

「お母さんにも懐いてますし」

「……カイリって言ったかい。あんた、見た目に寄らず結構良い性格してるね」


 褒めたのに、噛み付かれた。

 シュリアが隣で豪速で頷いていたのには納得がいかないが、アナベルからも最初のやり取りで心証が悪くなったのかもしれない。えて言い返しはしなかった。


「ま、期限は七月になるまで。大体二週間だよ。フランツお兄様、他多数。あいつらの子守り、よろしくお願いするよ」

「……任された分はやろう。寝床はどうすれば良い」

「二階にちゃんと部屋がある。男性と女性に別れて寝てくれればそれで良いよ」

「……世話になる」

「……ふん。依頼だからね。手を抜いたら承知しないよ」


 言いながら、アナベルは視線を奥の方へとずらす。

 アナベルは先程からフランツを見ようとはしない。最初はあれほど罵倒の嵐を吹き付けていたのに、今は視界にさえ入れようとはしなかった。明らかに苛立ちを滲ませていて、吹き荒れる殺意にも似た気迫が痛々しい。

 原因が、フランツの妻であるアナベルの姉にあることは十二分に理解した。

 しかし、詳細が全く読めない。カイリとしては、どうにかしたくても口の挟みようも無かった。



 ――フランツさんの、家族になったのに。



 こういう時、何の力にもなれないと思い知らされる。出会った時からフランツにはお世話になりっぱなしなのに、カイリは何も返せていない。

 何のための家族だろうかと落ち込んでいると、話は終わっていなかったのかフランツが更に切り出した。


「だが、すまない。子守り以外にもやることが出来た。多少、時間を融通ゆうずうして欲しい」

「は? やることって何だい」

「最近この街を騒がせている切り裂き魔だ。聖地から来た身として放置は出来ん。交代で昼夜調査に乗り出す」

「――」


 アナベルが、思わずといった風にフランツを見上げる。

 その後、すぐに顔を渋面にして視線を逸らしてしまった。

 やはり、顔を見ること自体を避けているらしい。カイリの胸の中で、苦いもやうごめいた。


「……善人ぶって」

「善人だからな」

「っ、……人の姉を見殺しにしておいてっ」

「それとこれとは話が別だ。口出しはさせん」


 フランツが言い切ると、アナベルが耐え切れない様に顔を歪めた。

 その険しさが、憎悪や悲憤や慟哭どうこくを如実に物語っていて、カイリは一瞬息が出来なくなる。

 まるで。



〝それでも……、……それでもっ! 俺は、村を奪った彼が許せないっ‼〟



 その姿は、カイリと同じく。やり場のない憤りを、声もなく地面に叩き続けている様にも見えた。



 彼女は、何かを言いたげに口を開いたが、結局閉じる。

 そのまま、何故かカイリの方を向き、ぎっと睨みつけてきた。あまりの殺意に息の根が止まりそうだ。


「おい。カイリに当たるな」

「うるさいよ!」

「アナベルっ」

「……、好きにしな。どうせ、今回も見殺しにして終わるんだろうしね」

「……っ」

「――しませんっ」


 フランツが口ごもったのを見て、すかさずカイリが口を出す。

 またもアナベルに睨みつけられたが、カイリも言わずにはいられなかった。

 彼女がフランツを否定するたびに、息が苦しい。彼女が彼を拒絶すればするほど、彼女の悲憤が痛々しいほどに心臓を殴りつけてくる。

 それは、少し前の村でのカイリにも重なってしまって、どうしても黙っていられなかった。お願いだから、と、彼女の口を塞ぎたくて言葉を続ける。


「フランツさんだけじゃない。俺達も、切り裂き魔を全力で捕まえます」

「……っ。いっちょまえの口を」

「利きます。俺達は年齢が若くとも、全員教会騎士です。街の安全を取り戻す義務があります」


 彼女の弁をさえぎって、カイリは語気を強くする。刺激をすると分かっていたが、これは本心だった。



 教会騎士は、民の安全を守るために存在しているはずだ。



 上がどれだけ黒くとも、中がどれほど醜い駆け引きに溢れ返っていようとも、そんな事実は民には関係が無い。

 カイリ達騎士は、彼らのためにいるはずだ。少なくともカイリはそう信じたい。

 深すぎる恨みのこもったアナベルの睨みを、カイリは真正面から受け止める。正直心が重圧で押し潰されそうだが、ここで足を折るわけにはいかない。目を逸らしてはいけないと、強く思って懸命に顔を上げ続ける。

 しばらく睨み合いは続いたが。


「……ほんとに。あんた、絶対騙されてるよ」

「……アナベルさん」

「お姉様と一緒。……あんたの目。見てると、イライラするよっ」

「――っ」


 ふいっと顔を背けてアナベルが去って行く。

 その間際に見せた表情が、ひどく沈痛に満ちていてカイリの心臓を鷲掴わしづかみにした。

 子供達が消えていった部屋へと彼女が入っていくのを見送り、がっくしとカイリは崩れ落ちながら頭を抱える。



 ――またやってしまった。



 どうしてこう、自分は余計な口出しばかりするのか。

 人の神経を逆撫でしたり、墓穴を掘ったり、己を窮地に追い込んだりと学習しなさすぎる。もっと世渡り上手になりたい。

 けれど。



〝っ、……人の姉を見殺しにしておいてっ〟



〝何で父さんが死んだの。……っ、何で母さんが死ななきゃならなかったの!〟



 けれど――。



「……いや、良いんじゃねえの。お前らしくて」



 自己嫌悪に陥っていると、ぽん、とレインに背中を叩かれる。

 苦り切った顔を上げれば、彼は苦笑した様に頬を引っ張った。


「い、いひゃいれす、レインひゃん!」

「ま、痛くしてるからなー。もっと気楽にいけよ」


 ぴん、と最後は頬を弾いてレインが首を鳴らす。

 そのまま子供達の去った方向へと歩いていくところを見ると、夕食が気になるらしい。流石は、料理が得意なだけはある。手伝いに入るのかもしれない。


「カイリ」


 フランツに呼びかけられ、カイリは彼を見上げる。

 彼はいつも通りの、泰然たいぜんとした様相だった。

 それなのに。



「……アナベルの言う通りだ」

「え?」

「あまり、……俺に騙されるなよ」

「――」



 ぽすん、と頭を撫でる彼の手の平が優しい。

 それなのに、どこか泣いている様にも響いて、カイリは離れて行く彼の手を追いかけた。

 ぎゅうっとそでを握ると、フランツが驚いた様に瞠目どうもくする。

 だが、彼の驚愕には構わず、もう一度カイリは彼の手を己の頭の上に置いた。ぽんぽんと堪能してから、「よし」と気合を入れる。


「行きましょう、フランツさん。みんなに、フランツさん達の料理、お披露目しましょう」

「……カイリ」

「みんな、きっと喜びます」


 彼の手を離して、カイリはレインを追いかける様に同じ方向へと歩いていく。

 その背後で、微かに揺れる様な気配を感じたが、振り返ることはしなかった。


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