第106話


 ぱっかぱっかと、夜が訪れた世界の中、静かに馬のひづめが鳴り響く。


 フランツの腕の中で、カイリが安らかな寝息を立てていた。

 隣を並走しているアーティファクトや、彼に乗っているラッシーも心配そうにカイリを見つめている。せめて夢の中では幸せである様にと願わずにはいられない。


 カイリは村を出立する時には、もう大丈夫だと強く言い切っていた。


 時間も時間だから、この村で一晩明かしても良いとも。

 それが無理矢理己を奮い立たせているということは、フランツだけでなくその場の全員が気付いていた。

 フランツ達が了承すれば、カイリは少し涙ぐんだままでも平気な顔で過ごしただろう。


 だが、フランツはカイリにそれをさせたくなかった。


 ようやっと溜まりに溜まった本音を――恐らく自分ですら気付いていなかった慟哭どうこくを吐き出したのだ。心の負荷は尋常ではなかっただろう。

 だから、聖歌語を使って強制的に眠らせた。後でまた謝ってくるのだろうなと思いながら、フランツは腕の中の温もりを抱え直す。


「……ったく。団長、ほんと過保護だな」

「なら、お前はあの村で一晩過ごすことに賛成したか?」

「……いーや。流石に、今のこいつには毒だろ」

「ならば、俺の判断は正しいというわけだ」

「へーへー。……憎むだけで終われれば楽だっただろうにな。良い子ちゃん過ぎんだろ」


 どこか同情する響きを含んだレインの声に、フランツは是とも否とも言えなかった。


 カイリは、今まで懸命に故郷を失ったことと向き合い、顔を上げようとしていた。


 失ったこと、もう彼らに会えないこともきちんと理解していた。感情の整理もそれなりにしていただろう。知らない場所で知らない者達と過ごし、毎日がそれなりに忙しかったからゆっくり振り返る余裕も無かったはずだ。

 だから余計に、だろうか。

 いつの間にか、彼らの最後の願いに雁字搦がんじがらめになっていたのかもしれない。故に、知らない内に降り積もっていたうみが噴き出したのだろう。



 笑って生きる。



 火葬をする時から、カイリはその言葉を口にしていた。

 それが彼らの最後の願いで、別れを告げてきた時にまで言われてしまったら、カイリは実行しないわけにはいかない。大切な人達の最後の言葉だからこそ、大事にしたいと願ったはずだ。

 結果、それに固執したカイリは、エリックが生きていると知った時に迷いが生じたのかもしれない。

 そして、彼が死んだ時に分からなくなったのだ。



 自分の気持ちが今、何処にあるのかを。



「……ボク、呑気のんきに山菜楽しみとか新人に言って……。……本当に軽率だったっす」

「……エディさん」

「あの時、どんな思いだったんだろうって……あの跡地を見て、……新人の泣き叫ぶ姿を見て、考えなしだったって思い知らされたっす」



 エディが血を流す様な後悔をしながらうつむく。

 珍しく彼の馬のブラックも、嘆く彼を振り落とそうとはしなかった。変なところで主思いである。


「騎士になってから、今まで……聞いてはいたんすよね。どこどこの村が無くなった。地図から消失した。あの街が半壊した。人口が半分以下になった。……事件の規模としては大変なことだって分かっていたし、聞いて心を痛めたりはしてたっす。……でも」


 一度言葉を切って、ぐっとエディは唇を噛み締める。

 彼の言わんとすることは、フランツ達にもありありと伝わって来た。だからこそ、彼の先の言葉は予想通りのものだ。



「でも、……どこかで、やっぱり他人事だって思ってたっす」



 項垂うなだれて悔しそうにするエディの横顔は、懺悔と悔恨で埋め尽くされている。

 心を痛めながらも対岸の火事だと、心のどこかで思う。それは人なら誰しも当然に存在する心の隙間だ。

 リオーネも彼に同調し、ゆったりと首を振る。


「……私もです。私もエディさんも、戦場にしか行ったことがありませんでした。戦場の悲惨さを体験しているのに、……襲撃を受けた村や街は、想像でしかなかった。私も、……同罪です」

「でも、そんなの言い訳で。どっちにしろ人は大勢亡くなっているっす。でも、それ以上に……、……新人の滅びた村を改めて見たら、……何か、……何言って良いか分からなくなって……っ」


 変わり果てた村に到着した時、エディもリオーネも酷いショックを受けて固まっていた。レインも沈痛な面持ちではあったが、彼はそれなりにああいった類の跡地は経験してしまっている。二人よりも遥かに冷静だった。

 実際フランツ自身、親友の亡骸を見た後ということもあって、初めて村に足を踏み入れた時は内心動揺していた。

 ただ、あそこにカイリがいたから。



〝ラインっ!! しっかりしてくれ! ライン……!〟



 子供の亡骸を抱えて、必死に叫んでいる彼の姿があったから、やるべきことを支えに踏ん張れていただけなのだ。



 ラインは死んだと。

 そう伝えた時の彼の表情は、今でも忘れられない。

 まるで絶望さえも失ってしまったと言いたげの空っぽの顔は、一瞬彼も死んでしまうのではないかと不安になったほどだ。

 あの時、もう一度村人達と話せていなかったら、カイリの心は今どうなっていたのだろうか。そう考えると、フランツは恐ろしくて堪らない。


「……ま。エディもリオーネも、仕方ねえ……とは言わねえけどよ。実際にこういった経験をした奴が騎士団内にいる。だからこそ、気付けた。そう思っとけ」

「……レイン兄さん」

「それに、……こいつが感情を爆発させられた。それだけで、村に来た甲斐はあっただろうよ」


 レインが自嘲気味に二人を説得する。納得はしきれていないだろうが、二人共神妙に頷いていた。

 レインの言う通りだ。


 カイリは、ようやく心に向き直ることが出来たのだ。


 仇であるエリックと対峙する時に、復讐者としてではなく、聖歌騎士として立ち会うと恐らくカイリは決めたのだろう。両親や友人達の願いを優先させ、あくまで己の気持ちを後回しにした。

 だから、エリックがカイリに慟哭どうこくを叩き付けたのとは対照的に、あくまで冷静に彼と会話をしたのだろう。最後には彼のために歌まで歌い上げた。



 言ってしまえば、消化不良のまま仇討ちは終わった。



 カイリが彼と向き合った時、きちんと今の感情をぶつけていれば少しは違ったのだろうが、それをしなかった。

 故郷に連れてきて良かったと、フランツは安堵する。

 そうでなければ、カイリは矛盾する思いに気付けないままだったかもしれない。二ヶ月しか過ごしていないが、彼は結構不器用だと心配になる。


「……どういう時でも、カイリは自分のことは二の次だからな。今回、自分の感情を発散させる機会が出来て良かった」

「……ま、エディやリオーネと喧嘩してた時でさえ、二人の気持ち優先する様な奴だったからなー。積もりに積もってこのまま行ってたら、間違いなく壊れてただろうよ。なあ?」

「うぐ……っ。そ、そうっすね。……ボクも子供だったと思うっすよ」

「……カイリ様は、そういう人ですよね」


 レインに茶化す様に放り投げられ、エディとリオーネは揃って罰が悪そうに視線を逸らした。

 だが、すぐにカイリの方を向いて痛ましそうに目を細める。気遣わし気な視線は、二人がカイリを心配しているのを如実に伝えてきた。本当に仲良くなったとフランツは胸を撫で下ろすしかない。

 カイリは、自分が苦しい時でさえ相手を気遣う。

 そうだ。



 あの任務前の夜。フランツがクリスに責められた時でさえ、カイリはかばおうとした。



 狂信者の話をカイリにしなかったのは、間違いなくフランツの判断だ。先延ばしにして、タイミングを失い、ずるずる引き延ばしたのはフランツの失態である。

 それなのに、カイリは自分が逃げていたのだと庇った。庇うつもりはなかったのかもしれないが、フランツが責められるのを見ていられなかったのは事実だろう。

 カイリは本当に、己よりも他人を優先する。きっとそのことでさえ、自分のためだと言い張るだろう。


 その結果、エリックとの会話は彼にとっては悪い方向に転がった。


 カイリ自身が決め、彼と対峙した。それは間違いない。理性を保ち、誇り高く在る彼をフランツは尊敬する。

 だが、それでカイリの中にどろどろとわだかまった憎悪が消えるわけがない。


 許したい。許したくない。

 憎い。慕っている。

 殺したい。殺したくない。


 相反する気持ちを強烈にぶつけ合うその心は、何処かで発散させなければいずれ壊れる。壊れなくても、少しずつ少しずつ彼の心をむしばみ、いびつに崩れていっただろう。

 正直、ホッとした。カイリが、村で泣き叫んだ時。



 ――彼も、まだ人間なのだと。



 フランツと同じ、綺麗なところばかりではない人間なのだと。傷付いて泣き叫ぶ彼を見て安堵したのだ。


「……俺も、大概たいがいか」


 そんなことを思ってしまったフランツは、やはり家族としては失格なのかもしれない。

 クリスが怒った様に、レインが諭した様に。フランツに、父になる資格はあるのだろうか。



〝……ごめんなさい、フランツ〟



 守りたい者すら守れなかった人間に、果たして――。



「しっかしよ。どうする? カイリは先に帰すか?」

「……、うむ?」



 レインの問いに、フランツは意識を引き戻される。

 カイリを先に帰すとはどういうことだろうか。困惑していると、レインが呆れた様に嘆息した。


「おいおい、しっかりしろよ。あんた、団長だろ?」

「すまん。……だが、カイリだけとは」

「正直、村でのあの不安定な状態が続くんだったら、子守に向かねえんじゃねえかと思ったんだよ。一人で帰すわけにはいかねえから、誰かと一緒になるが」

「……でも、塞ぎ込んでる時って、忙しい方が良くないっすか?」

「ですが、子供の騒がしさは時に暴力にもなりますよね……」

「そうっすか? 逆に、ボクは気が紛れるっすけど」


 エディとリオーネがそれぞれ真逆のことを言い始める。こういう時、エディはリオーネラブでも、意見をころっと変えないから不思議だ。

 レインの言うことももっともだ。カイリはまだ不安定で、何が刺激になるかは分からない。任務に向き合える状態とは言い難いかもしれないと思い直した。

 しかし。



「はっ。馬鹿ですの? みんな、揃いも揃って過保護ですわ」



 今まで黙っていたシュリアが言葉通り馬鹿にして、ふんっと鼻を荒く吹き鳴らす。

 不機嫌そうな顔立ちと苛立ちを乗せた声に、エディが「ひいっ」と叫んでいた。それだけ真っ黒なオーラが燃える様に立ち上っている。


「彼は準成人とはいえ、もう成人していますのよ。子供ではありませんわ」

「何だよ。普段こどもこどもって言ってるくせによ」

「あれは! 年上を敬わないからです! ……大体、本人を差し置いて勝手に決められることこそ不愉快なものはありませんわ。そこのヘタレなら逆に傷付きますわよ」

「……む」


 シュリアに指摘され、フランツもそうだなと納得する。普段ならそういう思考の流れになるはずなのに、今日の自分は動揺しているなと落胆した。

 全員が黙りこくったのを見渡し、シュリアは更に不機嫌そうに溜息を吐く。



「……まだ、二ヶ月ですわ」



 シュリアが、静かに断言する。

 どういう意味かとフランツ達が窺う中、彼女は真っ直ぐ遠くを見つめていた。


「彼はどうせ、わたくし達には信じられない様な結論を出します」

「……、信じられない?」

「そうです。流される様で流されないし、真っ直ぐかと思えばこちらの想像を逸れるし、頑固かと思えば柔軟だし、よく分からない輩ですから」


 悪し様に罵って、シュリアははあっと大きく溜息を吐いた。

 だが、その溜息にはどことなく呆れや疲れだけではなく、笑みも含まれている。そんな風に聞こえた。


「まだ、たった二ヶ月ですわ。目の前で……たった一晩で大切なものを全て亡くしたのです。区切りが付けられないのなんて当然ですわ。すぐに心を整理しろだなんてこくすぎます。自分達だってそうだったじゃありませんの」

「……」


 全員が一斉に黙り込んだ。

 各々覚えがあるのだろう。気まずげにそれぞれ明後日の方角を見るフランツ達に、ふんっと馬鹿にした様にシュリアが嘲笑した。


「だったら、彼が答えを出すまでそっとしておいてあげなさい。こちらであれこれ気を揉んだって、彼のことです。余計に気を遣わせるだけですわ」

「……それは、まあ、そうだろうな」

「どうせ任務が終わったら、彼なら故郷にもう一度寄りたいとか言い出しますわ。それでまた暴れたら、適当に支えて適当に泣かせて適当に笑えば良いんです」

「て、適当って、シュリア姉さん……」

「適当で良いのです。こっちで、こうした方が良い、ああした方が良いとごちゃごちゃ考えてないで、彼が頼ってきたら受け止めれば良い。一人で馬鹿みたいに沈んでいたら蹴り飛ばせば良い。簡単ですわ」

「――」


 シュリアの言葉に、フランツ達は顔を見合わせる。

 そうして、ふっと詰めていたものを吐き出す様に笑ってしまった。

 確かに、カイリは自分で考えて自分で立とうとする人間だ。思い詰めるところもあるが、その時はさりげなく手を差し伸べれば良い。

 過度に心配し過ぎて、彼が一人で立てなくなる方が問題だ。シュリアは正しい。


「……シュリアちゃんが、一番カイリ様のこと分かっていそうですね」

「はあっ!? 冗談じゃありませんわ! わたくしは受け止めませんからね。あなた達で何とかして下さいませ」

「よく言うぜ。割といっつも手、出してるじゃねえか」

「はあっ!? あなた、馬鹿ですの? 記憶力が退化したのではなくて?」

「へーへー。そういうことにしておきますかね」


 がなるシュリアに、レインがより一層にまにまする。

 先程までの重苦しかった空気が払拭されて、頼もしいとフランツは誇らしくなった。

 腕の中のカイリも、その空気に触れたからだろうか。先程よりも穏やかな顔をしている。心なしか笑っている様にも見えた。



 ――自分が、一番引っかかっているのかもしれないな。



 親友のカーティスから預かった忘れ形見。彼から任されたからには、少しでも楽な道を歩かせてやりたいという気持ちもあった。


 しかし、第十三位に入団した時点で、それはもう叶わないに等しい。


 第十三位に所属させたのには、それなりに狙いもあった。

 だからこそ、少し過保護気味になってしまっているが、それはフランツの自分勝手な贖罪だ。カイリに負担になってしまったら、それこそ意味が無い。

 それに、カイリ自身が決めてこの道を歩き始めたのだ。下手に口出しをしたり気を遣うよりは、見守るスタンスも大事だろう。第十三位への悪意関連の時と同じ様に。


 カイリは、これからどんな道を歩いて行くのか。


 不安でもあり、楽しみでもある。彼の先を見守っていくのは、フランツにとっても心躍るものであるし、同時にさざなみの様な葛藤もあった。

 だが、それ以上に。



〝……もし、また教皇に強く迫られたら。俺は、……逆らっても良いんでしょうか〟



 ――本当に、このまま俺と共にいて良いのか。



〝私も、フランツさんと。……未来を、歩いて行きたいです〟



 あの時の様に、ならないだろうか。

 彼女とカイリは、とてもよく似ている。

 フランツだって、一緒に未来を歩きたい。

 けれど。



〝……ごめんなさい、フランツ〟



「――……っ」



 彼女と同じ様に、カイリにかせを嵌めたことにならないだろうか。



 家族という枷をめてしまったから、カイリはフランツを守ろうとするのだろうか。

 この中で――第十三位の中で一番弱いのに。死というものを、戦というものを、血というものを、誰よりも怖がっているのに。

 それなのに、彼はいつだって体を張って前に出ようとする。自分のためではなく、誰かのために。

 だから。



〝どうか、貴方だけでも生きて〟



「……っ、最初から、覚悟など、……」



 呟きかけて、口をつぐむ。その先を言ったら、現実になりそうでえて閉ざした。



 カイリとの関係は、正直いびつだ。



 フランツ自身、重々承知している。承知しながら、それでもフランツはカイリを求めた。

 家族として、前に進む力として、第十三位の目的を果たすために。

 けれど、せめて。



〝――もし呼べたら、とても素敵だなって思うので。心からそう呼べる日が、来て欲しいと思います〟



 ただ今だけは、そんな入り組んだ意図は排除して、カイリのこれからの幸せをフランツは願いたかった。


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