第50話


「ごめんね、カイリ。まさか、父さんが泣かせるなんて……」


 ケントの家から宿舎への帰り道。

 すっかり日も暮れて静かになった夜道を、カイリは彼と二人で歩いていた。

 しょんぼりと肩を落とすケントに、カイリは慌てて否定する。そもそも泣いたのは自分の問題だ。


「あのな、だからクリスさんは悪くないんだ。俺が勝手に色々思い出しただけで」

「でも、そのキッカケを作ったのは父さんだよね?」

「だからさ。……ああ、もう頼むから。思い出させないでくれ……」


 初対面の人達の前で泣いてしまうとか、カイリにとっては恥以外の何物でもない。

 顔を覆って懇願すれば、ぷーっと膨れたケントは渋々引き下がってくれた。


「分かったよ。カイリがそこまで言うんなら……」

「……それに、ケントだってクリスさんのこと思い切り蹴り飛ばしてたじゃないか」

「それくらいで済ませた僕に感謝して欲しいよ! もう、カイリは友人だってちゃんと言ったのに」


 ぶつぶつと文句を言いながら唇をとがらせるケントに、カイリは彼が部屋に戻ってきた時のやり取りを思い出す。

 彼が戻った時にはもうすっかり涙は引っ込んでいたのだが、カイリの目は少し腫れていたらしい。そのわずかな変化を見逃さなかった彼は、つかつかと父に歩み寄って一言。



〝ねえ、父さん。どんな死に方をご所望?〟



 肩をつかまれ、真っ黒な笑顔で見下ろされたクリスの震え上がりっぷりと言ったら。正直憐れでならなかった。

 とはいえ、平謝りした上に激しく落ち込んだクリスに、ケントも怒りが持続しなかったのはカイリにもよく分かった。

 怒ってはいるが、自分のためだとも読み取れたのだろう。しょんぼりするクリスに、ケントも背中からぎゅっと抱き付いていた。


「でも、ごめんね。僕も結構無神経なこと言っちゃったよね」

「え? 何がだ?」

「昼間。……僕、お父さんのこと話したでしょ。知らなかったとはいえ、……ごめんね」


 昼間とは、子供が転んだ時に話した父の言葉だろう。カイリが泣いていた訳を、端的にだが話した故の謝罪だ。

 だが、ケントは屈託なく「好きなんだね」と聞いてきただけだ。カイリもえて話さなかったのだし、彼には全く非は無い。


「ケントは気にしない」

「でも……」

「俺がまだ、受け入れ切れてないだけだし。……いつかは、乗り越えなきゃならないんだから」


 とはいえ、流石に二度も人前で泣くことになるとは思わなかった。立派な黒歴史である。

 だが、収穫もあった。今日は、ケントと出かけて本当に良かった。



「素敵なご家族だな」



 ケントは、あの家族に愛されて育ってきた。自分の家族を思い出してしまうくらいに温かくて、優しかった。

 屋敷で出た夕食もそうだ。シェフと母が共同で作った料理は、温かみに溢れていた。

 シェフと聞くと、やはり料理店で出てくる様なメニューを想像してしまうが、実際は料理店ではなく家庭で出て来る様な身近なものばかりだった。味付けもこの家だからこそ味わえるものばかりで、カイリはとても親しみが湧いた。


 本当に楽しそうに、みんなで笑っていた。控えていた執事やメイドの眼差しも優しかった。


 それが、カイリには嬉しい。


「うん。……僕にとって、家族は全てだった」

「……だった?」

「うん! だって今は、カイリもいるからね! 家族だけじゃなくなったってことだよ!」


 にこにこと無邪気に笑うケントに、カイリはやはり不思議に思う。

 彼は、本当に何故自分と友人になりたいと願ってくれたのだろうか。

 懐かしいという理由と、クリスが言った様な理由も含まれているのか。

 聞こうかとも思ったが、何となくはぐらかされる予感がした。



 ――カイリだって、言えていないことがある。



 両親が死んだだけではなく、故郷が滅ぼされたのだと。

 それを滅ぼしたのは狂信者なのだと。

 自分の聖歌は力が強すぎるから、色んなことを誤魔化さなければならないのだと。

 もしかしたら、ケントは薄々感付いているかもしれない。

 だが、はっきりとカイリは口にしないし、彼も聞いては来ない。それが今のカイリにはありがたかった。

 もう少し気持ちの整理が付いたら、いつかカイリから話したい。そう思っている。



 だから、ケントの過去のことも、話してくれるまでは待つことにした。



 クリスから過去の話を聞いたと、ケントには話していない。時期が来るまでは――本人が話してくれるまではと、クリスと約束したのだ。

 でも、それだけが理由ではない。

 他人の口からだけではなく、本人の口から直接。彼自身がその時どう思っていたのかも含めて、カイリは彼が話したいと思ってくれるまで待つことにした。


 前世の時の過ちもあるから迷ったが、それでもこの道を選んだ。


 カイリは、あの時気付こうともしなかった。孤立して、嫉妬して、避けて、邪険にしてきた。きっと、彼にとって自分は、悩みを打ち明けることすら考えもしない存在だっただろう。

 もう、そんな過ちは犯したくない。彼が苦しい時、寄り添える人になりたい。

 今度こそ、ケントにとって悩みを打ち明けるに値する存在になりたい。



 彼が、笑って誤魔化すのではなく。恐くても、苦しくても、話したいと。そう思ってくれる友人になれる様に向き合っていきたい。



 それが、カイリの出した結論だった。



「……でもね、カイリ。気を付けて」

「え?」



 いきなり忠告をされて、カイリは思わずケントに振り向く。

 彼は前を向いたまま、こちらを向いてはこない。いつもと違うテンションに、カイリも表情を改めた。


「父さんは、権力がある中でもまだ甘い方なんだよ」

「……甘い」

「父さんは上に立つ者だった。今もそう。貴族の闇にも足を突っ込んでいるし、カイリに言えない様なことだって、必要ならやってきた。まさしく清濁併せいだくあわせ持つ。そんな道を辿ってきた人だよ」


 ケントの言葉に、カイリも静かに頷く。

 クリスはケントの母と祖父を、事実上葬り去った様なことを口にしていた。恐らく世間からすれば非難される様なやり口だったのかもしれない。

 少し前のカイリなら――それこそ前世の、命のやり取りを知らなかったままのカイリならば、恐怖しか抱かなかっただろう。



 だが、カイリはあの村の惨劇を知っている。



 平気で命を奪う輩。目的を果たすためなら手段など選ばずに、穢い手を使う外道。戦が平然と存在するこの世界。

 世の中は、綺麗ごとだけでは通らない現実が確かに存在する。クリスも同じ様にどうにもならない現実に衝突し、手段を選べなかったのだろう。

 カイリも、仇に会った時にどんな道を選ぶのか。今は闇の向こうに消えたまま、分からなかった。


「それでも、父さんは甘い方だよ。容赦はないし、見抜く目はあるけどね」

「……矛盾してないか?」

「僕にまつわることには甘いんだ。カイリのことだって気にかけてる」

「……、ああ」

「だけど、世の中には甘くない奴らの方が多い。カイリのことだって、騙しやすそうだって、利用しやすそうだって寄ってきて、食い潰そうとする奴らがこれから沢山出てくるよ」

「……」


 周りからは、所属する騎士団のことまで口に出されたのだ。容易に想像出来る。頭が痛くなりそうだと、カイリは眉をひそめた。


「カイリは見た目よりも強情だし、頑固だし、はっきり物を言うし、反撃もするけどね」

「……いや、お前ほどじゃないぞ?」

「冗談でしょ! 僕と良い勝負だよ」

「えー……」


 はっきり言って納得がいかない。彼よりは素直だし、反撃も言い方も穏やかだと声を大にして主張したい。


「でも、カイリはまだまだ弱いから」

「ぐっ……」

「僕や第十三位の人達が傍にいる時ならまだ良いけど、どうしたって一人になる時は出て来るよ」


 四六時中、守ってくれる人が傍にいる。

 そんな甘い世界は存在しない。カイリも嫌というほど痛感した。


「カイリにはそのままで育って欲しいけどね」

「……そのまま?」

「そう! そのまま。……そのまま、強くなってよ。社交界でも渡り合えるくらいにね!」


 ケントがにこにこと推奨してくる。

 率直に言ってもさっぱり理解不能だ。『そのまま』、とはどのままだろうか。しかも、社交界でも渡り合えるくらいにということは、簡単に腹の探り合いが出来る様になれということだろうか。カイリには荷が重すぎる。



「ねえ、カイリ! 強くなったらいつかさ、僕のお願い、聞いてくれないかな!」

「……、は?」



 いきなり何を言い出したのだろう。

 しかもお願いごととは、どんな内容なのか。彼にかかると、ろくでもなさそうでもある。


「お願いって何だよ?」

「秘密ー」

「おい」

「その時が来たら、言うよ」

「……その時ってどの時だよ」

「その時はその時! だって、カイリまだまだ弱いんだもん! もっと、そう、第一位の奴らを一人で相手に出来るくらいになってもらわないと」



 死んでも駄目な気がしてきた。



 ただでさえ攻撃が出来ないというのに、精鋭百人を相手に一人で奮闘する自分が想像出来ない。袋叩きにされて終わる光景しか思い浮かばなかった。

 カイリのスタイルは、誰かがいてこそ成立する。一人となると、彼の思いに応えられない。



「なあ。一人じゃなくて、せめて二人とか」

「んー……」

「ケント?」

「仕方がないね! じゃあ、一人を操って全滅させられるくらいに強くなってね!」



 外道になれと言うのか。



 人を操って全滅。悪の権化のイメージしか湧かない。

 益々無理難題を注文してくる彼に、カイリが何とも言えない顔をすると。


「……うん! カイリはそうじゃなくっちゃね!」


 満足気に破顔された。

 ケントは全く理由を教えてはくれなかったが、彼は実に楽しそうだ。ならば、それで良いかと思ってしまった。



 そうだ。彼が楽しそうだ。それだけで充分である。



 思って、カイリは改めて辺りを見回した。

 カイリ達が歩く貴族街の夜道は、本当に静けさに満ちている。

 並ぶ屋敷には明かりが灯っているが、外には人気は無い。全員屋敷の中にこもっていて、声も聞こえてはこなかった。防音対策がされているのだろう。

 こんな風に静かな夜道を、ケントと二人で歩くのなんていつぶりだろうか。

 それこそ前世の、幼い頃の記憶だ。


 あれは、極寒の冬の中でも暖かかった日。


 しんしんと、静かな音が聞こえてきそうなほどに降り積もる真っ白な世界が、あの時の二人の全てだった。



「……懐かしいな」



 ぽつっと呟いたカイリのささやきを、ケントは残らず拾い上げる。なになに、と好奇心たっぷりの瞳が物語っていて、カイリは苦笑してしまった。


「いやさ、思い出してたんだ。……こんな静かな場所を二人で歩くなんて久しぶりだってさ」

「あ。それって、幼馴染のこと?」


 さとい。

 その通りなのだが、彼は本当に勘が鋭い。本当は前世の話はしない方が良いのにと、カイリは迂闊うかつな口を右手で塞いだ。どうも、彼といると口が緩んで困る。


「えーと」

「ねえねえ、どんな感じで歩いていたの? 聞きたいな!」


 それなのに、無邪気なケントは人の気も知らないで突っ込んでくる。聞いた拍子に嫌な想い出を想起したらどうするのだと、カイリは冷や冷やした。

 けれど。



〝カイリー! こっちこっち! あしもと、おもしろいよー!〟



 ――本当に懐かしい。



 あの日は、静かな街並みに雪が降っていた。

 いつもは賑やかな子供達の広場だったが、その日は時間帯もあってか誰もいなくて、二人ではしゃいでいたのを思い出す。


「……俺の故郷はさ、冬になったらよく雪が降る場所だったんだ。だから、……一面にいっぱい雪景色が広がっていて」


 懐古に負けて、カイリは語り出す。

 ふんふん、と興味津々と全身で耳を傾けるケントに、カイリは思わず笑ってしまった。


「こんな風に、誰もいない場所で。他に音もしなくて。こーんな小っちゃい頃に、二人で真っ白な雪道を歩いていたんだ」


 いや、歩いていたというよりは、はしゃいでいたか。

 誰の足跡も付いていないまっさらな地面を、ケントは率先して歩き回り、カイリも負けじと己の足跡をいっぱい残して回ったものだ。


「雪を踏む、ぐっ、ぐっ、ていう音が、足の裏に伝わるのが面白くてさ。何だこれ、って言いながら、二人で走り回ってたんだ」

「へえ……楽しそう」

「うん、楽しかった。……あの時は、まだ友達になりたてでさ。あの雪景色の様に、まっさらな場所から、一つ一つ積み重ねる様に日々を過ごしていたっけ」


 小学校に上がる前は、まだカイリもそれなりに社交性があった。ケントとも普通に会話をしていたし、よく遊んでいた。



〝ねえねえ! カイリー! ここ、ぼくたちしかいないね!〟


〝ああ、そうだな〟


〝なんだか、あたらしいせかいを、ふたりであたらしくつくっていくみたいだね!〟



 その時は、ただ軽い気持ちで「そうだな」と返していたけれど、何となく今のカイリには深い意味に思えた。

 誰もいない真っ白な大地に、二人で作り上げていく足跡は、まるで二人の歩いてきた想い出を創り上げていく様な感覚だった。

 散々走り回って、最後に寝転がって。

 雪まみれの自分達を、二人で酷い姿だと笑い合ったものだ。

 そして――。



「――雪やこんこ、あられやこんこ」

「――」



 無意識に、カイリの口が歌を紡ぐ。

 はっとしてすぐに閉じたが、途端、ケントが不満そうに唇をとがらせた。


「何でやめるのさ! 歌ってよ」

「あ、いや。……これは」



〝ふってはふっては、ずんずんつもる〟


〝やまものはらも、わたぼうしかぶり〟


〝かれきのこらず、はながさく〟



 帰り道。

 二人で服についた雪を払いながら、手をつないで仲良く帰った。

 その時に、お互いに覚えたばかりの歌を口ずさんで、飽きることなく笑っていた。

 ケントとは、よく童謡唱歌を一緒に歌ったものだ。カイリが覚えている歌がそればっかりというのもあったし、年齢的なものもあっただろう。

 この『雪』という歌も、その内の一つだ。


「……いつも二人で歌ってたからさ。聖歌で歌うのならともかく、……一人ではちょっと恥ずかしいかな」

「えー。今の、すっごく良い歌だったのに! 聞かせてよ!」

「え、……うう」

「きーかーせーてーよー!」


 腕をうでんでぶんぶん振り回してくるケントに、カイリは次第に気圧されていく。

 今の彼の前で、カイリは歌ったことがない。正直、緊張して仕方がなかった。

 しかし、ねだるケントに押され、口を大きく開けて、息を吸う。

 そして。



「――、――やっぱり駄目だ!」

「えー! カイリ、酷いよ!」



 結局羞恥しゅうちが勝った。

 彼の前で歌うのは、何となく恥ずかしい。一緒にいるのに、彼と歌うならともかく、一人でとなると少し勝手が違ってくる。



 二人でいるのならば、二人で歌いたい。



 そう願うのは、我がままだろうか。


「と、とにかく! 今度な!」

「えー……」

「……それにどうせなら、二人で歌いたいし」


 ぼそっと呟けば、ケントはぱちくりと目を大きく瞬き。

 そして、にぱーっと嬉しそうに相好を崩した。


「じゃあじゃあ! 教えてよ、今!」

「え!」

「そしたら、今の帰り道、一曲歌えるよね!」

「え!」


 にこにこと良い笑顔で催促してくるケントに、カイリは弱りきってしまった。

 しかし、こうなったケントはかなり頑固だ。ひくっと、カイリの頬が引きつり、敗北が目に見えてくる。

 嫌だ、教えて、という攻防を繰り返し、ぎゃいぎゃい騒いで。



 ――結局押し負けて、歌を教えてしまって。



「――雪やこんこ、あられやこんこ」

「降っては降っては、ずんずんつもる」



 二人の歌が、綺麗に夜道に響き合う。

 最初は恥ずかしくて仕方なかったが、ケントが実に嬉しそうに、楽しそうに歌うので、カイリは「良いか」とほだされてしまった。

 お互い、まだまだ知らないことが多いけれど。



 今は、ここから。



 かつて、真っ白な新しい大地の上に、二人で想い出を創り上げた様に。



 カイリ達も、ここから始めよう。



 穏やかに願いながら、カイリはケントと一緒に、賑やかな夜道を笑いながら帰るのだった。











「……おい、見たかよ」

「ああ。……あのケント様の輝かしいお顔。やはりカイリ殿は、ケント様にとって欠かせない存在の様だ」


 物陰に隠れ、ケントの実家から帰る二人を見守っていた集団が眉をひそめる。その横顔は複雑そうではあったが、自分達の推測に確信を持った優越感が滲み出ていた。


「カイリ殿は、第十三位にいるべきではないと分かったな」

「ケント様も、彼が第一位に来ることを望んでおられるだろう」

「だが、どうする? ケント様には釘を刺されているのだぞ。彼を無理矢理誘うな、傷をつけるな、と」


 命令された時の殺意は、未だに肌を焼き尽くす様に激痛を訴えてくる。

 カイリを追いかけ、怯えさせたことにケントは酷く立腹していた。下手に手を出せばまたとがめられるかもしれない。



「なに。手を出さなければ良いのだろう?」



 集団の一人が、にたりと笑う。

 その瞳には不気味な光が宿り、妙案が浮かんだと言いたげないやらしさがあった。



「何だ。何か手があるのか?」

「簡単だ。人間というのは、どうしたって負の感情や噂の方を信じやすい。それだけだ。――、そうだっただろう?」



 愚かなものよ。



 そう吐き捨ててから、立案者が簡単にあらましを説明していく。

 その内容は、確かに単純ではあったが効果的だと全員が納得した。今までもそれで十二分に効果を発揮し、大打撃を与えられたものだ。



「……全ては、ケント様のために」

「全ては、世界のために」



 厳かに唱和し、それぞれが散らばって闇に溶けていく。

 後に残ったのは乾いた風と、それに吹かれてからからと転がる石ころ一つだけだった。


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