Banka4 俺の歌は、ここから始まる

第28話


 ぱっかぱっかと、軽いひづめの音と共にカイリは遠くを望む。

 いつもより高い位置から見る景色は、表情が変わって面白い。空も一段と近くなった様なのに、何故か遠くなった様に思える蒼さが、気持ち良かった。


 二週間の間に、いくつもの街や村を通り過ぎた。


 緑が一面に広がり、その中で真っ白な花が波打つ様に開かれているその場所は、リンゴ園だとフランツが教えてくれた。

 花摘みをしたり受粉をさせたりと、人々が一生懸命働いている姿は、カイリに村の畑を思い起こさせた。少し胸が痛くなって一瞬目を逸らしたのを、二人には恐らく気付かれただろう。

 他にも、海藻や貝を取って生計を立てている漁業で有名な街や、牛や羊を育てる牧場、伝統的な工芸品を主に取り扱う街など、本当に様々な場所が見受けられた。村から全く出たことの無かったカイリは、どれも新鮮でフランツを質問攻めにしたものだ。



 そして、今一緒にいる馬のアーティファクトは、正式にカイリが引き取った。



 馬屋の主人が、これを逃したらもう無理だと判断したのか、「差し上げます」と押し出してきたのだ。

 カイリとしてもすっかり懐いてくれた彼が可愛くて、フランツにお願いして承諾してもらった。シュリアが、じとっとした目つきになったのも記憶に新しい。

 だが、お金はカイリが出す前にフランツが支払ってしまった。

 村のお金があると言ったが、「ここぞという時に使え」と笑顔で固辞された。本格的に保護者になってくれている彼に感謝をしつつ、カイリは大人しく好意を受け取ることにした。

 おかげで、またシュリアから白い目と恨みがましい目で交互に見られることになったが、気にしなければどうということはない。ここ数日で、すっかりカイリは彼女のスルーの仕方が板についてしまった。


「あ、……アーティファクト、街が見える」

「ひんっ!」


 元気良くアーティファクトが鳴き、歩く音に弾みが出た。何となく、彼はカイリ達の言葉を理解しているのではないだろうかと思ってしまう時がある。


「ふう……ようやっと戻って来れましたわね。わたくしの愛しの故郷。あと、都市ですわ」

「騒がしくはあるがな。これからカイリが住むところでもある。気に入ってくれると嬉しいが」


 シュリアがしみじみと、フランツが感慨深げに口にする。

 それを受けて、カイリは改めて見えてきた街並みに目を凝らした。

 離れているのに分かる。空にそびえる様に高く伸びているのは、十字架だ。恐らく教会だろう。都市の中でも一番高い建造物らしく、教会の権威の強さがうかがえた。

 建物の数も相当の様だ。様々な色の屋根が眼下に広がっており、今まで見てきたどの街よりも広く、遠くから見ているだけなのに圧倒されそうだ。

 そんな風に観察していると。


 ――ごーん、ごーん。


 厳かな鐘の音が、辺り一面に響き渡る。遠くから渡ってくるその音色に、カイリの身が引き締まった。


「……今のは、何ですか?」

「教会の鐘の音だな。この時間帯だと、単純に正午になったという知らせだ」

「……どうりでお腹がすいたわけですわ」

「俺もすいたが、あと少しだ。……他にも、結婚や葬儀の時、危険を知らせる時など、色々鳴る。まあ、日常的に鳴っているから、慣れてくれ」


 お腹を押さえるシュリアに苦笑しながら、カイリは都市の方を見やる。

 鐘の音が日常に溶け込んでいる。その事実に、やはりここは日本とは違うのだなとカイリは変に納得してしまった。

 いくら習慣や食材などが似通っていても、今カイリは全く別の世界にいる。村から出るまではそこまで気にしていなかったが、ここに来てはっきりと認識した。



 ――日本と似通っている部分があるのは、ありがたいけど。



 全く違う習慣だったら、カイリとしても馴染むのに時間がかかっただろう。食事や風呂の習慣が同じなだけでも助かった。

 これから住む都市では、どんな出会いが待ち受けているだろうか。



〝見た? さっき、泣いてるエミちゃんのこと、笑ってたよ〟


〝さっきドッジボールした時、わざとトモキにぶつけてたし。ひどいよねー〟



「……っ」



 前世の嫌な記憶を掘り起こしてしまった。あらぬ疑いをかけられ、孤立した決定的な瞬間だ。

 思わず目をつむって俯くと、アーティファクトがすん、と鼻を鳴らして振り返ってくる。心の揺れを読まれたのかと、心臓が小さく跳ねた。


「……大丈夫」


 ありがとう、と頭を撫でれば、彼は嬉しそうに目を閉じる。やはり言葉を理解しているのではないかとくすぐったくなった。

 村の優しさに包まれて忘れていたが、世間が全てあれほどの優しさに満ちているわけではない。恐らく、これからは不躾ぶしつけな目や嫌悪や憎悪に触れることも多くなるだろう。聖歌を扱えるという時点で、カイリは間違いなく好奇の目に晒される。

 だが。


〝だから、きっと。これからのお前には、嫌なこと以上に良い出会いが待っているはずだ〟


 ――大丈夫。


 嫌なことばかりではない。

 村の惨劇の後に、フランツやシュリア、ハリエットという良き出会いもあった。

 だからきっと、悪いことばかりではない。父が最後に願ってくれた様に。


「……さあ、そろそろだぞ。ここがフュリーシアの都市であり、教会の総本山にあたるシフェルだ」

「――――」


 いつの間にか都市に近付いていたらしい。

 慌てて顔を上げて――カイリは目を見開いた。


「……うわっ」


 都市を囲む分厚い城壁に、まず目を奪われた。

 首が痛くなるほど見上げる背丈は、空を隠すほどに高い。門構えも壮大で、閉じられた門の上にぶら下がっている鉄格子の重厚さに思わず息を呑んだ。落とされたら串刺しにされそうな凶暴さに、格子の役割の重要さを嫌でも連想させる。

 門の前には、二人の騎士らしき人物が佇んでいた。フランツの姿を認め、敬礼してくる。


「お疲れ様です、フランツ殿、シュリア殿」

「ああ、ご苦労。開門を要求したい」

「……失礼ですが、その方は?」


 門番のカイリの方を見る目が、いぶかしげに細められる。

 当然だろう。彼らにとっては、不審者でしかない。

 だが。


「彼は、カイリという。俺が保護した子で、聖歌騎士になる予定だ」

「っ! 失礼致しました。カイリ殿、どうぞお進み下さいませ」

「――開門!」


 ごご、と門が重々しい音を立ててゆっくりと開かれていく。

 その姿にも圧倒されたが、門番の態度が激変したのにもカイリは驚いてしまった。

 戸惑ってフランツを見上げる横で、シュリアがぽそっと小声でささやいてくる。


「……教会騎士になるには、通常試験が必要です。前にも話しましたが、無条件で騎士になれるのは聖歌語で聖歌を歌える者だけですわ」


 言われて、カイリも無理矢理納得する。

 以前、旅を始めたばかりの頃、フランツが説明してくれた。無条件で騎士になれる方法は二つあると。

 一つは、今シュリアが指摘した様に聖歌を歌える者。



 ――そういえば、もう一つの条件、教えてもらえなかったな。



 あの時はカイリがシュリアに激昂してしまい、話が続かなかった。

 だが、その後も話題に上ることはなく、今に至る。もしかしたら、彼らは話したくないのかもしれない。

 それに。


 ――エリックさん。


 フランツは、彼が「のぼせた」という言い方をしていた。シュリアも「良いカモ」と蔑んでいた。

 恐らく、それがもう一つの条件に関係しているのだろう。暗い推測に、カイリの心が押し潰される様に痛んだ。


「カイリ殿に、聖歌の加護があらんことを」

「あらんことを」

「……、ありがとうございます。貴方達にも、聖歌の加護があらんことを」

「……はっ!」

「身に余る光栄です!」


 単純にオウム返しをしただけだったのだが、想像以上に門番達がかしこまってきた。

 聖歌語で聖歌を歌える者は少ないと、確かにフランツは話していたが、カイリの想像を遥かに上回っている様だ。



 ――今まで以上に、言動に注意しなければならないな。



 心を引き締め、カイリは門をくぐる。

 そうして一歩踏み出して覗いた中は、カイリの予想を遥かに超えていた。


「……、……これが」


 フュリーシアの首都、シフェル。


 零れ落ちる様に呟いた声は、流れる音楽に掻き消される。

 大きな広場は、彩り溢れる花壇に覆われて人々の心を穏やかに和ませた。中央に設置された噴水も大きく、噴き上がる水飛沫がきらきらと煌めいて嬉しそうに踊っている。

 そこから扇状に道は広がり、奥の方に続く道の先に店舗が華やかに並んでいるのが見えた。奥の方にまた開けた場所がありそうな雰囲気があって、どれだけ広いのかと途方に暮れそうになる。


「ようこそ、シフェルへ。今までで一番驚いた顔をしているな」


 悪戯っぽく指摘してくるフランツに、カイリは気恥ずかしくなって頬を掻く。


「はい。正直、村に慣れた俺だと、もう場違いじゃないかと」

「ふん。もちろん、あなたは田舎者ですからね。しばらく間抜けな顔で恥をかけば良いですわ」

「何を言う。シュリアが初めて来た時も、馬鹿みたいに口を開けて歩きながら建物を見上げていたではないか」

「な、な、な、何でそのことを! ……ではなくて! そんなはずはありませんわ! フランツ様はいっつも余計な一言を……!」


 ぶんぶんと両手を上下に振って訂正するシュリアに、カイリはぱくんと口を閉じて手で押さえる。確かに今、カイリも口を開けていた。気を付けようと肝に銘じる。


「ここは中央広場だ。主に、都市の入り口と憩いの場だな。右に住宅街、左に商店街、左斜めが貴族街。そして真っ直ぐ北が教会区……教会と団の宿舎がある。お前がこれから世話になるところだ」


 簡単に説明を受けて、カイリは自然と真っ直ぐに視線を伸ばす。

 北。そこが、これからカイリが真っ先に赴くところになるのだろう。

 見上げた先では、遠くから見渡した時に目に入った十字架が、雲を突き破る様に高く伸びていた。厳かでもあり、神々しくもあり、不思議な空気をまとったその輝きに、カイリの胸が震える。


「構造上、北の教会区が一番広い。何せ教会は他国で言う宮殿の様な感じだからな。宿舎も第一位から第十三位まで全て分かれているし、最初は迷うことも多いだろう。無いとは思うが、一人では歩かない方が良い」

「そ、そんなに広いんですか」

「ああ。お前の村より数倍はな」

「数倍ですめば良いですわね」


 比較対象を持ち出されて、頭がくらくらする。そこまで広いと、逆に想像がしにくい。馴染むのはいつになるのかと、今から途方に暮れそうだ。

 しかし。


「……、この歌」


 街中を流れている歌に、カイリは改めて耳を傾ける。

 本当にスピーカーという機械があるらしく、どこまでも荘厳に響き渡り、広がっていく。


「……、讃美歌?」


 カイリは前世で言う『カトリック』等にあまり明るくはない。

 だから雰囲気と、聞いたことがあるという理由で推測したが、フランツは鷹揚おうように頷いて肯定した。


「ああ、そうだ。大体毎日正午に流れるな」

「まあ、教会の総本山……つまり、ここが聖地であると印象付ける意味合いが強いですわ。教会のおかげでわたくし達の平穏がある。そう思えと」


 シュリアの言葉に棘がある。

 考えてみれば、いぬではないと言ったり、彼女は教会に何か思うところがあるのだろうか。フランツも上は黒いと断定していたし、一枚岩でないことは確かだ。


「カイリ。お前は、この讃美歌の歌詞が分かるか?」

「え?」


 唐突に質問してきたフランツに、カイリは咄嗟に反応は出来なかった。

 どういう意味かと目で問えば、あごを撫でながら彼は上を向く。まるで歌を仰ぐ様な、疑問を投げかける様な動きに、カイリは背筋に氷が張った様な音を聞いた気がした。


「俺やシュリア、……いや。この世界にいる者のほとんどが、この歌を聞き取れない」

「……、ほとんど?」

「そうだ。まあ、聖歌語の聖歌は、俺達だと初見で全て聞き取るのは難しいのだが……それでも、年単位でこの聖歌は聞いている」

「ですが、わたくし達は聞き取れません。……あなたは、どうなのですか」


 探る様な視線に、カイリは再度歌に耳を集中させる。

 だが。


「――っ」



 ぐらっと、一瞬目の前が暗転する。同時に猛烈な吐き気に襲われた。



 ぐっと、口元を押さえてカイリはうずくまる。上を向いたのは、本当に吐かない様にするためだ。かはっと、一度空咳をしてカイリは必死に嘔吐感を逃がす。


「か、カイリ? どうした、大丈夫か」

「ちょっと、どうしたんですの」


 珍しくシュリアまで心配そうにかがみ込んでくる。何だか不思議な感じだと、場違いな喜びが込み上げてきた。

 何とか数分かけて、カイリは吐き気を押さえ込む。

 だが、聖歌の内容を再び探りたいとはどうしても思えなかった。何となく胸元が熱く発光している様な気がして、無意識に胸の辺りをなぞってしまう。


「……、パイライト」


 指先に当たった感触に、すがる様にささやく。

 ひんやりした熱を与えてくるのに、その内側は何故か火が灯る様な優しさを感じた。

 救われた気がする。父と母が祈りを込めてくれたお守りに、いつの間にか薄暗くなっていた周囲が少しずつほどけていく様に思えた。


「……、今流れている聖歌は、日本……じゃない、聖歌語であることは間違いないと……思います」

「思います?」

「一音一音は聖歌語だと分かるんですが……すみません。多分、俺が無意識に意味をつなぎ合わせるのを拒否しているんだと思います」


 聞いてはいけない。知ってはいけない。

 そんな風に、何かが警告を囁いている気がした。

 聖歌で、しかも讃美歌だというのに、何故そんな気持ちになるのか。他の者達が何故何とも思わないのか、カイリには不思議で仕方が無かった。


「……なるほどな」


 だが、そんな曖昧な説明で納得してくれるのだろうか。

 思っていたら、フランツが妙に同意してくる。シュリアの方は表情が変わらなかったので、心境は読み取れなかった。


「俺も、あまりこの聖歌を聞いていて気持ちが良いものではなかったのでな」

「え?」

「かと言って、それを誰かに言いふらすわけにもいかなかった。カイリの所感を聞けて少しホッとした」


 ぽん、と頭を叩いてフランツが立ち上がる。シュリアもならって立ったので、カイリも追いかける様に足に力を入れた。

 今、聖歌を再び耳にしても、もう嘔吐感は襲って来ない。恐らく、意味を知ろうと耳を澄ませると、理解を拒否する様に拒絶反応が起こるのだろう。

 聖歌を求める教会。毎日讃美歌を流す教会。



 それなのに、その讃美歌自体があまり気分の良いものではないという現実が。



 これからのカイリの行く先に、微かな暗雲をもたらした。


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