第20話


 女性のというよりは、少女の悲鳴が聞こえ、フランツとシュリアが瞬時に反応した。手近にあった剣を手に取り、一気に駆け出す。


「……。ここには気配は無いな。カイリ。お前は後始末をしてからすぐに来い」

「はいっ」


 駆け出していく二人を見送り、カイリは急いで焚火を消した。完全に消滅したのを確認し、二人の荷物をまとめて背負ってから彼らが先行した道を追いかける。

 悲鳴の聞こえ方からすると、そこまで距離は遠くないはずだ。カイリの予想通り、一分ほど走ったところで二人に追い付く。


「フランツさん」

「来たか」


 短く答え、フランツはすぐに視線を前に戻す。

 カイリもその先を追いかければ、そこには一人の少女がうずくまっていた。辺りには何人か野党の様な者が倒れ伏している。不自然に開いたままの目や、血臭が散乱していたため、カイリは無意識に視線を逸らしてしまった。



 ――まだ、血には慣れない。



 村の惨状の時は夢中になっていたが、落ち着いてくるとやはり直視が難しい。例え敵であったとしても、血生臭いこの現状には慣れなかった。


「この娘がこの者たちに連れ去られそうになっていたのでな、シュリアも逃げる奴らを追いかけたのだが……」

「はあ、駄目ですわ。何人か捕まえましたけど、全員自害しました」

「じ、自害……?」


 くたびれた様に戻ってきたシュリアが、とんでもない内容を報告してくる。

 自害。つまり、自ら命を絶ったということか。

 カイリのイメージでは、野盗は欲まみれで、命を粗末にする感じではないのだが、この世界では違うのだろうか。

 そこまで考えて、また思考がかたよって比較していることに気付く。口に出さない様に気を付けなければと、対策を練ることにした。


「しかし、おかしいですわ。野盗なら、命乞いをしそうなものですのに。誰か、余程の者に雇われているのでしょうか」

「ふむ。考えられるのは……」


 ちらりとフランツがカイリの方を見やる。

 その視線の意味にカイリは気付けなかったが、シュリアが「ああ」と納得した様に溜息を吐いた。「面倒な」と口にしなくても表情が盛大に叫んでいる。

 出会ってから何となく思っていたが、カイリはシュリアとは全く気が合わなさそうな匂いがした。不満が口をついて出そうになったので、彼女から視線を外す。


「大丈夫か」


 まずは少女の保護と考えたのだろう。フランツがしゃがみ込んで手を差し延べる。

 艶やかな黒髪を背に流す、可憐な少女だった。年の頃はラインやミーナより少し上くらいだろうか。可愛らしいクマのぬいぐるみを抱き締め、じっとフランツを見つめている。

 そうして、数秒ほど経った頃だろうか。

 少女は、ずさっと思い切り後ずさった。



「いやっ! あなたたち、誰!」



 ぎゅっとぬいぐるみを抱き締めながら少女がおびえている。

 不安や恐怖や疑心を織り交ぜた様に瞳が震えていて、カイリは少しだけ胸が締め付けられた。村で襲われた時のことを思い出す。


「俺はフランツ。教会騎士だ」

「知らない! きょうかいきしだって、うそつく人もいるもん! 知らない人にはついてっちゃダメって、パパもママも言ってるもん!」


 ぎゅううっと更にぬいぐるみを抱き締めて、少女は大きな黒い瞳にいっぱい涙を溜めている。

 どうでも良いが、先程からクマの首が締まり過ぎて可哀相だ。千切れる前に緩めて欲しいとカイリは考えてしまう。


「まったく、見る目がありませんわ。いいですか。わたくし達は、あなたを助けたんですのよ。信用出来ませんか」

「できない! だって、えらそーだもん!」

「え、えら……人が下手に出ていればいい気になって……っ」



 どこら辺が下手に出ていたのだろう。



 カイリには疑問だったが、シュリアは頑張ったらしい。フランツが「まあ、確かにいつもよりは」などと呟いていた。彼らは少しズレているのかもしれない。


「わたし、何されちゃうの!? やだー! もう、帰るー!」

「……ふむ。だが、困ったな。ここから街まではまだ半日くらいある。どうだろう。街までだけでも一緒に行かないか?」

「いや! やー! だって、どーせあんたたちも、わたしのことだまして連れていくんでしょ! あんたたちも同じだもん!」

「いや、うーむ」

「またおそわれたら、もう、終わりだもの! わたし、一人で帰るもん!」


 わーん、と大泣きしながらも、確かに少女は一人で立ち上がった。そのまま歩き出し――街とは逆方向に向かっていく。


「え。待って、君」


 思わずカイリは少女の肩をつかむ。


「ひっ……!」

「あ、ごめん」


 びくっと震えたので、カイリは慌てて手を離した。

 だが、気丈に振る舞っていても少女は恐ろしくて堪らなかったのだろう。ぺたんと崩れ落ちる様に座り込み、ぬいぐるみを抱き締めながら見上げてくる。

 どれだけ恐い思いをしたのだろうか。大勢の男に襲われて、こんな人気のないところにまで連れて来られたのだとしたなら、心細くて仕方がないはずだ。



 ――真っ暗な闇に、カイリが一人で放り出された様に。



 母と離れ、父と離れて逃げ出したあの夜は、カイリにとって恐怖で縛り上げられる、忘れられないものとなった。



「……いきなり掴んでごめんな。初めまして。俺、カイリって言うんだ」



 カイリも彼女と一緒に座って、自己紹介をする。

 ここで放置するという選択肢は、カイリにはもちろん、二人にだって無いだろう。

 ならば、少しでも心を開いてもらわなければならない。名乗るだけでそれが叶うかは分からないが、とにかく話をするしかなかった。


「後ろの二人はフランツさんとシュリア……さん?」

「……、……やめてくださいませ」

「シュリアって言うんだ。二人は本物の教会騎士で、……俺のことも、助けてくれたんだ」

「……たすけてくれた?」


 きょとんと、初めて少女が恐怖以外の目を向けてくる。ぱちぱちと大きく瞬く黒は、濡れて綺麗な輝きを放っていた。


「そう。俺も襲われて……二人がいなかったら、今頃途方に暮れていたかも」

「とほーにくれる……」

「えーと、そこら辺で死んでいたかもしれないな」


 間違いではない。

 二人が来たから、カイリは村の者全員が死んだ中でも何とか動けた。自分がどうして狙われたのか理由の一端を知って、色々納得も出来た。感謝している。


「いきなり襲われて恐かったよな。……俺も、恐かったよ」

「……お兄さんも?」

「ああ。……いっぱい泣いたなあ」


 みっともなく泣いて、情けないところばかりさらしてしまった。眠る両親達が少しでも安心出来る様に、強くならなければならない。


「ふふ。お兄さん、泣き虫なのね」

「ああ、そうだよ。君がいてくれたら心強いから、一緒に街まで行かないか? もし二人が襲ってきたら、その時は俺たち二人で逃げればいいさ」

「ちょっと、あなたっ」

「シュリア」


 目を吊り上げて抗議するシュリアに、フランツが面白そうに肩に手を乗せて止める。

 少女の目には、もう恐怖は残されていなかった。あるのは、カイリを見つめる少し弾んだ好奇心。


「……うん、わかった! いっしょに行く!」

「ああ。良かった、よろしくな。えっと……」

「わたしはハリエット! よろしくね、カイリお兄さん!」

「ああ。よろしく、ハリエット」


 手を差し出せば、飛び付く様に少女――ハリエットも手を握ってきた。

 この溌剌はつらつさは、少しだけミーナと似ているなと感傷的になり、カイリは首を振る。年齢もあまり変わら無さそうだからと言って、そう思うのは、彼女を見ていないことになる。失礼だと反省した。







 先程休憩していたところまで戻り、再び焚火を起こして腰を落ち着ける。

 シュリアがまたも狩りをしてきたが、今度は不満そうに顔を出して成果を報告してきた。「どうしてわたくしが」と、少女に向けて苛立たしい視線をぶつけている。信用されなかったのがよほど悔しかったらしい。

 お腹がすいていたのか、ハリエットは物凄い勢いで肉を平らげた。今はカイリの隣でお茶を飲み、存分に堪能たんのうしている。

 すっかりリラックスした状態に、カイリも胸を撫で下ろした。


「それで、ハリエットは家出してこっちに来ちゃったんだな」


 少しずつ事情を聞き出していくと、ハリエットは迷子の様だった。

 シュリアが呆れた白い目を向けるのは無視し、フランツと共に彼女の話に耳を傾ける。


「うん。くわしくは言えないけど、ちょっと、いろいろ嫌になって……それで、おともを連れて街に出たの」


 貴族だろうか。

 お供を連れて家出ということは、家族も彼女の居場所は把握しているのだろう。

 一般市民が『お供』という言い方はしない気がするし、確かに身にまとっている衣服の生地は見ただけで高級だと見抜ける。高貴な出の様だ。この様子だと、一定身分以上の者ならば名乗れる姓もあるかもしれない。


「でも、おともも『帰りましょう』ばっかり言うし、また嫌になっちゃって。すこーし散歩しようと思って、外に出たの」

「そうしたら、先程の奴らに会ったというわけか」

「そう。パパとママが、しんぱいして泣いているって聞いて……さいしょは変だなって思ったんだけど、おしのびで来ているから、街では会えないみたいなことを言われて」

「お忍び……」


 単語がカイリとは縁遠いものばかりだ。カイリとしては野党の言葉など怪し過ぎて信じなかっただろうが、ハリエットが信じるには足る話だということだろうか。

 フランツとシュリアは、少し難しそうな顔をしている。彼女の背景に色々推察を巡らせているのかもしれない。


「ついていったら、急に人が変わって……わたしこわくて逃げたんだけど、ずっと追いかけてきて……つかまっては逃げ、をしていたら、こんなところに」

「……なかなか健脚だな。半日もかけて追いかけっこをしていたということか」

「半日……かは知らないけど、そうよ。……なによ! やっぱり、あんたたちもわたしを……!」

「違うよ、ハリエット。大丈夫だ」


 ぽむぽむと頭を撫でれば、ハリエットも少し落ち着いた様だ。

 やはり、知らない者達に囲まれるというのは緊張を強いられるものなのだろう。カイリも、まだ完全に彼らと打ち解けられたわけではないから、気持ちは分からなくもない。


「そういえばさ、ハリエット。そのぬいぐるみ、可愛いな」


 何となく、これ以上は追及は避けた方が良い気がした。

 故に、大切そうに抱き締めているクマのぬいぐるみにカイリが話題を振れば、ぱあっと彼女は顔を輝かせた。得意気に、カイリの方へとぬいぐるみを突き出してくる。


「でしょ! お兄さんも、ぬいぐるみ、好き?」

「そうだな、可愛くて好きだぞ。……初めまして。お名前は?」

「テナって言うの! おたんじょうびにもらったの! いつでも一緒なのよ」


 いいでしょー、と自慢をしてくるので、カイリも頷いてぬいぐるみの頭を撫でた。テナも嬉しそうに笑った様に見えて、本当に大切にされているのだなと微笑ましくなる。


「お兄さんにはとくべつ! だっこさせてあげる」

「え、いいのか?」

「うん! それにね、このぬいぐるみがあれば恐いことも恐くなくなるの。だから、お兄さんも恐くなくなるわ」


 そう言って差し出してくる彼女に、カイリは一瞬言葉に詰まった。

 もしかして、彼女は先程カイリが口にした「恐かった」という言葉を覚えていたのかもしれない。

 だから、大切な宝物を貸してくれるのだろう。彼女は、人の気持ちを思いやれる、とても優しくて良い子だ。



 ――絶対に、無事に親の元に返さなければならない。



 村の者達の様に死なせはしない。

 湧き上がってくる決意のまま、カイリは力強く頷いた。


「……うん、ありがとう。……おお、ふわっふわだな! 可愛い」

「そうでしょー! これはね、パパがお店の前でうなってうなってうなりすぎて、店員さんが、イチャモン? つけられるんじゃないかって、ふるえ上がったくらいがんばって選んでくれたんだって! ママが言ってたの」

「へえ、そうなのか。ハリエットのお父さんは、本当に君が大好きなんだな」

「……、えへへー」


 頬を染めてはにかむ姿はとても可愛らしい。これは、父親も溺愛するだろう。

 ミーナの父親もそうだったし、もしかして娘を持つ父親は全員こんな風になるのだろうか。彼女が結婚する時は大変そうだと、勝手な想像をしてしまう。


「……ふん。お子様同士、気が合う様ですわね」

「ああ。あんたは立派な大人だからな。さ、ハリエット。明日は早いからそろそろ寝るか!」

「はーい!」


 今まで半眼で睨んでいたシュリアの皮肉に、だがカイリは取り合わない。

 後ろで彼女の唸り声が聞こえたが、何故嫌いなカイリに突っかかってくるのだろうか。体力も使うだろうし、はなはだ謎だ。


「お兄さん、いっしょにねよう!」

「え? でも、俺、男だぞ? パパに叱られないか?」

「いいの! だってお兄さん、シンシだもの! それに、ぬいぐるみをはさんでねたら、恐くないわ」


 ぬいぐるみは、彼女にとって恐怖を和らげる心強い存在なのだろう。

 それを、カイリにも分け与えてくれる。その心遣いが、とても暖かく染み入った。


「……ん、分かった。ありがとう」

「うん!」

「じゃあ、フランツさん、……シュリア、お先に休ませて頂きます。おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

「……おやすみなさいませ」


 不服そうながらも、シュリアもフランツにならって挨拶を返してくれた。彼女は律儀だな、と苦笑しながらカイリはハリエットと共に寝転がる。

 隣からは、すぐに寝息が聞こえてきた。よほど疲れていたのだろう。知らない者達に拉致らちされたり、追いかけられたなら無理はない。



 ――この子は、絶対に守り抜く。



 自分の様な目には遭わせない。

 そう願いながら、カイリも降ってくる睡魔に逆らわずに意識を闇に落とした。


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