第16話
空に昇った日が再び落ち、緩やかに夜が世界に溶けていく頃。
ようやく、村人全員の棺が揃った。
フランツの宣言通り本当に夜までには用意出来たと、カイリは感謝しかなかった。
「あの、ありがとうございます」
「構わない。……我々は、村の危機に間に合わなかった」
視線を落として告げるフランツの顔には、表情が一切無かった。その無表情がかええって彼の苦痛を物語っていて、カイリは緩く首を振る。
「いいえ。俺は、助かりました」
「……」
「ありがとうございます」
だが、言葉に心を込められなかった。
口先だけでは決してないが、親しい者が全員死んだ。一人生き残ってしまったという罪悪感がどうしても拭いきれない。
余計に苦しめてしまっただろうか。申し訳ないと思いつつ、しかしこれ以上の言葉は今のカイリには紡げなかった。
「……、では、皆を棺に」
「はい」
「ご両親からでよろしいんですの?」
「いえ。……、両親は、最後で」
正直、己の気持ちを優先したい。
だが、ここで両親を先に棺に入れたら、自分はそこからもう離れられなくなってしまう気がした。村の者全員で命を
「……律儀だな」
「はは、ラインがいたら、むりすんなー! って怒られそうですけ、ど、……」
本当に今にも聞こえてきそうな雰囲気に、カイリは反射的に振り返ってしまった。
だが、そこにいたのは物言わぬ姿だけだ。起き上がって、笑って、蹴飛ばしてくることもない。
「……、……始めます」
「……ああ」
フランツやシュリアの力を借りながら、一人一人を棺の中に入れていく。
村人への丁重さを二人から感じ取り、カイリは少なからず救われ――落ち込む。
あの暴力の限りを尽くした後だと、どうしても教会騎士という人物に警戒を抱いてしまう。そんな自分が
一人、また一人と棺に納め、山から摘んできた花を散らし、声をかけて
そうして、リックに続き、ミーナに別れを告げ、ラインを手放した時にはもう視界が既に滲んでいた。
「……っ」
ぐいっと涙を拭って、カイリは父と母に対面する。
その顔は安らかだった。最後は
「……父さん、母さん。俺、……助かったよ」
命懸けで母が送り出し、父が野盗から逃がしてくれたおかげで、カイリは今、ここにいる。父の親友とも無事に会えた。
村の者達の犠牲に成り立ったこの命。未だに受け止めきれてはいないが、それでも前に進まなければならないのは頭で分かっていた。例え心が追い付かなくても、カイリは前に進むだろう。
「……まだ、笑うのは難しいかもしれないけど、……安心してね」
「……」
「ちゃんと、生きるから。いつか、ちゃんと笑うからね」
ぎこちなくも笑みを頑張って口元に乗せてみる。二人の視線が集中している気がしたが、気付かないフリをした。
そうして、二人と共に両親を棺に入れ、最後の別れを惜しむ。花を乗せ、蓋を閉め、カイリはぎゅっと抱き付く様に棺を抱えた。
「……、フランツさん」
「……」
「お願いします」
燃やすのは、彼が行ってくれるという。どの様にするのかは分からないが、カイリは彼の言葉を信じることにした。
名残惜しかったが、カイリは棺から距離を取る。そのままシュリアの位置まで下がってフランツの背中を見守る。
彼は一度右手を十字に切って、
前世の時に
涼やかな風が、泣く様に頬を撫でた。はらりと舞う様な感触に、この村も悲しんでくれているのかもしれないと感傷的になる。
そうして、しばらく祈りを捧げた後。
「……、……【業火】よ」
ぼんっと、破裂する様に棺が真っ赤に燃え上がった。
一瞬村が焼かれている時を思い出してカイリの体が震えたが、ふるっと必死に否定して頭を振る。
これは、あの時の様な禍々しい狂気では無い。
大切な者達を送り出す、神聖な火柱だ。
あの残酷に踏みにじっていた時とは違う。まるで抱き締める様に羽を広げて広がる炎に、カイリの心も少しだけ炎が灯った様に温かくなった。
「……流石に二時間は無理だな。五時間以上はかかるだろう。日はまたぐ」
「……夜中までってことですか?」
「そうだ。その間、少し仮眠を取るといい。お前は、一睡もしていないんだろう」
「そんなの、お二人だって」
「カイリ」
諭す様に頭を撫でられる。
その撫で方が、少しだけ父に似ていたのでこくりと喉が鳴ってしまった。ばっと勢い良く下を向いてしまったが、嫌な思いをさせただろうかと申し訳なくなる。
「お前は我々より心の負担が大きかっただろう。疲労は比ではないはずだ」
「……」
「ちゃんと寝ろ。……寝れなくてもいい。横になって、目を
言い聞かされて、カイリは頷くしかなかった。
心がひどく疲れ切っている。息をするのも苦しい。それなのに妙に目は冴えていて、眠れそうにはなかった。
しかし、彼の言う通り横になって無理矢理にでも体を休ませなければならない。葬儀が終わったら、街に行かなければならないのだ。どれだけの道のりかも分からない今、せめて二人の足をなるべく引っ張らない様にしたい。
そうして、横になるとフランツが自分の
故に、大人しく借りることにした。春ではあるが、まだ肌寒い。正直ありがたかった。
ぱちぱちと、遠くで火花が散る音がする。
まるで
何となく、うとうとと眠りに落ちそうな時に聞いた暖炉の音を思い出し、またカイリの視界がうっすらと滲んだ。
泣いてばかりではいけない。もう彼らはいないのだ。
言い聞かせて、カイリはぎゅっと外套を握る。「しわになりますわ……っ」と恨めしげな声が聞こえてきたが、何となく彼女の声は素直に聞き入れたくなかった。子供みたいだが仕方がない。
目を瞑れば、先程も撫でてきた夜風が涼しげにカイリの体を凪いでいく。
本当に静かな夜だ。こんな夜であるのならば、彼らもきっと安らかに眠れるだろう。
願いながら、カイリは次第に意識が溶けて行くのを感じ――。
ぱちっと目を覚ますと、カイリの目の前ではまだ煌々と火柱が高らかに燃え上がっていた。
「……あれ、俺」
起き上がると、
遠くであんなに勢い良く燃え盛っているのに、カイリ達の近くでも小さな焚火を起こしているのは不思議な感じだ。
しかし、おかげで寒くは無い。心遣いに感謝した。
「ありがとうございます。……あの、棺は」
「まあ、あと少しだろう。少しは眠れた様で良かったな」
「はい、……」
あと少しで、本当にお別れだ。
迫ってくる時間に、カイリの心臓が潰された様に縮む。情けないと本当に呪いたくなるが、悲しみを止められる手立ては無かった。
せめてお経を唱えられればと思ったが、カイリは残念ながら熱心に聞いていたことが無い。むしろ頭を素通りしながら、故人のことばかりを考えていた。
ならば、お経の代わりになるものは無いだろうか。
錆び付いた思考を無理矢理動かし、カイリが色々探ると。
「……、歌……」
〝母さん、カイリの歌が聞きたいわ〟
家でも村でも毎日せがまれていたことを思い出す。
そんなに上手な方ではないのに、何故求めてくるのだろうといつも不思議だった。
だが。
〝えー。父さんはカイリの歌が聞きたいなー〟
〝カイリが思い付く歌は、どこか懐かしくなるから好きでの〟
父はもちろん、村長も、歌を外の者に聞かせるなと言いながら、歌のことは好きだと言ってくれた。
ならば、供養になるかもしれない。
すっと、吸い込んで歌おうとし。
「――、……」
いつもの様に声が出てこなかった。
正しくは、取りやめた。何となく、いつもの言葉で歌いたくなかったからだ。
――カイリが
英語の歌が英語で歌われるのが、一番その歌に合っている様に。
きっと、童謡唱歌も。
「……」
村の外の者がいる。本来は歌ってはいけないのかもしれない。
だが。
彼らはもう、カイリが歌を歌えることを知っている。
それなら今更だ。
開き直ってカイリは一度目を閉じ、強く顔を上げて棺を見渡した。
彼らに、届く様に。彼らに、響く様に。
カイリは、息を深く吸い、一緒に泣いてくれる夜風に乗せて言葉を放った。
【――うさぎ追いし、かの山】
「――――――――」
両隣から目を見開く様に気配が揺れた。
だが、カイリには知ったことではない。ただひたすらに、彼らに届ける。
声を出すたびに胸の奥が熱くなり、音に淡い光が灯る様に辺りに舞うのを、カイリは静かに見送った。
【
剣を振るえない自分は、いつも元気に山に入っていく友人達を見送ることが多かった。
けれどその分、動物を捕まえたとはしゃいで帰ってくる彼らに、おかえり、と言うのが楽しみだった。
小鮒ではないけれど、村の中で川を泳ぐ魚を追いかけて笑い合ったりもした。彼らと過ごす日々は、カイリにとっては心から楽しくて安らぐものだった。
【夢は今も、巡りて】
みんなで他愛のない話をたくさんした。
両親に抱き潰されては、息が出来なくなって命の危機を感じることも一度や二度ではなかった。
ラインの悪戯にリックが乗っかり、カイリは潰されては叱ったりもした。
ミーナの絵を見て、みんなで遠い目をしたり、笑い合った。
本当に楽しかった。掛け替えのない日々だった。
【忘れがたき、ふるさと】
前世では得られなかった、たくさんの想い出。
失って尚、今も忘れられないほどに強く思うこの
この村に生まれたことを、カイリは心の底から感謝した。
【いかにいます、
――いつも苦しいくらい抱き締めてくれた父さんと母さん。
今、二人は空で仲良く寄り添っていますか。
【つつがなしや、
――共に笑って、歌って、傍にいて慕ってくれた小さな友人達。
変わりなく、笑っていますか。
辛い思いはしていないだろうか。
泣いてはいないだろうか。
苦しくはないだろうか。
痛くはないだろうか。
それだけが気がかりでならない。
最期が酷過ぎたからこそ、せめて安らかでいて欲しかった。
【雨に風に、つけても
思いいずる、
全てが炎に包まれて、大切な人達を失った今。
崩れ落ちそうになりながらも、カイリは前に進まなければならない。
泣いた時、絶望に叩き落とされた時、必ずこの故郷を思い出すだろう。
それほどに、この故郷は忘れられないほどのたくさんの思い出をくれたのだ。
【志を、果たして
いつの日にか、帰らん】
もうすぐ、自分はこの故郷から旅立ってしまうけれど。
でも、もし自分の道を見つけ、そしてその道を歩み切ったら。
いつの日にか、またこの故郷に帰って来れるだろうか。
【山はあおき、故郷
水は清き、故郷】
友人達と駆け回った日々。
過保護なほどに甘かったけれど、とても優しい愛情で包み込んでくれた両親。
偉大な山に囲まれ、心が洗われるほどに清らかな川が流れるこの故郷は、カイリにとって最も忘れられない、捨てられない宝物だった。
だから。
「……っ、だから、……」
言葉が、続けられない。
もう大丈夫だからと言いたいのに、声が出ない。
せっかく歌を歌ったのに、どうして自分は肝心な時にいつも何も出来ないのだろう。
これでは、みんな。
「――カイリ」
「――」
みんな――。
「……、え?」
聞き慣れた声が、カイリの名を呼ぶ。
弾かれた様に顔を上げれば。
「……、え? なん、で」
目の前には、優しい顔をした両親が、ラインが、ミーナが、リックが、――村の者達が、静かに佇んでいた。
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