2-12 AM10:40/そして戦渦は回転する③
〈もしかすると、
眼前に存在する異質にも過ぎる女。それを『人外の怪物』と推し量り、脳裡を徘徊する戦慄を冷静さという別種の心構えへ均すのに腐心しながら、リガンドはなんとか言葉を紡いだ。
〈オイオイオイオイ、電撃のやり過ぎで頭スパーキングしちまったのか?〉
パンクが、務めて茶化すように言った。チームの第二の柱たる
〈
〈
〈いやいやいやいやいや、それだともっとおかしいだろ。なにその話。笑えねーぜ。数万に一匹とかっていう奇跡的な割合で誕生した奴が、偶然にもプロメテウスに棲み付いていて、偶然にも俺達の仕事の邪魔をしてるって? そんなの、ミリオンズで十億当たるよりもありえねーって。それに繰り返すようだけどよぉ、
〈絶滅したと、どうしてそう断言できるんですか〉
考えすぎだと暗に含みつつ早口でまくし立てるパンクに対し、リガンドは、その身にまとう電磁の力を彷彿とさせるような鋭い一言を以て、相棒たる銃撃手の言葉を打ち砕いた。
〈
〈でもよ、そんな唐突過ぎるっつーか〉
〈パンク。あなた、
〈ねぇよ。大陸でドンパチやってたけど、運が良かったんだな〉
〈オーウェル。あなたはどうです?〉
〈う、ううん。僕もないよ〉
〈私は、あるんですよ。一度だけ。先の大戦時に〉
オーウェルの言葉を遮り、リガンドは明かしはじめた。閉じ込めていた、己の過去の一端を。
パンクが、意外そうな顔でリガンドの横顔を見つめた。電脳回線上で話をしていたオーウェルも、静かに息を呑んだ。それしか出来なかった。
お互いのプライベートを必要以上に詮索しないこと。チーム結成時に掲げられたその暗黙の了解は、それぞれが過去に負った傷痕に、余計な塩をうっかり塗らないようにするため、または、塗られる危険性を排除するための精神的な防護策だ。
相棒、などと口では親し気に言っているものの、パンクはリガンドの過去を詳しくは知らない。日々の物腰からして、高貴な家の出なのは確かだろう。戦争に駆り出されたのは、親類に軍属の類がいたからだろうか。サイボーグ化を施されたのも、その頃だったのだろうか。
「(やめろやめろ。馬鹿か俺は)」
そんなことに気を回してどうする――頭を使うのはそこではない。今の、この状況に対してだ。それに関して、リガンドが貴重な発言をしようとしているのだから、ここは黙って耳を傾けるべきではないのか。
〈私は先の大戦時、空挺団に所属していましてね……詳細は省きますが、大陸のとあるキャンプに強襲をかけることになったのです。作戦は成功しましたが、その夜のことですよ。占拠したキャンプで今後の方針について語っていた頃、我々は襲撃を受けたのです。血の匂いに魅かれてやってきた、
夜の玉座に腰を下ろした月が、無慈悲にも見下ろす中での惨劇。それを、ずっとリガンドは記憶の奥底に封印していたのだ。あまりにも、この世のものとは思えない怪奇的にして凄絶な地獄絵図であったがために。
心臓を縫い留めるような
ぶちまけられていく臓物。千切れ飛んで弧を描く手足。仲間たちの絶叫――人間達の血で血を洗う戦場を、さらに大量の血で覆い尽くさんとするばかりの、禍事の協奏曲。
リガンドの拳が震えていた。恐怖からではない。湧き上がる寒々しさを、必死に握りつぶそうとしている、心の動きの現れだ。
〈私と上官の何人かは、辛くもその場から撤退することができました。しかし、仲間たちの血を啜る怪物たちの声を、忘れたわけではありません。あの赤黒い霧を目にした時、まさかとは思いました。でも、そう簡単には受け入れられなかった……彼らを根絶したという話を聞いて、私はどこかで、それが『嘘だ』と思いましたよ。同時に、本当にそうであって欲しいともね。なんとも恐るべき生命力。あれは、そう易々と人間の歴史からは消えてはくれない〉
エヴァを取り囲む赤影体を見つめるリガンドの相貌からは、異質な物に対する怖気はすでに消えている。だが、普段の落ち着いた物腰を取り戻したわけではない。左の眼窩にはめ込まれた電子式の
その意志の下に分析した結果、いかなる判断を下そうとするか。参謀役としての彼が次に発するであろう台詞をパンクは予測し、同時に、それだけは受け入れられないと、精神を硬く緊張させた。
〈パンク、ここは一時――〉
〈ふざけんなよリガンド。ここまできて撤退なんて、ありえねぇぞ〉
ただでさえ悪人面であるのに、リガンドが口にしかけた提案を全力で否定にかかる今のパンクは、それに輪をかけて酷い人相になっていた。しかし、その目には安易な選択を取ろうとしているリガンドへの批難だけではなく、後悔のような色も混ざっている。
リガンドの言う通り、中層で
〈今の私たちでは、手の打ちようがありません。退却し、ナイル氏に事の次第を報告し、更なる協力を取り付けるべきです〉
忸怩たる思いを噛み締めるパンクの心境を見抜くかのように、リガンドが忠告した。『お前は何も分かっていない』と、暗に叱責するようでもあった。
〈俺も、リガンドの意見に賛成だ〉
それまでオーウェルの通信を介して状況を見守っていたヴォイドが、だしぬけにそう言った。
〈リガンドの推測が正しければ、今お前たちが相対しているのは、規格外の
リーダーの強制力ある言葉に、さしものパンクも押し黙った。薄い眉を口惜しいと言わんばかりにひどく歪め、血が滲むほどに唇を噛む歯に力が入る。
やがて、銃把を握る手から緊張はほどけていき、自然と四つの銃口がゆらりと下がった。
〈……仕方ねぇな〉
嘆息交じりの声。理性を優先させた声。リガンドがよく自分を抑えたと褒めるように、軽く頷いてみせた。
そうして撤退に向けて動き出そうとしていた二人だったが、突如として、身体が備えうる全感覚が有無を言わさずに吸い寄せられるような、ひどく悍ましい気配に襲われた。
ほとんど同時にリガンドとパンクは振り返った。西の方角。遥か眼下に広がる最下層D区の無機的な工業地帯から高く昇り、幾重にも空を緩やかに切り裂くのは白い煤煙の数々だ。その一筋が、まるでジェット気流の直撃を食らったように、ぼん、と、ぽっかりと大きな穴を穿たれていた。
「……なんだ?」
ふと洩れる、パンクの肉声。
リガンドもパンクも、撤退に身を投じようとしていた動作を一時中断し、その不可思議な光景に見入っていた。透明な何かが煤煙を貫いている。瞬間的にそう感じたが、すぐにそうではないと気付いた。
最初は小さな点に見えた。それが少しずつ距離を狭めてくるにつれ、更に具体的な形を露わにしていった。端的に言えば、蛸が備える触手のようなものが一本、煤煙の数々を貫いては信じられないスピードでエレベーター側へ接近してくる。
「まさか、他の同業者たちか?」
「用心するに越したことはありません。退却は奴らを撃退してからにしましょう」
「だな。人間相手なら、負ける気がしねぇよ」
下ろしていた自動小銃の銃口を触手らしきものへ向けるパンク。両の拳を構えて磁力結合させたネジを、いつでも発射可能なように周囲に待機させるリガンド。両者ともに険しい眼差しを浮かべていたが、次第に、驚愕に大きく目を見開いていく。
まずは色だった。その接近してくる触手めいた何かは赤と黒の斑点を幻惑的に発光させ、絶えず流動して模様を変化させていた。
続いて形だった。当初思っていたのとは異なり、触手には工業用のフレキシブルダクトのように蛇腹が刻まれていて、形状はまごうことなき三角柱だった。その三角柱型の触手には、自然界でそういった類の器官を持つ生き物……蛸やイソギンチャクのように、触手の発生元を備えていた。
バランスボールほどの大きさにして赤と黒の原色を隣り合わせに持つ正八面体――数理の世界において美しき調和のとれた幾何学立体図形の代表的存在。その一面を起点として、赤と黒に発光する蛇腹付きの三角柱型触手が一本、高速で移動してくる。
触手が伸びきったところで、今度はその先端部に発生元たる八面体がぐっと引き寄せられ、先端部の一部と融合して元の立体図形を形成する。そこからまた触手が伸びて……といった具合で繰り返し、空中を着実に移動してくる。さながら、空を自在に泳ぐ尺取虫のようだ。
その奇怪極まる無機と有機を組み合わせたような触手の運動に、あっけに取られるリガンドとパンクだったが、もう一つ、その触手の先端にいる『何か』がいることに気づき、さらにぞっとなった。
「おい、あれ」
「人ですね」
たーん、たーんと、触手の発生元から先端へ軽やかに跳躍してみせる、フード付きの黒い耐環境コートを翻す男の姿。伸びきった触手の長さは五十メートルに届くほどだったが、男は、さもそういう動きをするのが当然であると告げるかの如く、ごく自然な感じを装って触手を足場代わりに使用していた。
その異様なほどの膂力。赤黒い怪物的存在と断じて良い触手。そしてフードに隠された相貌を照らすように光る、血のように赤い眼差し。
「まさか、また
「ざっけんなクソッタレェェェエエエ! えぇ!? なんだぁ!? 今日は厄日かぁ!? どーいう確率だよ!? 奇跡的すぎんだろ!?」
均衡しかけていた場を搔き乱すイレギュラーの乱入に怒りの衝動を吐き出すパンク。そのために逆に心は冷静さを回復し、むやみやたらと銃火を吹かす真似はしなかった。
「同業者だったらぶちのめすところだけどよ……おい、リガンド。さっさとズラかろうぜ。お前が最初に言いだしたんだ。今更こっちもヘソを曲げる気なんてしねぇよ」
「いや、待ってください……なんだか、様子がおかしいですよ」
退散しようと背を向けかけたパンクを、怪訝そうな態度のリガンドが呼び止めた。彼の観察に基づくその判断は、果たして正しかった。
てっきり敵意を剥き出しに襲ってくるものだと思った。だが幾何学的触手はエレベーターの近くまで来ると、急激にその角度を上方へ変えたのだ。はなからパンクとリガンドの二人に用はないと、無言で言い放つように。
二人の頭上へ到達したところで触手は伸びきった。その先端で男の黒いブーツに包まれた逞しい両脚が、たん、と静かに音を鳴らした。掃除機のコードを電動回収するように、発生元の八面体が三角柱型の先端部へ急速に引き寄せられて融合する姿を、リガンドもパンクも、ただ黙って見届けるしかない。
一塊の存在となった正八面体に立つその男は、じろり、と、眼下で警戒心を向けるリガンドたちを睨みつけた。だがそれ以上、これといった手出しをする様子は見られない。道を歩いている途中で、たまたま家畜の糞を目にしてしまったが、だからと言ってどうこうする必要はないという侮蔑と無関心が混ざり合った態度だった。
しかしながら、リガンドもパンクも、そのことに対して特段腹を立てるような真似はしなかった。男の存在もそうだが、腰に下げ
男は視線を更に上へ向けると、今まさにそこで悪戦苦闘しているもう一人の
「ようやく見つけたぞ、黒き冠のエヴァンジェリン」
その
リガンドとパンクは男が腰に
だが手斧の柄には、確かに彼の名が古代の言語で刻まれていたのである。
『太母』より賜った誇るべき名。栄えある一族に望外の幸を届ける願いを込められた、気高き血の戦士。
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