第10話 市井の何でも屋

 湖で僕が見てきたことをひととおり話すと、ケイサンは僕を家の中へと案内した。岩山の屋上にそこだけこんもりと大きな岩がある。割と広めな屋上の北側半分くらいを占めるその岩には木製の扉がついていた。

 ケイサンがその扉をあけると、中には執務室のような重厚な机と座り心地のよさそうな椅子と天井まで届く本棚が並ぶ部屋が見えた。重厚な机の前には、膝くらいの高さのガラス製に見えるローテーブルが置かれている。その両脇には、机と同じ高さの椅子が置かれていた。

 「そっちの椅子に座ってな。」

 ケイサンはローテーブル側の椅子を指さして、自身は重厚な机に向かった。僕が椅子に座るとすぐに茶色い紙の封筒がローテーブルに置かれる。

 「ルミネ、湖で見たって言う女は、この中にいるか?」

 そう言いながらケイサンは封筒の中から何枚かの紙を取り出して僕の前に並べた。その紙には、どうやって描いたのかわからない精巧な女性の姿が描かれてある。そのことに驚き、けれどまずは先の問題解決をと思い、僕はその女性たちを一枚一枚、今見てきた湖の女性と見比べていった。

 「この中にはいません。」

 「そうか…。まさかと思うが、こっちにはいないよな?」

 ケイサンはそう言うと、今度は男性が描かれた紙を数枚出して並べていく。パッと見て男だとわかったので冗談かと思ったのだが、その中に一枚、よく知る人が写っていた。

 「叔父さん、これってグランさん?」

 僕の返事に叔父さんは椅子に座りながら言った。

 「ああ、隣の小売店のグランさんだ。他のもみんな、この街に住んでたごく普通の一般の人だ。」

 「よくできてるね。これは誰が描いたの?」

 「ふふふ。そこは内緒だ。」

 その紙には人物だけでなく、背景もまるで写し取ったみたいに描かれている。ひょっとして、と僕は訝しんで聞いてみた。

 「これってまさか、叔父さんの道具でこの人達をこの紙に閉じ込めたってわけじゃ、ないですよね?」

 もしやと思って聞いてみただけだが、ちょっと返事が怖かった。するとケイサンは事も無げに言った。

 「馬鹿。んなことしたら姉さんがすっ飛んできて、俺は城の天辺にロープで結ばれて吊るされちまうよ。」

 そう答えながら腕を組み、ケイサンは何かを考え込むように目を閉じて黙りこんだ。僕も同じように黙り込んだまま、しばらく時だけがとおり過ぎていった。


 その後、僕とケイサンは二人でまた洞窟の奥の地底湖へと向かうことにした。砂浜に辿りついた僕は、もう一度見たままをケイサンに話しはじめた。

 「…で、この辺りに白い光がふわふわっと浮かんでて、僕は工事の人かなって思ってここまで近寄ってきたんです。そうしたらその光が急に女性の姿に変わって…。」

 ケイサンは僕の話を聞きながら、湖と洞窟の壁とを交互に見回している。





 「…で、出てくる前に父上からハバキで伝わる伝承というのを聞いてきたんですよ。なのでその女性がアイリ様なのかなと思って…。」

 ケイサンの目がピタッととまり、湖側を見ながらクワっと見開かれる。それに気がついて僕も湖の方を見ると、そこに白い光がゆらゆらっと揺れているのを見た。

 「…なあ、ルミネ。」

 「はい、なんですか?叔父さん。」

 「お前が聞いたっていう話は、ハバキで伝わるカムイ王とアイリ姫の伝説だよな?」

 「たぶん、そうだと思いますが…。」

 白い光がゆらゆらと湖面をすべるように近づき、僕らのいる砂浜の上に出ると、そこで止まった。

 「ルミネ、いつでも逃げられるようにしておけよ。」

 驚くほどの緊張感を漂わせ、ケイサンがそう言って僕の前に出た。その先に浮かぶ光が、次第に人の形を成し、そうして女性の姿になる。


 「モリトの子よ。アイオリアの子孫よ。これより先へ行ってはいけません。滅びの呪いがまだあるのです。ほころびが外から滅びの呪いを取り込みつつあります。」

 あらためて見ても、背の高いその女性は美しい人だった。光沢のある長い銀色のドレスが風に揺らいで見える。

 「アイリ姫、俺はアイオリアのケイサンと言います。姫の言う滅びの呪いとはいったい、何なのですか?」

 ケイサンがそう言って姫を見た。アイリ姫と呼ばれて女性は少し微笑んだようだ。

 「ケイサン・アイオリア。私はカムイ王の従者アイリ。覚えていてくれてありがとう。」

 僕は今、目の前で起こっていることについていけていない。それでも、ケイサンに言われたから、いつでも逃げ出せるように構えながら二人を見ている。

 「失礼いたしました、アイリ殿。伝わる話がいくつにも分かたれてしまい、私の知る物語ではお二人が添い遂げて、今も異つ世にて幸せに暮らしているとありましたので。」

 「優しいお気遣いですね。ありがとう。それが真実であればどれほど幸せでしたでしょう…。」

 うっとりとした表情で、女性が宙を見上げる。その顔は何か素敵な思い出を思い浮かべているような、そんな表情だ。ケイサンはそんな女性に向かって、声を大きくして言った。

 「それで滅びの呪いとは?いったい何なのですか?」


 ケイサンの言葉に、アイリ殿が少し顔を動かす。ゆっくりとこちらを向くその目には、赤々とした怒りが見てとれた。

 「せっかく…幸せな思いの中に心を浮かべ癒されようかと思ったのに…。そなた我を、軽く見ましたな?」

 そう言ってアイリ殿は僕らを睨みつける。ケイサンが静かにゆっくりと下がりながら、僕に向かって小声で言った。

 「やばい、焦りすぎた。ルミネ逃げるぞ!」

 言いおわりと同時に駆け出す。僕もあわてて走りだした。


 「いったいなんだって言うんですかこれは?」

 「すまん!とにかく洞窟の外まで急げ!」

 全速力で走ると、洞窟の外までは数十秒で到着した。ケイサンも僕も肩で息をしながら洞窟の中を振り返って見る。

 「あらら…。マジかよ。」

 ケイサンがそう言って空を仰ぎ見た瞬間、僕らは洞窟いっぱいに噴き出す大量の水の中にいた。宙を飛ぶ水の中で、空に浮かぶ雲が流れるのを僕は見た。ぐるりと回り眼下に稲作地帯が見える。はるか南の先に霊峰キンシャが見える。ハリル山は今日も晴天みたいだ。

 たまたまだが、僕らは飛ばされて稲作地帯を過ぎて先の貯水池へと着水した。ケイサンも僕も首だけ貯水池から出したままでいる。おかげで僕は女性を怒らせると怖いなってことをあらためて勉強できた。それはそれで、ともかくも助かってよかった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る