第5話 銀の髪の妖精
「ちょっとちょっと、ルミネ!ルミネったらルミネ!」
母はずいぶんと興奮している様子だった。また城下で何か珍しいものを見つけたのだろうか。
「ルミネ!今そこで聞いてきたんだけど、ハリル山の洞窟の奥に、地底湖があるのは知っているでしょ?」
「うん。近々観光用として大々的に工事に着手するって話なら、先週くらいに母さんから聞いたよ。」
「それがね!そこの調査に行っていた人がね、地底湖の砂浜で銀色の髪をした妖精を見つけたって!」
銀の髪の妖精?それはとてもおもしろそうな話だなと、僕は思った。
「それなら僕が見てくるよ!母さん、これあとよろしく!」
そう言って僕は台所を飛び出し玄関に向かう。なんだか面白そうで背中がゾワゾワする。
アイオリアの北西に連なる山脈の名を、ハリル連峰と呼ぶ。その峰の麓に大きな口を開けて、割と深いところまでゆったりまっすぐに下っていく洞窟がある。この洞窟にはまだ名前がついていない。五百年ほど前には名前があったらしい、悲しい伝説と共に。しかしその伝説は五百年という年月の間に人々の記憶から忘れ去られ、その間に訪れる人もだんだんと少なくなり、そうしてついに洞窟の名は忘れ去られてしまった。
その洞窟の奥にはかなり大きな地底湖がある。そこが悲しい伝説の舞台なのだが、今となっては王家の古い者以外に知る者はいない。僕はおじい様からそうした伝説があったということだけは聞いていた。でも伝説の中身についてはついに聞く機会がなかった。詳しく内容を聞こうとするといつも悲しい顔をする。そんなおじい様を見るのが嫌だったからだ。
家から洞窟へ向かう僕に、街の人々がすれ違うたびに声をかけてくれる。
「よう、ルミネ坊ちゃん。さっきお母さんが来てたけど、持ってく物を忘れて帰っちまったよ。」
「後で僕が取りに来ます。それまで取っておいてください。」
「ルミネ様、そんなに急いでどこへ?」
「ハリル山の洞窟!地底湖まで!」
「馬車、乗ってくかい?洞窟までだとけっこうあるぜ?」
「大丈夫です。ありがとうございます。」
この街に暮らす人々の多くは、僕ら王族が普通の人じゃないと知っている。知っててもいろいろと気遣ってくれるから、僕は彼らのことが大好きだ。でも五百年以上昔はそうじゃなかったらしい。それで件の悲劇が生まれた。それからというもの、その悲劇を知る王家の者達は進んで城下に出て、進んで人々と交流を続けてきた。その成果を僕は享受しているのだと思っている。
足早に歩いて街はずれまで出ると、広い稲作地帯が広がって見えた。街の人々や僕ら王家の者の主食となる稲を栽培している場所だ。今はもう刈り入れも終わっているようで、ところどころに藁を積んだ積み藁が見える。もう少し東の方へ行くと今度は畑が広がっていたはずだ。四季のあるアイオリアでは、それぞれの季節で採れる野菜が変わっていくため、今頃は芋やカボチャ、レタスにトマトなんかが採れる頃だろう。
民家や商館が周囲になくなったのを見計らい、僕は全力で走ることにした。風が轟音になって髪と耳を後方へ押しやろうとする。顔や体を押し返そうとする大気を、切り分けるように腕を振る。足のつま先が地面を蹴る。体が次第に前へ傾いていく。
そうして五分も走っただろうか、目の前にようやくハリル山の洞窟が見えてきた。ハリル連峰の山頂あたりが今年はすでに何か所も白くなりはじめている。すそ野をにぎわす樹々の冬支度が見る者の目を楽しませてくれるだろう。赤や黄色に色づいた葉と、焦って急いたのか根元に沢山の落ち葉を積んだ木。そこを通り抜け僕は洞窟へとたどり着いた。
洞窟の前で呼吸を整えて、急く心を抑えて更に一呼吸してから中を覗いてみると、遠く洞窟の奥から作業服を着た人たちが出てくるのが見えた。薄い緑色の厚手の服で、あちこちに沢山のベルトが巻いてある作業服だ。頭にのせた白のヘルメットが遠目にも傷だらけなのがわかる。
その歩く様がカッコいいなと僕は思った。
先頭を歩いてくる、肩に測量道具を担いだ人に向かって歩きながら、僕は声をかけた。
「お疲れさまです。城のルミネです。妖精が出たって聞いて見に来ちゃいました。」
すると返事が返ってくる。
「おお!王子さんか。出たぞ、出たぞ、銀色の髪をした妖精がな。」
「おおお!どんなでした?やはり手のひらぐらいの大きさで、背中には羽とか生えてるのですか?」
「いやいやいや。そう言うんじゃなくて。」
そんなふうに話しながら近づいていた僕らは、既にお互いに顔が見える距離に立っていた。
「おーい、後ろ!王子が見たいってよ。」
「へーい。ガッテンで、ボス。」
後ろの方から大男が二人、急いで走ってくるのが見てとれる。彼らの間に担架のようなものが見えた。そこにシーツをかけられた綺麗な女性が乗っているのに気がつく。
「どういうことなんです?これって。」
「さあねぇ、どういうことなんだろうなぁ。」
ボスと呼ばれた男が、ヘルメットを手で触り、答えに困ったような顔でそう答えた。それを見て、ボスのすぐ後ろに立っていた細身で長身の男が前に出てきてこう言う。
「ボスさん、ルミネが来たんで後は俺らが引き受けますよ。」
それは僕の叔父のケイサンだった。
叔父のケイサンは、僕が生まれる三百年ほど前に生まれた僕の母の弟だ。長身で頭も良くて、城下でいろいろな仕事の手伝いを引き受けている。いわば市井の何でも屋さんだ。街の人々が僕らに気さくに接してくれるのは、この人のおかげなところが多い。
「そいつは助かる。俺たちは先に街まで戻るから、王子に説明し終わったらまた合流してくれや。」
ボスとその他の面々は、叔父と僕と担架にのった女性を残して洞窟を出ていった。不思議なことに担架はそのまま宙に浮いている。
「叔父さん、これってどうやってこうなってるんですか?」
「なんだルミネ、見るのはじめてか?」
そう言うと叔父さんは、作業服のポケットから『黄の球』を取り出して見せた。
「へー、『黄の球』は重力に作用できたりするんですか?」
「おしい。けどそれよりもこっち、急がないと。」
叔父さんはそう言って担架に乗せられたままの女性を指でさす。
「命に別状はないがずいぶんと衰弱している。地底湖の砂浜で見つかった。どういうわけか足跡が洞窟のずっと奥から砂浜に残っていた。たぶんだが、何かの事件に巻き込まれて、そいつから逃げるかなんかで洞窟に迷い込んで、それで洞窟の奥まで行ったはいいが行き止まりに気がついて、そこから戻ってきたって感じかな。んで力尽きたって感じだ。」
「力尽きた、ですか?」
命に別状がないって言っておいて?と思った。
「ああ、腹が減りすぎたのと、たぶん睡眠もあんまりとれてないみたいだな。今全力で眠っている。」
そう言われて担架の上の女性を見ると、確かにスースーと寝息が聞こえる。
「驚くじゃないですか、力尽きただなんて。けどそれじゃ、急いで温かいベッドに寝かせないと…。」
「だろ。だったら早く鍵を出せ。どっかその辺の壁でいいから、お前さんの家に開けろ。」
叔父さんにそう言われてハッと気がついた。言われるまで思い出せなかったが、僕の持つモリトの道具は緑の書以外にもうひとつある。白の鍵だ。この鍵はどこであれ鍵を挿した場所に移動用の扉を創り出してくれる。
「忘れてました、鍵のこと。」
大慌てで鍵を出す。これは僕とおじい様の間に契約を交わしたものなので、念じて手を合わせることで、その手と手の間に出せる。
「まあ、確かに忘れるよな。そうやらないと出てこないんじゃ。俺なんかだから出しっぱなしでズボンのポケットだぜ。」
叔父さんがそう言いながらニカッと笑った。僕はその間に『白の鍵』を取り出して、すぐ傍にある洞窟の壁にそれを挿した。挿された壁には、鍵を中心に白い扉ができあがっていく。できあがった途端に扉が開いた。
「開きました。うちの居間です。」
こうして女性をのせた担架が、後方から叔父さんに押されて白い扉の向こうへすべり込んでいった。
「まったく、飛び出していったと思ったら、ビックリするものを持ち帰ってきたわねぇ。」
母がそう言って、ベッドに横にならせた女性の顔をタオルで拭いている。隣にはヨホが、水を入れたコップを手に持って立っていた。
「奥様、お水でございます。」
「ありがとう、ヨホ。この子の体を起こすのを手伝ってちょうだい。」
両脇から母とヨホとに体を支えられて、その女性は体を起こした。そうして僕の目には彼女の銀色の髪が映り込んでくる。サラサラっと流れるまっすぐな髪の、頭の真上から毛先まですべて輝くような白銀の色をしていた。
「助けていただいて感謝します。」
銀の髪の彼女はそう言って少し頭をさげると、ヨホから水の入ったコップを受け取って口に運んだ。そうした仕草の一つ一つが僕の目をとらえて離さない。
「ゆっくりと飲んでね。そう、慌てないで。あとでおなかに優しそうな温かいスープを用意するからね。そうだ、今のうちに体も拭きましょう。」
母がそう口にしたので、僕は彼女に囚われっぱなしの目を強引に引きはがして、部屋の外へ向かうことにした。
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