雫―II
>記録。
>私達の脳内に巣食う暗号文。或いは暗雲に灯る照明。或いは呪い。
>その一つひとつに対した価値は無いけれど、しかしそれが無ければ人は生きていけない。しかしレプリカントならどうだろう。
>記録は単なる集積された情報に過ぎない。製造過程で記述された
>ならば、あらゆる物事はゼロとイチとに分類されるべきだろうか。結局どんなに美しいプログラムコードもゼロかイチかに
>レプリカントの見る世界を人間の見るそれと近づけたいのなら、人間の側が世界をゼロとイチに分類出来る脳みそに改良されるべきだ。
>君はどう思う、●●●●_
――意識の混濁から目覚めたのは、それから数分後。潮の匂いが鼻をつく。ざざあ。ざざあ。生を呼ぶ声が聞こえる。
「ファイ、ファイ、私が見える? ファイ!」
煤けた視界と焼き切れた聴覚を縫って、ミラだと分かる顔と声とが垣間見えた。彼女は泣いているだろうか。いや、泣いているような顔ができているだろうか。
「私のせいだ……どうかしてたんだ、私は……」
やめてミラ、貴方は何の責任も感じる必要なんて無い。私がサンを手放したくないと拒んだからこうなったの。だから、撃たれたのが私で良かった。
「私は……」
私は今、砂浜に横たわっているのだろうか。ならば背中にざらついた感触がするはずだが、何も感じない。ふわふわとした不思議な実感だけが伴っている。これを人は夢見心地というのだろうか。死ぬ間際って、案外楽しいものなのか。死ぬ、死ぬか。そうだった、レプリカントだって死ぬときは死ぬ。
ただちょっと、死に方が変なだけで。
「私は、罪を償う。必ずあんたを助ける」
視界が浮かんだ。ミラが私の身体を起こしたのだろう。彼女の胸元が眼前に迫る。シャツのボタンを取り、レイヤーを解除し、外骨格のロックが外れて内部機構が剥き出しになる。その中心には、心臓部が格納されている。
心臓部にはいくつものケーブルが伸びているのだが、その他にも穴がいくつかある。その内の一つは、こういう時の為にあるのだ。
「借りた分、いま返すよ」
心臓部の周囲には使用されていないケーブルが一本ぐるりと円を描いて収納されており、それを穴に差し込むと心臓部から循環されているAx2を排出出来るようになる。それをもう一方の心臓部の穴に差し込めば。
とくん。とくん。とくん。即席の輸血が可能となる。どんなに健康な内臓を持っていても、体中どこにも傷が無くとも、血が無くなれば人は死ぬ。レプリカントも同じことで、特定量のAx2が無ければあっという間にシステムが異常をきたしてシャットダウンする。
人間に近く、時に人間を超えた存在として。私達レプリカントは誕生したのだ。
ミラは私にAx2が供給されている間、ずっと私を抱きしめていた。とくん。とくん。私が失ったのはどれくらいの量だっただろうか。ミラに分けたのはどれくらいの量だっただろうか。いま、ミラが私に分けてくれているのはどのくらいの量なのだろうか。
とくん。とくん。ほんの数秒が果てしなく遠い道のりにすら思えた。その孤独にも似た延命治療が、ミラの温もりを思い出させるに十分なAx2を取り戻してくれた。
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