取引―I

 二十世紀初頭、ダンカン・マクドゥーガル医師は「魂の質量」についての論文を発表した。百年以上が経って尚、未だ議論の対象となる有名なものだ。

 人間は死ぬと四分の三オンス、およそ二十一グラムの減少が起こる。汗の蒸発等とは異なる不可解な数値であった為に、これがすなわち魂なるものが質量を持ち、死によってそれが喪われたというロジックだ。

 今では計測方法の杜撰さ、実験回数の少なさから科学的根拠の無いものだと見られている。しかし、数多のフィクションがこれを題材にしていたように、人々は魂というものの実在証明を心のどこかで期待していた。


 魂。目に見えぬ空白の器官が本当にあるとしたら、それは生と死とを明確に別つ境界線となる。そして魂の誕生と喪失があるのならば、喪われた魂には行き先があるかもしれない。それは天国か、あるいは来世か。

 

 多くの人間は死を極端に恐れる。それが何かを知る術が存在し得ないからだ。私達レプリカントのように、確実な終焉を持たない。心臓が止まっても脳は僅かな時間生きるし、脳死後数秒間は聴覚が機能し続けるという説もある。つまり人間はいつ死ぬのか、どうなると死と呼べるのかを把握出来ていない。

 だからこそ、魂の実在はその恐怖を和らげる要素足りうるのだろう。研究はニ〇五〇年においても続いていたが、それよりも人間性や知能といったレプリカントへの機能拡張を目的としたものの方が注目度は高まっていた。


 そんな中、何者かが提唱した。魂の実在と、その様式とを。それは科学的根拠を持たず、どちらかと言えば思想に寄っており、いわば宗教じみた内容であった。

 しかしごく少数ながらそれに同調する声があり、少しずつその輪は広がり、クローズド・サークルながらも「死を恐れ、しかし克服しようともがく者達」は独自に議論を進めていた。


 そして、ニ一三九年。つまり今現在。その勢力は最盛期を迎え、日本列島本土において最大規模の武力を手にした。

 それが『サイカ統一宗派』。彩華サイカとはくだんの魂に相当する概念である。

 彼らは人間に備わるサイカを信じ、それを持たぬレプリカントを異端と見做し排除するため活動している。魂を持つ最上位生物たる人間の復権を目的とし、今一度歴史を取り戻す。その為に、私達を殺しに来たのだ。


「つまりは落日カタストロフの再演と言ったところだ。タロザのように理解を示してくれるような連中じゃない」


「あんたは何でそんな奴らを知っているんだ。あいつ、って言っていたな。知り合いがいるのか?」


「……まあ、知り合いと言えば知り合いか。奴らの長、教祖と呼ばれている奴とはちょっとした因縁がある」


 ふうん、と含みのある返事で、ミラは彼の返答を飲み込んだ。窓枠が落ち、むき出しになった壁材に肘を付きながら煙を吐く。

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