襲撃―I
――レプリカントの表皮は薄く柔らかい。人間の肌に近くなるよう、あえて機能を持たない素材を骨格との間に挟んであるからだ。排熱の面では非効率的だが、人間らしさという呪いを解く上では必要不可欠である。
故に、私がその両手に受ける感触もまた人間のように錯覚させられる。同じように脊椎があり、同じように大動脈がある……ように感じられる。
理由は分からない。とにかく私は目の前の生き物の息の根を止めたいと思った。だから渾身の力を込めて首筋に爪を立てている。
ミラは……表情を変えなかった。何の感情も浮かべず、ただじっと私を見つめていた。人間のように呼吸を乱す事も、人間のように暴れもがく事も、人間のように涙する事もない。
当然だ。私達は人間じゃないのだから。
波が跳ねては引いていくように、私の殺戮衝動もまた、少しずつ冷めていった。耳鳴りのような感覚と共に、ゆっくりと両手を解いた。
「それじゃあ私達は殺せないよ」
怒るでもなく、恐れるでもなく、ミラは微笑みかけた。彼女の言うとおり、首を絞めたくらいでは死なない。だけれど、本当にそんな返答で良いのだろうか? あまりにも、優しすぎる。
「ファイのスペックから言えば、せめて
「……ごめんなさい……」
ざあん、と波が私を叱責する。ちゃぷりちゃぷりと浮かぶ赤子の出来損ないが、私を嘲笑する。
羞恥心でも後悔でもない。私は私自身を今とても恐れている。
「気にすんなよ、思考プロセスの不具合か何かだろ」
ミラは砂に落ちたチップを拾い上げ、海に向かって投げ捨てた。データさえ吸い上げてしまえば、元となる媒体に価値は無くなる。物体が持つ唯一性なんてものは、より強固な利便性の前では張子の虎だ。
くるくると回転しながら水面へ飛び込んだそれを、二人で見送った。
「さて、帰ろうか」
彼女は子供を――「サン」の方を見て、
「少年、君の名前は今から『サン』だからな。ちゃんと覚えろよ」
ふふ、と笑い一足先に砂浜を歩き始めた。慌ててサンを抱き上げて追いつこうとしたが、その背中から煙が見えたので歩を緩めた。
これも彼女なりの気遣いなのだろうか。それとも単に、吸いたくなっただけなのか。当然レプリカントにニコチン依存なんてものは起こらない。ならば彼女は何の為に煙草を吸っているのだろうか。
サンの顔を見ながら、一人呟く。
「怖かったかな、ごめんね」
彼の濁りのない目を見て安らぎを覚えたと同時に、静けさが支配する海岸線にけたたましい音が響き渡った。
「銃声……?」
私の問いかけに、彼女は背を向けたまま頷いた。煙草を踏みつぶし、やっぱりな、と呟いた背中には明らかに憤怒の感情が見受けられた。
彼女は空のある方を睨んで、こめかみを指差した。意図を汲み取り、直接通信で声を飛ばす。
〔監視者がいるの?〕
〔銃器を使っている以上、間違いない。場所もそう遠くねえだろう〕
〔どうするの?〕
〔隠れ家に戻るしかねえな。心許ないけど、あそこが一番安全なんだ〕
ミラはそう言って手を差し伸べた。私を離れさせない為なのだろうけれど、今はサンを抱きかかえている。それに気付いたからか、彼女はその手を引っ込めて再び背を向けた。
〔……
少し、悲しそうな声色だった。感情タグが付いていたわけでもないのに、なぜかそう感じられた。
遠くで何かが叫んでいる。監視者だろうか。きっと攻撃的な言葉を吐いているのだろう。
ああ、どうして。ここには静かで穏やかな場所は無いのだろうか。
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