偽りの樹―IV
再び通信が入った。子供を抱きかかえたまま、視線を少しだけ下げる。機械である以上、足元に意識を向けなくとも躓く事はない。視野角は人間のそれより遥かに広いが、これは「らしさ」を演出するためのプログラムに過ぎない。いわゆる人間的振る舞いだ。
「よう
彼女は笑っていた。声だけで分かるくらいには。
「……その単語は差別用語です。二〇四四年、
「知ってるよ。あれから一度も取り消された事はないが、あれから一日だってこの世界から消えなかった言葉だ」
「何が言いたいんですか」
「感情なんてものは大した価値を持たないって話だよ。利便性を前にすれば容易く変化を容認し、その一方で未知数の事象には頑なに異を唱える。私達はその典型さ」
ざり、ざり。彼女の声は私の内部にしか響いていない。もし今、この不愉快な持論をミュートしてしまえば私の足音だけが聞こえるだけだろう。
どちらの方が耳障りの良い音かは明白だが、しかし彼女の言葉は真実でもある。
確かに迫害は根絶しなかった。日本にいようがアメリカにいようがそれは変わらない。どの国にもレプリカントを忌み嫌う人は存在した。
その多くは低所得者層で、私達の量産により職を奪われたり、冷遇を余儀なくされた者たちだ。
それだけならじっと耐える覚悟をしていた。恐らくはレプリカント全個体が。メタトロンのフォーラムでも人間の生活圏にまで影響を及ぼしてしまうことに対する葛藤は数多く寄せられていた。
だが事はそう単純でもない。オーナーの親族がそうであったように、「人類至上主義者」のデモ団体はどちらかというと裕福に分類される者が殆どだった。
つまり私達がいようといなかろうと、収入にさほど影響の無い立ち位置にある。
にも関わらず、彼らは私達を糾弾し続けた。なまじ低所得者層より財力も結束力もあったから
貧しい人々は現実を見ている。レプリカント一体を暴行したとて現状は変わらないし、もし破壊してしまえば逮捕される。
だから適当に傷付ければそれで終わりだった。単なる憂さ晴らしが大半なのだ。
人類至上主義者は幻想を見ている。私達を徹底的に痛めつけ、侮蔑し、迫害し、一つ残らず抹消されるまで止めることがない。
暴力を振るったって痛覚が無い。勿論それも方法の一つとしてしばしば選ばれていたが、どちらかというと思想の誇示が主だった。
私達がいかに残酷で不気味で廃棄すべき存在かを、真偽問わず吹聴していた。
レプリカントが人間を殺したという事件が起きた際には、調査の結果主義者の一人が人格レシピに細工を施し、強制的に殺害させたと明らかになった。
被害者はレプリカント容認派として有名な学者で、大学の講義の帰り道、大通りの真ん中で刺殺された。
返り血を浴び、
そのコントラストを映した映像は大論争を引き起こしたが、主義者の手により真実は黙殺された。
どういう経路で暴かれたかは不明だが、ネット上の誰かがリークした情報によりこの一連の真相は人々に知れ渡ったわけだが、マスコミは口を閉ざすし治安維持隊もレプリカントにハックを仕掛けた実行犯を捕縛しただけだった。証拠不十分で保釈され、その後間もなく何者かに殺されたらしい。
そんな醜い争いが、二十一世紀中期ですら起こっている。人類に愛想を尽かす個体が出ても、否定は出来ない。
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