第37話 闇からの手

 アプリコットは、人気のない路地裏を息切らせながら走っていた。


「いたか! いやこっちにはいねぇぞ!」


 悔しい、昔から体は丈夫な方ではなかった。クエストに参加できたシャルメルさんが羨ましかった。逞しいアデム君に憧れた。快活なチェルシーさんに憧れた。


「悔しい」


 追手の人たちの声が聞こえてくる。彼らは何故私を追いかけているのか、何のきっかけで追いかけっこが始まったのか、それすら覚えてないかもしれない。

 只々、弱者をいたぶるのが好きなだけ、そう言った人たちだろう。


「こんなにも綺麗な街なのに」


 淀みはたまってしまうのか、人は結局そう言う弱い生き物なのか。

 皆からはぐれ、逃げやすい所に進んでいくうちに、何処にいるのか全く把握できなくなってきた。バタバタと慌ただしく走る音が聞こえるたびに、物陰で恐怖に身を竦める。

 怖い、怖い、怖い。


「助けて、アデム君」


 アプリコットがそう呟いた時だった。一見唯の壁にしか見えない木戸がずれ、そこから幼い声が響いて来た。


「お姉さん、困ってるの」


 アプリコットは小動物の様に体を震わせつつ、その声に返事をする。


「おっ、追われているんです」

「あいつ等ね、私達もよくいじめられているの……匿ってあげようか」


 アプリコットにはその声が天使の囁きに思えた。アデムたちに迷惑を掛けないため、先ずは身の安全を確保することが急務だった。


「おっ、お願い、匿って」

「……お姉さんいい人そうだから匿ってあげる。けど……私の事は見ないで」


 開いた隙間からか細い腕が伸びてくる。アプリコットはその手を取って、暗がりの中へ消えていった。





「マジで、イラついてきやがった、テメェら容赦しねぇぞこら!」


 わらわらとゴブリンの様に湧いて出てくるゴロツキ連中に、焦りと怒りで感情が乱れて来る。

 なにか愉快な薬でも決めてるかのように、奴らは俺の事を無視して狩りに夢中になっている。


「くっそ! 警らの連中は何してやがる!」


 モグラたたきの様に潰して行っても、奴らは次から次へと現れる。自分の手の短さに辟易する。神父様ならこう言った事になる前に、上手く対処出来ていた筈だ。

 最初から容赦なく、骨の一本でもへし折っておけばよかった。

 後悔先に立たず、一度火のついてしまったゴロツキたちは目の色変えて狩りを楽しんでいた。


「くそ! 群れのリーダーは何処だ!」


 俺の言う事を聞かないならば、群れのリーダーを従わせるのが手っ取り早い、俺はゴロツキ連中を蹴散らしながら、そいつを探し始めた。





「どうぞ、ここは安全だよ」


 その少女は奇妙な格好をしていた。暗がりだと言うのに、分厚いフードを目深にかぶり、夏だと言うのにマフラーで口元を隠していた。


「ありがとう、私はアプリコット。アプリコット・ローゼンマインと言います」

「そう、私はヘンリエッタ。好きに読んでくれて構わないわ。

 アイツらしつこいけど飽きやすいから、もうしばらくじっとしていたら収まると思う」


 闇に溶け込むように、ポツリポツリと少女はそう漏らした。


「そうですか、助かります」


 怖そうだけど、良い人で良かった。アプリコットは遠慮がちに少女から少し離れて腰掛ける。

 回復魔術では体力の回復は望めない、静かに深呼吸をし、乱れた呼吸を落ち着ける。


「……なぜ、追われてたの?」

「さぁ分かりません。最初はスプーキーさんに因縁を付けていたようなのですが」

「スプーキー? あなた彼の知り合いなの!?」

「いっいえ、私はスプーキーさんの知り合いの知り合いです。縁あって彼にこの町を案内して頂いてました」

「それで、貴女みたいなちょろそうな女を連れているスプーキーにいちゃもん付けて来たって訳ね。全く暇なんだから」


 共通の名前が出て来たからか、少女は少し砕けた雰囲気になり、アプリコットに接し始めた。

 アプリコットは『ちょろそうな女』と言う評価に肩を落としつつも、何とか踏ん張り少女との会話を続ける。

 

「あっ、あの貴方はスプーキーさんとはどういったご関係なのでしょうか」

「……初対面の私に、随分と踏み込んでくるのね」

「すっ済みません」


 乱れた呼吸が、乱れた思考を生み、自分としたことが踏み込み過ぎてしまったと。アプリコットは小さくなる。


「はぁ、まあいいわ。聞かなかったことにしてあげる。それよりも貴方の言っていた彼の知り合いって誰の事? 彼には貴方みたいな上品そうな知り合いはいなかったはずだけど」

「はいアデムさんの事です」


 アプリコットはにこやかに笑ってそう答える。彼女の自慢できる友達だ。


「あっアデムですって! 彼この街に来てるの!」

「えっ! アデムさんをご存知なのですか!?」


 少女の叫びに、温もりが籠った驚きを感じたアプリコットは反射的にそう尋ねた。


「ちょっちょっとした縁があるだけよ」


 少女はぷいっと横を向く。そのしぐさかに、アプリコットの乙女センサーは反応し、マフラーの下の赤らめた顔を幻視してしまう。

 またか、またなのか。

 いや違う、この少女の方が先なのだ、アプリコットはその事に気が付いてしまい、肩や胃が重くなる。


「うぅ、アデムさん」


 アプリコットの傷ついた胃から吐き出された言葉に今度は少女が反応する。


「はぁ、貴方もなのね」

「ひゃっ? なっなんの事でしょうか」

「大体想像できるわ、あの無自覚女たらしに何かやられたんでしょ?」

「べっ別に。私は、その……」

「けど駄目よ、違うの。それは唯あいつの眩しさに目がくらんでしまっただけ」

「えっ……」

「違うのよ、日陰者に光が当たってしまい、それを希望と勘違いしただけなの」


 少女の口調は部屋の暗がりの様に重くなり、フードの下の目が隠れる。


「ちっ! 違います!!」


 アプリコットは立ち上がりそう叫ぶ。自分みたいに根暗で一人では何もできない女に声を掛けてくれた彼は、確かに誰にでも優しく接してくれる、掛け値なしの良い人だ。そしてその眩しさに目がくらんでしまった事も事実だ。けどその事を負い目に感じる必要なんて何一つない。

 少女はアプリコットの突然の大声に反応し顔をあげた。そしてその反動で被っていたフードがずれ――


「――!?」


 額に鈍く輝く角が露わになった。





「はぁはぁ、今日の奴らは随分としつこいぜ」


 そう言いつつ、ここまでくればもう安心と、背後を振り返ったスプーキーは背筋が凍る思いをした。


「ちょっと! 何止まってるのよ!」


 チェルシーは、そう文句を言いつつ、彼の顔色に気が付き背後を振り向く。


「えっ? アプリコットたちは何処?」


 そこにはアプリコットとカトレアの姿は無く、ゴミの散らかった路地裏が広がっていただけだった。


「おい、追手は粗方片づけたぞ」


 その声と共に、建物の屋上からアデムが舞い降りる。


「っておい、アプリコットたちはどうした」


 アデムの問いに、スプーキーはからからになった喉を鳴らしたのであった。

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