第61話 相応しき者は
私が見守る前で、かつて私が愛した男性と、現在私が愛する男性が剣を構えて向き合っていた。
「く、く……貴様の話を密偵に聞いた時から……貴様とは絶対に相容れんと確信していた。貴様だけは……何があっても生かしておく訳には行かん」
満身創痍の体で眼前に立つサイラスの姿に、アルバートの口の端が残忍に吊り上がる。
「私も……つい先程同じ結論に至ったよ。私の未来は……お前を排除した先にしか無いようだ、とね」
サイラスは苦しげな調子で挑発を返す。剣を構えるが、到底闘技場で見たような堂に入った構えではない。辛うじて剣を支えている、といったレベルだ。
「くくく、排除されるのはどちらか……なっ!」
「……!」
アルバートが先に動いた。熟練の騎士もかくやという凄まじい踏み込みで接近し剣を薙ぎ払う。
サイラスはその薙ぎ払いを剣で受けるが、それだけで彼の身体がよろめく。アルバートの斬撃を踏ん張れる程の力が残っていないのだ……!
アルバートが容赦なく追撃を繰り出す。サイラスは反撃すらままならず瞬く間に防戦一方となる。いや、
躱しきれなかったアルバートの剣がサイラスの肩口を切り裂く。アルバートの突きがサイラスの脇腹を掠る。そしてアルバートの斬り上げがサイラスの太ももを斬り裂いた!
「……ッ!」
流石のサイラスも苦痛の表情を隠せずに、その場に片膝を着いてしまう。出血ももう限界のはずだ……!
「サイラスッ!!」
もう見ていられずに思わず駆け寄ろうとするが、後ろからガシッと肩を掴まれて制止された。
「耐えろ。ここでお前が行けば全てが台無しだ」
「……っ。ルーベンス!?」
それは【暴君】ルーベンスであった。堂々たる体躯の彼に掴まれては、私はそれを振り解けない。
「奴自身が言っていただろう。これは試練だ。奴がお前の横に並び立てる
「……!」
ルーベンスの言葉にジェラールも頷く。
「そうだ。奴はお前に信じろと言った。お前は何があってもサイラスを信じるのでは無かったのか?」
「……ッ!」
その言葉が冷水となって沸騰しかかっていた私の頭に浴びせられた。
そうだ……。私は……彼を、信じると、約束、したのだ……! 私は割れんばかりに歯噛みしながらサイラスの苦境を見守る。
私達が喋っている間にも、アルバートは嗜虐的に表情を歪めながらサイラスを嬲っていた。
「ははは! 死ね! 死ねっ! 死ねぇっ!! 貴様は目障りなのだっ!」
「……っ!」
狂ったように剣を振るうアルバートの前に、更に傷を増やしたサイラスは完全に限界を迎えようとしていた。だが彼はそんな状況にも関わらず口の端を吊り上げて笑った。
「……哀れだね。王女の想い人という立場に胡座を掻いていた者の末路は」
「……何だと?」
アルバートが目を剥く。この状況でサイラスから挑発されるとは思ってもいなかったらしい。
「彼女が他の男と懇意になる可能性を少しも考慮しなかったのか? 挙げ句に彼女の意思を無視して、自分の感情だけで先走って彼女を悲しませるような命令を強引に下す……。お前は結局『姫に愛されている自分』に酔っていただけだろう?」
「……っ!!」
「お前に彼女の隣に並び立つ資格はない。身の程を知るが良い、下郎」
「……だ、黙れ……。黙れ! 黙れぇっ! 貴様ぁぁぁぁっ!!!」
サイラスのむしろ淡々とした静かな口調で告げられたその言葉に、アルバートは瞬間的に激昂した。サイラスの頭を叩き割らんと、剣を大上段振りかぶる。
しかしそれは優れた騎士であり、今の戦いの最中でも怪我人のサイラス相手に、その実決して油断せずに慎重に相手の体力を削る堅実な戦い方をしていたアルバートが初めて見せた
それを
その瞬間だけ全身の傷が沈黙したかのように凄まじい勢いで身を跳ね上げたサイラスは、裂帛の気合と共に……アルバートの心臓を狙い過たず長剣で刺し貫いていた!
「お…………」
アルバートが信じられない物を見るような目で、自らに刺さった剣を眺めた。そして、その口から大量の血液を零し、剣を取り落とした。
「ひ……ひ、め……」
「……アルッ!」
私は彼の……一度は愛した男性の視線を、目を逸らす事なく受け止めた。どうにもならなかった。彼がサイラスとの共存を図ってくれさえすればこのような事にはならなかった。
だが彼はあくまで自分の感情を優先し、サイラスを殺す事に拘った。これは……避けられない事態だった……。
アルバートが白目を剥き、そのままゆっくりと地面に倒れ伏す。そして二度と動き出す事は無かった。
「…………」
私は目を閉じ、彼にせめてもの黙祷を捧げた。
「ぐ……う……」
「……! サイラス……!!」
そして苦しげに呻いて、その場に崩れ落ちるサイラスの元に駆け付けた。彼の側に屈み込んで抱き起こす。
「サイラス、大丈夫ですか!? しっかりして下さい!!」
「う……カサンドラ……。どうやら私も……自らの『運命』を切り開けたようだ……」
「……! ええ! そうです! あなたは運命に打ち勝ったんです! 私、信じていました!!」
涙ながらに泣き笑いのような調子になってしまう。だがそんな私を揶揄する者が……
「ふ……その割には俺が止めねば飛び出していたように思えたが?」
ルーベンスだ。私は動揺から一転して赤面する。
「も、もう……! からかわないで下さい!」
と、ジェラールも近づいてきた。
「サイラス、見事だった……」
「ジェラール……ありがとう」
「ふん……だが流石にもう限界のようだな。今の貴様には早急な治療が必要だ。とりあえずこの闘技場の医務室まで運ぶぞ? この混乱だがまだいくらか使える薬や包帯も残っているだろう」
「……!! そうですね、すぐにお願いします!」
サイラスの怪我はまだ意識があるのが不思議な程の酷さだ。すぐにでも応急処置をしなければならない。
「俺が運ぼう」
巨体が進み出てくる。【鉄壁】のアンゼルムだ。彼は屈み込むと意外な程繊細な動作でサイラスの身体をそっと抱きかかえる。
「カサンドラ……済まない。後の事は君に任せるよ。この瞬間から君は……大国エレシエルの王女に、いや『女王』となるんだ。その立場が君にやるべき事を教えてくれる」
「……! 『女王』……」
アンゼルムに抱えられたサイラスは青白い顔をしながら、それでも私に道を示してくれた。
「ジェラール、ブロル……。済まないが私が動けるようになるまでの間、カサンドラの補佐を頼む」
サイラスは2人にも顔を向ける。彼等は一様に頷いた。
「ああ、任せておけ。貴様は自分の怪我を治すのに専念しろ」
「……承りました。不詳このブロル、身命を賭して殿下を支えましょう」
「ふ、2人とも……ありがとうございます」
ブロルは地方貴族とはいえ元は伯爵だ。ジェラールの出自は詳しく聞いた事が無かったが、サイラスが信用している事からも、それなりに由緒正しい出なのかも知れない。
彼等が補佐してくれるというなら正直ありがたかった。
そしてサイラスはアンゼルムに抱えられながら医務室へと向かっていった。ヨーンとデービス兄弟の3人も治療の手伝いと護衛の為に、それに同行していってくれた。
それを見届けて私は、連合軍のアリウス公子の方を振り返った。
「アリウス様……このような姿で失礼致します。お久しゅうございます」
「……正直この事態に混乱してはいる。だが貴女は間違いなくカサンドラ殿下御本人であり、そしてあのサイラスという御仁もイーストフィールド公爵家の者だと証明された……」
アリウスは私に対して貴人の礼を取った。
「であるならば、貴女をエレシエル王国の正当なる後継者だと認めましょう。我ら少国家同士は所詮その場だけの同盟関係。我らだけで大国ロマリオンの圧力に抗する事は到底不可能。いくら『切り札』があるとはいえ……」
アリウスはチラッと、兵士に囚われて縛られ猿轡を噛まされているロマリオン皇女、クリームヒルトの方を見やった。
「我らが生き残りその後も末永く存続していく為には、どうしてもエレシエル王国に復活してもらわねばならない。貴女がその役を担ってくれるのであれば、我らは喜んでその復興のお手伝いをさせて頂きましょう。きっとハーティアのエリザベート公女も、貴女の事を知ったら喜ばれるでしょうし……。彼女もこの作戦には色々と貢献してくれていたのですよ?」
「……! そうですか、エリザベート様も……」
精神的には姉とも慕っていた彼女とまさか再会できようとは思ってもいなかった。
私は一度この闘技場を見回した。
……ここで過ごした1年余は、それまでの17年程の人生を併せたものより遥かに濃い体験であった。だが様々な人間と出会い、厳しい訓練を続け、様々な戦いを勝ち抜く事で、肉体的にも精神的にも大きく成長できたのは間違いない。
サイラスという運命の相手とも出会う事が出来た。そう考えるとここで過ごした時間もそう悪い物ではなかったかも知れない。この街に……剣闘士としての生活に、妙な居心地の良さを感じていたのは事実だ。
「…………」
私はかぶりを振った。
だが私には使命がある。この街で安穏としている事は許されないのだ。
私は再び目を閉じた。アルバートに、シグルドに、マティアスに……そして私がこの街で戦い、またその死を見届けた全ての者に深い黙祷を捧げた。
そして全ての迷いを断ち切るように目を開いた。
「アリウス公子……あなた方の助力、喜んで受けましょう。宜しくお願いします。今日ここに私はエレシエルの『女王』として、王国の復興を宣言致します!」
「……!」
アリウスや周囲の兵士達も雷に打たれたように
こうして今日この日より、私のもう一つの戦い……即ち、新生エレシエル王国の復興と、ロマリオン帝国との戦いが幕を開けたのであった…………
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