第60話 貴種流離譚

「生きて……いたのですね?」


「ええ、その通りですよ、姫。シグルドの剣は僅かに急所を外れていました。そして私は貴女をお助けせねばという執念で生き延びたのです。長らくお待たせしてしまいましたが、ようやく貴女をお迎えに上がる事が出来ました。さあ、私と共にエレシエルを復興させましょう!」


 何か仮面に仕掛けがあったのだろう。その声は私のよく知るアルの声となっていた。


 私に向かって手を差し出すアルバート。私がその手を取ると全く疑ってもいない様子だ。



「ど、ど、どういう事だ! 貴様……我らを騙していたのか!?」


 アリウスが激昂して詰め寄る。だがアルバートは何ら動じる様子がない。


「王族という影響力が無ければお前達を動かせないと思ったのでな。それに騙してなどいないぞ? こうして姫という、れっきとしたエレシエルの王族が存命しておいでだ。王国を復興するのに何も問題はあるまい?」


「……っ!」


「しかも奇襲作戦も成功し、シグルドも死に、皇女も手中に収めた。実際にロマリオンに追い詰められていたお前達にとってはいい事ずくめであろう? 結果が全てだ。何の問題がある?」


「ぬ……ぐ……!」


 アリウスが憤怒に顔を歪めながらも、何も反論できずに押し黙る。アルバートは私の方に向き直る。


「さあ、姫、どうなされたのです? 早くおいで下さい。私達2人でエレシエルを復興させようと誓ったではありませんか」


「……!」

 私は、遠い……遠い過去の情景に思いを馳せる。あの頃の私は……サイラスに出会っていなかった。私はきっぱりと首を横に振る。


「アル……あなたが生きていてくれた事、心より嬉しく思います。しかし、サイラス達への沙汰は撤回して頂きます。そして王女として命じます。彼等へ謝罪し、しかるべき報奨を約束しなさい」


「……っ!!」

 アルバートは心の底から驚愕したような様子を見せた。


「ひ、姫……? 何を仰られるのです? ……よもや私よりもその色事師を選ぶと仰せられるのではありますまいな?」


 アルバートが目を細め、その声のトーンが低くなる。ここで私は悟った。彼はどんな事をしてでもサイラスを抹殺する気だ。決して相容れる事は無いだろう。


 これは私が招いてしまった事態でもある。悲しい事だがアルバートがサイラスを憎むのは仕方がない事なのかも知れない。


 彼は私の為に死の淵から生還し、こうして私を救い出しに来てまでくれたのだ。それなのに私の心が既に別の男性にあるなどという事実を突きつけられて平静でいられるはずがない。


 だが……それを解っていても、サイラスを排除し抹殺しようとする行いを看過する訳には行かなかった。


「アル……とても残酷な事を言っているのは解っています。しかし、私はこのサイラスに今まで数え切れない程助けられてきました。彼がいなければ、私はとうにこの街の共同墓地の下に埋まっていたでしょう。彼なしの人生はもう考えられません。私は……彼との未来・・を考えています」


「――――っ!!!」


「カ、カサンドラ……」


 遂に決定的な言葉を口にした。アルバートが身体を硬直させて絶句する。反対にサイラスは目を見開いて感動に打ち震えたような声を上げる。


「あ、あり得ん! そんな事は絶対にあってはならない! 姫っ! 貴女はご自分が何を仰っているのか理解しているのですか!? 由緒正しきエレシエルの最後の王族たる貴女が……そんなどこの馬の骨とも知れぬ下賤な色事師と、み、未来などと……!?」


 現実を受け入れられないアルバートが喚き立てるが、何と言われようと私の心は変わらない。


 するとそこで意外な人物が口を挟んできた。


「……身分とやらが問題なのか?」


「ジェ、ジェラール……?」


 それは【氷刃】のジェラールだった。彼は何故か薄く微笑みながら私の方を見た。


「カサンドラ、あの時のお前の言葉に嘘は無かったと証明されたな。……サイラス、もういいだろう? 今明かさずにいつ明かすのだ?」


「……?」

 ジェラールは続けてサイラスに謎の言葉を投げかける。明かす? 明かすとは何の事だ? 


「そう……だな。彼女の気持ちを聞く事が出来た。ならば私も……もう隠し事はなしだ」


「サ、サイラス?」


 ジェラールの言葉を受けて、何かを決心したような表情で進み出るサイラス。



「カサンドラ……私の本当の名前・・・・・は、サイラス・カイム・イーストフィールドと言うんだ」



「……え?」

「な……」


 私だけでなく、アルバートやアリウスさえも唖然とした目をサイラスに向ける。


「ま、まさか……。いや、しかし、言われてみれば……」


 正真正銘エレシエルの元貴族だったブロルが、顎に手を当ててサイラスを仰ぎ見る。



 イーストフィールド。それは……エレシエルの2家しかいない公爵家・・・の一方、建国以来代々武門の棟梁として名高い、王国の直臣中の直臣の家名であった。



「当時イーストフィールド当主だったフォルダム公爵には双子・・の男児が生まれた。その一方が私だったんだ」


「……!」


「君も知っての通り、エレシエルでは双子はその家を断裂させてしまうという不吉の予兆とされて一方は殺されてしまう悪習があったけど、幸いにも両親はそれを忍びないと感じる情の厚さがあった」


「…………」


「そして密かに私をハーティア大公国のとある家の子として預けた。マクドゥーガルはその育ての親の家名なんだ」


 意外と言えば余りにも意外な事実に、私は呆然としていた。だが……そういう目で思い返してみると確かに彼には、その言動や細かい所作に至るまで市井の人間にはない独特の気品と威厳のようなものがあった。


 ブロルもそれに思い至ったのだろう。


 あれは後天的に身につくようなものではない。それは彼の内に流れる、何世代もの中で洗練された血筋の為せる業だったのだ。具体的な根拠は無いにも関わらず、私はごく自然に納得していた。いわゆる貴種流離譚という物だ。 


 だがそれに納得できない者も当然おり……


「ふ、ふ、ふざけるなぁっ! 貴様が……イーストフィールド家に連なる者だと!? あり得ん! どうせ騙っているだけであろう!? 確かな証拠など何もあるまい!」


 アルバートだ。彼は侯爵家の出身なので、もしサイラスが本当にイーストフィールド家に連なるのであれば、身分を盾に彼を弾劾する事さえ出来なくなる。


 だが確かに普段のサイラスの人となりを知らない者達からすれば、何か証拠を出せというのは当然の話だ。後ろではアリウスもその意見に頷いている。


 イーストフィールド家はシグルドとロマリオンの侵攻によって、国と共に滅ぼされ当主も……そしてサイラスの兄弟たる人物も亡くなっている。双子の事を証明できる人物がいないのだ。


「証拠か……これで足りるかな?」


 サイラスは予期していたらしく、何ら慌てる事なく腰の後ろを探る。そして一つの小さな宝飾品を取り出した。それは、馬と鷲が合体したような魔物……ヒポグリフを象った指輪であった。


 ヒポグリフはイーストフィールド家の家紋に使われている魔物でもあり、一族の者はそれを象った装飾品を身に着ける習わしがあった。


「指輪の裏には父から私に送られたメッセージも刻まれている。何なら鑑定でもしてみるか?」


「ッ!!」


 当主のメッセージまで刻まれた、ここまで精巧な贋作などまずあり得ない。そもそもイーストフィールド家が滅びたのは戦争の最終局面……つまりはまだ2年も経っていない時期だ。


 それまでは当主達は存命だったのだから、当事者たちに確認すればすぐに判明するような事実を騙る為だけに、こんな精巧な贋作を作る意味は無いし、何より騙るにはリスクが大きすぎる。


 間違いなくこれは、サイラスがイーストフィールド家の生き残りである事を示す、絶対の証拠だ。事実、アリウス公子の方は完全に納得した様子であった。


 だがそれを受けてアルバートは……


「……認めん。絶対に認めんぞっ!! 貴様などが……貴様などにぃぃぃっ!!」


 アルバートはサイラスに剣を向ける。



「剣を抜けっ! 貴様に……決闘・・を申し込むっ! 貴様が本当にエレシエル貴族だと言うのなら、当然受けて立てような!?」



「な……何を言うのです!? 馬鹿な真似は――」


「――いいだろう。受けて立とう」

「サイラスッ!?」


 サイラスが剣を抜き放ったのを見て私は驚愕した。無茶だ! 今のサイラスは、ラウロやハオランから重傷を負わされたままの、立っているのもやっとの状態なのだ。


 アルバートの剣の腕は私も良く知っている。この闘技場で言うなら最低でも【グラディエーター】ランク、もしかすると【ヒーロー】ランクにも匹敵しようかというレベルだ。


 普段ならともかく今のサイラスでは万に一つも勝ち目はない!


「カサンドラ……これは私が乗り越えなければならない試練なんだ。君との……未来・・の為にね」


「……ッ!」


「君がシグルドに打ち勝って自分の運命を切り開いたように……私も私の運命に立ち向かってみせる」


「サ、サイラス……」


 私は涙が溢れそうになる。叶うなら彼を止めたい。でも……そう言われては止める事は出来なかった。彼はシグルドとの対決に臨む私を送り出してくれたのだ。ならば私も彼を信じて送り出さねばならない。


「大丈夫だ……私を信じてくれ」

「……ッ! わ、解りました……信じます、サイラス!」


 彼はふっと微笑むと、血の気の失せた青白い顔のままアルバートの方へ向かう。その後姿に私の心は不安で張り裂けそうだった。


「大丈夫だ、カサンドラ。奴は例え万全の状態でなかろうが、あの程度の小物には負けん。奴を信じろ」


「ジェ、ジェラール……」


 彼は何故かサイラスの勝利を疑っていないようだった。その泰然とした姿を見て、私の心にも若干の落ち着きが戻った。

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