第14話 【マーセナリー】女の天敵

 【マーセナリー】ランクに昇格した私は、その後も同ランクの剣闘士との試合に勝利し、順調に勝ち星を上げていた。


 今日は再び魔物との対戦があるそうだ。どんな魔物なのかは教えて貰えなかった。ルアナからは「見てのお楽しみよ。でもあなたの今のランクからそう外れた魔物は出さないから安心しなさい」とのありがたいお言葉を頂戴した。


 アナウンスの紹介と共にアリーナの中央に立つ。私の姿を見た満員の観客達から歓声が沸き起こる。正面には赤の門が見える。あの奥に今回の「対戦相手」がいるはずだ。



『さあさあ、皆様お待たせしました! 今日の特別試合の『処刑人』の紹介です! 果たしてどんな魔物が登場するのか、百聞は一見にしかず、早速入場だぁっ!!』



 赤の門が上にスライドする。その奥から姿を現したシルエットを見るや……私は眉根を寄せて、対象的に観客達――主に男性達――は興奮したように歓声を張り上げる。



 優に2メートル以上ある灰色がかった巨体。でっぷりと太った体型。丸太のような腕には無骨な棍棒を所持している。そしてその顔は……豚と同じ形状をしていた。


 豚鬼オークと呼ばれる魔物だ。脅威度はレベル3に該当する。その体格に見合った怪力と耐久力の持ち主だが、何よりもこの魔物を特徴足らしめているのは――


「グフッグフッ イ、イイ女……。オ、犯ス……犯シタイィィッ!!」

「……ッ!」


 余りのおぞましさに私は一歩後ずさる。オークはそれを見て増々興奮して涎を大量に垂らす。その腰を覆う粗末な腰布が内側・・から激しく突き上げられて屹立していた。



 ――そう、この異常な性欲・・こそが、この魔物を特徴づける最も有名な要素であった。奴等の大好物・・・は……人間の女。それもこんな成りをしている癖に、その美醜の基準が人間と極めて近いときている。


 奴等は集団で村や街を襲い、男は殺し喰らい、女は連れ去って苗床・・にする習性がある。その為オークの群れは発見され次第、軍による討伐が推奨されている。



 オークの目には私は極上の獲物に映っているようだ。


「ブフオォォォォォッ!!!」


 興奮に我を忘れたオークが狂乱したように棍棒を振り上げて迫ってくる。その体型からは考えられない程の健脚だ。肥満した人間のそれと異なりオークの肉体はその殆どが筋肉で成り立っている。鈍重そうな見た目よりも遥かに俊敏だ。


 私は即座に迎撃体勢を取る。と言ってもオークの一撃をまともに受ければ盾ごと吹き飛ばされるだろう。一撃でも貰ったら終わりだ。


 オークが横殴りに棍棒を振るってくる。唸りを上げて迫るそれを、私は冷静に軌道を見切って半歩後ろに下がって躱す。


「ブフッ! ブホッ! ブホォッ!!」

「く……!」


 オークは不潔な涎を撒き散らしながら狂乱したように棍棒を振り回してくる。その勢いに押されて私は後退を余儀なくされる。


 技術など何もない力任せの攻撃だが、それだけに恐れを知らないその狂戦士じみた猛攻は、人間相手の戦法が通じない。だがこのまま防戦を続けていても勝ち目はない。


 オークの体力や持久力は人間を遥かに上回るのだ。確実に私の方が先にヘバッてしまう。そうなる前にこちらから攻めねばならない。


「グフォッ!!」


 オークが大上段から棍棒を振り下ろしてくるのを辛うじて躱す。オークはその勢いを殺すのが間に合わずそのまま硬い地面に棍棒を打ち付けてしまう。


 自身の怪力が棍棒を伝ってそのまま身体に伝播し、オークが思わず棍棒を取り落とす。今しかない!


 私は小剣を構えて側面からその醜く太った横っ腹目掛けて、思い切り突き刺してやる。が、結果的にはこれは悪手だった。



 オークが怒り狂って暴れだす前に離脱しようとするが、剣が奴の肉に挟まって引き抜けない!


 焦る私に、暴れるオークの太い腕が振り回される。咄嗟に盾でガードするが余りの衝撃に受け流しきれずに、剣の柄を手放して吹き飛ばされてしまう。


「うぅ……!」


 揺れる視界を必死に堪えて起き上がろうとするが、その時には既にオークの巨体が目の前にあった。


「……!」

「グフフフゥッ……!!」


 オークは攻撃してくる事なく……私の上に覆いかぶさってきた! その怪力で私の身体を押さえつけると、豚の鼻を鳴らしながら私の顔を舐めしゃぶってくる!


「グフ! グフフッ! イ、イイ匂イ! イイ味ダッ!!」

「ぐ……うぅぅ!」


 余りのおぞましさに私の全身に鳥肌が立つ。観客達の興奮は最高潮に達しているようで、特に男性客は総立ちになって浅ましい歓声を上げていた。


 くそ、こんな奴等を喜ばせる卑猥な見世物になってたまるか! 


 左手に持ったままの盾で殴りつけるが、興奮したオークはビクともしない。こいつに対して進んでその身を差し出しても、それは『生命の危機』……つまり自殺には当たらないので、呪いの力も発動しない。


 そうこうしている内に、オークが自分の股間にある屹立した『モノ』を露わにする。


「……!」


 とてつもない大きさだ。あんな物を入れられるくらいなら……! 


 私は思わず舌を噛みたくなったが、自殺は禁じられている。何とか切り抜けるしかないのだ。だが力では到底適わない。この状態を抜け出す事はほぼ不可能だ。



 オークが私の腰当てを引き剥がそうと手を伸ばしてくる。最早一刻の猶予もない。血走った目で打開策を求める私の視界に、オークの脇腹に突き刺さったままの私の剣が映る。


 オークが屈み込んで私に覆いかぶさる体勢を取る中で自然とその筋肉の蠢動に押されて抜けかかっているようだった。


「――ッ!」


 無我夢中。私は必死に手を伸ばして剣の柄を握る事に成功すると、一気に引き抜いた。


「グフッ!?」


 オークがその痛みに一瞬怯む。私は上体のみを起こして引き抜いた剣を今度は奴のこめかみ目掛けて一気に突き刺した!


「ブヒィッ!!」


 文字通り豚の鳴くような悲鳴と共に、オークの身体がビクンッと硬直する。涎だか血液だか脳漿だか色々の体液が私に降りかかる。私は目を閉じてそれらのおぞましい洗礼を耐え抜く。


 やがてオークの身体から力が抜けて、ゆっくりと私目掛けて倒れかかってきたので、慌てて身を逸らす。

 ズズゥンっとうつ伏せに倒れ込んだオークの身体から抜け出す。



『………………』



 誰も、何もしゃべらない。観客も司会も、一瞬の沈黙に包まれる。そして――



 ――ワアアアァァァァァッ!!!



 堰を切ったような熱狂的な歓声がアリーナを覆った。私は汚らわしい体液にまみれたまま、それをただ黙って眺めていた。勝利の高揚などなく、ただ疲労感と貞操を守れた安心感だけが私を支配していた……



****



 ブラッドワークスに戻ってきた私がこびりついた体液を濡れた布で清拭していると、近づいてくる足音があった。


「うふふ、中々見応えがある『試合』だったわね。お陰様で観客からの評価は上々よ。礼を言っておくわ」


 厭味ったらしい、それでいて楽しそうな女の声。振り向かなくても解る。


「わざわざ厭味を言いに来たんですか? 随分お暇なのですね……」


 億劫だが相手をしない訳にも行かない。渋々ながら振り向くと、そこには予想通り腕を組んで立つルアナの姿があった。だが私は驚きに目を見開いた。


「ふ……卑しいオークに犯されそうになった気分はどうだ?」


 ルアナの後ろに立つ巨体。シグルドだ。足音や気配はルアナ1人の物しかなかった。これだけ存在感のある巨体でありながら、いざとなれば完全に気配や足音を殺す事ができるのだ。


「……! あなたのご想像にお任せします」


「ほう。ではあのオークをお前の大好きな負け犬に見立てて興奮していたのか。随分好き物な女だ」

「――ッ!!」


 私が息を呑むのと、ルアナの吹き出す音が被った。私は見る見る自分の頭に血が昇っていくのを自覚した。



「――アルを侮辱するなぁっ!!」



 私は瞬間的に激昂して抜き身のままの小剣を振りかぶって斬り掛かる。


「ひっ!?」


 ルアナが一転して顔を青ざめさせて後ずさる。だがそれと入れ替わるようにシグルドの巨体が前に滑り出る。すると……


「うぐぅ……!」


 私の内に、私の行動を制御しようとする力が荒れ狂う。私は必死で抗ったが、呪いの力は強大だった。


 手から力が抜けて剣が落ちる。そして両脚も脱力して私は無様に這いつくばってしまう。


「ふ……学習せん女だ。だがそれだけに面白い」

「く……」


 這いつくばったままの姿勢で必死に顔を上げて、憎き男を睨み上げる。



「こ……この、卑しい負け犬ゴミクズ女の分際で、よくも私に恥を掻かせてくれたわね!」



 顔を真っ赤にして怒りに震えるルアナが、ヒステリックに喚きながら駆け寄ってくると、私に腹に蹴りを入れてきた。


「ぐぅ……!」


 所詮文官の女性の蹴りだが、私とて女の身であり多少鍛えられてはいても、それ程打たれ強い訳ではない。容赦ない蹴りに呻き声を上げてしまう。


 すると調子に乗ったルアナが続けざまに私を足蹴にしてくる。


「ほほほ! この! ゴミ虫が! 身の程を! 知りなさいっ!」

「ぐ! がっ! がはっ!」


 一蹴りごとに私の内臓が跳ね上がる。激痛に私はこのまま蹴り殺されるのではと一瞬恐怖したが、



「ルアナ、そこまでにしておけ。これは俺の玩具おもちゃだ。勝手に壊すな」


「……! も、申し訳ございません! 私としたことがつい熱くなって……」


 我に返ったように正気を取り戻したルアナが下がると、シグルドが私の前に屈み込んで顎を掴んで無理矢理上を向かせた。


 私はシグルドと至近距離で見つめ合う事となった。その力強い眼光に射竦められそうになる。だが必死に堪えて睨み返す。するとややあってシグルドがニィっと笑う。


「ふ……いい目だ。それでこそ俺の玩具足り得る。俺を楽しませ続けろ。それが出来なくなったらお前に存在価値はない」


「その時は……私を殺すのですか?」


「くく、死が救いになると知っていて、わざわざ解放してやるはずがあるまい。その時は一切の動きを封じて下衆な男共の慰み者にした挙げ句、残りの一生を暗い牢獄で過ごさせてやる。ありがたいと思え」


「……ッ! あなたは……本物の悪魔よ。断じて人間なんかじゃない!」


「くくく……それこそ今更だな。その通りだ。俺は断じて人間などではない。俺は人間を超越した存在なのだ。お前達・・・のつまらん倫理観などで俺を縛れると思うな。俺は俺のやりたいようにやる。お前も、クリームヒルトも皇帝も、全ては俺の玩具に過ぎん。切り捨てられたくなくば、そして俺を殺したくば、精々抗ってみるのだな!」


 傲然と皇帝までも玩具と言い放つシグルド。その不敬な発言を間近で聞いているはずのルアナは平然と、いやむしろ楽しそうに邪悪な笑みを浮かべている。


 神をも恐れぬ傲慢なる超人の遊び……。私は狂気すら感じるシグルドの姿にしばし言葉を忘れて圧倒されるのであった……

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