33.追撃、雌型の巨人

 ゆらり、と闇そのものがうごめいた。

 何者かの指令を受けながら、はゆっくりと動き出す。



      ◇



 千駄ヶ谷せんだがやトンネルと呼ばれるその場所は、今や一行を閉じ込める巨大なおりと化していた。闇はどこまでも続いているかのように思われ、それはさながら魔物の腸内を思わせる。

 コンクリート製の古びた壁面には、あちこちしわが寄り、いまにも蠕動ぜんどうを始めそうな気味の悪さだ。もしここが仮に巨大な魔物の体内なのだとしたら、かれらが消化されるのは時間の問題だったろう。


 が――現実に戻れば、ここはやはりただのトンネルなのだ。

 ただ、何者かの力によって、本来の姿から遠ざけられた、一つの結界の内部なのかもしれなかった。


和尚おしょう、貴方の法力とやらでなんとかならないのか?」


 口を開いたのは忍者装束の少女――ラ=エスタだった。こんな状況だというのに悠然と腕を組み、口元には薄ら笑いを浮かべている。

 だが、彼女は決して呑気に構えているわけではない。生体機械兵士として仕組まれた、ある種のり込みがそうさせているのだ。どんな時でも余裕を見せつけろという、前線に立たざるを得ない兵士ならではの、悲しい刷り込みが……。


「むう……困りましたね。拙僧、こういう事態は専門外でしてな……」


 運転席から降りてきた空海くうかいは、申し訳なさそうに頭を下げた。

 ハンドルから手を離せば、元の静かな僧侶なのだった。

 仕方ないからお経でも唱えましょうか、と般若心経を始める。うるさいから少し黙っとれと桃太老ももたろうたしなめた。



 一同は霊柩車を降りる。

 薄暗いトンネル内を照らすのは、相変わらずオレンジ色の誘導灯だけだ。無気味に静まり返っている。


「なんか、この壁のシミ、人の形に見えるね」

「ちょっとやめてよ……」


 ロミとセームリアはくだらない事を言って、互いにつつきあっている。その様子から察するに、ロミは割とこういう状況が平気なように見えた。


 漂う空気は生臭い。そしてじめっとしている。

 時折聞こえるジジジという音は、誘導灯に使われているフィラメントが発するものなのだろうか。一同の間に妙な沈黙が流れた。


「あっ、ワンちゃん!」


 唐突にロミのあげた声に反応した皆が視線を向ける。その先には一匹の中型犬と思しき小動物がとぼとぼと歩いてくるのが見えた。体格から察するにフレンチブルドッグとか、そのたぐいの犬だろうか。

 ロミは動物が好きなようで、即座に駆け寄ってゆく――と、その動きを数歩で止めてしまう。まるで一時停止ボタンでも押したかのように、固まった。


「……ロミ?」


 いぶかしげにセームリアが近づく。


 果たしてロミは完全に硬直していた。

 彼女の数歩先にいるのはくだんの犬。だが――



「なんだようるせーな」


 犬の口から発せられたのは、野太い中年男性の声だった。

 オレンジ色の光が犬の顔を照らし出す。

 瞬間、セームリアが「ひっ」と息をのんだ。

 目の前に現れたそれは、まごう事なき人間の顔だった。

 潰れた団子鼻が顔の真ん中に鎮座し、無精髭をまとわりつかせた口が不機嫌そうに歪んでいる。お世辞にも美男子ではない。むしろ完全な醜男ぶおとこのそれだ。


「じ、じ、じ、人面犬じんめんけん!」


 その場にいた全員が、驚きの声を上げた。

 犬――もとい人面犬は「チッ」と面倒くさそうに舌打ちすると、そそくさと回れ右し、元来た道を帰っていった。すぐに闇に溶け込んで見えなくなる。あれもあやかしの一つなのか……。


「……まぁ、驚くことはなかろ。さっきもいたじゃろ、首のないバイクの運転手が……」


 首都高速上で一行の進路を妨害してきた首なしライダーのことを、徐福じょふくは指摘した。これも大千世界における各異世界同士の干渉と融合の結果なのか。


「つまるところ、先のイマジナリアと同じ理屈だな――」


 腕組みしたままラ=エスタが解説を始める。

 この世界では都市伝説の域を出ない怪奇現象の類が、実在する世界があったのだ。今はそれすらこの東京と融合している。早い話が何が起きても不思議ではない――そういう理屈だった。


「本当にがないな、この大千世界というやつは」


 呆れた声を上げるのは竹取たけとりおきなである。

 横で聞いていた空海が「ならここにおりますぞ」とくだらない駄洒落を言ったので、ラ=エスタはすかさず和尚のみぞおちに一撃入れた。


「異世界巡りをする手間が省けた――といっていいのかは分かりませんが、いずれにせよ、現時点ですべての決着をつけなければいけない段階まで来てしまったようですね」


 そう言う蒼憐そうれんの表情は沈痛だ。彼の言う「すべて」とは、もちろん大目的である〈セントラルピラー〉の掌握――そしてそのための鍵となるべき異分子アノマリー……禊儀一真みそぎいっしんの力を集める事に他ならない。

 だが、今なお彼の消息は不明のままだ。他にも津那美つなみや医師のりゅうなど、行方知れずになっているRe:Markの構成員は少なくない。前途多難と言えた。


 全員が黙り込んだその時だった――。

 どこからか不思議な音が聞こえてくる。それは動物の鳴き声のようでもあり、また人工的な破裂音のようでもある。いずれにせよ、聞きなれないものであり、かつ耳障りな雑音だった。



 ぽぽぽぽぽ……


 ぽぽ……


 ぽぽぽっ

 ぽぽぽ……

 ぽぽぽぽぽぽぽっ……



 不気味な音は次第にその距離を詰めてくる。

 何かまずい。一同がそう感じた瞬間であった――。


 ふいに闇が人の形をとった。



 現れたのは巨人だ。

 それもをしている。

 あまりの出来事に凍り付く一行の前で、それは見る見るうちにその姿を明確なビジョンを持った実体へと結実させてゆく。


 外観は今までに遭遇した巨人のそれとは全く異なるものだった。

 まず全身が白い。

 貫頭衣のような衣服をまとったようないでたちである。

 身の丈はトンネルの天井に届く程度であり、これまでの巨人と比べればやや小さい。頭には、広いつばのついた帽子のようなものをかぶっており、長い髪を後方にたなびかせる様は、まるで幽霊のそれだ。ぽっかりとあいた二つの眼孔に光は宿っていない……。

 口からは、絶えず「ぽぽぽぽ」という破裂音を発しており、これまでに遭遇したあやかしの比ではない気味の悪さである。ただただ危険な存在にしか思えなかった。


「め、雌型めがたの巨人だと……」

「いや違う。あれはおそらく――八尺様はっしゃくさまじゃ」


 徐福が冷静に告げた。さすがのラ=エスタも組んでいた腕をだらりと下げてしまっていた。


 八尺様はっしゃくさま――。

 都市伝説において、そのような巨大な女の怪物がいることは、その筋の愛好家の間では有名な話だ。もともと人里離れた山村に封印されていたはずのあやかしであり、魅入みいられてしまった若者を取り殺すまで追いかけてくるという、そういう根も葉もない想像上の産物に過ぎない存在であった。


 だが、今目の前に立ちはだかっているこいつは何なのか。

 盤古ばんこ、ガリバー、八尺様はっしゃくさま――。

 すべてを繋いでいるのは巨人というキーワードだ。

 だが、それ以上のことは何も知りえない。それが現状である。



「皆の者、はよ車に乗るんじゃ」


 空海くうかいの怒号が響き渡る。さすが僧侶、かつを入れるのは得意中の得意らしい。その声ではっと我に返った一同は、霊柩車内へと転がり込んだ。

 空海はすかさずアクセルと過給機かきゅうきを全開にする。けたたましい爆音を轟かせ、霊柩車は再び走り出した。

 V10エンジンの爆音はもはや限界にまで達しようとしている。

 このまま過負荷かふかが続けばいずれは火を噴くのではないか――そんな悪寒が蒼憐を襲う。


 果たして八尺様は振り切れなかった。

 驚くほどの速度で霊柩車の後方に追いつくと、白い手をゆっくりと伸ばしてくる。白い手だ。雪のような白さではない。灰をかぶった死者の手のように、棺室内にいる翁たちには見て取れた。

 桃太老ももたろうが身を乗り出し、一二〇ミリ滑空砲を撃ち込むが、恐怖に駆られたためか照準が定まらず、トンネル内の壁面に傷をつけるにとどまった。また、仮に当たったところで……今追いすがってくる巨人には、とても効きそうにも思えなかった。


 走る霊柩車の行く先は相変わらず闇だ。

 トンネルの出口は全く見えない。

 いつ終わるとも知れぬ死の追撃を振り切れるのか。

 それともエンジンが限界を迎え、八尺様はっしゃくさまの餌食になるか。

 絶望が一行を包み込んだその時だった――。


 バリバリと音を立てて、今まで瞑目していた巨人――ガリバーが上体を起こした。動かないように施してあった手足の拘束をいともたやすく引きちぎり、疾走する霊柩車の天井を突き破る。


「あわわわわ……」

「まさか、ガリバーが目覚めたのか?」


 慌てふためく竹取の翁と徐福を横目に、ラ=エスタは何度目かになる驚愕の叫びをあげた。

 まさか〈鍵〉たるガリバーにおのれの意思などあるはずがない。そのはずだった。

 だが、今まさには動き出そうとしている。テグスで吊るされる操り人形のように、ぎこちない動きで後方から縋り付く八尺様と対峙している。それはまるで、この世界の外にいる何者かが、の肉体を借りているような……そんな不可思議な光景だった。


「グオオオオオオ……」


 巨人が咆哮する。

 刹那、ガリバーと呼ばれた赤黒い巨人を闇が包み込んだ。

 漆黒のローブは見る見るうちに人型を飲み込むと、瞬時にその形状を変えてゆく。その様は昆虫の変態を早回しで見ているかのようでもあり、ある種のグロテスクさを伴った神秘的な光景でもあった。



 闇はあっという間にその形状を変える。

 現れたのは、筋肉質のたくましい人型。どこか鎧武者にも似ているが、その体表は鱗状の装甲でびっしりとおおわれている。

 頭部は小さく、どこか東洋の龍を思わせるものだった。曲刀のような飾りがど真ん中に突き刺さっており、さながら刀剣という名の衝角を持った悪魔の姿だった。


 そして一行にはその威容に確かな見覚えがある――。


「タイプ=ニルヴァーナ……。まさか、禊儀みそぎ君か!?」


 蒼憐そうれんの記憶に間違いはなかった。

 イマジナリア上空、そして富士の裾野での戦いで一行の窮地を救ったあの漆黒の機導騎きどうき異分子アノマリーである禊儀一真と合一した〈裏界ブリガドゥーン〉の遺産兵器レガシィ――ニルヴァーナそのものだった。

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