32.千駄ヶ谷トンネルの怪

 巨人たちによる苛烈かれつな追撃は続いている。

 後方に飛び去ってゆく都会の光は夜の闇にまれ、その闇の中から赤黒い巨体が次々と手を伸ばしてくる。それは恐怖以外の何物でもない。

 いったいなにがかれらをつき動かしているのか? それは全く分からない。かれら巨人が個々の意思を持っているのか、それすらも定かではなく、何かもっと別の……大きな存在によって操られる端末のような……そんな印象だけが無気味に感じられた。


和尚おしょう、この先に三叉路さんさろがあるはずです。そこを右折、神宮外苑西通りを南下してください。その先に小さなトンネルがあるはずです。そこを抜けましょう」

「承知!」


 深夜の都会を爆走する巨大霊柩車――運転するのはターボ坊主・空海くうかいだ。琥珀色の数珠じゅずを無意味に首からぶら下げ、豪快にハンドルを切りさばく様は、往年のトラック野郎のそれを彷彿とさせる。

 助手席で地図を凝視する蒼憐そうれんは、的確に指示を出し、霊柩車をかれらが目指すトンネルのある地域へと導いていた。

 そんな蒼憐の顔にはかつての覇気はきが戻りつつある。四か月前――あの富士の樹海上空での激闘と敗戦……。かれらは移動手段にして居城ともいえる航空艦を失った。船乗りにとって「船」は命だ。生き甲斐と言ってもいい。己の人生をすべて預けるに足る存在だった。



 私もようやく踏ん切りがついたということなのか――。


 美貌の青年艦長の目に鋭さが戻っている。

 物腰こそ柔らかな蒼憐そうれんだが、その声色は固く張り詰め、この事態の責任を背負う覚悟を見せ始めている。


(ほほぅ、ただの青二才かと思っていたが、雰囲気が変わりよった)


 空海はにやりと不敵に口を歪める。

 右折するために一度緩めたアクセルを再び強く踏み込んだ。

 轟く爆音。

 ここまでの暴走行為を行っていても、今の東京にかれらをとがめる者はいない。 

 なぜならもはやここは別世界だからだ。

 度重なる次元傾斜によって、異世界のことわりが上書きされていった「東京」という名の別世界。「万里の長城」という名の結界によって隔絶された、地球上の別世界。

 世界が違えば道理も違う。もし今のかれらの行動を咎められるものがいたとしたらば、それは支配者である盤古ばんこでありオーディンであり、そしてラーだけだろう。


 ふと車窓の外に目をやると、かの有名音楽スタジオの看板が後方へと流れてゆくところだった。

 ビクター音楽スタジオ。人気アーティストたちがレコーディングを行う場所だ。今も中では仕事をしている社員がいるはずである。

 先週発売されたばかりの新譜しんぷ竹取たけとりおきなが欲しがっていたな――と空海は思った。なんでも「平家物語」とかいう謡曲だそうで、アーティスト名は「琵琶法師」だったか……。

 そんなことを考えているうちに、蒼憐そうれんの言ったトンネルが迫りつつあった。壁面には若者がいたずらで描いたのであろう、毒々しい彩色によるペイントアートの数々が残っている。街の風景の一部として、今は溶け込んでいた。



 しかし――


 これがトンネル? と空海くうかいは思った。遠目に見たところ向こう側がすぐに抜けて見えるほどのものだ。上を何かが通っているようにも見えない。むしろ高架下といった方がふさわしい、その程度のもののように見えた。


「あの程度でも巨人たちを一時的に食い止め、にはうってつけなのですよ。この街はある種の迷宮ですからね……こんな具合に都市の形状を利用してやるのが最善のはずです」


 にこりともせず蒼憐は言った。

 あっという間に霊柩車はトンネル内へと突入する。

 刹那、トンネルの闇が一行を包み込んだ。

 誘導灯のオレンジ色に目がくらむが、それも一瞬のことだ。

 後方から追撃してきた巨人は、次々とトンネル入り口の壁面へと激突し、転倒した。かれらの体躯では抜けることのできない……そういう地形トラップとして利用したのである。


「やったで! 兄さんの読み通りじゃ」


 後方棺室内で喝采を上げているのは竹取の翁たちだ。

 桃太老ももたろうが万歳三唱をはじめた。無駄にやかましい。

 これならば今しばらくは巨人たちの追撃から時間を稼ぐことができるだろう……。空海はそれでもアクセルを緩めることなく、トンネルの出口を目指す。

 この、千駄ヶ谷せんだがやトンネルの出口へ向かって……。



       ◇



 闇の中で、は目を覚ました。

 いったいいつ頃からここにいたのか。

 誰かに命じられるままここにいた事だけは確かだが、思い出せない。

 にとってはもはや忘却の彼方の出来事に思えた。

 ただ、今は無性に誰かに会いたい――。

 そしてその誰かは間もなくここを訪れる。そんな確信めいた予感があった。


 はゆっくりと立ち上がると、その誰かを待ち続けた。

 ほどなくして――二つの光を放つ何かが急速に迫り……の前を通過していった。



       ◇



「のう、和尚よ――このトンネル、やたら長くはないか?」


 怪訝けげんそうに声をかけたのは徐福じょふくだった。

 白い顎髭あごひげをしごきながら、ほうじ茶をすすっている。お茶菓子でもあればのぅ、とは竹取たけとりおきなの弁だ。この非常時にお前は何を言っとるんじゃと、桃太老ももたろうがこづく。残されたロミとセームリアは何も言えずに変な汗を流している。


「……さっきからワシも感じとる。入る前はすぐに抜けられる長さに見えたがな…もうかれこれ五分以上はトンネルの中を走っとるぞ。のぅ、若いの、その辺はどうなんじゃ」


 空海に問われ、はたして蒼憐は答えることができなかった。

 この千駄ヶ谷トンネルはただの通過点に過ぎない。

 本来ならわずか一瞬で駆け抜け、六本木ろっぽんぎ方面へと出られるはず――そういう計算だった。


 場所を間違えたか?

 いや、そんなはずはない。第一、目印であるビクター音楽スタジオの横を通過したではないか。異世界化したからといって街の構造そのものが変わっているわけではない。蒼憐はRe:Markリ・マークとして活動する中での経験からそのことを知っている。あるいは、それ以上の何かが起きたか。


 嫌な汗が噴き出すのを感じる。

 彼には既視感きしかんがあった。

 否、既視感ではない。かつて全く同じことがあったではないか。かの禊儀一真みそぎいっしんたちを迎えに行ったとき、彼らを窮地きゅうちに陥らせていた存在――空間そのものを遮断し、その中に対象を閉じ込めてしまう能力……。

 あの時はベアトリスという刺客の能力であったが……。

 そういえば富士の樹海に皇王こうおうが墜落した時、そのベアトリスがどうなったのかを彼は知らない。まさか彼女がその場を脱したのち、依頼者である巫女ファブニールの手によって消されているとはつゆ知らずだ。


 まさかこれも想念武装の能力とでもいうのか?

 その可能性は高いと言えた。が、いま彼らを取り巻く状況は、それだけのものではないようにも思えた。確信があったわけではない。歴戦の戦士としての感覚がそう思わせたのである。

 言ってみれば、この「都市そのものの怨嗟えんさ」のような……。

 妙な実感があった。この長く続く井戸の底のようなトンネルの闇――。周囲を照らし出すのはオレンジ色の誘導灯のみ……。他に通過する自動車もないこの状況は、まさしく「異世界」のそれといっていいように思われた。



「……ちょっと車を止めてください」

「いいのか、若いの」

「ええ。今のところ後方から追手が来ている気配は全くない。それどころかいやに静かなのも気になります。このトンネル……千駄ヶ谷トンネルと言いましたか、敵に何かの先手を打たれていたのかも……」


 それを聞いた徐福じょふくは、口に含んでいたほうじ茶をぶっと噴き出した。


「若いの、いま、なんと?」

「はい? 先手を打たれていたのかも、と――」

「いや、その前じゃ」

千駄ヶ谷せんだがやトンネルですか」

「やはりそうか……ここがそうじゃったか……」


 何事かと皆の視線が徐福じょふくに集中する。

 ぶるぶると震える白髭の仙人をなだめすかしつつ、理由を尋ねると、この千駄ヶ谷トンネルとは「東京」に複数存在する呪的パワースポットの一つなのだというトンデモな回答が返ってきた。


「何を言い出すかと思えば馬鹿馬鹿しい……」


 呆れかえったように足を投げ出すのは桃太老ももたろうだ。そっぽを向いた彼の肩から、「愛国精神」の白いタスキがずり落ちそうになっている。


「馬鹿なものか。いいか、この東京はな――世界でも稀にみるレベルの呪的都市なのじゃぞ? 次元傾斜によって異世界化したことで、本来ならばのじゃ」


 老人が何を言っているのかさっぱり分からない。

 蒼憐そうれん空海くうかいも、ロミもセームリアも互いに顔を見合わせた。


 確かに――この東京まちにはオカルトな噂の絶えない場所が数多くある。それは事実だ。

 大手町に存在する旧跡には、平安時代中期に活躍したとされる、さる武将の首が祀られた塚があるというし、移転しようとすると必ずたたり騒動の起きる巨大な鳥居や樹木、歴史の表からその存在を抹消された刑務所などなど……オカルティックな噂に事欠かない。


 もちろん、この千駄ヶ谷トンネルもそのうちの一つだ。

 トンネルの天井から、無数の白い手がぶら下がっている、などという目撃談もあるにはある。

 だが、それはすべて都市伝説だ。

 人が集まれば噂に尾ひれがつき、面白おかしく無駄な情報が加味され伝播してゆく……。人の集まる大都市ならではの情報の流布に過ぎない――はずなのだ。それを空海くうかいが告げると、


「和尚は御仏に仕える身にありながら、ドライじゃのぅ。このトンネルの上にはな、トンネルの上にはな……かつて仙寿院せんじゅいんと呼ばれる寺の墓地があったんじゃよ」


 徐福が言うにはこうだ。

 なぜ、そんな構造になっているのか? それはかつて開催された東京オリンピックに伴う道路網整理が原因なのだという。本来ならば墓地の移転なり道路の迂回うかいなりという措置そちが取られるはずだったのだが、そこは急ピッチで進められた国家プロジェクト。無理やり墓地の下にトンネルを通してしまったのである。


 その結果、都市伝説が生まれた。

 理不尽ともいえるとばっちりがあったのが、かのビクター音楽スタジオだ。レコーディング中に「幽霊の声が収録された」などという噂がまことしやかに囁かれたのである。どこまでが真実かは分からないが……。


 いずれにせよ、強引に行われた都市開発によって、目覚めてはならないものが数多く目覚めている――そのことを徐福は強調した。


「来たる二〇二〇年にも東京オリンピックが予定されているといったな……。この都市の住人は、またも同じ過ちを繰り返そうとしているのか……」


 弱弱しげにつぶやく、最後の方は独り言だった。

 闇は深く、そしてどろりと揺らめいているようだった。

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