28.その名は〈王国〉

「なぁ、カツでも食うか、カツ」


 ふいにとぼけたことを言い出したのはラ=エスタだった。

 今は深紫色の忍者装束に身を包んだ、生体機械兵士の少女――。兵士というにはあまりにあっけらかんとし、そして傲岸不遜ごうがんふそんな性格の持ち主だが、前線に立つ以上、そういう風に性格付けされているのはある意味では正しいのかもしれない。


「四次元豚が手に入ればなぁ」


 ラ=エスタは誰にともなく呟く。彼女が何を考えているのか、一行にはまだつかめずにいた。

 今かれらがいる場所は、武蔵野地域から少し離れた大通りの交差点、比丘尼橋びくにばしだ。

 そう、あの運命の歯車が回りだした因縁のエリアでもある。

 周囲の家並みには明かりがともっている。

 赤提灯あかちょうちんを店先に下げた飲み屋も立ち並ぶここには、ある種の平和と日常の喧騒が漂っていた。


「なぜこんな状況に……?」


 元・皇王こうおう艦長である蒼憐そうれんいぶかしげに周囲を見渡す。

 一見すると、東京――少なくともこの地域一帯には、いたって普通の日常が戻っているように見える。〈虚獣〉の脅威にさらされている世界の只中にあって、まさしくここは別世界のそれといっていい。


「次元傾斜さ――」


 ラ=エスタは説明を始めた。


「そもそもの東京はもう存在していない。あのとき……富士の裾野での戦いは、禊儀みそぎ一真いっしんと同化した機導騎のおかげで終結したかに見えた。だがね、禊儀少年と共に、敵――アルビオンが飛び去った方角はこの東京上空だったのさ。そこで敵は最後の力を振り絞って自らの能力を全開放した……覚えているだろう? アルビオンの必殺技。空間に〈あな〉をあけてしまう能力のことを」

「それではひょっとして……」

「お察しの通りだよ。東京上空まで飛来した二体の機導騎は、そこで相打ちとなった。いや、正確にはアルビオンが能力を暴走させて終わりを迎えたというべきかな。力の暴走は東京そのものの空間を飲み込んで、君たちが言うところの……。本来なかったはずのものがここにあるのはそういう理屈さ。当然、住民は誰一人としてそのことに。今の東京はね――力あるものだけがすべてを握っている、いわば神々の箱庭だよ」


 誰も何も言わなかった。

 これからどうするべきか。眼前の目的こそ明確であれ、それがかれらの目指すところへ到達するためのいしずえになるのかは全く分からなくなっている。蒼憐そうれんは肩を落とすようにしてため息を軽くついた。


「今はかつての仲間を探すことが先決です。そんな矢先にラ=エスタ、君と合流できたのは僥倖だったというほかない」

「それは光栄なことで」


 Re:Markリ・マークの大目的である〈セントラルピラー〉の捜索はいまだその手掛かりすらつかめていない。この異世界群――大千世界はいつ崩界してもおかしくない状況にある。そのかなめである禊儀一真もあれ以来消息不明……。いま何をなすべきなのか、どう状況を積み上げれば次の階梯かいていへと進むことができるのか。かれらの旅は詰みチェックメイトの状況に陥り始めていた。



     ◇     ◇     ◇



 その部屋は薄暗かった。

 大部屋である。豪華な寝台ベッドが置かれ、周囲にはこれまた高級な調度品が品よく並べられた、王族のための寝室――そんな空間が広がっていた。

 壁には無数の弾痕が刻まれている。

 それは異様な光景である。

 暗闇のなか、布ずれする音が聞こえたかと思うと、寝台の上に横たわっていた人物が体を起こした。


「また……俺のところに来たのか?」


 声が震える。額には脂汗が浮かび、口の中はカラカラだ。

 思わず、寝台ベッドの横に置かれた水差しに手を伸ばしたその瞬間――彼の視界をかすめる白い影があった。


「ううっ」


 反射的に懐に入れておいた銃を取り出し、発砲する。

 手ごたえは、ない。

 続けざまに二発三発と、弾倉が空になるまでかれは撃ち続けた。

 薬莢やっきょうが床に散らばる。硝煙の匂いが室内に充満した。


「王よ、どうなされましたか!」


 部屋の前で待機していた側近が扉をノックする。呼びかけるその声は、腫れ物に触るような慎重さをはらんでいた。


「……なんでもない。いつもの幻影だ……ほおっておいてくれ」


 と呼ばれた男は、前髪をかきむしると肩で息をする。

 取ろうとしていた水差しを床に叩き落とし、強く歯ぎしりした。


(なぜだ、なぜお前は何度もやってくる……)


 男は寝台の上で膝を抱き寄せ、その身をかがめる。

 敷布シーツを頭からかぶると、少し落ちついたような気がした。

 こうやって視界を遮れば、奴が目の前に現れることはないのだ。


 俺はいま、奴の幻影に怯えている――男の思考は逡巡する。

 幻覚であることはわかっていた。いくら倒しても倒しても手ごたえはないし、別に奴が何を仕掛けてくるわけでもない。ただ、毎夜姿を現すことは、いまの彼にとってこの上ない恐怖心を掻き立てるのだった。


(禊儀一真――!)


 それが彼――理堂りどう実生みしょうの現状だった。



     ◇     ◇     ◇



実生みしょうは……〈王〉は、相変わらずか」


 側近の報告を受けたファブニールは、一言吐き捨てるようにつぶやいた。

 その声色に温かみは感じられない。

 なにしろこの四か月間、ずっとこのような状態が続いていたからである。


 あの時――富士の戦いから窮地を脱した二人は、アルビオンの力でもって禊儀一真を振り切った。その時の戦いが原因で、東京にさらなる異世界を招き入れてしまったことは誤算だったが。

 カダルカナンによる大千世界支配をもくろむかれらは、すでに東京に自分たちの居城を築いている。すでに多くの同胞が実生とファブニールの元に集いつつあり、一つの巨大な組織が結成されつつあった。


 実生みしょうが何に怯えているのか、実のところファブニールもよく分かってはいない。ただ、「奴の幻影が」と繰り返す実生は自室に閉じこもったままであり、本来表舞台に立たねばならない彼の代役をファブニールが務めるのにもそろそろ限界が来ているように思われた。


(もう奴はダメかもしれんな)


 廊下を早歩きで闊歩かっぽしながら、黒髪の巫女はひとりごちる。

 彼らが居城は東京の中心――その地下経路を利用して建造された一大迷宮である。かって政治の中心地であったここは、要人たちが有事の際に避難するべく、巨大な地下空間が作られていた。それを利用したであった。


「新型の開発はいかに」


 ファブニールは側近に尋ねる。

 今はこの東京を要塞化することが急務だ。そのためには招いてしまった邪魔者――盤古ばんこ、オーディン、ラーという異世界からの客人を排除せねばならない。おまけにかれらは「異分子アノマリーの力」も持っている。避けることはできない戦いが迫っていた。


「新型機導騎きどうきの開発は順調です。一番機〈皇羅おうら〉はほぼ完成、ロールアウトを待つばかりとなっています。同じく二番機〈轟羅ごうら〉、三番機〈震羅しんら〉もほどなく最終調整試験を終えられる見込みです」

「そうか――」


 〈裏界ブリガドゥーン〉からサルベージした遺産レガシィ――機導騎きどうき。ほぼ完全な形で現実体化することに成功したが、それでも三機が限界だった。この三体で奴らを屈服させねばらない。それにはやはり、乗り手――〈王〉たる実生みしょうの力が不可欠なのだった。


「そろそろ我も覚悟を決めねばならぬようだな」

「と言いますと――」

「宣戦布告だ。たった今より我らはカダルカナン界より独立――戦闘国家〈王国キングダム〉を名乗る」

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