第四章 限界哀歌

27.新たなる世界

 夜である。

 世界を闇が覆い隠し、静寂が支配する時間帯。

 こえてくるのは、虫の音とかすかな生活音だけだ。

 曇天のため、月明かりはない。ただ、夜のとばりだけがその街を包み込んでいる。

 場所は東京二十三区の片隅――武蔵野は比丘尼橋びくにばしと呼ばれる交差点の近隣。

 のどかな田園風景を色濃く残すこの地域一帯において、比較的活発に車両の行き交うエリアだ。

 大通りに沿ってはしる高速道路のジャンクションは廃墟と化している。二〇二〇年に開催されるはずだった東京オリンピックに向けての拡張工事が行われたが――中断されたまま半年近くが経過しようとしている。。付近には放置されたままの工事車両や重機の姿も見られるが、今はそのすべてが静まり返っていた。


 季節は深秋。落ち葉が堆積し、吹く風は凍り付くような寒さだ。

 比丘尼橋びくにばし近隣を流れる河川は、相変わらずかすかなせせらぎの音を立てている。

 普段は水量の少ないこの川も、豪雨の際は氾濫の危機に見舞われる。

 その決壊を防ぐための調整池が二か所に設けられている。うち一つは二層構造になっており、地上は公園、地下にはあふれた水が流れ込む巨大なプールが併設されていた。

 対岸から見渡せば一望できる地下基盤には、公園を支える円柱が林立し、さしずめエンタシスを備える古代の神殿を思わせた。

 見る人が見れば荘厳なたたずまいに息をのむことだろう。都市の機構が生み出した、不可思議な光景でもある。

 かたや上層の公園は手つかずの土地だ。あちこちで雑草が繁茂し、プンと青臭い、むせかえるような植物特有の匂いが立ち込めている。

 そんな草むらの中を一匹の黒猫が駆け抜けていった。すぐに闇にまぎれて見えなくなる。それはこれから起こる不吉の予兆のようでもあった。


 静寂のなか、調整池の水面に波紋が広がる。

 吹きつける寒風に逆らうかのように波紋が生まれ、それは次々と水面を駆け抜けてゆく。まるで、見えない何かが水面上を駆け抜けているかのようでもあった。


 異様な光景だった。

 オカルトマニアがその光景を目の当たりにしたとしたらば、この比丘尼橋という地名の元となったとされる、悲恋の末に自殺を遂げた「比丘尼びくに」の怨念が化けて出たのかとおののいたかもしれない。


 波紋は見る見るうちに激しくなってゆく。

 何かの意思を体現するかのように波打ち、やがてそれを足場にするかのようにして、それは虚空へと跳躍した。何かが水面から「飛び立った」と形容するのが正確かもしれない。

 同時に強い風が吹いた。

 雲の切れ間から青い月がのぞく。

 まるで舞台演劇において、主演俳優にスポットライトが当たるかの如く、煌々とした月明かりがそれを照らし出した。


 人だ。

 虚空につま先をたて、宙に浮くように跳躍した姿を月光が照らしだしている。

 何であろうか……深い紫色の装束に身を固め、頭部まで深い頭巾でもって覆い隠している。あえて形容するならば、かつて歴史上に存在していたという忍びのもの――忍者というべきだろうか。細くしなやかな肢体が躍った。


「――空間座標確認。やはり、予定していた航路からはかなり外れている。だいぶ流されたようだな。この分では追手に見つかるのも時間の問題か」


 硬質の声だった。感情も性別の色も感じさせない。

 一人呟くと、忍者は次の瞬間には空高く舞い上がる。びゅうと風が裂けた。


 比丘尼橋びくにばし周辺は武装寺院が軒を並べている。

 一見するとごく普通の寺社じしゃだが、緊急事態にはその瓦屋根が展開し防護壁となり、さらには砲塔を突き出す、都市に擬態したある種の要塞だ。忍者はその屋根の上を武者走りする。

 はるか後方からは男たちのものとおもわれる罵声が追ってくる。

 である。

 手には刀を携え、かみしもで身を固めたいで立ちはかつての侍を思わせる。

 だが、今迫りつつあるかれらは時代の彼方へと消え去ったそれではない。

 身に着ける裃は極めて機能的な材質で作られた戦闘服であり、手にする刀も高周波による振動で、およそ切れないものはないという最先端のテクノロジーの産物だ。都市の警邏けいらにあたる彼らが目指す先には、先の忍者の姿があった。



「騒がしいのぅ……」


 一人の老人が、何事かと住まいのベランダから身を乗り出した。

 遥かな眺望が望めるここは、アララトタワーという高層建築の一室だ。

 眼下では深夜だというのに、もののふ連中が駆けまわり、なにがしかを追いかけている。時折銃声もすることから、事態がただ事でないことは老人にもすぐわかった。


「はて、なにごとですかな。また月からの使者のお出ましでしょうか……」

ほうけたことを申すな。ワシはまだそこまでボケとりゃせんわ。ほれ見なさい。なにやらもののふどもが慌てふためいておる」


 会話するのは二人の老人だ。

 一人は竹取たけとりおきなという。毎夜月を見上げては、失くした娘のことを思う、一見すると不憫な老人だが、その真実は定かではない。おじいちゃんボケちゃったんじゃないのとは彼の介護にあたる職員の陰口である。このアララトタワーは特別養護老人ホームであり、別名「方舟」と呼ばれていた。

 もう一人は徐福じょふくという、これまた奇矯な外見の老人だった。

 どこの仙人だお前はと言いたくなるほど伸ばした白いあごひげが特徴であり、耄碌もうろくする前は高名な研究者だったともいう。今は日々、不老不死の薬についての本を読み漁っては介護職員の女にちょっかいを出すスケベ爺として名をはせていた。


「いや、実に酔狂な事じゃ。モモタロ爺さんにも教えてやらにゃあ」

「もう聞こえとるわい」


 そう言って出てきたのは、鉢巻きを頭に巻いた時代錯誤な老人だった。

 名を桃太老ももたろうという。

 カーキ色のよれた軍服を着、「愛国精神」と書かれたタスキをかけている。

 いったいいつの時代からやってきたのだろう……。彼もまた、かつては〈鬼〉と呼ばれる妖邪を討伐したという妄言を日々周囲にまき散らす、奇特な人物として名を馳せている。この三人は、老人ホーム「方舟」においては要注意人物として同室になって、監視されているのだった。


 騒ぎは収まるところを見せない。

 あちこちで聞こえる咆哮はたちのものだろうか。

 アララトタワーのはるか彼方には、火の手が上がっているのが見える。施設から脱走した巨人たちを追い込むための野火なのかもしれなかった。


「皆様、深夜ですよ。少しお静かになさいな」


 そう言って彼らの背後へ現われたのは、細面の老人だった。

 老人と言っても他の三人と比べるとずいぶん若くは見える。彼は空海くうかいといった。


「和尚! ワシゃ腹が減って目が覚めたら、下界はこんなありさまじゃ。そうしたらモモタロ爺さんと徐福爺さんが起きてきてしまったんじゃな、これが」

「腹が減ったと……なんかクウカイ? と、それはともかく、下界のことは私共には無縁のこと。焦って気を揉んでもよいことなぞありませんよ。ささ、朝が来るまで一休み一休み」


 どこかで聞いたような文言を繰り返しながら、和尚と呼ばれた空海くうかい老人は三人を部屋のなかへと連れ戻した。やがて、子守歌代わりの念仏が延々と聞こえ始める。隣室からは「うるせーよ」という苦情が絶えない。毎夜の珍事だった。



        ◇       ◇       ◇



 外周約四〇〇キロメートル。

 それが、この大都市・東京を取り囲む壁――万里ばんり長城ちょうじょうの総延長だ。

 主たる目的は外敵からの侵入を拒むための防衛機構だが、それとはべつに、この地を支配する者の権力を誇示するという目的もあった。

 支配者は「皇帝」という名で呼ばれるはずである。

 はず――というのは今まさに、この地は群雄割拠状態にあり、特定の王をいただいていないからである。かつて東京都と呼ばれたこの地はいまや、盤古ばんこ、オーディン、ラーという三人の神々による戦乱の世界と化していた。


 盤古ばんこ――始祖神とも呼ばれる巨人族の長である。

 数多あまたの巨人たちを管理し、大都会の覇権を狙っている。

 オーディン――稀代きだいの大魔法使いともいわれる人物であり、常人では太刀打ちできぬ魔術を行使しうる騎士団を率いている。

 ラー――巨大神殿に座し、インフラの掌握から都会の支配をもくろむ大富豪だ。軍需産業に通じる死の商人とも言われている。


 今の東京都は、万里の長城によって閉鎖され、その内側は巨人と侍と魔術師、騎士団に軍人たちとが混戦模様にある戦乱の世界である。そこは何人の侵入も許されない魔境であり、かの世界の警察が動いたこともあったが、都市に展開された結界障壁によって阻まれ、徒労に終わる結果となった。

 今や東京は東京であって東京ではない。

 力あるものだけが生き延びる、神々の箱庭だ。

 状況は日々流転し、いつだれが覇権を握ったとしてもおかしくはない――。

 ゼロサムゲームという言葉もあるが、まさにそれであった。


 いったいいつから、こんな事になったのか。

 その真実を知るものは、今は歴史の闇へとその身を潜めている。



 その一人が、先の忍者だ。いったい何者なのか。

 は都市の喧騒のなかを、これ幸いとばかり駆け抜ける。

 やがてその姿は闇に紛れ見えなくなった。

 追ってきたもののふたちは歯噛みする。彼らの目の前には、高く巨大な城壁がそびえ立っている。万里の長城だ。これ以上は主の許可がなければ先へ進めないのだ。怒号が発せられるが、それもつかの間――すぐさま撤収する。その気配が消え失せた頃……。



「やっとここまで潜入できましたね]


 闇の中からひそめた声がする。ざわざわと茂みが揺れ、現れたのは美貌の青年だった。

 臙脂えんじ色のくたびれたジャケットを着崩したさまは、まるで流れ者のようだ。だが、彼から漂う気迫は、まるで野生動物のような研ぎ澄まされた刃物を思わせるもののそれであり、青年がただものでないことを暗に物語っていた。


「艦長~、あまり先へ行かないでくださいよぉ」


 後ろから一手遅れて少女のものと思しき甘ったるい声がする。艦長と呼ばれた男は、


「もうその呼び名はやめなさいと言ったはずです、ロミ。今の私は蒼憐そうれん。かつての名は捨てました。」

「はぁ~い」


 呑気そうに返事をする少女――ロミに続いてもう一人、年上の娘が姿を現した。蒼憐がセームリアと呼んだ少女は、少しやつれたような顔をしていた。だいぶ憔悴している……ここまでの道程は決して楽なものではなかったのだ。

 あれから四か月か――と、蒼憐は空を見上げる。

 雲も晴れ、天空にはあの日と変わらぬ青白い月が輝いていた。



「――待たせたな」


 声がした。見ると、目の前には紫色の装束に身を包んだ先ほどの忍者がいた。戻ってきたというのか。

 頭部を覆っている頭巾を後ろへとずらすと、深い森の色をした髪の毛がばさりと零れ落ちた。月明かりが忍者のシルエットを照らし出す。たおやかな肢体――忍者は、女だった。それもうら若き乙女だ。


「あ、ああ!」


 ロミが思わず大声を上げる。静かに、とセームリアが制した。


「だって……」


 ロミが驚くのも無理はなかった。頭巾の下から現れた顔――それは、彼女たちの良く知る顔。四か月ほど前、富士の樹海で行方不明になったままの魔女、ラ=エスタその人だったからだ。


「よく見たら右腕も元通りになってるし、いつの間に……。というかよく生きてたね」

「生きていたわけではない。あの時、富士の樹海で君たちの知るラ=エスタは死んだよ。ファブニールと名乗る刺客の罠にはまったのだ」

「それじゃあ……?」


 ロミの疑問には蒼憐そうれんが代わりに答えた。


「ロミ、彼女は私たちの知っているラ=エスタではありません。いうなれば彼女の二号……おっと、こんな言い方は失礼でしたか。そも、ラ=エスタとは我が世界、カダルカナンにおいて量産配備されている生体機械兵士の総称……」

「言わなかったか? 『私の身体は鋼鉄でできている』と」

「聞いてない……」


 まぁ、そうむくれるな、と魔女――いや、今は忍者のラ=エスタは軽く笑う。別の個体であっても、この傲岸不遜ごうがんふそんかつ居丈高いたけだかな性格は同じなようだ。


「ですが、我々の知っている彼女はもういないのです――」


 急にあらたまったように真顔になると、蒼憐は悲しそうに目を伏せた。

 そう、いくら代替要員がいるといっても、あの時、彼らと旅路を共にした彼女は確かにその命を散らしたのだ。失われたものは二度と戻らない――そのことを痛いほどかれらは噛みしめている。


「だがね、お通夜をやっている暇なんて今はないだろう。これからどうするね」

「頼んでいたものはどうしました?」

「あれか。すまないな。もののふ連中から逃げるときに邪魔になったんでね、とある場所に隠してきた」

「とある場所、とは――」

「あそこだよ」


 そう言ってラ=エスタが指し示したのは、先ほど彼女が逃げてくる際に通過した建物のひとつであるアララトタワー内部に作られた老人ホーム、「方舟」であった。

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