26.終焉序曲

 むくろがあった。

 樹海のなかを低空で飛翔していたラ=エスタが、それがベアトリスのなれの果てであると気づくのには、しばしの時間を必要とした。

 凄惨な遺体である。

 何か高温の炎にでも焼かれたのだろう。全身の細胞は完全に炭化しており、グロテスクな様相をさらしている。そんな状態でもそれがベアトリスだと判別できたのは、炭化した遺体が完全にその形を保っていたからだった。


(よほど瞬間的にかれたか、あるいは何かの異能力によるものか)


 思わず目をそらしたくなる惨状だが、まじまじと見つめながらラ=エスタはかがみこんだ。

 まさか、追手である自分の目を欺くためのかえだまというわけでもなかろう。

 この短時間で、しかも樹海内においてそんなものを用意できる余裕があったとは到底思えない。ならば――


「口封じのために殺された、と考えるのが妥当か」


 魔女がそこまで口にした時だった。

 森の奥から白い人影がゆらりと現れ出でる。


「その通りですよ、ラ=エスタ」

「誰だ?」


 おっとりとした口調のその人物は小柄で、白いローブを身にまとっていた。

 しずしずと歩み寄ると、足元の遺体を蹴り飛ばす。

 瞬時に炭化した遺体は粉々になり、風に吹かれて虚空へと舞い散った。


「お前は……」

「お初にお目にかかります、ラ=エスタ。我はファブニール。カダルカナンが刺客の一人――」


 慇懃いんぎんな口調で自己紹介する。

 あっけにとられたように固まるラ=エスタ。一瞬の静寂があたりを支配する。

 遠くでは爆音と、何かが激突する轟音とが聞こえてくる。アルビオンとニルヴァーナ、そして召喚された虚獣群がぶつかり合う音だ。月明かりの下、各所での混戦は続いている。


「ベアトリスをったのはお前だな?」

「左様で。想念武装〈玄腑げんぶ〉を破壊された挙句、敵の手中に落ちた刺客など、必要ありませんので……もっとも、もうかなり尋問を受けたのでしょうか。彼女から聞き出せる情報など微々たるものだったとは思いますが……」


 そう言って薄く笑った。

 事実、皇王こうおうに収容された彼女は、真山や佐竹の立会いのもと、主治医のりゅうが聞き取り調査を行ってはいた。尋問にならなかったのは真山達の優しさだ。だが、それが仇となったのは間違いない。


「つくづく馬鹿なんですよ、あなた方」

「なんだと」

「こんな問答に時間を割いていること自体も馬鹿馬鹿しい。無駄なことは嫌いなんです。時間の無駄だから……。なのでざっくり説明して差し上げましょう。彼女はただの殺し屋。想念武装〈玄腑げんぶ〉を与えたのは私たちです。最初は、あなた方のかくまう、かの少年だけ確保するつもりだったのですがね。何度も邪魔をするものだからこうして実力行使に移らざるを得ないというわけです。今頃はアルビオンが用意した罠が彼らを襲っているはず……」


 白い衣を口元にあて、ほほほと笑った。

 徐々にだが全体の勢力相関が見えてきたな、とラ=エスタは思った。

 二分割されたカダルカナンの勢力。一方は現代世界に協力し、ともに〈セントラルピラー〉探索行に携わっている者たち。もう一方は、こうして武力でもって禊儀みそぎの力のみを欲している者たち……。

 他の世界は、そのごく一部の勢力が活動するためのいしずえ――言うならば実験材料とされていたともいえる。その代表格が、今先ほど殺されたベアトリスだったのかもしれない。


「我々の目的は単純明快です――」


 ファブニールの言葉は確かだった。

 ありていに言えば世界征服――それも全時空を統括する、大千世界の統合と管理である。

 〈裏界ブリガドゥーン〉の遺産レガシィを握る超未来社会によって、すべての歴史と異世界は統合管理されるべきだというのだ。

 それは、〈セントラルピラー〉の回復を模索し、世界の安定を図るRe:Markの思惑とは正反対の行為。そんなかれらの手中に、鍵そのものである禊儀を渡すことは極めて危険に思えた。


「大統合計画、ですよ」

「なに?」


 二人の間を爆音が駆け抜けてゆく。それが一体何の勝敗を告げているのかは分からない。ただ、樹海での戦闘がますます激化している――それだけは確かな事だった。


「一つだけ答えてくれ。お前たちは〈セントラルピラー〉をどうしようというんだ?」

「知れたこと。あんなものがあるからこれだけの混在世界が今日この時まで存在しているのですよ。発見次第、破壊します」

「そんなことをしたらお前たちの世界まで崩壊の危機にさらされるのではないか」

「ほほほ。『お前たちの世界』とはこれまた他人事ですね。あなたの世界でもあるのですよ、ラ=エスタ。どうしてそこまでかれらに固執するのが……その真意は知ったことではありませんがね、解決策はすでに見つかっているのですよ。ですから――」

「ならばそれをなぜ全ての世界に知らせてやらない」

「馬鹿なことを……。そんなことをしたらいつまでもこの混在世界が続くことになる。愚かしいとは思いませんか。イマジナリアの、あの小さな争乱を見てきたあなたならわかるでしょう。世界は剪定され、選定され、そして管理される時を迎えているのです」


 ファブニールはひどく楽しげだった。それは絶対的上位にいるという、余裕の表れなのだろうか。

 話は終わりです、と白き巫女は左手を天へとかざした。

 大気が鳴動し、森がざわめく。

 空間がひずんだかと思うと、一瞬後には目の前に巨大な構造物の姿があった。

 樹海の木々を切り裂いて出現した黒光りする長大な砲身――第二次世界大戦で使用された戦艦に搭載されていたそれを思わせる、禍々しい兵器だ。それも口径が六十センチ以上にも及ぶ異常なものであり、ラ=エスタの〈瞬牙しゅんが〉がまるで玩具である。


「これは、大砲だと?」

「ふふふ、ご明察。我が想念武装〈砲凰ほうおう〉をここに転送しました。あまりに大きくて制御に難儀するのが唯一の弱点でしょうか……ここであなたの旅も終止符ピリオド、最終回です。それじゃ、さよなら、さよなら……さよなら!」


 かつて存命していた有名な映画評論家の口調を真似ながら、ファブニールは砲を放つ。

 瞬間的な灼熱のエネルギーが魔女を焼いた。

 これがベアトリスを炭化させた、その原因だったのか。

 理解したその時、ラ=エスタの意識と肉体は原子レベルにまで分解されていった。



         ◇



 富士の裾野での激戦は続く。

 先ほどから幾度となく樹海のなかを灼熱の光線が駆け抜けている。

 何か別の勢力が争っているのだろうか、とニルヴァーナと合一中の禊儀は思った。

 その光線が、かのファブニールの放った砲だとは知るよしもないかれらが直面しているのは、闇を超える闇。超バベルノン級虚獣の威容である。


 闇そのものといってもいい虚獣は、それでいて動きはしなかった。

 まるで口を大きく開け、獲物自らが飛び込んでくるのを待つ深海魚のように、悠然と樹海内に鎮座している。

 こいつを呼びだした実生みしょうの思惑はすぐに理解した。

 アルビオンの正拳突き――ウィリアム・ブレイクでもって、ニルヴァーナをそこへ追い落とすつもりなのだ。

 実生は俺の力を欲していると言っていた。そのためには今合一しているこの漆黒の機体を排除する必要がある……。超バベルノン級はそのために用意されたネズミ捕りのようなものに思えた。


「まったく、やることなすこと相変わらず大袈裟なんだよッ」


 ここで初めて禊儀は実生に怒りを覚えた。

 彼の胸に去来した思いをくみ取れたものがその場にいたかは分からない。

 ただ、初めて機導騎きどうきと一体化した時に彼を支配した、あの「怒り」が、今まさによみがえってきていることは確かだった。そして――



         ◇



「CEO、それを使うのですか!」


 皇王甲板に立った真山矜持は、ひと振りの日本刀〈流桜りゅうおう〉を床へと突き立てた。

 それは鍵だったのだろうか。

 瞬時に光のラインが血管のように奔る。白亜の航空艦を取り巻き、そして艦首下部に設けられた、あの竜の顔部分へと集約していった。エネルギーの奔流を受け、竜の顎が徐々に開いてゆく……。


「この〈流桜〉の能力は、さし込んだ構造物そのものを高エネルギーの爆弾と化すもの。これぞ皇王が最終にして唯一の武装、『艦首顔面砲』だ!」

「それは砲でもなんでもないじゃないですか!」


 艦橋の佐竹は思わずつんのめりそうになる。

 だが、もはや真山おなじみのおふざけの余地もない。

 皇王――白き竜は今まさに形を変え、一つの弾丸として機能しようとしている。

 照準はそちらに任せるぞ――と真山の無責任な言葉が佐竹の耳に届いた。


「司令、皇王の航空機関フライホイールは半数以上が生きています。スラスターをふかせば、照準を定めることも十分可能かと」


 弥蓮やれんの言葉に佐竹は頷く。


「……艦首下部スラスター、全開。顔面砲を前方へ向けろ。目標は艦前方、超バベルノン級だ。総員すぐさま退艦。弥蓮君、君もだよ。あとの操作はすべて私がやろう……」


 佐竹の決断は早かった。



         ◇



 富士の裾野に灼熱のドームが広がった。

 何事かと、遠くからこの様子を見ていたものがいたとしたらば、その爆発の輝きで網膜を焼かれていたかもしれない。それほどまでに巨大な爆発だった。


 真山の想念武装〈流桜りゅうおう〉の能力によって、飛翔する爆弾と化した皇王。乗員の退艦を確認したのち、すぐさま飛び上がった。もちろんかつてのような飛翔能力は失われている――今はただ、目標に向かって突貫するだけの爆弾である。

 船首楼フォアキャッスルに設けられた竜の眼がギラリと輝きをはなつ。後部スラスターが爆炎を上げ、長く尾を引いた。まるで生きているかのようにガチガチをあぎとを鳴らしながら、漆黒の虚獣――超バベルノン級へと突っ込んでいった。

 およそ一キロにも及ぶ巨大艦である。数キロ先の虚獣に向けて放たれた、その巨大な弾頭は大変な爆発を引き起こした。本来ならば、樹海の大半が焼け野原になってもおかしくはない、そんな規模の爆発だったにもかかわらず、局所的で済んだのは、ひとえに超バベルノン級の内部へと侵入してからの爆発だったからかもしれない。


 闇の中に白い竜が突っ込んでゆく様は、まさに神風特攻そのものだった。

 樹海にておのれの想念武装〈神顎しんがく〉を振るっていた津那美つなみは、虚獣へと突っ込んでゆく甲板上の真山を。両の眼で見たのではない。感覚がそう悟ったのだ。

 CEOの侍女として真山に仕えていた少女は、その時、男の真意を知ることになる。

 両眼の視力を持たない自分がなぜ彼の元へ常に置かれていたのか……。

 それは――


 すまない、我が娘よ。

 真山の唇はそう言っていた。

 なぜ今になって……。それは、残酷きわまりない、真実の告知だった。



       *      *      *



「……遮蔽フィールドが機能してくれて助かりましたよ、実生」


 アルビオンの足元で声がした。白いローブの少女、ファブニールだ。

 いま彼女は、実生みしょうの操る白騎士に護られ、行動を共にしている。

 ラ=エスタを始末したあの巨大な想念武装は今は彼女の元にはない。元の世界へと転送したのだ。つまるところ、一撃必殺の武器なのである。


「せっかく呼び出せた虚獣も、ほとんど消えてしまいましたね」

「あれほどの爆発だったからな……」


 二人が見渡す周囲は、一面の荒野だった。

 樹海の中にぽっかりとあいた円形の荒野。爆心地だった。

 そこに皇王の姿はない。跡形もなく消し飛んでしまったのか……。


「この娘、どうします」

「ああ、一真いっしんか」


 ファブニールの足元には、意識を失い、倒れ伏した少女――津那美の姿があった。

 瞑目し、白と黒の侍女服を相変わらず着こなしている。

 いつ見ても端正な顔だ、と実生は思った。


「一時撤退だ。彼女は連れて行こう、一真いっしんを呼び寄せる餌になってもらう」

「なかなか薄情な方ですね、あなたという男性は。いっときとはいえ、寝食を共にした仲間ではなかったのですか?」

「仲間か……。ま、そりゃあ色々な思いはあるがね、俺は俺でやらなきゃならないことがある」

「そういう意思を貫徹するところが私は好きですよ……あら?」


 上空に視線をやったファブニールが訝しげな声を出す。

 そこには、青白い月を背にした漆黒の巨人が浮いていた。ニルヴァーナだ。

 両腕の翼を展開し、虚空に鎮座する様は神々しくもある。

 ゆっくりと大地に降り立つと、アルビオンに向かって歩み寄ってゆく。そこに禊儀の意思は感じられない。ただ、闇色の機導騎きどうきが迫ってくる。ぞくり、と実生は鳥肌が立つのを感じた。


 一閃。アルビオンの右腕の装甲が切り裂かれた。

 何? と実生が視線を移すよりも早く、ニルヴァーナの鬼のような威容が眼前に迫ってくる。今度は明確な怒りの意思が感じ取れた。

 なにかまずい、そう実生みしょうは判断する。すんでのところでニルヴァーナの手刀を回避しつつ、アルビオンを飛行させた。


「一真……お前を連れて行くのはひとまずお預けだ。今はこっちの分が悪いんでな!」


 それは捨て台詞だったかもしれない。

 肩装甲の内側に、ファブニールと意識を失ったままの津那美を乗せ、アルビオンは飛び立った。背中に収納されていた二対の翼――合計四枚の主翼を展開し、虚空へと飛翔する。逃走であった。が――


「実生! アルビオンの足が」


 それはファブニールの声だった。

 何時も余裕を見せている巫女が珍しく見せた悲痛な叫びである。

 見れば、飛び立ったアルビオンの脚部を漆黒の巨人がつかんでいるではないか。

 逃がさんと言わんばかりに、その膂力でもってぶら下がり、やがて両翼を展開させると空中に上体を持ち上げた。


「一真、お前なのか……?」


 声が震えるのがわかる。

 恐怖を感じたのだろうか。この俺が?

 実生はアルビオンのを動かす。今はニルヴァーナを振り払うのが最優先に思われた。

 同時にニルヴァーナもまたを動かす。

 力持つ者同士の腕と腕とがぶつかり合い――空中で爆発が起こった。

 二体の巨人はきりもみ状態になりながら、遥か彼方へと飛びながらも落下してゆく。

 膨大なエネルギーを放出しながら、関東の地へと舞い戻ってゆく。それは、夜空を駆ける一筋の流星のようでもあった。

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