25.富士山麓大混戦

 夜の富士山麓に、二体の巨人が向き合い立っている。

 一方は純白の甲冑でその身を覆った騎士。見ようによっては正義のヒーローと言えるかもしれない。もう一方は禍々しい、有機的な外装に覆われた漆黒の怪物だった。どちらも機導騎きどうきと呼ばれる戦闘兵器である。


実生みしょう、なぜこんなことを――」


 黒い機導騎――ニルヴァーナの内部からうろたえたような声がした。禊儀一真みそぎいっしんだ。

 彼はいま、この巨人と合一し、機導騎そのものとなっている。

 それは、〈裏界ブリガドゥーン〉に直接アクセスし、常時機体を召喚できる能力者ゆえのでもある。その証拠に白き騎士に乗る理堂実生りどうみしょうは生身のままであり、胸部に設けられた操縦席に収まっている。大千世界の遺産レガシィとでも言うべき機導騎は、本来召喚者自身が一体化して動かすものだ。そういう意味では、実生の乗る白騎士――アルビオンは「まがいもの」といえるのかもしれない。


「別に俺は、お前と戦おうという意思はないさ」


 実生の答えは簡潔だった。

 戦う意思はない。だが、力を取り戻しつつある禊儀には付き合ってもらう。もちろん、彼の本来の世界、カダルカナンへだ。あの黒いラプターもまた、彼が差し向けた護衛機だった。機会さえあれば行動に移す算段だったのだろう。それは、開花した能力の接収と言ってもいいのかもしれない。


 そも、カダルカナンとは何なのか。

 この大千世界の危機において、Re:Markの活動を陰で支援する組織――ひいては異世界そのものと実生は語る。だが、その実態は一枚岩ではないとも彼はつづけた。

 皇王こうおう艦長の弥蓮やれんも、そもそもの発端となったラ=エスタもまた、カダルカナン側の人間だ。属する勢力は全く別のものだが……と、そこで実生は言葉を濁した。


「俺たちの世界の超未来だとお前は言ったな? あれはいったいどういう意味だ」

「別に。そのままの意味だよ。この世界がこのままの歴史を辿ることで、いずれ遠い未来に俺たちの世界へと到達する。そこは〈裏界ブリガドゥーン〉の遺産を自在に行使することで繁栄を達成した一つの理想郷ユートピアだ。だがね――」


「……大千世界を襲う次元傾斜がそもそもの問題だったのです」


 不時着した皇王艦橋で、事のやり取りを聞いていた弥蓮やれんは静かに告げた。

 それまで一つの地続きだった歴史は、〈セントラルピラー〉の崩壊に伴う次元傾斜によって、過去から分化していった。本来到達すべき未来であったカダルカナンは、可能性の一つとして固定され、別の未来が生まれようとしていたのだった。


「それがなぜこんな行為に繋がるんだ」

「分からないかなぁ……」


 実生の言葉に反応し、アルビオンが動く。

 ぐぐぐ、と鋼鉄の腕をきしませ、その節くれだったマニピュレーターが前方へと突き出された。ニルヴァーナを捕らえようとする動きだった。緩慢に見えたその動作は、一瞬ののち鋭い突きとなって漆黒の巨人を襲う。今はニルヴァーナである禊儀は、すんでのところで両腕にそなえられた翼を展開させ、それを防いだ。


「おお、反応速度も上がってるな。二度目の召喚にしてこの力。さすがだぜ、一真」


 操縦席に座る実生は、やや寂しそうに笑った。

 この旅路の間、俺はずっと機会をうかがっていた。何も知らぬ一般市民を装いながら。おかげで誰からも疑われることはなかった。Re:Markの連中が馬鹿なのかお人よしすぎるのかは知らない。ただ、一つ確信に至ったのは、このままやつらに大千世界の問題解決を悠長に任せておくわけにはいかないということ――それが実生の思いだった。

 

「別の可能性が分化したならば、俺たちの世界はどうなると思う? 一つの連続した時空体にあって、歴史が本来予定していた進路を外れたとしたら。すでに確定された未来が並行世界として存在していたのに、だ」


 禊儀みそぎには実生みしょうの言うことがよくわからなかった。

 歴史というものが未来に向かって積層されてゆく、その結果なのだとしたら、何も問題などないのではないか。そのようにも思えた。だが――


「大千世界の構造はそうではなかったんだ」


 アルビオンの左腕にエネルギーが集約されてゆく。それは、あのヒミコが使役したのと同じ光……今は禊儀の右腕に還った、あの力と同質に見えるものだった。これはまさか。


「話が混在していて分かりにくいとは思うが、先にネタばらしだよ。もうお察しの通りだ、お前の左腕にあった力は俺に移植されている。この機体、アルビオンが動くのもその力のたまものだ」


 その言葉が終わると同時に、白騎士の左腕が唸りを上げた。

 放たれる渾身の一撃。

 それは小細工一切なしの力技――ウィリアム・ブレイクと名付けられた正拳突きだった。

 何かまずい。両腕の翼で受け止めるべき一瞬迷う――が、その躊躇ためらいは禊儀を回避行動に移らせた。すんでのところでアルビオンの突進を避けきる。


 刹那、空間が裂けた。

 空振りしたはずの正拳は、何もないはずの空間をぶち抜いていた。


界面かいめんバスター、とでもいうべき能力かな、どこぞのジュニア向け小説めいているが」


 実生の口調は相変わらず軽薄で、どこかふざけている。

 ぶち抜かれた空間――何もない虚無の先には極彩色の流れがあった。

 視覚的に見えたのではない。感覚がそう捉えたのだ。

 それはひどくグロテスクな感触であり、神経を逆なでする。

 空間に空いたあなは徐々に閉じようとしているようにも見えるが、その向こうからは黒々とした触手が伸びてくる。それが虚獣の肉体の一部であることに気付くのに、さしたる時間はかからなかった。


「きょ、虚獣群出現……! ジグラット級が複数、空間の穴から現出!」


 傾いだままの艦橋内にオペレーターの声がこだました。

 真山まやま佐竹さたけもこの事態をただ見守るしかない。富士の裾野は今まさに、悪夢が支配する戦場と化していた。



         ◇



「やっと次の階梯に移りましたか、死んだ眼をした愚か者どもが」


 風が吹きすさぶ青木ヶ原樹海の片隅で、事の推移を見守る人影がつぶやく。

 声の主は白いローブに身を包んだ少女だった。

 頭部に被った外套がいとう部分が風ではだけると、つややかな黒髪が現れる。

 勾玉まがたまの形をした髪飾りをジャラジャラと悪趣味にぶら下げたその少女の名は、ファブニール。先に、ベアトリスとラ=エスタが対峙した際にもこうして事態を睥睨していた本人でもある。いったい何者なのか。

 外見年齢は極めて若く見える。まだ十二、三歳といったところだろうか。

 だが、この大千世界において外見ほどあてにならないものがないのは、これまでの旅路が証明している。事実、彼女の口調は妙に大人びており、またその額には深い皺が刻まれていた。


「それでは我が方も動くとしましょう」


 ファブニールのつぶやきとともに、樹海の木々が大きくざわめく。

 空間が騒いでいるようでもあった。

 びょうと風が吹くと、またもや彼女の姿はいずこかへとかき消えていた。



         ◇



 巨人同士の戦闘は徐々に激化の一途をたどっていた。

 無限に繰り出されるアルビオンの正拳突き――ウィリアム・ブレイクによって、周囲の空間には大きなあなが穿たれている。ための動作から前方へ直進するだけの動作ゆえに、攻撃の回避は容易であったが、いつまでも悠長にこれを繰り返させるわけにはいかなかった。

 なにより穿たれたあなからは虚獣が続々と侵攻してきている。ニルヴァーナはそれらを駆逐しながらアルビオンの突きを回避し続けているのだった。


「いつまでもつかな……」


 虚獣はもちろん、実生の駆るアルビオンにも攻撃を加えている。

 だが、彼はそれを全く意に介していないようであった。


禊儀みそぎ、無理はしないで!」


 ニルヴァーナの足元では津那美つなみが〈神顎しんがく〉をふるっている。

 露払いのつもりらしい――が、いかんせん多勢に無勢だった。

 単体でなら有利に働く想念武装も、いまや樹海を埋め尽くさんばかりに侵攻した虚獣の群れの前には焼け石に水である。津那美自身の体力も、著しく奪われているようで、肩で息をしているのが見えた。

 一方のラ=エスタはというと、これまた姿をくらましていた。

 もちろん敵前逃亡したのではない。彼女にはる危惧があったのだ。


(ベアトリス――!)


 悪い予感は当たった。

 不時着し、損壊した皇王こうおうの独房から、軟禁されていたベアトリスは逃亡していた。

 樹海の、不安定な足場ではあったが、あの毒蛾を思わせる外見の貴婦人は、まさに舞踏を踊るように華麗な足取りで駆け抜けてゆく。それを〈瞬牙しゅんが〉に腰掛けた魔女が追尾していた。


「お膳立てはそろったようだな……」


 何事かを待っていたかのように、実生はぼそっと呟く。酷く投げやりな口調だった。


「教えてくれ実生。お前の本当の目的は何なんだ。なぜ、こうならなければならない」

「相変わらず鈍い奴だなぁ。何度も言っているだろう。この世界にこのまま別の未来へ到達されては困るんだよ。だから遺産レガシィの一つである〈セントラルピラー〉のシステムへアクセス可能なお前が……厳密にはが必要なんだ。一緒に来てもらいたいだけなんだよ。だって、俺たち親友だろう?」


 少年の言葉は投げやりだったが、どこか悲痛な叫びにも聞こえた。

 禊儀には実生の意図が全くつかめない。つい数時間前までともに旅をし、笑いあっていた仲ではなかったのか。高校に入学してからずっとつるんできたかけがえのない友人ではなかったのか……。もともと感情を大きく揺さぶられることのない性格の禊儀であったが、今はそれゆえに思考が停止してしまっていた。


 そして、その時は何の前触れもなく訪れた。

 絶えず繰り出されたアルビオンのウィリアム・ブレイクによって穿たれた空間の裂け目――それはいつしか樹海の半分を覆いつくすほどの半球状をなしていた。そこからやってくる。裂け目の奥から、いまだかつて遭遇したことのない虚獣が、その姿を現そうとしていた。


「け、計測値――限界を突破。新たな虚獣出現にともなう時空震動を感知。周囲一帯の霊波急上昇中……もはや計測不能です。これまで世界中に出現したどの虚獣をも凌駕したクラスです。艦内霊波、急上昇。このままでは局所的な次元傾斜が発生し――」


 艦橋にオペレーターの悲痛な叫びがこだまする。

 やむをえんな、と真山が手にした金属杖を持ち上げた。


「これを使うつもりはなかった。想念武装が一つ、〈流桜りゅうおう〉――その力を今、行使する」


 そう言って金属杖から抜き放ったのは一振りの日本刀だった。

 否、刀のように見えるだけで、これはあくまでも想念武装だ。

 一瞬ののち、真山の姿は艦橋からかき消え、次の瞬間には樹海を見下ろす甲板上へと、その場を移していた。冷たいはずの夜風は、戦いによる熱風と化している。鬱陶しいなと、黒づくめの男は思った。


 彼の見据える先には、闇よりもさらに深い闇の深淵が口を広げている。

 ニルヴァーナですら及びもつかぬ、漆黒を超える漆黒。

 それはまさにこの地上に降りたブラックホールそのものだ。

 どんな光をも吸収してしまう、黒い孔。

 本物のブラックホールでないのは僥倖と言えるのかもしれない。

 それが、虚獣を超える虚獣――超バベルノン級。アルビオンを操る実生が仕組んだ、巨大な罠そのものだった。

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