第三章 ロザリオの鳥

22.夢の途中

 禊儀一真みそぎいっしんは深い森の中にいた。

 常緑樹が密集する深緑色の世界。感じられるのはただそれだけだ。

 これが夢の中でもある、ということはすぐに自覚していた。なぜなら、彼の視覚は宙に浮いた状態にあり、意識すればどのような方角のそれをも感知することができたからだった。


(自覚夢、明晰夢ってやつかな――)


 とりあえず前方に向かって進んでゆく。

 歩く、という感覚はこの場合正しくない。ただ進もうと思うだけで、彼の意識は深い森の奥底へと自由に進んでゆくのだった。

 だが、意識にあなでも空いているのか、時折ノイズが走るように視界が濁る。

 これも明晰夢を見ているとき特有の感覚だ――そう少年は思った。

 いくつもの光点が意識の端をよぎってゆくのが感ぜられる。

 なんだろう? と気持ちを向けると、それは魚の形をした何かだった。銀鱗がきらめく。

 いうなれば、「宙を泳ぐ魚」だ。そんなものが果たして本当に存在しているとでもいうのだろうか。それはわからなかったが、これが夢であることを考えれば、何一つおかしいことはないように思われた。


 ふいに視界が開ける。

 木立の中から現れたのは、銀色の壁に囲まれた小さな小屋だった。

 小屋――といってもみすぼらしいものではない。

 なにか特殊な合金でもって作られているであろう、精緻なメカニズムを内包した研究施設だ。大きな人影が扉から出入りするのがわかる。 


 何か、とても懐かしい気持ちがした。


 小屋の中からは何事かを話す声が聞こえてくるが、会話の内容まではわからない。

 そんなものか、と禊儀は小さく笑う。自分の夢のなかでの出来事なのに、知覚できないことが無性におかしかった。

 やがて彼の視点は上空へと昇ってゆく。

 どうしてそうしたのかは彼自身も分からない。これもまた夢のなかだからだ。

 ひゅうと風が頬をなぜたように感ぜられた。意識の果てに、彼はあるものを発見する。


 塔だ。

 それも、天空に届かんばかりの巨大な構造物。

 東京は押上おしあげに存在するスカイツリーなどとは比べ物にならぬほどに太く、巨大な真白き柱がそこにはあった。

 不思議なのはその外観だ。まるで、かの有名な前衛芸術家が手がけたオブジェのように、奇妙にねじくれ曲がり、あちこちへと枝葉を伸ばすようにして分化した、そんな形状をしている。遠くから見たらば、大きく足を開いた人の姿をとっていることがわかっただろう。これが塔でないとすれば、人工的に壁面で塗り固められた世界樹のような……そんな奇怪な建造物でもあった。


 ふと足元に意識を向けると、そこに白衣を着た一人の女性が立っていた。

 決して若くはないが、かといって老人というわけでもない妙齢の婦人。

 研究者だろうか? 塔を見上げ、沈痛な面持ちをしている。


「やはり……もう限界なのね……」


 何だ? 何を言っている?

 禊儀には女性が何を言っているのか全く分からない。

 ただ、その声だけは意識の中で繰り返しこだまするようだった。


「私たちに残された時間はあとわずか……。この、〈セントラルピラー〉が完全崩壊するまでには何とか……」


 禊儀の意識はそこで途切れた。



         ◇



「ここは……」

「気づきましたか?」


 禊儀一真が目を開けると、そこはいつかと同じ医務室のベッドの上だった。

 頭上には蛍光灯の白い光。心配げにのぞき込んでいるのは瞑目したままの少女――津那美つなみだ。

 ゆっくりと上体を起こすと、部屋の片隅で相変わらずコンピューターに向かっている主治医、りゅう=ヴェーデキントの恰幅の良い背中が視界に入った。


「あれから俺はどうしたんだ……」


 ややぼーっとする頭を押さえつつ、禊儀みそぎは記憶を整理してゆく。

 ヤマタイ国での戦闘は無事終わりを告げていた。

 自分があの時呼びだしたらしい新たな機導騎きどうき〈ニルヴァーナ〉は、その後〈裏界ブリガドゥーン〉へと還っていったという。また、彼の右手にはヒミコから返されたという〈力〉が戻ったと聞かされたが、別に何が変わったわけでもなかった。しばし、右手のひらを見つめる。


 皇王こうおうは現在、ヤマタイ国を離れ元の世界へ向けて航行中だという。

 ほどなく富士の重層領域を抜け、青木ヶ原樹海の上空へと出ることだろう。


「もう、起き上がって平気なのですか」


 津那美が心配そうに尋ねる。大丈夫だ、と軽く笑ってベッドから降りた。

 確かに肉体には何の問題もなさそうだった。気を失ったのは新しい力――〈ニルヴァーナ〉を呼び出したせいで、いわゆる気疲れだろうよと、劉がぶっきらぼうに言った。疲労回復の薬でも飲んどけ、と薬瓶をほうってよこす。いいのかそんなアバウトで。


「夢を見たよ。どんな夢だったかは忘れてしまったが……とても不思議な夢だった」

「……」

「不思議なものだね、夢っていうのは。自分の脳が動いている証拠だというのに、起きてしまえばその記憶すら残らない。ただ『見た』という感覚だけが残っている。眠りが浅かったのかな? 明晰夢ってやつだったよ……いや、なんで君にこんなことを話しているんだろうな、俺は」


 なぜかはわからないが、口を開けば言葉が零れ落ちた。

 艦橋へ向かって歩く道中、禊儀は一方的にあれこれと津那美に話をした。

 少女はいつもと同じ調子であり、瞑目したままただ黙ってうなずくだけだったが、それが今の少年にとっては心地よくもあった。


 やがて、皇王は富士の樹海上空へと抜けた。

 空にはいつもと同じように、青白い月が輝いている。

 〈裏界〉の海を、この純白の竜は次の目的地へと船首を向け、静かに航行してゆく。

 窓から見上げる月は見事な満月だった。


「うん? あれは何だ――」


 月に重なるようにして、何か小さなちりのような黒い点がいくつか見えた。

 黒い点はやがてその大きさを増すと、皇王の上方へと接近してきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます